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第7話:うけたまわにゅ

「だ、だ、だだいまぁー……」


 買い物によって両手で掴んだビニール袋は圧倒的重量感を僕の筋肉に伝え、ぷるぷると震える指先には絶望感すら覚える。

 しかし僕は買い物を終えてたどり着いたのだ。愛しい我が家に。


「あ、おかえり。じゃあ冷蔵庫の横置いておいてくれる? 後はアタシがやるから」

「ぜえっ、ぜえっ。よ、よろしく、お願い、します……」


 僕は乱れてしまった呼吸を必死に抑え、刹那姉ちゃんへと返事を返す。

 外には茜色の空が広がり、どこか哀愁の漂う鮮やかな光が部屋の中へと差し込んできた。

 しかし、僕にはセンチメンタルになっている暇などない。喉が渇いて渇いて仕方ないのだ。


「おっ!? こんなとこにスポーツドリンク! ありがたい!」


 台所に置かれていたコップの中には、並々と注がれたスポーツドリンク。

 少しだけ水滴のついたコップの中から、キンキンに冷えたスポーツドリンクが火照った僕の喉を走っていく。

 一瞬意識を手放しそうになるその美味しさに涙が出そうだ。


「ぷはぁ! うまい! うますぎる! ……あれ? でもなんでこんなところにドリンクが……」


 まるで待ってましたと言わんばかりのナイスタイミング、ベストポジション置いてあったドリンクに僕は首を傾げる。

 普通に考えれば誰かが飲もうと思って入れたんだろうけど―――


『いやーきな子どのぉ。このテレビというのは面妖でござるなぁ。こんなに薄いのに、人が入ってるでござるよ』

『そうよねぇ。ブラウン管の頃ならともかく、技術革新って凄いわぁ』


 あの2人が飲もうとしてたとは思えないし、刹那姉ちゃんは料理してるし―――あっ。


「もしかして刹那姉ちゃん、僕の為にドリンクを―――」

「そんなことより、シャワー浴びたら? 汗臭いわよ」

「ぐは!」


 突発的なカウンターをモロに食らい、思わず後ろに倒れそうになる。

 うう、確かに自分でも臭いとは思ってた。

 刹那姉ちゃんの言う通り、シャワーくらい浴びた方がいいな。


「じゃあ、行ってきます……」


 僕はリビングのドアを開け、ふらつきながらも風呂場に向かって歩き出す。

 せめて汗くらい流さないと、夕飯の席に座ることすら許されなさそうだ。

 何より僕自身、汗に濡れたシャツが肌に張り付いて気持ち悪い。


「はい、行ってらっしゃい。タオルは洗濯機のところね。あと、入ったら湯船のお湯流しといて。洗濯には使えないから」

「??? うん。わかっ……た?」


 僕は刹那姉ちゃんの言葉の真意がわからないまま、曖昧な返事を返す。

 タオルはわかるけど、“湯船のお湯を流す”ってなんのことだろ。いつもは残り湯を洗濯に使うから流さないようにと、口をすっぱくして言ってくるのに。

 まあ、いいか。今は一刻も早く汗を流したい。

 その後風呂場に行った僕は、湯船の中に注がれた入浴剤入りのお湯と出会ってようやく刹那姉ちゃんの言葉の意味を知る。

 入浴剤が入ってると思われるそのお湯に触れると、程よい暖かさが指先を包む。

 確かに入浴剤が入ってるんじゃ、残り湯を洗濯には使えない。

 それなら“湯船のお湯を流しておいて”という刹那姉ちゃんの言葉の意味もわかる。

 しかし―――


「姉ちゃん……さすがにこれは、わからないよ」


 もし刹那姉ちゃんがお湯と入浴剤を入れてくれていたのがわかってれば、一言お礼を言いたかったけど……さっきの口ぶりだけでは、それもわからない。


「まあ、いいか。とっととシャワー浴びて、おいしいハンバーグを食べよう」


 戻ったら一言、刹那姉ちゃんにお礼を言うことを心に決めて。

 僕は風呂上りのシャワーを浴びるべく、勢い良く蛇口を捻った。






「ふぁー。いい湯だったぁ。刹那姉ちゃん、お風呂ありがとう。気持ち良かったよ」


 僕はふわふわに洗濯されたタオルで頭を拭いながら、台所へと戻る。

 刹那姉ちゃんは台所のコンロの前で料理の盛り付けをしながら言葉を返した。


「……べつに。それよりリビングに行って食事の準備してよ。そろそろご飯できるから」


 刹那姉ちゃんは真っ白な皿の上に特製ハンバーグを乗せながら、僕に振り返ることも無く言葉を紡ぐ。

 僕は小さく頷くと、リビングへと歩みを進めた。

 食事の準備と言っても、そんなに難しいことじゃない。

 せいぜい机の上を拭いて、皿を運ぶくらいのものだ。僕にだってできる。

 だからこそ我が家では、食事の準備は刹那姉ちゃん。食卓の準備は僕。食べるのはきな子姉ちゃんと役割が決まっていた。


「おーい2人とも。そろそろご飯だよ~」


 僕はリビングへと顔を出し、リラックスしている二人へと声をかける。

 そろそろ良い時間だし、お腹も空いているだろう。


「おお~う、信どのぉ~。おかえりなさいでござるぅ~」

「おかえり信ちゃん。外暑かったぁ?」


 リビングへのドアを開いた僕の目に映るのは、面白いくらいのまったり空間。

 ソファに寝っころがったきな子姉ちゃんに抱きしめられたあずきは、目をとろんとしながら間抜けな声を響かせる。

 テレビから聞こえてきたバラエティ番組の笑い声が大きく響き、きな子姉ちゃんもあずきと同じくらい眠そうな瞳で僕を見つめる。

 いや、きな子姉ちゃんがなんとなく眠そうなのはいつものことか。


「眠そうだね二人とも。そろそろご飯出来るみたいだけど、食べれそう?」


 僕は机の上を拭くためのふきんを持ちながら、だらーんとした二人に向かって話し掛ける。

 この状態になるのもきな子姉ちゃんの放つのんびりオーラの為せる技か。すごい威力だ。


「ごはん!? し、しまった。頃合いを見てお手伝いしようと思っていたのに、すっかり寝てしまったでござる!」

「ごはん!? わーいやったー! ハンバーグだぁ!」

「姉ちゃん、反応が逆。逆だよ……」


 本来ならきな子姉ちゃんがあずきの台詞を、あずきがきな子姉ちゃんの台詞を言うべきではなかろうか。

 もっともそんなことをきな子姉ちゃんに言ったところで、無駄ではあるのだけど。


「うう。このあずき、一生の不覚でござる」


 あずきな涙目になりながら僕を見上げ、胸の前で両手を強く握りしめる。

 そんな泣きそうにならんでも。手伝わないくらいで死にはしないよ。


「大丈夫だよあずき。まだ手伝いは残ってるし」

「ふむ、手伝いは残って……おお!? ま、まだ拙者にも出来ることがあるのでござるか!?」


 あずきは両目を見開いて僕へと駆け寄り、輝いた瞳で僕を見上げる。

 まるで玩具を欲しがる子どものようだなぁ。


「じゃあこれ、あずきはふきん係ね。これからこの机で食事を取るから、綺麗にしておいてほしいんだ」


 僕は膝を曲げてあずきと視線を合わせ、微笑と共に言葉を紡ぐ。

 いくらあずきが小さいと言っても、机の上を拭くくらいはできるだろう。


「ぬ、清掃係というわけでござるな!? 不詳あずき、確かにうけたまわにゅ……でござる!」


 言えてない。“承る(うけたまわる)”が言えてないよあずき。しかしここはあえてスルーしてあげよう。

 それが年上の優しさってやつだ。


「あずき、今噛んだね。“承る”って言えてないよ」


 ごめんあずき。僕はまだ子どもだったみたいだ。


「あう、申し訳ないでござる。実は拙者、一度も言えたことがないでござるよ。うけたまわにゅ」


 あずきはしょんぼりと俯き、両手の指先を合わせながら、恥ずかしそうに言葉を紡ぐ。

 そして再び噛んでいた。どうやら本当に言えないみたいだ。


「そっか。なんか、ごめん」


 しょんぼりとしたあずきの顔を見ると、何か物凄く罪悪感を感じる。

 軽はずみに揚げ足なんて取るもんじゃないな。反省しよう。


「あっはっは! 嬢ちゃん、“うきゃたまわにゅ”も言えないのかい? こいつぁお笑い草だぜぇ!」

「いや山賊風に煽ってるけど、姉ちゃんも噛んでるよ? しかも盛大に」


 よくよく考えてみれば、三姉弟の中で1番きな子姉ちゃんが噛んでいる気がする。

 あずきのこと言えないじゃないスか。


「馬鹿な。この私が噛む、だと? おそるべし、“ゆけたまわにゅ”」


 きな子姉ちゃんは珍しくキリッとした目つきながらも、これまでにない盛大な噛みっぷり。

 いずれ噛みすぎて血でも出るんじゃないかと心配になるな。


「信どの、信どの、見てくだされ! 机はすっかり綺麗になったでござるよ!」


 服の裾を引っ張られる感覚に下を向くと、あずきが嬉しそうな笑顔で僕を呼んでいる。

 どうやら僕ときな子姉ちゃんが話している間に、机拭きが終わったみたいだ。


「へえ、もう終わ……まぶしっ!?」


 あずきの拭いた机からはまばゆい光が発せられ、僕の目をくらませる……というのは言い過ぎだけど、机はかなり綺麗になっていた。

 手で触れてみると、まるで鑢がけをしたばかりのようにツルツルで、尚且つゴミが一粒も落ちていない。

 この成果を見るだけで、あずきがいかに一生懸命拭いていたかが目に見えるようだ。


「お、いい匂い……これは、食事の準備が出来たのでござるな? よーし。拙者、さらに食器運びのお手伝いをするでござるよ!」


 あずきは一瞬にして台所へと走り出し、もうリビングにその姿はない。

 何気に物凄いスピードだな……案外本当に忍者なのかも。


「お、いい匂い! よーし、つまみ食いしてこよっと♪」

「姉ちゃん……」


 ダメだ、この人は。この人はな、ダメだ。

 ほんと、日常生活では超が付くくらいダメ人間なんだよなぁ……


「ん? どうした少年。そんな楽しみに取っておいたおかずを取られたような顔して。なぁに安心せい! このきな子姉ちゃんがおかずを分けてあげるよ、肉以外でね!」


 きな子姉ちゃんは親指をぐっと立てながら、海の男のような豪快な笑顔を見せる。

 肉だけはくれないのか。どんだけお肉大好きなのよ。


「ありがと、きな子姉ちゃん。お気遣いなく」


 しかし、きな子姉ちゃんの笑顔を見ると、なんとなくこのままでいてほしい気がするから不思議だ。

 世界に愛された人ってのは、ひょっとしたらこういう人のことを言うのかもしれない。

 さて、それより僕も台所に行って、刹那姉ちゃんの手伝いをしないとな。


「刹那姫! 机の清掃、完了したでござる! 次の指令は何でござるか!?」

「だから、姫はやめてって―――まあ、いいわ。あとお手伝いっていうと……」


 リビングに入った僕の目に映る、あずきと刹那姉ちゃん。

 どうやら、あずきに次の仕事が言い渡されるらしいな。


「じゃあとりあえず、そこのお箸とか調味料を机まで運んでくれる?」


 刹那姉ちゃんは台所に置かれた箸やら調味料を指差し、あずきへと手伝いを頼む。

 あずきはキラキラと瞳を輝かせ、大きな声で返事を返した。


「はっ、了解でござる、刹那姫! うぉっしゃらあああああああ!」


 あずきはお箸と調味料を引っつかむと、そのままリビングへと舞い戻る。

 あの速さなら戻って来るのも時間の問題だな。


「じゃあ刹那姉ちゃん、僕は料理を運ぶよ。それでいいでしょ?」


 僕は台所に置かれた数々の料理を大きなお盆に乗せながら、刹那姉ちゃんへと言葉を紡ぐ。

 刹那姉ちゃんは小さく頷くと、自身も両手に料理を持ちはじめた。


「わかってんじゃん。あんた、皿割らないでよ?」


 刹那姉ちゃんはファミレスでのバイト経験が生きているのか、大量の皿を腕に乗せながら僕へと言葉を続ける。

 僕は小さく笑うと、返事を返した。


「大丈夫だよ、刹那姉ちゃん。料理を運ぶのは僕の仕事だしね」


 我が家の食事では大抵の場合、僕が運搬係になる。

 今日は細々したものをあずきが運んでくれたから、いつもとくらべて随分楽だ。

 ちゃんと運べるのか心配だったけど、お箸なら割れて怪我をすることもないし、とりあえず安心だろう。


「はぁ。本当は姉さんにも手伝わせたいけど、やらせると被害が増える一方なのよ……」


 刹那姉ちゃんは湧き上がる頭痛を抑えるように頭を抱え、大きなため息を落とす。

 僕もつられるようにため息を落とすと、リビングにいるであろうきな子姉ちゃんの方角へと顔を向けた。


「……うん。きな子姉ちゃんの料理運びなんて。想像するのも怖い」


 きな子姉ちゃんに料理など運ばせようものなら、数分後に四人寂しくカップ麺を啜っている姿が容易に目に浮かぶ。

 昔はお手伝いする! と息巻いてたきな子姉ちゃんだけど、僕と刹那姉ちゃんの度重なる説得によってなんとか今の形に収まった。

 まあ我が家の稼ぎ頭なんだから、多少家の手伝いをサボっても文句はないさ。


「じゃあ行くよ信。料理冷めるし」

「ん、わかった」


 刹那姉ちゃんは両腕に大量の皿を乗せ、驚異のバランス状態でリビングに向かう。

 そんな刹那姉ちゃんの背中を見ながら、僕も同じように料理を運んでいく。

 リビングで腹ぺこゾンビ状態のきな子姉ちゃんが発見されるのは、そのほんの数分後の話だった。


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