運転(7)
~運転(7)~
秋も深まりました。11月。その割にここ最近は暖冬なのか異常気象なのかあまり冷え込みがありません。
銀杏の木も色づいてはいますが、散る様子もなく、このまま年末のイルミネーションを灯すのにまだ銀杏の葉があるのではと思ってしまいます。
寒くはないですが、皆さんの財布は寒いのかものすごく締め付けを感じます。そのため、深夜だけでは厳しいためここ最近では夕方から走りだし平日だと2~3時には上がるようにしています。
それ以降は走ってもお客様をお見かけすることがありません。
今日は先ほどのお客様を成増までお届けしました。池袋に戻ろうと思いましたがすぐに次のお客様をお乗せすることとなりました。
景気が良くなったとはいえなかなかタクシーに乗ってくださらない方が増えました。その中で呼び止めてもらえるのです。うれしい限りです。
それにスーツ姿のサラリーマンの方です。大きなカバンをお持ちなので出張帰りなのかもしれません。お客様をお乗せしたらこう言われました。
「三園通り沿いでお願いします」
「かしこまりました」
目的地を示されるお客様もおられれば、道を指定されるお客様もおられます。おそらく目的地は三園通りからどちらかに入るのでしょう。
「目的地近くになりましたらお声掛けください」
「ああ、そうさせてもらう」
そう言ってお客様は深く座り大きなため息をつかれました。
疲れられているのか何かはわかりません。とりあえず私にできることは少しでもこの空間を不快にさせないことくらいです。
「お客様、車内の温度は大丈夫でしょうか?」
そう言うとお客様はこう言って来られました。
「ああ、大丈夫。でも、東京は、気温はあったかいけれどなかなか寒いね」
どこかあたたかい所に行かれていたのでしょうか?
「出張帰りか何かですか?どちらに行かれていたのでしょうか?」
「ああ、仙台からです」
不思議なこともあるものです。東京と仙台でしたら仙台の方が寒いはずです。何か私の聞き方が間違っていたのでしょうか。男性が続けます。
「私は転勤していたのです。ずっと仙台に。あ、実際は仙台から少し離れた所なんですが、わかりやすく仙台といいました。まあ、単身赴任というやつです。はじめは1年という話しでしたが、気が付くと10年も単身赴任をしていました。何度か家族の顔を見に帰ろうとしていたのですが、妻がね、そんなお金があるなら娘に何かプレゼントを買ってあげてと言うのです。まあ、ずっと会っていないのですからそれも一理あると思っていました。今日10年ぶりに我が家に帰ったら私の部屋はなくなり、寝ることもできませんでした。そうかと思えば実家に久しぶりに帰ったらと言われました。家族って何なんでしょうねって思いましたよ」
色んな家庭があります。けれど、一家の大黒柱が大事にされていた時代はいつの間にかなくなったようです。
「昔言いましたっけ。亭主元気で留守がいい。そう思っている人は多いのかもしれませんね。会話がなければ他人になってしまう。けれど、まだつながっているじゃないですか」
そう私は話しました。気が付くと三園通りに入っていました。
「運転手さん、次を右に曲がってください」
そう言われて前を見ました。すると右側はどうやら事故があったのか通れなさそうです。お客様もそれに気が付いたようです。
「事故ですね。仕方がないです。もう一つ先を右に曲がってください」
そう言いながらお客様は体を乗り出して前を見られています。
いつもと違う道だから確認をしているのだと思いました。右に曲がってしばらくするとお客様がこう言われました。
「一旦止まってもらえませんか?」
そう言ってお客様はじっと一点を見られています。そこは工事をしている場所でした。個人住宅です。当然夜ですからほろがかぶさっているだけです。お客様がこう言われました。
「一瞬でいいからあの場所を見に行きたいので降りてもいいですか?」
少し不安はありましたが、何か理由があられるのでしょう。私は扉を開けました。このお客様が逃げるということは考えていませんでした。
お客様は一旦車から降りられ、そして、ほろがかかっている付近に近づきました。何かを確認されて戻って来られました。
「もうよろしいのでしょうか?」
「ああ、ありがとう。このまままっすぐ進んでください」
私は車を発進させました。
「何があったのですか?」
お客様の個人的にことに踏み込むのはタブーなのはわかっています。けれど、気になってしまい聞いてしまいました。お客様がこう言われました。
「ああ、あの場所実は小学校から高校まで仲良かったやつの家だったんだ。もう引っ越したのかと思ったらあの場所二世帯住宅にする工事だった。工事主もそいつの名前だったから。まだこの場所にいたんだなって思って。
でも、あの工事を見ていたらちょっと思い出したんです。我が家を作った時のことを。あの時は色んな話しをしたのを思い出した。妻の家族と一緒に住む話しになったのです。妻としては気が楽でしょう。私は結構悩みました。両親のこともあります。私は長男ですし、いつかは両親のめんどうもみないといけないのだと思っていました。すると両親はこう言ってきたんです」
『うちらは自分たちでなんとかするから、あんたは奥さんと家族を支えるがいいよ』
「その言葉に甘えてしまったんです。でも、気が付くと自分の両親ともあまり交流がなくなって。本当に仙台でみんなから言われたのに。家族をもっと大切にしろって」
お客様はどこか遠くを見られておられました。
「多分、今からでもできるんじゃないですか?家族とはそういうものじゃないのでしょうか?見えないけれど、どこかで繋がっている。でも、見えないから不安になる。だから会話をして分かり合おうとするんじゃないのでしょうか?」
そう言うとお客様は携帯を取り出しました。
すぐに携帯音がなり何かを告げました。お客様が言います。
「娘にね、妻と、まあ、娘にはお母さんと言っていますが、話したいからセッティングしてくれないかってお願いしたんですよ。そしたら、『いいよ』ってすぐに返事がきました。娘も気遣ってくれていたみたいです」
「よかったですね」
私はそう言いました。お客様が言う。
「この先に神社があるのでその近くで止まってください」
少し先に神社が見えました。お客様が言う。
「あの神社子供のころによく行ったな。折角実家に帰ってこられたんだ。今日は親孝行してきます。なんか照れくさいですけれどね」
もっと話していたかったですが、神社についてしまいました。
「お忘れ物なきようお気をつけてお降りください」
私はそう言った時、お客様はこう言われました。
「やはり、東京は暖かいですね。仙台より」
「だと思います」
私はそう言って車を走らせました。
さて、次はどんなお客様との縁があるのでしょうか。