第40話:茜色の世界で
「「…………」」
僕と桜崎さんの間に流れる、沈黙の時間。
背中には今まで感じたことの無い柔らかな感触と、女の子特有のシャンプーのような匂い。
少し緊張しながらも僕は今、桜崎さんをおんぶした状態で夕焼けの街を歩いていた。
一度は学園内を駆け抜けて教室に戻ろうとしたが、桜崎さんの「腰が抜けたなんてかっこ悪くて皆に会えない」という言葉を受けて、今日のところは桜崎さんの家まで送っていくことにした。
そうして学園の外まで出てきたのは良かったが、その後も桜崎さんは歩けそうもなく。かと言って今までのようにお姫様だっこのまま家まで送っていくわけにもいかない。(僕は一向に構わなかったが、桜崎さんに全力で拒否されてしまった。よく考えれば恥かしいのは当然だ)
とにもかくにも、折衷案として出たのがこの“おんぶ”状態である。
多少人目は気になるものの、最悪けが人を運んでいるように見えなくもない。
少なくともお姫様抱っこよりは100万倍目立たない運び方だった。
「えっと……ごめんね、桜崎さん。恥ずかしいかもしれないけど、家までの辛抱だから」
僕は先ほど聞いた桜崎さんの家まで、おんぶをして送り届ける。
あんなことがあった後だ。まさか一人で帰すわけにもいかないし、どちらにせよ桜崎さんは歩けないのだからこれ以外の選択肢が無かった。
「べつに、大丈夫。あたしの方こそ、その……ごめんなさい」
桜崎さんは今にも消え入りそうな声で、かろうじて言葉を紡ぐ。
そのあまりにも微かな声に不安を覚えた僕は、少しだけ大きな声で返事を返した。
「??? えっと。何か謝られるようなことあったかな」
僕は自分の記憶を呼び起こし、桜崎さんとの思い出を辿る。
桜川祭実行委員に無理矢理任命されて、二人で買い物に行って……うん、別に謝られるようなことはないはずだ。
「っだからあたし、今まで結構その、暴言っていうか。酷いこと言って……ごめん、なさい」
桜崎さんは少しだけ僕の制服を掴んでどこか焦ったように、しかしはっきりと謝罪の言葉を紡ぐ。
ああ、なんだそんなことか。全然気にしてないのに。
「あははっ、全然気にしてないよそんなの。でもまあ、今日みたいな人達に言うのはちょっと危険かもね」
今後ああいう目に遭った時、あまり相手を逆上させない方がいい。
できればもっとにこやかにお茶を濁して、うまく逃げた方が良いだろう。
「あたし、ちょっと……いや、かなり男嫌い……なのよ。だから―――」
「ん、そうだね。桜崎さんは男の人、嫌いだもんね」
言いづらそうな桜崎さんに変わって、僕はあえてその声を遮って言葉を紡ぐ。
桜崎さんは驚いたように僕の制服の背中を掴み、言葉を返した。
「っ!? 気づいて、たの?」
桜崎さんは少し驚いた様子で僕に向って言葉を紡ぐ。
背中に密着した胸の辺りから大きく高鳴った鼓動が聞こえ、僕は思わず目を細めた。
背中の温かさから、息遣いから、桜崎さんを感じる。
ずっと遠かった桜崎さんが、こんなにも近くに感じられる。
その事実が嬉しくて、僕は小さく笑みを零した。
「そう、だね。何も確証は無かったけど……うん。あの問屋さんに行った時にちょっと、そう思ったんだ」
問屋さんの前で一歩踏み出せず、立ち尽くしていた桜崎さん。
普段からそつのない桜崎さんならあんな仕事、朝飯前だったはずだ。
でも、そうじゃなかった。だからピンときたんだ。
「っ!? そっ……か、だからあの時あたしの代わりに、店長さんと話してくれたの?」
桜崎さんはあの休日の記憶を思い出したのか、驚いたような声色で言葉を紡ぐ。
僕はなんだか気恥ずかしくなって、慌てて口を動かした。
「あ、いや、別にたいしたことじゃないよ。桜崎さん優秀だし、別に僕がやらなくても結果は変わらなかったと思う」
僕は慌てて言葉を紡ぎ、一体何を弁解しているのかわからないが、とにもかくにも桜崎さんの誤解を解きたかった。
僕は別にそんな立派な男じゃない。あの時だって、桜崎さんがなんとなく辛そうだったから、先に話しかけただけのことだ。
『……っもう、なんか、もう。ばか……!』
「???」
桜崎さんは微かな声で言葉を紡ぐと僕の背中に額を預け、制服の肩の部分を強く握る。
背中に感じる胸の鼓動は早くなり、ほんのりと暖かくなっていく。
僕はその現象が不思議で、頭に浮かんだままの言葉を桜崎さんにぶつけた。
「あの桜崎さん。なんか体温上がってるけど大丈夫? 疲れちゃった?」
「っ!」
「お、わ!?」
僕の制服の肩はさらに強く握り締められ、背中に感じる胸の鼓動がさらに早く強くなっていく。
本格的に心配になった僕は少しだけ後ろを振り向き、その顔は確認できないまでも言葉を続けた。
「だ、大丈夫!? だいぶ体温が高くなってるみたいだけど……少しどこかで休憩しようか!?」
まずい。やっぱりどこか、怪我をしていたんだろうか。それとも、具合が悪いんだろうか。
今度は僕が顔面蒼白になりながら、必死に桜崎さんへと言葉を紡ぐ。
桜崎さんはさらに強く僕の服を握り締めてその額を僕の背中に当てると、消え入りそうな声で言葉を返した。
『っだいじょうぶ、だから。もう、ゆるして……!』
「???」
桜崎さんは少し涙声になりながら、消え入りそうなその声で言葉を紡ぐ。
僕は頭に疑問符を浮かべるが、本人が大丈夫と言っているのを無視もできない。
とりあえず沈黙をもって答えとし、僕はそのまま夕暮れの街を先に進んだ。
「「…………」」
そして僕と桜崎さんとの間に、再び沈黙がおりてくる。
しかし同じ沈黙のはずなのに、さっきまでとは少し雰囲気が違う。
何か暖かいような不思議な感情が、僕の中に微かに生まれていた。
それが何かわからず首を傾げていると、背後から再び綺麗な声が響いてきた。
「さっきも話したけど……あたし、男の人が嫌い」
「―――うん」
どこか決意を帯びたような桜崎さんの声に対し、僕は出来るだけ気負わずに返答する。
静かに早い鼓動を背中で感じながら、僕は黙って桜崎さんの言葉を待った。
「でも今回の事で、よくわかった。男なんてすぐ暴力を振るって、女の身体のことしか考えてなくて……だから“嫌い”だって思ってた。でもそんなの格好つけてるだけで……本当はただ“怖かった”だけなんだって」
「…………」
自分自身を自嘲しているような桜崎さんの声を悲しく思いながらも、僕は無言のまま足を前へと進める。
眩しい夕日に目を細めていると、やがて桜崎さんは一度大きく息を吸い込んで言葉を続けた。
「でも今日はあたしも変わらなくちゃって、そう思えた。クラスの男子とも、その、関わっていこうって……ちょっとだけだけど、ね」
どこか気恥ずかしそうに紡がれた、桜崎さんの言葉。
僕は心臓が飛び上がるほどの喜びを感じ、満面の笑みで言葉を返した。
「そっか、うん。それがいいよ! うちのクラスの男子は、みんないいやつだからね!」
僕は異性に対して塞ぎがちだった桜崎さんが視界を広げてくれたことが嬉しくて、思わず大きな声で返事を返す。
しまった。ちょっとテンション上がりすぎたかな。
でも桜崎さんが男子と打ち解けてくれればクラスの雰囲気はよくなるし、何より僕自身凄く嬉しい。
せっかく同じクラスになれたんだから、みんな一緒に桜川祭を盛り上げたいもんね。
「ん……うん。ありがと……」
桜崎さんは僕の背中に顔を付け、小さく言葉を紡ぐ。
僕はそんな桜崎さんの様子を嬉しく思いながら、さらに言葉を返した。
「うん。桜崎さんのこと僕も応援するよ。だから頑張ろうね!」
男女の間に元々壁は無かったが、桜崎さんと男子の間には明らかに壁があった。
それを取り払うことなんて無理かと思ったこともあったけど、僕の行動が少しでも桜崎さんが変わるきっかけになったなら本当に嬉しい。
もっとも桜崎さんは、ほとんど変わる必要なんて無いくらい完璧だったんだけどね。
―――ん? ちょっと待て。この流れなら、あずきの事も頼めるんじゃないか?
何故かわからないけど、桜崎さんは僕の話を聞いてくれるようになった。今の状態なら、あずきと仲良くなってもらうのも可能なんじゃないだろうか。
僕は一度大きく息を飲んで覚悟を決めると、緊張して震える口元で言葉を紡いだ。
「あっあの、桜崎さん。ぶしつけな事かもしれないけど……一つだけ、お願いしてもいいかな」
あずきの事を切り出すなら、今しかない。
僕は自分の中にある勇気を奮い立たせて、桜崎さんへと言葉を紡いだ。
「ふぇ!? う、うん。さっきは助けてもらったし、その、いい……よ」
「???」
背中に感じていた桜崎さんの鼓動が一度大きく跳ね上がり、そこから加速度的に鼓動が早く強くなっていく。
心なしか体も暖かくなっているみたいだけど……いや、今はまず話を続けよう。
「その、クラスメイトのあずき―――望月さん、いるでしょ? 彼女と……」
「???」
いや、ちょっと、ちょっと待て。
僕が今ここで、あずきと仲良くしてくれって頼んだとして、それで桜崎さんが、あずきと仲良くなってくれたとして、それでどうなる?
人と人が仲良くなるのに、友情を築くのに、第三者の手が入って本当に良いんだろうか。
そもそもそんなの、仲良くなったなんて言わない。そもそも“仲良くしてやってくれ”なんて、僕は一体何様のつもりなんだ。
「…………」
僕は本当に今更ながら迷ってしまい、次の言葉が喉の奥から出てこない。
こんな大事な時に上手く回ってくれない自らの頭の悪さを僕が呪っていると、今度は桜崎さんが言葉を紡いだ。
「あの―――も、望月さんとはもしかして、付き合ってたりする……の?」
「???」
背中に感じていた桜崎さんの鼓動はさらに強く速くなり、驚いた僕は思
わずピクリと体を震わせる。
質問の意味がわからないけど、僕とあずきってそう見えるのかな?
いや、良いところで兄妹が限界じゃないだろうか。
もちろんあずきの事は好きだけど、恋人同士には見えないと思うんだけどなぁ。
「っ、や、やっぱり、いい! 答えなくて! なに言ってんだろ、あたし……」
「???」
突然桜崎さんは質問を撤回し、その身体の体温をさらに跳ね上げていく。
いや、まあともかく今は桜崎さんの質問に答えよう。別に隠すようなことでもないんだ。
「んー、あずきとは別に、付き合ってるわけじゃないよ。確かに仲はいいかもしれないけどね」
僕はあずきの太陽のような笑顔を思い出しながら、真っ直ぐに返答する。
ここ最近の出会いの中でも、本当に良い出会いをしたとそう思える。あずきはそんな女の子だ。
「っ! そ、そう。そう、なんだ……」
「???」
背中に感じていた激しい動悸が収まり、代わりに暖かな体温が柔らかな感触から伝わってくる。
短い期間に素早く変わっていく桜崎さんの体調を不思議に思い、僕は頭上に疑問符を浮かべた。
「あっ!? おおーい信どのぉ! 信どのも今帰りでござるかー!?」
「あ、あずき!?」
「っ!?」
まるで僕の驚きに呼応するように、桜崎さんの鼓動も一度大きく跳ね上がる。
驚いたな……噂をすれば影とは、よく言ったもんだ。
あずきはぶんぶんと手を振りながら、元気な様子で僕に向かって近付いてきていた。




