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第80話:藍色の空

 空は藍色に染まり、オレンジ色の街灯が優しく夜の街を照らしている。

 駅前広場は昼間より少しだけ静かになったけど、楽しそうに笑うみんなのおかげで雰囲気は明るい。

 僕は桜崎さんの両手に抱えられたマフラーねこねこの頭を撫でながら、小さく言葉を落とした。


「なんだか、あっという間の一日だった」

「……ん」


 桜崎さんはこっくりと頷き、両手に抱えたねこねこの頭部に顔を埋める。

 その表情に若干の曇りを感じた僕は、眉を顰めながら質問した。


「門限とか大丈夫? 意外と遅くなっちゃったね」

「あ、うん。だいじょぶ。うちそんなに遠くないから」

「そっか」


 歯を見せて笑いながら返事を返してくれた桜崎さんの顔を見て、ほっと胸を撫で下ろす。

 その笑顔の後ろでは藍色の空が広がっていて、もう少ししたら星々も見えてくるだろう。そう思ったら、何とも言えない感情が僕の中に溢れてきた。


「今日はなんだか、あっという間だった」

「ん」


 前を向いて歩きながら、小さく言葉を落とす。

 桜崎さんの返事は簡単なものだったけど、不思議と僕らの気持ちは同じような気がした。


「あ」

「駅、着いたね」


 気づけば目の前には明るい照明に照らされた改札が見え、人が通るたびに聞き慣れた電子音が響いてくる。

 僕はぽりぽりと頬をかきながら桜崎さんの方向に体を向けると、勇気を出して言葉を紡いだ。


「また、遊びに行こうよ。僕は週末たいてい暇だからさ」


 僕は今の自分にできる一番の笑顔で笑いながら、桜崎さんへと提案する。

 少しだけ早くなっている鼓動を感じながら返事を待っていると、桜崎さんは少しだけ強くねこねこを抱きしめながら口を開いた。


「ん―――そう、ね。ありがとう」

「???」


 返事を返す桜崎さんの様子に、どこか違和感を感じる。

 僕はそんな桜崎さんの雰囲気に疑問符を浮かべながらも、改札を通るためにICカードを取り出した。






 僕たちは同じ電車に乗ったものの、元々近場の駅だっただけにあっという間に自宅の最寄り駅に到着した。

 見慣れた駅のホームを見た僕が電車を降りようとすると、桜崎さんがいつのまにか僕の隣に立っていた。


「本当に、家まで送らなくて大丈夫?」

「うん。まだそんなに遅い時間じゃないし、駅からも近いから」

「そっか」


 僕らはお互いに声をかけたわけじゃない。でも、どちらからともなく普段よりゆっくりと歩いていた。

 それでもいつかは、ゴールにはたどり着いてしまう。

 僕は目の前に現れた最寄り駅の改札を見ると、眉を顰めながら言葉を発した。


「なんか、ごめんね。改札の前まで来てもらっちゃって」

「いいのよ。私が来たかっただけだから」


 桜崎さんはねこねこを抱きしめながら、にっこりと微笑む。

 出会ったばかりの頃とは全く違う表情を見せてくれるようになった桜崎さんを嬉しく思いながら、僕もまた笑顔を返した。


「えっと……じゃあ、行くね。今日はありがとう」

「ん。こっちこそありがとね」


 手を振りながら改札を通る。見慣れたはずの駅前なのに、見知った人も沢山いるのに、まるで世界に僕一人になったような寂しさを感じる。

 僕はその気持ちの正体が知りたくて、桜崎さんが立っていた場所に振り返った。


「……いるわけない、か」


 改札を通った僕をいつまでも見送ってくれるわけもなく。もう改札の向こうに桜崎さんの姿はない。

 その時僕の脳裏に、別れ際の桜崎さんの笑顔が浮かんできた。


「ああ、もう。何やってんだ僕は」


 踵を返した僕はICカードを取り出し、急ぎ足で今出たばかりの改札を再び通る。

 桜崎さんは女の子なんだ。まだ夜遅くないと言っても、やっぱり家の近所くらいまでは送っていくべきだろう。

 それに、何より。

 もう少しだけ話してみたい。桜崎さんの事をもっと知りたい。

 僕の頭の中はそれだけに支配され、気づけば駅のホームに一人立っていた。


「いるわけ、ないかぁ。本当何やってるんだろ」


 僕は自嘲するように笑いながら顔を横に振り、ぽりぽりと頬をかく。

 そんな僕の気持ちとは裏腹にホームには電車が入ってきて、そのまま発車していった。

 恐らく今の電車に、桜崎さんは乗っていったのだろう。

 別れたばかりなのに改札まで通って、いったい僕は何をしているのか。

 なんだかとても恥ずかしくなって、僕は赤い顔を片手で隠しながら改札に戻ろうと振り返った。


「あ……」

「あっ!?」


 目の前に映る、桜色の髪。

 そこでは両目を見開いた桜崎さんが、呆然とした表情で僕を見つめていた。


「えっと、なにしてるの?」

「……そうだね。ほんとなにしてんだろ」

「???」


 さらに頬を赤くする僕を見て、桜崎さんは不思議そうに首を傾げる。

 僕は誤魔化すように笑顔を浮かべると、そのまま桜崎さんに下手くそな言い訳を始めていた。






「この辺はね、よくお母さんと一緒に歩いたの。駅前のシュークリームが美味しくて、出かけるのが本当に楽しみだった」


 結局桜崎さんの最寄り駅まで行った僕は今、桜崎さんと一緒に夜道を歩いている。

 桜崎さんは最寄り駅にあるお店や思い出の場所を、歩きながら紹介してくれた。


「シュークリームかぁ。それは是非食べてみたいな」

「帰りにでも買っていくといいわ。あずき絶対喜ぶし」


 桜崎さんはにっこりと笑いながら、僕に向かって返事を返す。

 そんな桜崎さんの言葉を聞いた僕の頭に、わくわくとした表情でシュークリームを見つめるあずきの表情が浮かび上がった。


「確かに、喜ぶ顔が目に浮かぶよ」

「あははっ。絶対ほっぺにクリーム付けるから、拭いてあげてね」


 桜崎さんはにーっと歯を見せて笑いながら、自身の頬をつついて言葉を紡ぐ。

 屈託のないその表情を見た僕は頬を緩め、返事を返した。


「確かに、それは間違いないね。ちゃんと拭くよ」


 僕はポケットの中のハンカチに触れながら、桜崎さんへと言葉を紡ぐ。

 その後僕らは、弾むように会話を続けた。

 桜崎さんの子どものころの話。お母さんの話。どれも初めて聞くことばかりだった。

 きな子姉ちゃん達の話をすれば、桜崎さんも笑顔になる。その笑顔を見ると僕も笑って、胸の奥がくすぐったくなるのを感じる。

 しかしそうして会話を続けていると少し薄暗い曲がり角に差し掛かり、桜崎さんの表情が曇った。


「あ……じゃあ、もう家近いからこの辺でね」


 桜崎さんは数歩前に歩み出すと、控えめにねこねこの手を振ってみせる。

 自分でやったのに少し恥ずかしそうな桜崎さんを見て、僕は笑いをこらえながら言葉を発した。


「あ、うん。じゃあまた、学校でね!」

「…………」


 桜崎さんは返事を返すことはなく、小さく頷く。

 そしてそのまま、踵を返して曲がり角の奥へと歩いて行った。

 いつもなら必ず返事を返してくれる桜崎さんの、その小さな変化。

 その時の僕は笑いをこらえるのに夢中で、そんな変化にも気づくことができなかった。

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