第75話:電話
今僕は、廊下に置かれている電話機の前でかれこれ30分は立ち尽くしている。
口の中はカラカラだし、変な汗まで出てきた何故かわからないけど凄く緊張する。
「だ、大丈夫だ。クラスメイトであることを伝えて、桜崎さんに代わってもらうだけ。簡単なミッションだ」
旅行から帰って数日後、モブ子さんから僕と桜崎さん宛にメールが届いた。
内容はもちろん、先日お願いされた買い物のこと。
具体的にどのデパートに行けば良いか。何を買えば良いのか丁寧に書かれていた。
そして当日の待ち合わせ時間と待ち合わせ場所を決めようと、桜崎さんにメールしたまではよかったんだけど……
「返信が、ない。そして携帯への電話も通じない」
もしかしたら何かあったんじゃないかという不安が僕を包み、こうして自宅に電話をかけようとしているんだけど……
どうしても、勇気が出ない。
普段携帯に慣れすぎているせいか、家の電話にかけるというのは結構なプレッシャーがある。
家の人が出て、何か失礼なことを言ってしまわないだろうか。そもそも桜崎さんに取り次いでもらえるだろうか。
僕らしくもない、不安が先行した状態。
そんな状態のまま僕は、まるで親の仇のように電話機をにらみ続けていた。
ええい、迷っていても仕方ない。とにかく電話をかけるしかないんだ。
意を決して右手を伸ばし、しっかりと受話器を握る。
番号をひとつずつ確認して、ボタンを押していく。その度に胸の鼓動が早くなっていくのを感じる。
そして最後のボタンを押した瞬間、目の前の電話のベルが鳴り響いた。
「ふぉうっ!?」
突然鳴り響いた電話に驚き、思わず変な声が出る。
僕は左右を見回して誰にも見られていないことを確認すると、慌てて掴んでいた受話器を上げた。
『はい。時雨です』
『もっ、もしもし。しぐぎゅれきゅ……時雨君のお宅ですか?』
『桜崎さん!?』
『時雨君!? ああ、よかった。噛んだのお姉さんに聞かれたらどうしようかと思った』
受話器の向こうから、ほっとした様子の桜崎さんの声が聞こえてくる。
その声を聴いていたら、僕の緊張もいつのまにか解け始めていた。
『あはは……それにしても凄いタイミングだね。僕も丁度桜崎さんに電話かけようと思ってたんだ』
『そうなの? メールも電話も応答がないから、電源切ってるのかなと思ったんだけど』
『え? あ……』
慌てて自分の携帯電話を確認すると、思いきりバッテリー残量がゼロになっていた。
アホか僕は……充電ギリギリだったのをすっかり忘れていた。
『ふふっ。なんか私たち間抜けなことしてたね』
『いや、申し訳ない。完全に僕のミスだったよ』
その後僕らは穏やかに会話を続け、無事待ち合わせ時間と待ち合わせ場所を決めることができた。
そしてその電話を切った時、ようやく僕は気づいたんだ。
「……そっか。あの桜川祭の買い出しから、まだ少ししかたってないんだなぁ」
ほろ苦い思い出が残っている、あのホームセンターへの買い出し。
今度の買い物は、あの頃のようにはならないだろう。
「ならない、よね?」
僕は一抹の不安を感じながらも、踵を返して自分の部屋へと戻っていく。
その日の月はいつもより綺麗で、見上げているだけでいつのまにか週末を楽しみにしていた。




