第43話:嵐の予感
そうしてなんとか平静を取り戻した状態で改めて桜崎さんを見てみると、髪形が大きく変わっている事に気が付いた。
「えっと……ところでその、桜崎さん。髪切ったんだね。ちょっと驚いたよ」
ロングだった桜崎さんの髪は肩の上辺りで切りそろえられ、前より軽くなったその姿にはまるで春先のような爽やかさすら感じる。
うん。前までの髪も可愛かったけど、今のも凄く良い。髪型の良し悪しなんて僕にはわからないけど、素直に似合っているとそう思えた。
「あっ……うん。似合ってない……かな」
桜崎さんは笑顔になりながらも、どこか不安そうな声色で僕に尋ねる。
まさか、似合ってないなんて有り得ない。個人の趣向はあるだろうけど、少なくとも僕は今の桜崎さんの方が好きだ。
「そんなまさか、似合ってないわけないよ。凄く良いと思う」
元々端正な顔立ちだし、正直言ってしまえばどんな髪型でも似合うだろう。
しかしそれにしたって、今の髪型は凄く良い。
確かボブカットだったかな。髪型の名前はうろ覚えだけど、とにかく桜崎さんによく似合っている。それだけは確かだ。
「うん……うん、やっぱりそうだ。凄く、可愛いと思うよ」
僕は身体を傾けて色々な角度から桜崎さんを見つめ、正直な感想を述べる。
こりゃ元々人気者だった桜崎さんの人気がさらにアップするのも時間の問題だな。
「っ!? ちょ、ちょっとまって! たんま!」
「たんま!?」
桜崎さんは僕の言葉を聞くと一目散に廊下へと飛び出し、教室のドアの辺りで立ち止まる。
しかし“たんま”って。まさか桜崎さんの口からその単語が飛び出すとは思わなかった。
『っし! よっしゃ! よくやった美容師のみっちゃん! グッジョブ!』
「???」
桜崎さんは廊下でぴょんぴょんと飛び跳ね、何故か顔を真っ赤にしながら満面の笑みでガッツポーズを繰り返す。
教室のドアの小窓から思い切りその姿が見えてるんだけど……気付いてないのかな。
まあきっと、新しい髪形で不安だったんだろう。センスゼロの僕からでも褒められれば多少は安心するよね。
「ふぅ……あ、ご、ごめんね。ちょっと、その、服が乱れてて……」
桜崎さんは少し乱れてしまった髪を整えながら、再び教室へと入ってくる。
随分とアクロバティックに乱れた服を直すんだなぁ桜崎さんは。僕もできれば習得したいものだ。なんか楽しそうだし。
「あ、えっと、僕は気にしてないよ。大丈夫」
僕は朗らかに微笑みながら、桜崎さんへと返事を返す。
桜崎さんはどこかほっとした様子で微笑むと、髪と一緒に乱れてしまった呼吸を整えた。
いやしかし、どうして急に髪を切ったんだろう。
女の子が大きく髪を切るのは失恋した時だって刹那姉ちゃんの持ってるマンガには描いてあったけど……まさか昨日別れた後で失恋したとは考えにくい。
直接聞いちゃうのが一番早いんだけど、うーん。なんか聞きにくいな。
「あ、あわっ。桜崎嬢が男子に挨拶を。あばば、ば、あばばばばばっ!」
「反応おそっ!? 落ち着け猛! あばあば言ってる場合じゃないよ!」
今の事実を整理すればただ、“朝の挨拶と軽い雑談をした”ってだけなんだ。
その反応はいくらなんでも失礼だろう。
「え、えっと、ごめんね桜崎さん。僕も猛もちょっとびっくりしちゃって……」
僕は頭を掻きながら、申し訳ないという気持ちを前面に押し出し、頭を下げる。
だって、ね。まさか挨拶してもらえるなんて思えなかったし、最初めちゃくちゃ睨まれてたし……
人間は予想外の事態に陥ったとき、自分で思ったより動けないということが良くわかったよ。
「なっ……なによ。あなたが素直じゃないって言ったから、がんばったんじゃない……」
「へっ?」
桜崎さんは悔しそうに奥歯を噛み締め、耳まで真っ赤にしながら勢い良く僕から顔を背ける。
今、なんて言ったんだ? いや聞こえてはいたけど、桜崎さんは僕のために―――
「うおー! 桜崎どの! おはようでござうー!」
「きゃっ!? あ、あずき!?」
猛の隣に立っていたはずのあずきはいつのまにか桜崎さんの胸に飛び込み、朝の挨拶をぶつける。
いや、もはや“ござる”が言えてないじゃないかあずき。どんだけテンション上がってるんだ。
「桜崎どのぉ。昨日はちょっとしか会えなくてつまんなかったでござるよ! また会えて嬉しいでござる!」
「お、おはよう。てか、なに朝から恥かしいこと言ってんのよ、もう……」
桜崎さんはあずきを睨みつけるも、その邪気のない笑顔にあてられたのかどこか困ったように微笑む。
あずきはその笑顔を見ると、先ほどにも増して太陽のような笑顔を見せた。
「ぷひー。だってせっかくお友達が出来たのに……拙者、もっと遊びたいでござう!」
「あずき、言えてない。ござるって言えてないから。アイデンティティ崩壊してるから」
昨日すぐに別れてしまったことがよほど心残りだったのか、あずきはほっぺを膨らませたまま桜崎さんから離れようとしない。
別れ際は普通だったのになぁ。まあもしかしたら、内心結構我慢していたのかもしれない。
「はぁ、まったく。いつまでくっついてんのよ。暑苦しいっての」
桜崎さんは片手で頭を抱えてあずきを見つめるが、振りほどこうとはしない。
あずきはそんな桜崎さんの言葉が聞こえているのかいないのか、そのままうにうにと胸元に顔を擦り付けていた。
「はふぁ。桜崎どのは良い匂いがするでござるなぁ。ずっと嗅いでいたいくらいでござるよ」
「なっ!? ば、ばか。何言ってんのよ……!」
あずきは相変わらず桜崎さんに抱きついたまま、その胸元でだらしない笑顔を見せる。
桜崎さんは少しだけ頬を赤く染め、その笑顔から顔を背けた。
「おはようございます、赤井猛です。目が覚めたらそこは、百合百合でした」
「おはよう、猛。妙に達観したような笑顔で君は何を言ってるんだい?」
猛はこれまでに見たこともないような笑顔で桜崎さん達を見つめ、何かに納得したようにうんうんと頷く。
まるで庭を駆け回る孫を見守るようなその笑顔は、どう考えても年齢に不相応だ。
「何を言う信。俺は別に変なことなど言っちゃいない。仲良きことは美しきかな、だろ?」
「わかったから鼻血拭きなよ」
バチコーンッ!とウィンクしながらさも綺麗にまとめたかのようなセリフを吐く猛だが、その鼻からは見事に一本の赤い線が見える。
台無しだよ猛。せっかくセリフはまともなのに。
「まあ何にせよ、二人が仲良くなってくれて本当によかったよ。これで心置きなく桜川祭に集中できるね」
僕は白い歯を見せて悪戯に笑い、仲睦まじい二人の姿を見つめる。
いやしかし、本当によかった。最大の心配事が無くなって、僕も肩の荷が下りた気分だ。
もっとも今日は桜川祭実行委員として、これまで以上に頑張らなくちゃならないわけだけど。
「あっ、そ、そうね。これからは、その、ふ、二人で、頑張っていかなきゃいけないんだし……」
「おーい桜崎さーん? 俺も、クラス委員の赤井猛もお忘れなくー?」
猛はぱたぱたと片手を振り、桜崎さんへと自分の存在をアピールする。
そっか、そうだよね。クラスの出し物だってあるんだから、猛とも連携していかなきゃ。
「そうだよね。よろしく猛。僕は頼りにしてるよ?」
「し、信……!」
猛は瞳を潤ませ、感情のあふれ出しそうな表情で僕を見つめる。
相変わらずオーバーだなぁ。
「ううっ、さすがは信、我が友よ。やはり俺の親友は、お前だけのようだぜ……!」
「猛……!」
真っ直ぐな瞳で僕を見る猛の姿に感動し、僕もまた瞳を潤ませる。
そうだよね、猛。僕達は最高のパートナーだ!
『ちょっと赤井っち、そこどいてよ! 私達もあずきちゃんと絡みたいっつーの!』
「ありがとうございます!?」
瞳を潤ませる猛の尻を蹴り上げる、クラスメイトの女子の足。
なかなか良い音がしたな……いやそれより猛、今女子にお尻蹴られてお礼を言わなかった?
「ふっ、礼儀知らずな女め。だがそんな蹴りくらいで俺達の友情は揺るがない。だろ?」
「いや、女子からの蹴りで咄嗟にお礼を言ってしまう男の子はちょっと……」
「ノォォォォオォォォォォォ!?」
僕は微妙な笑顔を猛に向け、ふらつきながらも数歩後ずさる。
猛はその場に突っ伏すると、断末魔のような叫びを教室内に響かせた。
いやまあ、そんなことはいいんだ。それよりも―――
『きゃーっ♪ あずきちゃんほっぺぷにぷにー♪』
『あっ、ずるい! あたしもー!』
『今度私だっこねー♪』
すごいな、あずき。ものの数秒で女子達に囲まれてるぞ。
恐らく女子の先導者だった桜崎さんがあずきと仲良くなっているのを見て、我慢していた女子達が集まってきたんだろうけど……いやこれ、女子全員集まってないか?
みんなどれだけ我慢してたんだよ。そして桜崎さんの影響力凄すぎるだろ。
「ちょっ……あんた達、やめなさい! あずきが困って―――ひゃう!? 誰よ今お尻触ったの!!」
「おしりだとぉぉぉぉぉぉ!?」
「再びおはよう猛。相変わらず元気だね」
猛は“お尻”という単語に反応し、突っ伏した状態のまま垂直に飛び上がって両足を伸ばして立ち上がる。
立ち姿は格好良いが、立った動機は最低だった。まあ気持ちは痛いほどわかるんだけどね。
「はっはっは。いやー信くんグッドモーニング。しかし俺ら、いつのまにこんな蚊帳の外なん?」
「まったくだね猛。僕もその答えは知りたいところだよ」
女子達はやいのやいのと盛り上がっているが、僕と猛は完全に蚊帳の外だ。
ちょいちょい女子達の間から目を回したあずきと頬を染めながら怒る桜崎さんが見えるけど、クラスの女子全員に囲まれては会話など出来るはずもなかった。
「……あ、とか言ってたらチャイムだ。そろそろメイド喫茶の準備を始めないとね」
頭上から聞こえたチャイムに反応し、小さく独り言を落とす。
あずきたちを取り囲んでいた女子達もまたその音に反応し、頭上を見上げた。
『ちぇー、時間切れか。じゃあ、あずきちゃん、また休憩時間にねっ!』
『いやー、柔らかかった柔らかかった。ほっぺも尻も最高じゃったわい』
クラスメイトの女子達はまるで一仕事終えた職人のように、各々身体を伸ばしたり肩を回したりしながら自分の持ち場へ戻っていく。
そんな彼女達の背後では桜色の髪と赤い髪の女の子が、ぴったりとくっついて床に腰を下ろしていた。
「うう、さ、桜崎どの。拙者のほっぺ、まだついてるでござるかぁ……?」
「大丈夫! まだついてるからしっかりしなさい! あたしもお尻痛いし!」
まるでぬいぐるみのようにぐったりとしながら中空を見つめるあずきを抱きかかえ、必死に声をかける桜崎さん。その姿はさながら、戦場の最前線のようだ。
「た、大変だったね桜崎さん。まぁ今日で桜川祭も最後だし、休憩は細かく取ったほうがいいよ」
「ん、うん。そうするわ。それにしてもあの子たち、あんなにあずき好きだったとは、誤算だった……」
桜崎さんは歩いていく女子達を見つめながら、額に大粒の汗を流す。
まるで獣のような勢いだったからな……さすがの桜崎さんも、勢いに押されてしまったようだ。
「じゃあそれぞれの持ち場に戻ろうか、桜崎さん。……あ、二人で頑張って良い桜川祭にしようね!」
僕は右手をぐっと握り締めて一歩桜崎さんへ近づくと、最大級の笑顔で言葉を紡ぐ。
きっとこれから、沢山の楽しいことがある。それを思うと胸の鼓動は高鳴り、否が応にもテンションが上がってしまった。
「っ!? わ、わか、わかりました!」
「???」
桜崎さんは素早く僕から顔を背けると、何故か敬語で返事を返す。
真っ赤になった耳が、短くなったその髪に良く映えていた。
「??? ま、いいか。ほら猛、持ち場に戻って準備しないと。今日は学園外からのお客様も来るんだからさ」
「おっけー♪」
「返事だけじゃなくて、自分の足で歩いてくれよ」
僕は何故か歩こうとしない猛を引きずり、自分の持ち場へと戻っていく。
そうしてふと窓から青空を見上げると、僕は小さく言葉を落とした。
「学園外からのお客様……か」
僕は猛烈な嫌な予感を感じ、頭を抱える。
しかしそんな僕の苦悩とは関係なく、今日も桜川祭二日目の準備は滞りなく進んでいくのだった。




