最終話:時雨さん家のご姉弟
「ま、ここまで来れば大丈夫でしょう」
「やー、走ったねぇ」
「山を三つは越えたでござる」
「はぁっはぁっ……ちょっと気持ち悪い」
「し、時雨君だいじょうぶ?」
港を飛び出し山の中を駆け抜け、どうにか静かな月明かりの下に出た。
僕は長距離を走ったせいで吐き気をもよおし、桜崎さんはそんな僕の背中を優しくさすってくれた。
「ありがとう桜崎さん。だいぶ楽になったよ」
「さて、じゃあ今宵は焼き肉パーティだな!」
「どういう流れ!? いつのまにパーティナイトになったの!?」
突然すぎるきな子姉ちゃんの発言に面食らった僕は、反射的にツッコミを入れる。
あずきはぴょんぴょん飛び跳ねながら楽しそうに笑った。
「おお! おにくたべるでござじゅる!」
「食いしん坊か! あずき涎拭いて!」
とめどなく涎を流すあずきの顔を見た僕は、ツッコミを入れながらハンカチを取り出す。
しかしそんな僕の視界に、鮮やかなピンク色の髪が映った。
「いいわ、私拭くから」
「むぐ。かたじけないでござる」
あずきは桜崎さんに優しく口元を拭われ、むーっと声を出しながら目を細める。
そののんびりした様子に小さく笑う桜崎さんへ、僕は意を決して声をかけた。
今回の件は完全に僕の独断だ。助けたいというのも僕の勝手な想い。結果として、あの父親は逮捕されることになるだろう。
そしてそれは、桜崎さんの帰る家を奪ったということだ。
僕は叱責される覚悟を決めて口を開いていた。
「あの、桜崎さん。お父さんのことだけど……」
「うん」
僕に振り向かないまま、桜崎さんは小さく言葉を落とす。
倒れた父親の姿を思い出しながら、僕は眉を顰めて言葉を続けた。
「多分あの状況なら、逮捕は免れないと思う。だから―――」
「よぉし桜崎ちゃん! 今日はお姉さんと同じ布団で寝よう! なっ!」
「ええっ!?」
「どゆこと!?」
きな子姉ちゃんはいきなり桜崎さんの肩をがっしと掴み、ふんすと鼻息を吹きながら言葉を発する。
桜崎さんはあわあわとしながら返事を返した。
「いや一緒に寝るのはいいですけど、いきなりですね!?」
「はぁ。ほんと、姉さん急すぎでしょ」
「拙者もご一緒したいでござる!」
頭を抱えた刹那姉ちゃんと、ぴょんぴょん飛び跳ねるあずき。
僕と桜崎さんが呆然としていると、刹那姉ちゃんは胸の下で腕を組みながら口を開いた。
「まあ、しょうがないか。布団はまだ届いてないしね」
「えっ? 届くって……」
「もちろん買ったのよ。急だったから通販だけどね」
「桜崎どののお布団でござる!」
「えっ!? いや、えっ!?」
桜崎さんは刹那姉ちゃんとあずきの言葉が理解できず、わたわたと両手をさまよわせる。
刹那姉ちゃんはそんな桜崎さんの頭にぽんっと手を置きながら、微笑んで言葉を紡いだ。
「私、無駄な買い物はしないから。……布団、無駄にさせないでよね」
「お姉さん……」
つまり刹那姉ちゃん達は、桜崎さんに一緒に暮らそうと言っているのだろう。
いやしかし、そんな事可能なんだろうか。どんな男であっても、父親は父親だ。それを勝手にうちで引き取るなんて、大丈夫なのか?
「心配しないでいいわ。うちの養子にしちゃえばいいのよ」
「そうそう。私偉い人と沢山知り合いだからなんとかなるなる!」
「ええええ……」
あっけらかんとしたきな子姉ちゃんの言葉に、がっくりと肩を落とす。
普通に考えれば無茶だけど、きな子姉ちゃんなら本当になんとかしそうだから怖い。
そもそも人間やめてるからなこのひと。
「あっ。ご、ごめんね桜崎さん。強引なことしちゃって……」
僕よりもっと混乱しているであろう桜崎さんに声をかける。
桜崎さんは楽しそうに笑いながら、ふるふると顔を横に振った。
「確かにまだ混乱してるけど……うん、私は凄くうれしいよ」
「そ、そう? ならいいんだけど」
真っ直ぐに僕の目を見て言葉を紡ぐ桜崎さんに、呆然としながら返事を返す僕。
桜崎さんの言葉に、嘘はない。それだけは確かだから、僕はほっと胸を撫で下ろした。
「……ふぅ」
「おやおやせっちゃん。ホッとしたって顔ですなぁ」
「姉さんうるさい」
「いったい!?」
「おおー。立派なたんこぶでござる」
刹那姉ちゃんは遠慮のない拳骨をきな子姉ちゃんの頭に落とし、膨らんできたたんこぶをあずきはキラキラとした瞳で見つめる。
僕は普段と何も変わらない三人の様子に苦笑いを浮かべながら、桜崎さんへと言葉を続けた。
「まあ、その、ここにいても仕方ないし、とにかく行こうか」
「うん」
桜崎さんはこっくりと頷き、僕に向かって返事を返す。
僕は家への方向を確認すると、一歩を踏み出した。
「時雨君!」
「ん? どうしたの桜崎さん」
背後から聞こえてきた声に振り返る僕。
その視線の先では、月明かりの下で揺れる桜崎さんの綺麗な髪が映っていた。
「あの、ね、ありがとう。助けに来てくれて、嬉しかった」
「っ!」
微笑んだ桜崎さんの表情。目の端にうっすらと涙を溜め、今まで見たことのない柔らかな笑顔が風に揺れる。
背後に浮かぶ月は幻想的に輝き、桜崎さんの笑顔をさらに引き立たせる。
僕は呼吸することも忘れてその笑顔に見入っていた。
「時雨君?」
「あっいや、なんでもないよ。あはははっ」
「???」
誤魔化すように笑う僕を、桜崎さんは不思議そうに見つめる。
僕は何故か熱くなった顔を右手で隠し、急ぎ足で家に向かう道を歩き始めた。
「いってきまーす!」
「いってきます」
「いってくるでござる!」
僕とあずき、そして桜崎さんの三人は、洗ったばかりの制服に身を包んで朝日の下に飛び出していく。
後から家を出た刹那姉ちゃんときな子姉ちゃんは、それぞれ笑いながら口を開いた。
「ん、気を付けて行ってきなさい」
「おみやげよろしくねぇ信ちゃん」
「あ、ああ。何が欲しいの?」
「8億円」
「それおみやげの範疇越えてるよね!?」
きな子姉ちゃんのぶっ飛びすぎている発言にツッコミを入れ、あわあわとうろたえる僕。
きな子姉ちゃんはええーっ? と返事を返しながら、不満そうに口を3の形にしていた。
「おーい信! おはようさん!」
「み、みんな、おはよう」
そんな僕たちに声をかける、猛とモブ子さん。
あずきはぴょーんと飛び跳ねると、モブ子さんの胸に飛び込んだ。
「おーっモブ子どの、おはようでござるよ!」
「ふぁっ!? も、望月さん。びっくりしたよぉ」
「えへへ」
あずきは幸せそうに笑いながら、モブ子さんに向かって悪戯な笑顔を見せる。
そんな二人の様子を見たきな子姉ちゃんは、口をωの形にしながら言葉を発した。
「それにしても平和だねぇ」
「そうね。姉と弟、みんな仲良しで何よりだわ」
「あ、うん。姉と弟……へっ?」
僕は刹那姉ちゃんの言葉の意味がわからず、呆然と口を開く。
そんな僕の様子を見た刹那姉ちゃんは、呆れた様子で言葉を続けた。
「あら、あんた気づいてなかったの? 二人とも誕生日的にはあんたの姉になるのよ」
「ええええええっ!?」
刹那姉ちゃんはあずきと桜崎さんの二人を指さしながら、淡々とした調子で言葉を紡ぐ。
そんな刹那姉ちゃんの言葉に驚いていると、楽しそうなあずきの声が響いてきた。
「おーっ、そうでござったか! なんだか変な感じでござるな!」
「わぁ、純粋な笑顔。僕まだ現実に頭が追い付いてないんだけど」
僕は凍結してしまった思考のまま、キラキラとしたあずきの笑顔を見つめる。
そんなあずきの隣では、桜崎さんが真剣な表情で言葉を落としていた。
「お姉ちゃんになったら、ずっと一緒……それもアリね」
「どゆこと!? 二人とも納得しないでよ!」
僕は思ったよりすんなり事実を受け入れた二人に対し、声を荒げる。
そんな僕の肩に、猛はがっしりと腕をからめた。
「なんだよ信ん! いきなり姉ちゃん4人たぁ華やかだな!」
「華やかすぎるでしょ! 僕まだ展開についていけてないんだけど!?」
羨ましそうに笑う猛に対し、声を荒げる僕。
きな子姉ちゃんは相変わらずぽやぽやとした笑顔で言葉を紡いだ。
「まあまあ。2人も4人も大して変わらんよ信ちゃん」
「いや変わるでしょ! ねえモブ子さん!?」
「ふぇ!? あ、えっと、私はちょっとうらやましいかな……って」
「???」
モブ子さんに意見を求めると、モブ子さんは頬を赤くして顔を伏せる。
そんなモブ子さんの様子に疑問符を浮かべていると、猛が腕時計を見て声を張り上げた。
「あ、やべぇ! 遅刻すっぞ!」
「ええっ!? やばい、みんな走ろう!」
猛の時計を見ると、確かに時間は遅刻ぎりぎり。今から走っても始業のベルに間に合うか微妙なところだろう。
一目散に駆け出した猛の背中を追いかけ、僕たちは朝日の下で駆け出した。
「おーっ! いってらっしゃーい!」
「いってらっしゃい」
「うん! いってきます!」
太陽のような笑顔で手を振る姉ちゃん達に応え、ぶんぶんと手を振る僕。
そのまま学校の方へ視線を向けると、あずき、猛、モブ子さん、そして桜崎さんの楽しそうな笑顔が映った。
「こういう毎日も悪くない、よね」
僕は笑顔で楽しそうに笑う桜崎さんの横顔を見ながら、小さく笑って前に向かって足を進める。
夏の暮れの太陽はまだまだ強く僕たちを照らし、熱い風が吹き抜ける。
遠目に見える海の青に目を細めながら、僕は学園への道を力強く駆け抜けた。




