第5話:あずき参上!
ワオ。さっそく目を覚ましたよこの子。
いや、冷静に分析してる場合じゃない。この子がどんな子かわからない以上、まずは紳士的な対応を心掛けなければ。
「えっと、目が覚めた? 大変だったね。さっきまで道の端っこで倒れてたんだよ」
僕は少しだけ女の子に近づき、出来るだけゆっくりと言葉を紡ぐ。
なんとか警戒心を持たれることだけは避けたいけど、どうだろう。クラスの女子ともあまり関わったことがないからなぁ。
「ん……うう、あたまいたい……」
女の子はゆっくりと起き上がり、頭を抱えながら混乱した様子で周囲を見渡す。
どうやらまだ状況を理解できていないらしい。まだ起きたばかりだし、それも無理はないだろう。
「大丈夫? まだ起きないほうが―――」
「おおっ!? す、涼しい! この部屋、涼しいでござる!」
「…………」
え? なんか今、現代社会ではほとんど聞かないような単語が言葉の最後にくっついてた気がする。
僕の幻聴であろうか。幻聴であれ。
「外は……相変わらず地獄のような日照り。やはりおかしいでござる。この部屋、物凄く涼しい……」
女の子はキラキラとした瞳で部屋の中を見渡し、いつのまにか頭痛の事も忘れてるようだ。
元気になったなら何よりだけど、さっきからとても個性的な口調をしている。
実は女子の間で流行ってるんだろうか。ふふっ、最近の若者は個性的だなぁもう。
「あ、もしかしてこの部屋寒い? なんならもう少し室温上げるけど……」
僕は現実から目を背けると、エアコンのリモコンを手に取って女の子へと質問する。
大丈夫大丈夫、ござる口調くらいじゃ僕は動揺しないぞ。何せあのきな子姉ちゃんの弟なんだからな。あのファンキーな姉と比べたら、ござる口調なんてたいしたことじゃない。
「あ、え!? い、いや、大丈夫でござる! ちょうど、その、ちょうどよい涼しさでござるよ!」
「そ、そう……」
女の子は両手をわたわたと動かし、一生懸命僕に向かって涼しさをアピールする。
しかしなんというかこう、犬っぽい感じのする子だなぁ。
「それより、拙者は一体何を? ここは一体どこなのでござる?」
女の子は小さな頭の上に疑問符を沢山浮かべ、首をかしげる。
僕は小さく微笑みながら床に腰を下ろし、女の子と目線の高さを合わせた。
「ここは僕ん家。君が道路で倒れてたから、とりあえずここまで運んできたんだ」
僕はできるかぎり柔らかい声で、ゆっくりと言葉を紡ぐ。
初対面の女の子との会話で実際は心臓バクバクなわけだけど、もし僕が動転した様子を見せたらこの子は不安になってしまうかもしれない。
だから今は、動揺するわけにはいかないんだ。
「おおっ、そうだったのでござるか! ……はっ!?」
「ん、どうしたの?」
突然女の子は両目を見開いたかと思うと、やがて俯いてマフラーの端を握る。
何か急に女の子っぽい動きになったなぁ。いや、それも失礼か。
「あの、つまりあなた様は、拙者の命の恩人と、そういうわけでござるか?」
「え。あ、ああ、まあ。ちょっと大げさだけど……」
命の恩人と言えなくもない、か?
まあ、僕じゃなくても道行く誰かが助けてくれたと思うけど。
「命の恩人……! つ、つまり恩返しのために、拙者の全てをあなたに捧げよと、そういうことでござるな!? し、しかし拙者、その、“床”の方はまだ、修行もしたことがなく、お相手できるかどうか……」
女の子はマフラーで口元を隠し、耳まで真っ赤にしながら指先を合わせてモジモジとしながら小さな身体を左右に揺らす。
そんな女の子の言葉を聞いた僕は、心臓が爆発しそうになりながら返事を返した。
「い、いや、いやいやいや! 恩返しなんていいから! 気にしないで!」
いくら僕の頭が良くないって言っても、こんな小さな子にお礼なんて期待していない。
僕は慌てて両手を横に振り、返事を返していた。
「あ、そ、そうでござるか。それは助かるでござる」
女の子はほっと肩を撫で下ろし、どこか安心したように微笑む。
その笑顔を見た僕は妙な胸の高鳴りを覚えるが、その前に降ってきた大きな疑問を女の子にぶつけてみることにした。
「というか君、“床”の意味はわかってるの? 僕も詳しいわけじゃないけどさ」
絶賛童貞中の僕にとっては完全に未知の領域だけど、目の前のこの子はもっと未知だろう。
聞くのもちょっと怖い気もするが、気になるのでつい質問してしまった。
「いいや、全然わからんでござる! なんかいやらしい事だとしか!」
女の子はえっへんと胸を張り、堂々と言葉を返す。
”わからない”って言葉をここまで堂々と言うのも珍しいな。うちのきな子姉ちゃんくらいかと思ってた。
「そ、そう。なんか安心したよ」
まあこの子が知ってたら知ってたでなんか嫌だから、別にいいか。
それより、自己紹介と状況整理が先だ。
「あ、遅れたけど僕の名前は時雨信。桜川学園に通ってる一年生だよ。君はなんて名前なの?」
まずは落ち着いて、自分の名前を名乗る。
とにもかくにも、名前がわからなきゃ始まらないだろう。
初対面の相手だし、僕から名乗るのが礼儀だな。
「おお、申し遅れました! 拙者の名はあずき! “望月あずき”(もちづき あずき)でござる!!」
女の子は自分の名前を僕に伝えると、白い歯を覗かせながらまるで太陽のように明るく笑う。
ここまで邪念というか、不純物のない笑顔というのも久しぶりに見た気がする。もっとも相手は小さな女の子なんだから、それも当然だけどね。
「そっか。よろしくね、あずき。僕の事は“信”って呼んでくれていいから」
僕は基本的に、会った人には下の名前で呼んでもらうようお願いしている。
個人的な感覚だけど時雨って苗字は、なんかくすぐったいんだよな。
だから基本的には名前で呼んでもらいたい。
相手は年齢不詳だけど、まあ呼び捨てでもかまわないだろう。
「はっ! よろしくでござる、信どの! あ、いたた……」
「おおっ!? だ、大丈夫!?」
あずきは片目をつぶって奥歯を噛み締め、自らの頭を重そうに右手で支える。
殿とか名前に付けられた驚きはあるが、何より今はあずきの体調だ。
よくよく考えてみれば、倒れるほどの重傷だったんだ。今こうして会話していること自体不思議だし、休ませてあげるべきだったのかもしれない。
「うう、変でござる。暑い暑いと思っていたら急に意識が遠くなって、おまけに喉も渇いて……」
あずきは視線を泳がせながら、少しだけおぼつかない舌で言葉を紡ぐ。
状況はわかってきたみたいだけど、まだ自分の体の状態までは掴み切れてないみたいだ。
「あ、ああ、そっか。熱中症だもんな。ちょっと待って、今スポーツドリンク持ってくるよ」
僕はとりあえず立ち上がり、台所に向かって早足で歩いていく。
そうだよな。エアコンを使ってはいるけど熱中症で倒れたんだし、まずは水分補給しないと。
「すぽおつ……どりんくでござるか。信どのは異国の言葉をよく知ってるのでござるなぁ」
あずきは脳天気な笑顔を浮かべながら、ぽやぽやとした様子で布団の上に座り僕の帰りを待つ。
まあ、あの様子ならとりあえず大丈夫かな。
具合が良くならないなら病院に連れていこうかとも思ったけど、体が丈夫なのかあまりこたえてないようだ。
「ほい、できた。さっき買った缶ジュースはまだ冷えてないから、冷蔵庫にあったやつで悪いけど……まあ、味は一緒だから」
僕はコップの中にスポーツドリンクと氷を入れてお盆の上に乗せると、あずきの元へと運んでいく。
コップの中に入った氷がカラカラと音を鳴らし、それだけでもちょっと涼しげだ。
「おおっ、“すぽおつどりんく”とは飲み物でござったか! かたじけないでござる!」
あずきはキラキラとした瞳で満面の笑顔を浮かべ、コップを受け取る。
ここまで喜んで貰えると、逆に僕まで嬉しくなるな。
「ふぉう!?」
「お、おお、どうしたの?」
あずきはコップを受けとった瞬間奇声を上げ、ぽかんとした表情でコップを取り落としそうになる。
今何か驚くようなことあったかな?
「し、信どの! この、えっと、“こっぴ”? 凄く冷たいでござる!」
あずきは両目と口を目いっぱい開けて驚き、そのまま僕を見上げる。
冷たいのがそんなに珍しいのかな。
「こっぴじゃなくて、“コップ”ね。冷蔵庫の中に入ってたジュースと氷が入ってるし、そりゃ冷たいさ」
僕はよくわからない質問をしてくるあずきを不思議に思いながら返事を返す。
僕より年下とはいえコップくらいは知ってると思ったんだけど、まだ少し混乱してるのかな。
「れ、れいぞうこ、でござるか。あの箱にそんな力があるとは、面妖でござる」
むむむと眉間に皺を寄せたあずきは、台所に置かれた冷蔵庫を見つめる。
あんな真剣に冷蔵庫を見る人初めて見たよ。
「ともかくそれ、飲んだ方がいいよ。水分補給したほうがいいだろうし」
熱中症については詳しくないけど、水分をとったほうが良いことくらいは知ってる。
僕が促すと、あずきは素直にこくりと頷いた。
「あっ、そ、そうでござるな。信どのが入れてくれた“すぽおつどりんく”、ありがたく頂戴するでござる」
あずきはぺこりと小さく会釈したかと思うと、こくこくと小さな喉を鳴らしてスポーツドリンクを飲んでいく。
その様子に僕は小さく安堵のため息を吐き、胸を撫で下ろした。
「んっ……んっ……んむぅ!? んぐっんぐっんぐっ」
「お、おお、凄い勢いだな」
よほどスポーツドリンクが美味しいのか、あずきは息をするのも忘れ、喉を鳴らしつづける。
無理もない、さっきまであの灼熱地獄で倒れてたんだ。喉が渇かない方がどうかしてる。
「ぷはぁっ! お、おお……」
「お?」
コップ一杯のドリンクを見事飲み干したあずきは、ぷるぷると震えながら空のコップを見つめている。
もしかして、まずかったのかな? いや、一口で飲み干したんだからそれはないと思うけど―――
「おうまあああああああああい! 信どの! これ、めっちゃうまいでござるよ!」
あずきは太陽のような笑顔で僕を見つめ、言葉を紡ぐ。
よかった。まずかったわけじゃないみたいだ。
しかし、おうまいって何だ。明らかに一文字余計だけど、ともかく美味しいって気持ちは良く伝わるな。
「あ、あのぅ、信どの。その……」
「???」
あずきはもじもじとしながら時折僕の顔を見つめ、意味深に瞬きを繰り返す。
その手には、空になったコップが力強く握られていた。
「ああ、もしかしておかわりかな? ちょっと待ってて、今ボトル持ってくるから。好きなだけ入れて飲むといい」
僕はゆっくりと立ち上がると、冷蔵庫からスポーツドリンクのボトルを取り出して振り返りながらあずきへと言葉を紡ぐ。
まだ結構入ってるから、あの小さなお腹がぽんぽんになるくらいまでは飲めるはずだ。まあ、そうなる前に止めるけども。
「!? そ、そんな。そんなにたくさん、おいしいものを!? ははぁー! 信様!」
「頭が低い!? ちょ、やめて! この状態はいろいろとまずい!」
あずきはよほど嬉しかったのか、布団の上で土下座をし始める。
まずいぞ、これはまずい。見る人が見れば即通報され、明日の新聞の一面を飾りかねない。
「と、とりあえず頭上げて! ね!? こんなのでよければいくらでも飲んでいいから!」
僕はなんとか土下座をやめてもらおうと必死に頭を回転させ、言葉を探す。
いくら家の中で他人に見られないとはいえ、小さな女の子に土下座させているのは気分が悪い。
「い、いくらでも!? ははぁーっ! お代官さま!」
「ヒィィィィ!? もうおでこを布団にこすりつけちゃってるじゃん! むしろ命助けた時より感謝してない!?」
あずきはさらに体を丸くし、布団の上でまるでお餅のような状態になっている。
こんなとこ姉ちゃん達に見られようものなら、散々罵倒された挙げ句警察に突き出され、鉄格子の間から涙に濡れた月を見上げることになる。そんなのは嫌だ。
あ、もしかして僕、自分でフラグ立てた?
「おーい信ちゃん、とりあえず洗濯は終わったよん。あの子の様子はDOだい?」
「ですよねー! わかってたよ最初から!」
どーせこのタイミングで戻って来ると思ってたよチキショウ。
ああ、これで僕も特殊な白黒の車両に乗せられ、鉄格子の中で冷めたご飯を食べるのか。短い青春だったなぁ。
「おおっ!? し、信ちゃん、その子……」
きな子姉ちゃんは驚愕の表情であずきを指差し、その指先はぷるぷると小刻みに揺れる。
もう、駄目だ。わかった、わかったよ。こうなったらなるようになれだ。
「ああ、きな子姉ちゃん。今布団の上で土下座してあんころ餅みたいに丸くなってるのが、さっき倒れてた子だよ。名前は“あずき”っていうんだってさ。ははっ、姉ちゃんと同じく美味そうな名前でしょ?」
僕は半分自暴自棄になりながら、きな子姉ちゃんへと言葉を紡ぐ。
きな子姉ちゃんはそんな僕の言葉が聞こえていないのか、やがて指差していた手を下ろし、そして―――




