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東京は仙台より寒い?

~東京は仙台より寒い?~


「仕事で転勤になったんだ」

 まず妻にそう話した。全国展開をしている会社なのだから転勤はある。そう聞いていたし妻である楓にもそう伝えていた。それを了承しての結婚だったはずだ。楓が言う。

「私行かないわよ。それに考えても見てよ。この子はどうなるのよ」

 そう、娘、美奈は今小学6年生。公立でいいと言っているのに誰に似たのかわからないが成績優秀なのだ。そして、この学区の中学校はあまり評判が良くない。そういうこともあってずっと受験モードなのだ。

「あなた一人で行ってね。で、どれくらいなの?」

「ああ、多分1年くらいだと思う」

「なら、やっぱり一人で行ってきて。たった1年のためにこの子に転校させるのはかわいそうだわ」

 そういう会話があって、私は一人で宮城県富谷町という場所に転勤になった。


 富谷町というのは宮城県の中でも内陸だ。仙台市から車で40分くらいなのだが、私は免許を持っているが車を持っていない。ずっと都内で生活をしていたから車より電車の方がだんぜん便利だからだ。

 だから楓に「車が必要なんだ」と伝えたら「家のローンもあるのにそんなお金どこにあるの」と言われてしまった。

 そのため、富谷町にある工場のすぐ横に隣接している社員寮に住まわせてもらうことに決めた。

 転勤先では、工場の品質管理部門に配属となる。今までと違う仕事だ。本社と現場の溝を埋めるための人的交流という形で白羽の矢がなぜか私にあたったのだ。

 家を購入して3年目。なぜこんな時期にと思った。そもそも転勤の可能性があるから家の購入はしたくなかったのだ。だが、楓が親のこともあるから家を購入したいと言ってきたのだ。

 実際家のローンの半額は楓の両親が出している。二世帯住宅にしようと言って作ったこの家だが、1階が楓の両親、2階が私たちの家だ。

 だからこそ転勤はつらかった。だが、1年。1年頑張れば戻ってこられる。

 そう思って宮城県富谷町に転勤した。


 着任して思ったことがある。地方は本当に車社会なのだ。車がないとどこにも行けない。まあ、住まいは工場の横。食事は工場内の食堂がある。寮なので、洗濯機、冷蔵庫、電子レンジはある。だが、コンビニまでが結構ある。歩いて行ったら20分もかかった。都心では見たことがないくらいコンビニの駐車場が広い。だが、これくらい広くないといけないのがよくわかる。

 休日をどうすごしていいのかわからなくなった。工場は24時間稼働だ。常に誰かがいる。休みも何もない。

「おお、住吉さんじゃないか。こっちの生活になれましたか?」

 声をかけてきてくれたのはこの工場の主と言ってもいい人、米沢さんだ。白髪の熟練工。職人気質。だけれど気さくな人だ。

 だからこそ、この工場は雰囲気がいい。工場のイメージがこの米沢さんのおかげで変わったのだ。

「まあ、家族と離れて一人で暮らすのは久しぶりだなと思いました」

 実際一人でいることがかなり増えた。食堂にはお酒はない。だから一度コンビニまで買いに行こうとしたのだ。だが、片道20分。歩くだけでもう帰ってきて眠りたくなる。テレビは備え付けのものがあるので、なんとなくテレビをつけてぼーっとしている。

 今日だって休みだ。だが、何もすることがないからとりあえず工場に来ている。米沢さんが言う。

「暇ならちょっと手伝うか?」

「いいんですか?」

「ああ、いいぜ。ちょっと試作品作っているんだ。内緒だぞ」

 そう言って、私は休みの日は米沢さんと試作品づくりなのか、ただの趣味なのかわからないことを続けていた。

 気が付けば工場で話す人が増え、業務改善やコスト削減など堅苦しい会議では全然意見がでなかったのに、雑談の中で解決が見えてきて取り組んでいったのだ。

「もう1年ここにいないか?」

 そう工場長から言われて悩んだ。妻に連絡を入れたら「いいわよ」と返事が返ってきた。何度か東京に帰省しようとしたが、妻からは「そんなお金があるなら美奈に何か買ってあげて」と言われた。

 実際東京に居た時に比べてお金を使うことはずいぶんなくなった。それもそのはずだ。仕事が終わったら米沢さんと試作品作りを楽しんでいる。

「これは仕事じゃない。まあ、言うならば趣味だな」

「ですね」

「でも、本社にゃ内緒だな。この前なんかコンプライアンス違反だとかわけのわからんことを言われてな」

 実際、私は本社から来ている。コンプライアンス違反。それはこれが業務とみなされたら残業を払っていない。というか、誰も業務指示を出していない。つまり勝手なことをしているのだ。

 業務とみなされなかったら勝手に会社の資産を私的に使っていると言われる。どちらにしてもいい結果にはならない。

「わかっていますよ。本社には内緒にしておきます」

「本社にも話しがわかるやつがいて助かるわ」

 これが米沢さんだけならなんとかなる。だが、工場のベテランはみなこんな感じなのだ。それに参加しているメンバーも自由だ。無理強いも誰もしていない。

 それに、このメンバーが試作したものが製品にもなっている。その企画を通したのも私だ。気が付くと更に1年が過ぎ、2年が過ぎ。私は10年この工場に居た。

 肩書はいつの間にか工場長になっていて、米沢さんは定年を過ぎたけれど嘱託社員として働いている。

 そんな時本社から人がやってきた。この富谷工場が結果を出しているのでモデルケースにしたいということだった。

 だが、張り切った米沢さんを思いとは別に出てきたのは「サービス残業の強制」というものだった。

 今までの功績があるから降格はしないが、配置転換を行うということで私は本社の総務部付というよくわからない人事異動を出された。

「おい、おかしいじゃないか」

 私の異動に最後まで米沢さんは納得がいっていなかった。

 富谷工場はテコ入れが入り、米沢さんの嘱託社員の契約は期間満了を持って雇用契約の終了となった。

 ベテラン社員がいなくなる代わりに機械化を進めていく。業務効率化だと本社は言ったが、いう事をいかない社員への見せしめだった。

 本社からの意向で送別会はできないということだったが、米沢さんが声をかけてきてくれた。

「出かけるぞ」

 そう言ってはじめて米沢さんが車をもっていることを知った。というか、この人が工場の外に出ることが想像できなかった。見たことなかったのだ。

 よく考えたらこの10年ほとんど私も米沢さんも工場にいた。私は転勤してから工場と社員寮にしかいなかった。だからこそ業務も多く覚えた。

 運転している米沢さんがこう言ってきた。

「俺はな、家族が居たんだ。俺からみたら住吉さんは息子みたいなもんだ。もし息子が生きていたらこれくらいの年なんじゃないかとか思いもした。いや、ちょっと歳が行き過ぎているかもしれないがな。でも、俺からしたらそれくらいの年齢のやつはみんな息子みたいなもんだ。

 だからな、うれしかったんだ。住吉さんがこの10年一緒に居てくれたことが。だが悪いことしちゃったな。左遷だろう」

 そう言いながら米沢さんはタバコを吸い出した。

「いえ、楽しかったですからいいんです。それにわかっていましたから。いつかこうなるんじゃないかって。それに久しぶりに東京に戻れますから。といっても、離れて10年。その間一回も戻っていないからもう家族は他人みたいなものですけどね」

 そう笑ったら米沢さんに怒られた。

「てっきり独身かと思っていたわ。家族がいるならもっと大事にしろ」

 怒られた理由をその後の飲み会で知った。

 連れて行かれた場所は宮城のおいしいものが食べられるという店で東京にも店があると教えてくれた。

 しかも、工場で仲が良かった人がみんなきている。

「送別会は禁止じゃなかったんですか?」

 私がそう聞くと「これはただの飲み会だ」と返ってきた。送別会をする時は会社が一部経費を負担する。だが、これは非公式のためただの飲み会。だからこそうれしかった。

「ありがとうございます」

 私は頭を下げた。だが、ここにいる人たちの大半は契約を解除される。そう思うと余計に胸が苦しくなった。

 この飲み会で知ったこと。それは米沢さんは震災で家族を亡くしたということだった。落ち込んでいる姿は誰も見たことがない。だが、家は津波でながれ、残った荷物も捨て、社員寮に入ったという。

 そもそも、この社員寮は震災で住居を失くした社員を住まわせるために作ったものだという。

 世帯用もある。だが、この場にいる人はほぼ全員が単身用に入っている。それまでの社員用の社宅が海側にあったそうだ。

 だからここにいる人たちは皆何かしら傷を負っていて、それをごまかすために仕事をしていたのだ。そして、社員でなくなる。住まいがなくなるのだ。

「皆さんはこの後どうされるんですか?」

「ああ、大丈夫さ。代行頼んでいるからいっぱい飲んだらええ」

 うまく伝わらなかった。米沢さんの隣に移動して聞いた。

「皆さん、会社を辞めたら住むところがなくなります。どうするのですか?」

 そう言うと米沢さんの横にいた重里さんがこう言ってきた。

「大丈夫。俺ら今はやりのルームシェアってやつをやる予定だ。ほら、米沢なんてほっといたら野垂れ死んじまうわ。あの時だってひどかったからな」

「おいおい、あの時はみんなひどかったじゃないか」

 そう言われてわかった。もっと家族を大切にしないといけない。この10年を取り戻そうと決心した。


 転勤の際は事前に準備期間を設けられる。ちなみに、退職の準備は1か月だ。1か月前告知というのが労働基準法とか何かで決まっているらしい。よく知らない。いや、本当は知っている。だが、知らないことにしておかないとこの工場、特に今の空気の工場ではダメなのだろう。

 準備と言っても私は特にこの部屋に私物がほとんどない。普通10年もいればものがたまると思われがちだがまとめると鞄一つで収まった。スーツは夏、冬の2着しかないし、ワイシャツも3枚。後は下着。作業着は会社からの支給品だ。

「これ、餞別の品だから。ありがたく使えよ」

 米沢さんがくれたものは高そうなボールペンだった。

「ほら、東京に行ったら事務か何かなんだろう。何するかしらんが合って損はない」

「ありがとうございます」

 そのペンは大事にしまってある。あんなペンなくしたら悲しすぎる。いいと言ったのに米沢さんが仙台駅まで車で送ってくれた。米沢さんが言う。

「家族ってものはバラバラになったように見えてもどこかでつながっているんだ。忘れるなよ」

 照れ隠しなのか遠くの空を見ながらそう言った。

「連絡します」

「大丈夫、あのメンバーは今みんなラインで繋がっとるわい。わしらは家族みたいなもんだろう」

 違いない。家族より濃い時間を一緒に過ごした仲間だ。

 新幹線に乗り込むと見送りに来ていたのは米沢さんだけじゃなかった。あのメンバーがいた。

 携帯を見ると「頑張れよ」とメッセが来ていた。泣きそうだった。

 だが、本当に泣きそうになったのは帰ってからだ。


 10年ぶりの我が家。あの時は建てたばかりできれいだったが少しくたびれている。扉が二つある。2階に上がるのがうちの分だ。

 鍵を入れるがまわらない。鍵が変わっているのだ。10年の間に何があったのだろう。インターフォンを押す。

「はい」

「私だ。帰って来たよ」

「え?今日だっけ?」

「メールしただろう。ラインも。いいから開けてくれ」

 しばらくして扉が開いた。久しぶりに見た楓はちょっとだけ太っていて、ちょっとだけ老けて見えた。10年経っているのだから仕方ないか。

 私だって老けただろう。ただ、社食は栄養管理がされている。酒も飲まなくなった。休みに日用品を買いに行くときは散歩がてら歩いていたくらいだ。コンビニは高いのでドラッグストアが歩くと片道で1時間くらいの所にあったのだ。おかげでいい運動にはなっている。

少しでも節約して美奈に何かを買ってやろう。美奈とはたまに連絡を取ってほしいものを送っていた。ただ、楓はあまり連絡を返してこなかった。大丈夫だろうと思い、あまり気にしていなかった。

「ご飯は?」

「大丈夫、食べてきた」

 ああ、宮城に居て実はずっと牛タンを食べていなかったのだ。それを米沢さんに言ったら呆れられた。

 仙台駅の牛タンストリートで利休という有名らしい店に連れて行ってもらった。食べながらこう言われた。

「実はこの利休は東京にもあるんだ。しかも東京駅の中にだよ。わざわざ仙台に来なくても牛タンは食べられる。悲しいね」

 そう言いながら食べた牛タンは肉厚があっておいしかった。焼肉で昔食べた丸い形の牛タンのイメージしかなかったから斬新だった。そして、おいしかった。だが、値段が高い。

「払いますよ」

 そう言ったが米沢さんは聞き入れてくれなかった。

 食べたのが3時半だったのでお腹は空いていない。新幹線に乗るとかなり早く東京に戻って来られることを知った。そういえば新幹線の形も変わっていた。まるで浦島太郎になった気分だ。

 今もそうだ。東京も10年でかなり変わった。知らない街に来たみたいだった。家の近くはそこまで変わっていなかったが、やはり新しい家が何件か建っていた。

「あのね、話しがあるの。まだ、その片付いていなくてね」

 10年も経っているのだ。そりゃ掃除も必要だろう。

「いいよ。そんな」

 そう言って自分の部屋だった場所をあける。だが、その場所は見たことない部屋に変わっていた。

「なんだこれ?」

 一面ポスターが貼られてある。見たことない男性だ。棚があり色んなものが置かれてある。

「ただいま」

 振り返ると写真でだけ見ていた娘、美奈がいた。あれ?写真の美奈はもう少し肌が白くて目が大きかった気がする。

「あ、お父さん。おかえり。お土産は?」

 手に持っていた萩の月を渡す。

「これ、食べてみたかったんだよね。おいしいって友達が言っていたから」

 そう言って、袋から出して箱を写真に撮っていた。

「なあ、お母さん。この部屋は一体?私はどこで寝ればいいんだ?」

 部屋一面に色んなものが置かれてある。美奈が言う。

「ああ、お母さんさ。韓流映画に嵌ってポスター買ったりグッズ買ってたんだよね。その置き場所にその部屋なっていたの。でも、急にお父さんが帰ってくるってお母さん焦ってたんだよね。まあ、もうちょっと時期が違ったらお母さん韓国に行っていたと思うけれどさ」

 韓国?一体いつの間に。

「お母さん。私には節約と言いながら何をしていたのか教えてほしいのだけれど」

 そう言うと楓はこう言ってきた。

「いいじゃない。別にそれくらい。私だってパートで働いてちょっとは稼いでいるのだから。あ、そうだ。今からあなた実家の方に顔出して来たら。ちょうど東京に戻ってきたのだから。うん、それがいいわ。部屋が片付いたら連絡するからさ。それか誰か友達の家にでも泊まってくればいいじゃない。久しぶりの東京でしょ」

 そう言うなり私は家から追い出された。久しぶりの東京だからこそ自分の家がいいのだ。それに友達と言われてももう何年も連絡を取っていない。私はそう言われて思ったのだ。東京に戻ってきたがここには友達がいないのではないか。あの工場に居た時がなつかしい。あの仲間ともう一度会いたい。そう思ったらラインが入った。美奈からだ。

「多分、お母さん部屋片付けないわよ。部屋だって最近掃除しているの私だし」

 びっくりした。10年の間に何があったのだ。

「お前からも説得してくれないか?」

 送るとすぐに返事が来た。

「多分ムリ。それに私来年の春にはここ出るから。そうしたら私の部屋使ってよ」

 来年の春に家を出る?また知らない事実だ。

「どういうことだ?」

「来年社会人じゃん。就職先静岡だし。だから。あと数か月だから我慢してあげて」

 何が起こったのか理解はできなかったが、このままでは寝る場所もない。仕方がないので実家に連絡をいれる。

 そう言えば、結婚して、子供が出来てから実家とは疎遠になっていた。転勤してからなんてもっとだ。

「ここはあんたの家でもあるんだから、帰ってきたらいいじゃない。いいよ。待っているから」

 そう言われてうれしかった。電車に乗り池袋まで行く。懐かしい。ここから東上線だ。東上線に乗って成増まで行く。そこからバスだ。だが、結構遅い時間だ。この時間だとバスがないかもしれない。タクシーに乗るか。歩いてもいいかもしれないが、今日はどっとつかれた。私は東上線に乗り成増まで向かった。タクシー乗り場が混んでいたので少し離れた所で走っていたタクシーを止める。

 久しぶりの東京は仙台より暖かいはずなのに寒く感じた。


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