運転(5)
~運転(5)~
最近事故が多いみたいです。私は電車に乗ることがめったにないのでわかりませんが、何か理由があるのでしょうか。
おかげで、夕方にも関わらずタクシー待ちの方が大勢おられます。でも、私にできることはお客様を目的地にお連れすることだけです。
ロータリーで待たれている方の順番がやってきました。ドアをあけると小柄な女性が入られました。
女性はこう行ってきました。
「東久留米のほうまでお願いします」
そう言ってカバンから携帯を取り出しました。スマホで調べているみたいです。
「え~と、近くにイトーヨーカドーがあります。でも、よくわからないのでとりあえず東久留米まで向かってください」
急がれていることがわかりましたので車を動かします。
「道順に指定はありますか?」
「いいえ、早く着くなら何でもいいです。どれくらいで着きますか?」
私はそう言われて「大体1時間くらいはかかるかもしれません」と伝えました。もう少し早く着くかもしれません。けれど、目白通りがどれだけ空いているのかわかりません。西武池袋線が止まっているのでしょう。タクシーに乗られているお客様も大勢おられます。
「できるだけ早く着くようにします」
私はそう言って車を走らせました。
といっても制限速度を超えて走るわけにはいきません。ただ、こうこの信号の切り替わりだと止まるか進むか微妙な時があれば進むくらいしか私にはできません。後は運です。
カーナビが示すにはそこまでの渋滞はないようです。ただ、そこそこ車は込み合っているのもわかっています。
後ろの女性は携帯で話されています。
「すみません、電車が動いていなくて遅れます。はい、はい。後1時間くらいかかりそうです。それなら待ってくれますか。ありがとうございます。え?もう二人来ているのですか。わかりました。急ぎます。いえ、そういうわけじゃ。はい。・・・・・・はい。わかりました」
最後は消えそうな声になっていた。1時間もかかって居てはこの女性は大きな問題になるのでしょう。私は少しばかりアクセルを踏むのを強めました。道が開いているのなら少しくらい速度を上げても大丈夫でしょう。
しばらくして、南長崎六丁目にたどり着きました。そういえば、少し前にこの付近でおろしたお客様がいたのを思い出しました。
お客様から「ありがとう」と言ってもらえることは大変ありがたいことです。でも、今回の場合は少し難しいかもしれません。
精一杯私は車を早く走らせました。もちろん安全第一です。お客様をお乗せして事故など起こすことなんて絶対はあってはならないのです。
新座市に入り栗原の交差点に入ったあたりでカーナビが渋滞を知らせてきました。後少しで東久留米という所です。
無線で確認をするとこの先で事故があったということでした。仕方ありません。少し早い段階で迂回をしないと身動きが取れなくなってしまうかもしれません。
この辺りは細い道が多いです。徐行運転になってしまいます。先にお客様にその旨をお伝えしないといけない。私はバックミラーでお客様を見るとものすごき緊張をしてこわばっているのがわかりました。しきりに腕時計で時間を確認しています。私は深呼吸をしてから声をかけました。
「お客様、後もう少しで東久留米なのですが、この先で事故があったみたいで迂回をしないといけません。細道を走るため徐行運転になりますのでご了承ください」
そう言って私は細道に車を動かしました。少し行くと川付近に出るはずです。そうすれば東久留米市に入ります。後ろに座られているお客様のプレッシャーを私も感じ取っていました。
だから、焦っていたのかもしれません。この細道を抜ければ後は大丈夫。そう思った所で私は自分の選択が間違っていたことに気が付きました。
そう、目の前で水道管工事をしているのです。仕方がないです。更に迂回をしないといけません。車をゆっくり動かして迂回します。
この辺りは一方通行が多いので注意が必要なのです。カーナビを見ながら注意深く車を動かします。
この先を抜ければ大丈夫。そう思っていたら狭い道路に引っ越しのトラックが止まっていました。
私は近づいて運転手に確認すると後5分、10分待ってほしいと言われました。お客様に確認をすると迂回をしてほしいと言われました。
私は一度バックをして、また迂回ルートを探しました。
時間だけが過ぎていきます。お客様の焦りが伝わります。携帯がなりました。お客様の携帯です。
「はい、後少しで着きます。え、、そういうわけでは。いえ、、、」
沈黙が続く。車はでもゆっくりしか進めない。
「わかりました。私には縁がなかったということでかまいません。はい。後悔はありません」
お客様が電話を切ってから私にこう話してきました。
「運転手さん、もう急がなくて大丈夫です。後駅まででいいですから」
その声は不思議と穏やかでした。私は間に合わせることができず申し訳ない気持ちになりました。お客様がこう話し続けてきました。
「私、実は今日オーディションだったんです」
私はなんていうことをしでかしたのでしょう。そのオーディションに間に合わせてあげることができませんでした。お客様が続ける。
「でも、悩んでいました。実は私はオーディション前にその選考のキーとなる人と打ち合わせをしました。私は相談だと思っていました。けれど、他の人はそう取っていませんでした。実力で取ったと思っていました。いや、思いたかっただけかもしれません。でも、言われたんです。私」
『実力がないから寝たのでしょ。経歴みたけれどあなた対したことないじゃない』
「このセリフが突き刺さりました。確かに私よりうまい人はいっぱいいます。でも、私だって頑張ってきたんです。でも、私はそんな思いをしてまで夢をかなえたいのだろうかわからなくなったのです。私が目指していたものはこんなものなのだろうかって。だから、今日間に合わないということは一つの結果だと思ったんです。そう思えたらなんだかすかっとしました。だから、ありがとうございます」
お客様は泣きながら笑われていました。駅に着いた時、このお客様をお乗せしてから1時間も経っていませんでした。
多分、お客様は気づかれていたのでしょう。1時間なら間に合うと言われながら、締め切られたことを。お客様がこう続けて言われました。
「なんか悩まなくなったら気分が軽くなった。笑顔に自分がなれないのに誰かを笑顔になんてできませんものね。じゃあ、ここでおります」
ちょうど、東久留米の駅が見えた所で信号が赤にかわりました。
「お忘れ物なきようご確認ください」
私はお金を受け取り、お釣りを渡している時に気が付きました。
このお客さんはこんなにも笑顔が素敵なんだと。
「私、でも、これからも頑張ります」
そう言われた言葉が今でも残っています。お客様はもう乗られていませんが、少しだけイトーヨーカドーの方まで車をまわしてみようかと思いました。
車を動かすとそこにスーツ姿の男性が手を挙げられています。次のお客様はどういうお方なのでしょうか?