完璧主義
~完璧主義~
「川野さん、1番に○▽商事の辻本さんから電話です」
○▽商事の辻本。そう言われても誰だかわからなかった。
「お電話変わりました、川野です」
話してようやく思い出した。わからないはずだ。辻本さんが転職をしていたからだ。会社名と名前がリンクしなかったのだ。
辻本さんが前いた会社はイベントホールの運営会社だ。イベント会社で勤めているためよくお世話になったものだ。
「いつか恩を返しますよ」
そう言ったことを思い出した。電話越しに辻本さんがこう言ってきた。
「実はちょっと困ったことが起きてね。協力してほしいんだ」
世間話をしながら○▽商事を調べる。上場はしていないが規模の大きい会社だ。取引しても問題ない会社だろう。
「約束はできませんが話しは聞かせてください。辻本さんにはお世話になりましたから」
お世話になったことは事実だ。だが、私とてサラリーマンだ。できること、できないことがある。それに私だけの思いではどうしようもできないことだってある。
唯一救われたのは辻本さんが転職された先の会社がある程度の規模であり、当社が付き合いをしても問題ない規模でもあったことだ。もし、そうでなかったらうちの会社ではなくどこか違う所を紹介しないといけないからだ。
仕事の話しということだったのだが、今日食事をしながら話したいという事になった。仕事上色んなことは起こりうる。結衣には悪いが今日の予定はキャンセルと連絡を入れておこう。いや、浮気を疑われるのも面倒だ。連れて行くか。
一人連れて行っていいかと辻本さんに話すと相手は二人連れてくるということだったので了承を得た。店を聞くと東銀座にある「銀座すかい亭」という和牛ステーキで有名な店だった。
「そんな高い店でなくていいですよ」
支払いを気にしたわけじゃない。おそらくこれは接待だ。しかも、これは仕事を受けさせるためのセッティングと思われる。だが、すでに結衣に連絡をした後だ。仕方がない。ここは腹を括ろう。
確認をすると辻本さんが連れてくるのは○▽商事の社長とその娘らしい。これは結衣を連れて行ってよかった。誤解をされずに済みそうだ。
仕事を早めに切り上げて東銀座に行く。東銀座についたところで結衣に連絡を入れると東銀座だと言ったにもかかわらず銀座のルイ・ヴィトンにいると言われた。
クリスマスまであと2か月もあるというのに気が早い。確かに結衣はヴィトンが好きだ。財布も定期入れも、カバンもヴィトンで統一をしている。
服はその時々によって違うがいつも気を使っているのがわかる。といっても、結衣が高給取りなわけではない。親が有名企業の役員をしている。しかも他にも社外取締役を歴任している。一部の業界では顔が効くのだ。
その業界の仕事はしたことがある。レセプションパーティーで普通に結衣が居たのでびっくりしたのだ。
その時に結衣の父親に挨拶をした。
「結婚するのか?」
「そのつもりです」
「君の噂は聞いている。PR業界でも有名なんだってな。娘をよろしく頼む」
絶対に別れるわけにはいかない。もし別れでもしたら私はもうこの業界に居られないのだろう。そういうプレッシャーを感じた。まあ、結衣に対して不満はない。それにどちらかというと普通の子なのだ。お金持ちの子というイメージはない。
唯一あるとしたらブランド志向が強いくらいだ。だが、それも相手に無茶を言わないレベルだ。多分働いて知ったのだろう。稼げる金額がどれくらいなのかを。
まあ、実際私は同年代に比べると稼いでいる方だ。だからこそ気を付けないといけないこともある。
そうこう考えながら歩いているとヴィトンの店までたどり着いた。
「ごめんね。ちょっと見に来たくって」
そう言った結衣はすでに紙袋を手にしていた。
「何か買ったの?」
「うん、ちょっとキーケースを。会社のロッカーの鍵を持ち歩くようになったからそれ用に買ったの」
またヴィトングッズが増えたのか。結衣はちゃんとイベントの時以外におねだりをしてこない。そのあたりもちゃんとしているのだ。
「今日はどうしたの?」
「ああ、ちょっと仕事で人と会う事になって。先方も複数連れてくるから結衣に声をかけたんだ」
そう話しながら歩いていく。銀座3丁目や4丁目を歩くことは結衣と付き合うようになってから多くなった。
この子の横にいても恥ずかしくない自分でいよう。そう思えるようになったのだ。だからこそ完璧でいたいと思う。
店の前で辻本さんが立っていた。横には50代くらいの男性と20代くらい、ちょうど結衣くらいの女の子が立っていた。手に何かを持っている。黒い小さな箱のようなカバンだ。
店に入り名刺交換をして軽く雑談をする。乾杯をしてしばらくしてから辻本さんが話し出した。
「実は、こちらの須藤社長からの依頼についてお知恵を拝借したく今回このような場をもうけさせていただきました。今度、CSR活動の一環として当社は音楽を使った何かができればと検討しています。その中心として社長の娘さんである沙紀様が立たれて活動が出来ればと。ただ、何も骨子が決まっておらず、川野様にご助力願いたいのです」
そう言われて、沙紀様と言われた女性を見る。黒髪の長髪でいかにもお嬢様という感じだ。ニコニコしている。今辻本さんが言ったことがどれだけ大変なことなのかわかっているのだろうか。確認をしておこう。
「須藤社長。まずご確認したいことがあります。どれくらいの年間予算を考えられていますか?」
すでに財務状況は確認してきている。上場はしていないとはいえ、この規模になると売上、営業利益ともに確認はできる。ただ、そんなに大規模な出資は難しいだろう。須藤社長が言う。
「そうだな、年間800万程度の予算で考えているが、どうだろうか」
多分その金額に何の根拠もないだろう。この沙紀様の腕前はわからない。おそらくこんなお願い事をしてくるくらいだ。どこに出してもうまいと言うわけでもないだろう。
でも、そこまで音楽のことをわかっている人がこの世の中にどれだけいるのだろう。例えば、ホテルでの生演奏だってそうだ。イベントで何度か依頼をすることがあるが、騒がしくなく、そこまで下手でなければ誰も何も言わない。いや、そもそも企業の担当も生演奏が付くというだけで十分なのだ。
それであえば、後は見た目と最低限の腕前があればなんとかなるかもしれない。
レッスン代や、仕掛けについては考えないといけない。後は一緒にやるメンバーを探さないといけない。ちょっとメディアに露出をしてオーディションをすればいいか。
そう考えていたら結衣がこう切り出した。
「沙紀さんは何の楽器をされているのですか?」
そう言えば、結衣は高校の時吹奏楽部かオーケストラ部かにいたと言っていた。後で聞いてみるか。沙紀様がこう切り出した。
「私はクラリネットです。私にはこれくらいしか趣味がなくて。でも、趣味で食べて行けたらいいかなと」
なるほど。まずクラリネットを1名追加して後は何名か付け加えればいいか。そういえば過去に生演奏の付き合いがある団体がある。だが、ヴァイオリンとかの弦楽器がメインだ。クラリネットは管楽器だったな。何か管楽器を他にも横に増やしたほうがいいのだろうか。
「わかりました。期待に添えるかわかりませんがその案件お受けいたします。提案とともに金額もお出しいたします。それと、どこかで沙紀様の演奏をおきかせいただけますでしょうか?」
そう言うと沙紀様も須藤社長もすごく明るい表情になった。須藤社長が言う。
「おお、そういうことでしたらこの後にでも、すぐ近くにスタジオがありますからそこでどうですか?」
そう言われて食事の後に演奏を聞いた。その時に思った。聞いてから返事をすればよかったと。
地下鉄に乗りながら横で結衣が言う。
「う~ん、どうするの?」
「ああ、そうだな。あの演奏じゃあちょっと考えないといけないな」
聞くと本当に趣味でクラリネットを吹いているレベルなのだ。高校の時に吹奏楽部に入ってクラリネットをしたけれど、部長に怒られてイヤになって辞めたのだと。でも、吹くことは好きだったから続けていたというレベルだ。
曲を多く知っているわけでもなければ、自分で譜面を起こすなんてこともできない。
譜面は結構高いのだ。それは結衣から聞いて知っている。
「流石にこれはきついかもしれない。まあ、見た目は問題ないから後は演奏をしっかりできるクラリネット演奏者を用意して脇を固めて誤魔化すか。誰か知り合いいないか?」
そう言うと結衣がこう言ってきた。
「確かに知り合いはいるけれど、あれはちょっと紹介しにくいね。それにあんまりうまい人で固めると当人がいやだって辞めちゃうかもしれないよ」
それは確かにある。ならば一層のこと見た目だけで勝負をするのも一つかもしれない。実際演奏なんてわからない相手を選べばいいのだから。
「まあ、なんとかやるよ。それに辻本さんには世話になっているからな。あの人の立場もある。なんとか形にして、夢をみさせて後は辞めてもらうのが一番だな」
冷たいけれどそれしか道はないと思った。
「そういえば、結衣は高校の時吹奏楽部だったんだよな。楽器って何をやっていたんだ?」
少し空気を変えたかった。吹奏楽とオーケストラの区別が実はついていない。まあ、どっちも楽器を使っているという認識だ。重い空気が軽くなっていくのがわかる。。結衣が言う。
「ユーフォだよ」
「うん?UFO?ピンクレディーの?」
そんな楽器があるのか?
「うん、そうそう。UFO。って、違うわよ。ユーフォニアムよ。え~とね。チューバが小さくなったやつよ」
注場?なんだそれ。スターウォーズに出てくるやつか。チューバッカだっけ。いや、楽器関係ないな。チュパカブラって言うのも昔流行ったよな。南米とかにいる未確認生物だっけ。
「チューバってどんなの?」
「あの一番大きなやつよ」
大きなやつと言われてもピンとこない。なんだ大きなのって。
「ああ、あれね」
とりあえずわからないから後で調べておこう。
「わかってくれた?大体ホルンとチューバの間に座っているのよ」
お、ホルンはわかる。あれだ。のだめカンタービレで「ホルンもっと小さく」ってやつだ。それは覚えているけれど、その横に居た人、いや、人じゃない、楽器なんてまったく覚えていない。
「そっか。んでも、楽器やっていたのにどうして辞めたの?」
それは不思議だった。それだけ情熱があるのなら続けていてもいいのではと思ってしまった。結衣が言う。
「だって、私よりうまい人いっぱいいるんだもの。まあ、ユーフォは大体1人くらいいればいい楽器だったから大会には出られたけれど、大会ではうまい人いっぱい見かけたし。本当にびっくりするよ。だってね、3連でサイドアクションやコンペンセイティングシステム付きのとかで大会にくる人とかいるのよ。もう、そんなの見ただけで私心折れちゃいそうだし」
最後の方は何を言っているのか全く分からなかった。でも、自分の力量を知って諦めるという気持ちはわからなくはない。
「でもさ、確かに楽しかったよ。部活していた時。今から思えばなんで楽しかったのかわからないけれど、ティンパニーを勝手にたたいて盛り上がったりしていたな。そして部長とか顧問に見つかって怒られる。いいじゃん。楽しく演奏すればって思っていた。でも、中には本気の子もいるから。金を狙っているっていう子とかね。その温度差がはんぱなくてね。私にはあの世界は無理だなって思ったよ」
そう言った結衣は遠くを見ていた。
数日して企画を立ち上げた。すんなり通り社内での稟議もおりた。まあ、人員は不足しているけれど、今回は協力会社に依頼することも多い。音楽なんて専門外だから判断がつかない。
ただ、クライアント側からの要望や今後を考えてそこそこうまくて、ビジュアル重視という点くらいだ。
話しを進めていると結衣から相談を受けた。
「実は、高校時代のオケ部で一緒だった子が今回のオーディションをどこからか知って連絡してきたの。んでね、私言っちゃったの。私の彼氏がそのプロジェクトマネージャーだって。そしたら、一度会わせてほしいって。どうしよう」
こういう所が結衣っぽいのだ。
「仕方がない。会うだけだぞ。後、確認だけれど、その友達は楽しんで演奏していた人?それとも本気で演奏に取り組んでいた人?」
「本気な人」
困ったな。でもここは結衣の顔を立てておこう。
「まあ、仕方がないな。一度は会うよ。といっても、一次審査で見る内容を事前に話して助言するだけしかできないからな」
それに、音楽のことなんてわかるわけがない。そりゃ、最低限聞くけれどずば抜けてうまいとかわかるほど音楽通ではない。
それにこれはほとんど顔での採用だ。技術なんて二の次でいい。
紹介された酒井茜という子は少し派手に見えたのでそこを指摘した。一次審査の時はすべて意見を聞き入れた状態できたからびっくりした。
「浮気とか絶対許さないからね」
そこまで器用じゃない。それにこんなところで手を出したりしたらもう後が怖い。会社に居られなくなるばかりか人生が終わってしまう。
それに、今日のオーディションで一人だけ別格がいた。華が違うのだ。
演奏はお世辞にもうまいとはいえないが、横に立つ沙紀様だって大概だからそこは気にしなくていいだろう。いや、むしろ沙紀様の方が下手だ。それに曲はCDを別取りして後は老人ホームや幼稚園での演奏を入れたらなんとでもなる。
企業の社会貢献活動なのだ。そういう方がわかりやすい。画になればいいのだ。曲のレベルなんて誰ももとめていない。
まあ、老人ホームとかだとたまに音楽出身者が入所しているからそれだけはチェックをしておかないといけない。そこさえ押さえておけば後はどうにでもなる。
一次審査が終わり、二次審査に向けて顔合わせとレッスンを開始した。
酒井さんが挨拶にきた。こういうのは辞めてほしい。公平でないと思われるし、本命の子が怪しんで辞退されても困る。
まあ、実際別取りの人員も確保しないといけないが、こちらは別会社に任せている。この中から選んでもいいし、選ばなくてもいい。金額だけだ。安くてそこそこの音が出せればどっちでもいい。そういう意味ではオーディションから選んだ方が安くつくだろう。
選ばれる子にそう思わせないようにしないといけない。そのあたりを間違えてしまうとこの企画自体が壊れてしまうからだ。
完璧だった。ちゃんと企画した通り進んでいたはずだった。
なのに、なんでこんなことになるのだ。
オーディションは終わった。こんなはずじゃなかった。だが、クライアントは喜んでいる。後は今回の結果をこれから企画に乗せていかないといけないのだ。
気が重い。やることも多い。とりあえず、設営の撤去は部下に任せて事務所に戻らないと。企画のやり直しだ。
そういえば、結衣から言われていたな。結衣の友達の酒井さんに説明をしてほしいと。
だが、電話が入った時はオーディションの最中だったからちゃんと話しもできていない。それに3人も会場に来られなかったのだ。だからこそあんなことになってしまったのだ。
「川野くん、よろしく頼むね」
そう言って、須藤社長が出て行った。横で辻本さんが申し訳なさそうな顔をしている。
だったらどうにかしてくれと言いたかった。だが、辻本さんもサラリーマンなのだ。そんなこと言えないのだろう。
これは私の確認ミスだったのだろうか。いや、こんなのそもそも確認なんてできない。
須藤社長とともに軽く頭をさげて沙紀様が通られた。ただのお嬢様だと思っていた。間違っていた。
とりあえず、一つずつ片付けていくしかない。まず結衣へ報告だろう。そう思って携帯を取り出すと電話がかかってきた。
お願いをしていた会社からだ。さっきのオーディションの話しがすでにこの会社にも連絡がいったのだろう。
「川野さん。今回うちは降りたいのだけれどいいかな。もうすでに君の上司には連絡済なんだよね。後は川野さん次第だよ」
なるほど。そうなるだろうな。誰もこんな結果を望んでいない。だが、お金が発生している以上どういう形であれやりきらないといけない。
悲しいことに出資する須藤社長は乗り気なのだ。
「わかりました。こちらで考えます。その他はまた今まで通りお付き合いいただくでよろしいでしょうか?」
そう言うしかなかった。どこからか声がする。雑音には耳を貸さない。そんなものに耳を貸したら大変なことになる。
「ああ、その方向でおねがいします。私どもの会社も御社と付き合いが切れるのは困りますからね。でも、結構なものを引きましたね。川野さんどうされるのですか?」
考えなどすぐにまとまるわけがない。
「いえ、他にもプランは考えていますよ」
でまかせだ。でも、そうでも言っていないとどうしようもない。
「流石ですな。一流の方はどんな素材でも料理できるとききます。楽しみにしていますよ」
だったら、一緒に頑張ってくれよ。そう言いそうになった。
うまく行かない。気持ちを切り替えよう。
ホールを出た所でタクシーが丁度来た。
手を挙げてタクシーを止める。そういえば、オーディションに何名か電車が動いていなくて開錠に来られないと言っていたな。仕方がない。南に降りて小平まで行くか。
私はタクシーに乗り込んだ。