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第41話:桜崎の決心

「いやー奇遇でござ……おおっ!? せ、背中にいるのは桜崎どのでござるか!?」

『っ!? あ、あの、もう大丈夫だから早く下ろして!』


 桜崎さんはその体温を一気に高くしながら、僕の耳元で言葉を紡ぐ。

 美しいその声に僕は言いようのない高揚感に包まれながらも、なんとかその言葉の意味を頭で理解した。


『う、うん! 今下ろすよ……!』


 僕は桜崎さんをゆっくりと下ろし、自らの足でなんとか立っていることを確認すると小さくため息を落とす。

 確かにいくらあずきとは言え、クラスメイトにおんぶされている姿を見られるというのは恥ずかしいかもしれない。僕の配慮が足らなかった。


「いやー、あっはっは! 奇遇でござるなぁ、桜崎どの! こんなところで会えるなんて、思ってなかったでござるよ!」


 あずきは相変わらず太陽のような笑顔で、桜崎さんへと言葉を紡ぐ。

 そんなあずきの言葉を受けた桜崎さんは、視線を左右に泳がせながら言葉を返した。


「あっと……うん、そうね。思えば今日は、まともにあなたと話してなかったかも」

「そうでござるなぁ。でも、こうして話せてよかったでござるよ! あっはっは!」


 あずきは本当に嬉しそうに笑いながら、大声を茜色の空に響かせる。

 桜崎さんはこれまで積極的にあずきと関わってきたわけではないせいか、どうやって接するべきか迷っているみたいだ。

 うーん、しかしここは二人の距離を縮める良い機会だ。どうにかしたいけど……参ったな。すぐに妙案は思いつかないぞ。


「あ、あれ? あずき、口元に何か付いてるよ?」


 僕の視界の隅に、何か食べかすのようなものが付着したあずきの口元が写る。

 さてはあずき、駄菓子でも買い食いしたな。夕飯残して刹那姉ちゃんに怒られなきゃいいんだけど。


「ふえ? あ、えっと、どこでござるか?」


 あずきは袖でごしごしと口を拭うが微妙に照準を外れ、食べかすは落ちてくれない。

 見かねた僕がハンカチを取り出そうとすると―――その瞬間、桜のような甘い香りが僕の横を駆け抜けた。


「ちょっと、なにやってんの? 袖で拭いちゃダメじゃない。家の人に怒られるわよ」


 桜崎さんは素早く綺麗なハンカチを取り出すと、あずきの口元をごしごしと拭う。

 見る見るうちに食べかすは地面に落ち、ピカピカの小さな口が顔を出した。


「むぐぐ……ぷはっ。えへへ、ありがとうでござるよ桜崎どの。桜崎どのは、口を拭く名人でござるなぁ」


 あずきはどこか幸せそうに笑いながら、桜崎さんへと言葉を紡ぐ。

 桜崎さんはその言葉を受けると一瞬きょとんと目を見開き、やがて柔らかに微笑んだ。


「ふふっ……何よそれ。へんなの」

「あ……」


 自然に微笑んだ桜崎さんの、本物の桜のようなその笑顔。

 その時僕は確信した。この二人にはこれが、一番良いんだと。


「ふむ……桜崎さん。これからもそうして、あずきを助けてあげてくれないかな」

「えっ……」

「???」


 二人は僕の言葉を受け、ぽかんと口を開く。そりゃそうだ、脈絡がまったく無いもの。もうちょっと上手く言えなかったのか僕は。

 とにかく桜崎さんもあずきも、言葉の意味を汲み取れていないのは間違いない。

 僕は少し気恥ずかしさを感じながらも、さらに言葉を続けた。


「ほ、ほら、あずきはこの街に来て日が浅いし、いろいろ大変なこともあると思うんだ。だから桜崎さんに、その辺をフォローして欲しいんだよ。男の僕じゃ手伝えないこともあるかもしれないしね」


 僕は桜崎さんの綺麗な瞳を見つめ、しどろもどろになりながら言葉を紡ぐ。

 聡明な桜崎さんのことだ。ここまで言えばもうわかっただろう。


「あ、さっきの“頼み”って……そう、そういうこと」


 桜崎さんは少し考えるように俯き、曲げた人差し指を口元に当てる。

 そうしてしばらく考えた桜崎さんは、やがて言葉を返した。


「わかった。今回の件では迷惑かけたし……その頼み、聞くわ。あたし、望月さんを手伝うことにする」


 桜崎さんは確かな意思を宿した瞳で僕を見返し、言葉を紡ぐ。

 そんな桜崎さんの言葉を受けた僕は安堵し、膝から崩れないようにするのに精一杯だった。

 ああ、よかった。これで二人の関係も、少しは良くなるかもしれないぞ。


「えっ!? わ、わかったんでござるか桜崎どの! 拙者にはさっぱりでござる!」


 あずきは置いてけぼりにされた気分なのか、わたわたと両手を動かしながら視線を迷わせた。


「ははっ、あずきは本当に“素直”だね。わからないことをわからないって言うのは、結構難しいことなんだけどなぁ」

「???」


 あずきは僕の言葉に疑問符を浮かべ、首を傾げる。

 いや、いかんいかん。余計なこと言っちゃったな。


「えっと、桜崎さん。できれば桜崎さんからあずきに説明してあげてくれないかな」


 僕はにっこりと笑いながら、桜崎さんへと言葉を紡ぐ。

 何故か桜崎さんは僕の笑顔を見るとそっぽを向いてしまったけど、やがて小さく笑い、あずきと視線を合わせて言葉を紡いだ。


「つまりこれからあたしは、望月さんの味方ってこと。ただそれだけわかってくれればいいわ」


 桜崎さんは柔らかに微笑みながら、夕暮れの街の中で真っ直ぐにあずきを見つめる。

 美しいその横顔に僕の視線は固定され、一瞬呼吸を忘れた。


「おおっ、つまり“お友達”ってことでござるか!? うひゃあ、嬉しいでござるよ!」

「きゃぁ!? ちょっと、いきなり!?」


 あずきは嬉しそうに笑うと桜崎さんに飛びつき、両手で強くしがみつく。

 桜崎さんは驚いて両目を見開くが、あずきが怪我をしないようその両手でしっかりと身体を支えていた。


「もうっ。なんなのよ……」


 桜崎さんは困ったように眉をハの字にしながらも、どこかくすぐったそうに笑い出す。

 あずきは笑ってくれた桜崎さんが嬉しかったのか、自身も大きな声で笑い声を響かせた。

 そんな二人の姿が本当に嬉しくて僕が目を細めていると、次第に空の色が藍色に落ちていることに気がついた。


「っと、日が暮れるね。桜崎さん、そろそろ行こうか」


 僕は元々家まで送るつもりだった桜崎さんに声をかけ、帰宅を促す。

 まだまだ街の明かりは消えないだろうけど、日が落ちる前に帰った方が賢明だろう。


「あ、ううん。あたしの家遠くないから大丈夫。望月さんと一緒に帰ってあげて?」


 桜崎さんは優しくあずきを離すと立ち上がり、柔らかに言葉を紡ぐ。

 あずきはぴょんぴょんとジャンプして僕らの目線に入ると、元気よく言葉を紡いだ。


「おおっ、じゃ、帰るでござるか!? でも桜崎どの! 拙者のことは“あずき”と、呼び捨てにしてほしいでござるよ!」


 あずきは桜崎さんと友達になれたことがよほど嬉しいのか、そのままぴょんぴょんとジャンプしながら桜崎さんへと向き直る。

 そんなあずきを見た桜崎さんは穏やかに笑いながら言葉を返した。


「ふふっ……そう、わかった。じゃああずき、また明日ね」


 桜崎さんは柔らかに微笑み、あずきへと言葉を紡ぐ。

 あずきはしゅぴっと敬礼すると、元気よく返事を返した。


「ういっ! 死ぬほど名残惜しいでござるが、また明日でござるな!」

「……ん、そうね。また明日」


 あずきのその笑顔に感化されたのか、桜崎さんは軽く片手を上げて返事を返す。

 このままなら僕はあずきと共に、我が家に帰ることになるだろう。

 でも僕の中には、桜崎さんをひとりで帰らせたくないという感情が湧き上がっていた。

 まだ夕刻だし家までは大通りが続いているから、あずきは一人でも帰ることができるだろう。

 桜崎さんも本人が大丈夫と言っている以上、もう僕の出る幕はないのかもしれないけど……もしかしたら、遠慮している可能性もある。

 そして僕は、気付けば口を開いていた。


「うーん……ごめん桜崎さん。やっぱり心配だから、もう少しだけ一緒にいさせてくれないかな」


 僕は精一杯の勇気を振り絞り、言葉を紡ぐ。

 今日はあんなことがあった後だし、出来れば家の近所までは送って行きたい。ただ、それだけだった。


「え!? うん! ―――あ、だ、だめ! あずきが一人になっちゃうでしょ!?」


 桜崎さんは僕の言葉を受けて一瞬了承しかけるが、あずきの姿を見るとすぐに言葉を変える。

 うーん確かにまあそうなんだけど……まだ明るいし、僕の家までの道のりが安全なのは知っている。

 仮にあずき一人でも、家までなら問題ないと思うんだけどなぁ。


「ほんとにもう、大丈夫だから。……ありがと」


 桜崎さんは俯きながら、僕に向って小さく言葉を紡ぐ。

 本人がここまで言ってるんだ。これ以上食い下がるのもしつこいかな。


『おおーい信どのぉ! 早くかえらないと刹那姫に怒られるでござるよー!?』

「あずき。も、もうあんなところにいたのか」


 あずきは既に人差し指くらいの大きさになりながら、ぴょんぴょん飛び跳ねて両手を振っている。

 確かにいい加減出発しなければ暗くなってしまいそうだ。

 桜崎さんのためにも、早く切り上げなければ。


「じゃあまた明日ね、桜崎さん。気をつけて帰って」


 僕は軽く片手を上げて挨拶し、あずきの元に向おうと踵を返す。

 ふう……それにしても、今日は色々なことがありすぎてまだ少し頭が混乱してるな。

 そうして僕がぶらぶらと歩き出し、頭の後ろで手を組んだ瞬間。高く美しい声が響いてきた。


「あっ……あの、ちょっとまって!」

「???」


 背後から聞こえた声に振り返ると……藍色の空に包まれた街に、桜崎さんの綺麗な髪がよく映えている。

 僕は小さく息を整えると、今度こそ真っ直ぐに桜崎さんへと向き直った。


「えっ……と、今日は本当にありがとう」


 桜崎さんはどこかはにかみながら頬を桜色に染め、言葉を紡ぐ。

 僕もなんだか気恥ずかしくなって、頭を掻きながら返事を返した。


「あっ、う、うん。いいんだ、僕が好きでやったことだから。じゃあ、えっと、また明日ね」


 僕は何故か恥かしくなって。軽く手を上げて返事を返し、踵を返そうと足に力を込める。

 しかしその刹那、桜崎さんの声が再び響いてきた。


「あっ! あ、あと、ね……」

「???」


 まだ何か話がありそうな桜崎さんの様子を不思議に思いながら、僕はその場に留まる。

 桜崎さんは視線を左右に巡らせ、何度も深呼吸を繰り返していた。


「その。あたしって……さ。素直じゃ、ない?」

「えっ?」


 桜崎さんは僕から視線を外し、どこか緊張した様子で言葉を紡ぐ。

 その質問の真意はわからなかったけど、僕は率直に答えることにした。


「うーんまあ、素直じゃないと言えばそうなの、かな。もっと自分の気持ちに正直に振舞っても良いかもしれないけど……でも、そんな所も含めて桜崎さんなんじゃないかな」


 あずきにはあずきの、桜崎さんには桜崎さんの良いところがある。そんなの比べるものじゃないし、僕ごときが比べられるようなものじゃない。

 だから今は、この答えが精一杯だ。


「そ、そう。やっぱ素直じゃない……か。じゃあ、明日からがんばる」

「???」


 夕暮れの中で桜崎さんは、何かを決意したように瞳を輝かせて僕から視線を外したまま言葉を紡ぐ。

 僕は頭に疑問符を浮かべてそのまま固まっていると、その沈黙に耐えかねたのか、今度は桜崎さんの方が踵を返した。


「じゃ、じゃあ、また明日ね!」

「あっ、ちょっ、桜崎さん!?」


 桜崎さんはびっくりするくらいの俊足で藍色の街を駆け抜け、もうその背中も小さくしか見えない。

 唖然とする僕を尻目に、その背中はどんどん小さくなっていった。


『??? おおーい信どのぉ! 早く帰らないと、刹那姫に殺されちゃうでござるよー!?』

「あ、ああ! 今行くー!」


 背後から聞こえたあずきの声に振り返り、僕は反射的に返事を返す。

 藍色の街に消えた桜崎さんの小さな背中を、横目で追いかけながら―――


『うーん一体、どういう意味の質問だったんだろ?』


 僕は桜崎さんの質問の真意がわからず、ただ首を傾げる。

 結局僕はその夜家に帰り、眠りにつくその瞬間まで。

 桜崎さんのあの質問を思い出し、苦悶することになったのだった。

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