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第4話:我が家と姉とブルマ

「や、やっと、着いた」


 僕は朦朧とする意識を引きずりながら、あまり久しぶりでもない我が家を見上げる。

 この子の体重が軽かったおかげで、この暑さの中でもすぐに到着できた。これは不幸中の幸いだったな。


「いやいや。それより早く涼しい部屋で休ませてあげないと……」


 女の子の呼吸は大分安定してきているようだけど、それでも整っているとは言い難い。

 僕は慌てた手つきでドアノブに手を伸ばすと、玄関のドアを開いて声を張り上げた。


「ただいま! 刹那姉ちゃーん! 刹那姉ちゃーん!?」


 僕は両手が塞がった状態で大声を出し、2階の洗濯物干し場にいるはずの刹那姉ちゃんを呼び出す。

 そんな僕の言葉を聞いた刹那姉ちゃんは、驚いたような声を返してきた。


『え!? あんたもう買ってきたのー!?』


 刹那姉ちゃんは洗濯物干し場から大声を出し、僕に向かって返事を返す。

 僕はどう説明したものかと頭を悩ませるが、やがて言葉を返した。


「んー……とりあえず降りてきてくんない!? リビングにいるからさー!」


 女の子を抱きかかえたこの状況。言葉だけで説明するのも面倒だし、この子を抱えている状態であまり大きな声は出したくない。

 まあ刹那姉ちゃんは怖いけど基本優しいし、すぐに降りてきてくれるだろう。そうすれば、この子の介抱もお願いできるはずだ。


「さすがに僕が着替えさせるわけにもいかないもんなぁ」


 女の子は制服らしき服を着ており、真夏なのに何故か厚手の赤いマフラーを巻いている。

 汗も相当かいているようだしできれば着替えさせてあげたいけど、それは僕にできる事じゃないもんな。


「う、うう……」

「ん、ちょっと意識戻ったか? でもまだ具合悪そうだな」


 両腕に抱えた女の子は腕の中でもぞもぞと動き、マフラーの下からくぐもった声を漏らす。

 小豆色の髪は玄関の人工的な明かりに照らされて輝き、その輝きを見た僕はやるべきことを思い出した。


「っと、何ぼーっとしてんだ僕は。とにかく今はこの子を寝かせてあげなきゃ」


 マフラーに突っ込んだ缶ジュースだって、さすがにぬるくなってきている。

 早いとこ氷枕の一つでも作って、涼しい部屋に寝かせてあげないと。


「よっこいしょっと。両手塞がってるの意外と不便だな」


 僕は足を使って片方ずつ靴を脱ぐと、我が家のフローリング張りの廊下を歩いていく。

 出来れば水分補給もさせてあげたいが、まあそれは目が覚めてからだろう。


「あ、そういえばきな子姉ちゃんは……まあ、今はまだ風呂掃除中かな」


 一瞬嫌な予感が頭をよぎるが、すぐにその懸念は吹き飛ばされた。

 僕が外出してからそれほど時間も経ってないし、今頃はまだ風呂掃除の真っ最中だろう。


「いやー、しかしこれは好都合だ。寝かせた後ならまだしも、女の子を抱えてきたところをきな子姉ちゃんに見られたら、あらぬ誤解を生みそうだからな」


 いくら見た目がちっこいとは言え、女の子を抱えて家に帰ってきたとなればあの姉ちゃんが動転しないわけがない。

 事情を説明するのに何時間を要するか、想像するのも怖いくらいだ。


「まぁ今はともかく、僕に出来ることをしよう」


 急ぎ足で廊下を進んだ先にあるリビングのドアを手の甲で器用に開け、クーラーの効いているリビングへと一歩踏み出す。

 それと同時に涼しく爽やかな風が、僕と女の子を包み込んだ。


「ああ。まさにここは天国。いやヘブンと言い換えても良い。ここに来ればこの子の容態だって、一瞬で良くな……る……」

「…………」


 ドアを開いたその先に、きな子姉ちゃんがいた。

 それはまあいい。風呂掃除が終わったのかもしれないし、これからしに行くところかもしれない。だからリビングにいたって不思議ではない。

 でも、でもさあ……

 ―――なんで姉ちゃん、ブルマに片足突っ込んでんの?

 ―――なんで姉ちゃん、パンツ丸出しなの?

 ―――そして何? その顔。僕初めて見たよ。姉ちゃんのそんな唖然とした顔。びっくりした時の顔文字みたいな顔になってるじゃん。まさか現実世界で顔文字を見られるとは思わなかった。


「ワアアアアアアア!?」

「うわああああああ!?」


 姉ちゃんはブルマに片足を突っ込んだ不安定な体勢のままケンケンをし、唖然とした表情のまま大声を張り上げる。

 その様子に驚いた僕は、思わず同じくらいの声量でそれに応えてしまった。

 いや、え……何これ? パンツ一丁でブルマに片足突っ込んでるって、どういう状態? どんな加護を受けたらこんな行動に走るの?

 思考が全然ついてこない。これるわけがない。


「おっ……おっ……わああああああああ!?」

「いやあああああああああああああああ!?」


 姉ちゃんはケンケンした状態で何故か涙目になりながら、僕に向かって突撃してくる。

 いやっ!? 何これ怖い! 誰か男の人呼んで! ストロングな感じの人を!


「ね、ねねね姉ちゃん! 一体どうしたんだよ! そのブルマ何!? どういう運命でそうなったの!?」


 僕は女の子を抱えたまま必死に部屋の中を逃げ回り、背後の姉ちゃんへと言葉をぶつける。

 意味不明なこの状況でも、せめて言葉くらいは通じてくれと切に願った。


「おっ……とっ……あぶっ……!? わああああああああ!?」

「いやあああああ!? 駄目だ、言葉通じてない!」


 とにかく怖い。ブルマに片足引っかけて弟に突っ込んでくる姉が怖い。

 銃とか幽霊とかの類の怖さじゃなく、普通に怖いんですけど。

 そうして追いかけっこをしていた僕ときな子姉ちゃん。そんな二人の間を取り持つように、リビングのドアが勢い良く開かれた。


「ったくさっきからうるさいわね。一体なんだっ……て……」


 リビングのドアが開き、刹那姉ちゃんが部屋へと入ってくる。

 女の子を抱きかかえながら走り回る僕と、それを追い回すブルマに片足を突っ込んだきな子姉ちゃん。


「…………」


 刹那姉ちゃんは普段から鋭い眼光をさらに鋭くしてその様子をじっと見つめ、状況を理解しようと顔をしかめる。

 三者三様のその姿は、きっと後世に残るシュールさだったに違いない。


「せ、刹那姉ちゃん! きな子姉ちゃんを止めてくれ! 理由は後で話すから!」

「あー、わかったわかった。なんとなくだけど、状況がわかってきたわ……」

「マジでか! 姉ちゃんエスパー!?」


 ほんの数秒見ただけで状況を理解するとは、さすが刹那姉ちゃん。

 当事者の僕ですら全くわかってないんだけど。


「はあ。とりあえず、姉さんを止めないとね……」


 刹那姉ちゃんは暴走するきな子姉ちゃんの進路を予想し、そこにスタスタと歩いていく。

 やがて奇声を発したきな子姉ちゃんが、刹那姉ちゃんの元へと突っ込んできた。


「あっちょっ!? せっちゃんどいてええええ!!」


 きな子姉ちゃんは涙目になりながら、ケンケン状態で刹那姉ちゃんへと突っ込んでいく。

 刹那姉ちゃんはため息を一つ落とすと、鋭い眼光のまま言葉を紡いだ。


「姉さん、安心して。ちゃんと止めてあげるから。水面蹴りとボディブロー、どっちがいい?」


 指をボギボギと鳴らしながら、拳に力を溜めていく刹那姉ちゃん。

 何か得体の知れない光が拳に集まってる気がするんだけど、気のせいかな?

 せめて刹那姉ちゃんだけは人間でいてほしいんだけど。


「ちょっ!? 止め方が全部物騒だよせっちゃん! 止まらなきゃあたし! とまっ……あああああ!!」


 きな子姉ちゃんは涙目になりながら必死に足を踏ん張るが、靴下を履いた状態のフローリング上でそれほどブレーキがかかるはずもなく、無情にも刹那姉ちゃんに突っ込んでいく。

 ああ、さよならきな子姉ちゃん。今まで楽しかったよ。


「ぐっ……あきらめて、たまるかぁぁぁぁぁぁ!!」

「おおおおお!?」


 きな子姉ちゃんはブルマに片足を突っ込んだ状態で高くジャンプし、空中で見事な一回転。

 そのままブルマを強く掴み―――


「せいやああああああ!」

「履いたああああああ!」


 きな子姉ちゃんは空中で一回転しつつ、膝の辺りでストップしていたブルマを完全に履ききる。

 すげえ。一瞬姉ちゃんがスローモーションで見えたよ。その姿は変態そのものだったけど。


「いででででで!」

「派手にこけたぁぁ!」


 うわ……膝からフローリングに着地して、そのまま滑っちゃったよ。

 あれ痛いんだよな。ひどい擦り傷になるし。


「ふーっふーっ。あちちちち! なんかめっちゃヒリヒリする!」


 きな子姉ちゃんはようやく制止した場所で膝を抱え、患部に息を吹きかける。

 涙目になっているところを見ると、本当に痛そうだ。


「ああもう、何やってるんだか……」


 刹那姉ちゃんはいつのまにか救急箱を手に持ち、擦り傷を負ったきな子姉ちゃんの患部に消毒薬を付ける。

 体操服しかもブルマの姉が部屋にいるというのはなかなかシュールな図だな。いい加減誰か説明してくれないだろうか。


「まったく、風呂掃除が上手くいかなくて服装が悪いのかと考え、タンスの奥から引っ張り出したブルマ履こうとしたら信がリビングに入ってきてびっくりして暴れるなんて、姉さん間抜けすぎるわよ」

「なるほど。適切な説明ありがとう刹那姉ちゃん」


 刹那姉ちゃんのマシンガン解説には頭が下がる。本当に出来た人だよこの人は。ていうか何できな子姉ちゃんの行動が理解できるんだろう。

 弟の僕が言うのもなんだが、この姉妹は生まれる順番が逆な気がする。


「いやーまいったまいった。膝が焼け焦げるかと思ったよー」


 きな子姉ちゃんは相変わらず脳天気な笑顔で、ぽりぽりと頭を掻く。

 とりあえず無事みたいだからいいけど、姉ちゃんは危なっかしすぎるよ。


「ていうかきな子姉ちゃん大丈夫? 立てる?」


 僕はきな子姉ちゃんに駆け寄り、患部の様子を確認する。

 擦り傷になってて痛そうだけど、とりあえず日常生活に支障はなさそうだ。


「大丈夫よ信ちゃん。私は独り立ちできる女。キリッ」

「うるさいよ」


 眉間に皺を寄せて珍しく真面目な顔をしたかと思えば、何を言っているんだこの人は。

 ブルマ履きかけの状態で弟を追いかけまわす人は少なくとも独り立ちできないと思います。

 とりあえず僕は座っている姉ちゃんに手を伸ばそうと、右手を伸ばす―――が、よく考えたらそりゃ無理だ。

 そもそも今、両手塞がってるんだもんな。


「おおおおっ!? やばい、すっかり忘れてた!!」


 両手に抱えた女の子はもぞもぞと動き、寝苦しそうに喉を鳴らす。

 冷房の効いた部屋に来たおかげで少しはマシになったみたいだけど、油断はできないな。


「「おおっ!? ちゃん、その子だれ!?」」

「こういう時のシンクロはすごいな! いや、僕もこの子が誰かはわかんないんだけどさ……」


 何せついさっき道で拾ってきた子だし、名前はおろか声すら知らないよ。

 むしろ教えてほしいくらいだ。


「ん、その子。もしかして具合悪いんじゃない?」


 刹那姉ちゃんは女の子の額に手を当て、体温を測る。

 鋭い眼光で女の子を射抜くと、無言でリビングの横にある和室へと歩いていった。


「とにかくその子、こっちに寝かせてやんなさい。姉さんは―――」

「うへへ、わかってますぜ。氷枕ですねアニキ! 任しておくんなさい!」


 きな子姉ちゃんは刹那姉ちゃんへ敬礼を返し、そのまま冷蔵庫に向かってダッシュしていく。

 なんだかんだでチームワークが良いのは、我が家の誇るべきポイントだ。


「ちょっと、何ボーッとしてんの? あんたがしっかりしなくちゃダメでしょ」

「あ、ああ。ごめん」


 僕はリビング横の和室へと女の子を運び、刹那姉ちゃんが敷いてくれた布団へ女の子を寝かせる。

 ずっと抱えっぱなしで悪いことしたな……まあ、あのまま炎天下に放置されるよりはマシだと思って勘弁してほしい。


「ヒャッハー! 氷だ、氷枕だ! こいつで冷え冷えにして具合良くなっちまうぞコラァ!」


 変なスライディングタックルをしながら、きな子姉ちゃんは氷枕を運んでくる。

 きな子姉ちゃんは本当にすごいなぁ。普通に動いてるところ見たことないよ。


「はあ。静かにして、姉さん。この子寝てるんだから」


 刹那姉ちゃんは頭を抱え、きな子姉ちゃんに注意する。

 とりあえずは一段落できたけど、この後事情を説明する事を考えると気が重いよ。


「さて―――信。この子一体誰なのか、説明してもらえるわよね?」

「あい……」


 刹那姉ちゃん。いやお姉さま。目が笑ってないっす。

 まあ、もともと剣客みたいな目付きしてるわけだけど。


「おおっ!? 迫っちゃう!? ついにそこ聞いちゃうせっちゃん! ふへへ、盛り上がってきたぜぇ! これから2人のお姉さんが根堀り葉掘り―――」

「あ、姉さんはその子のこと見ててくれる? 話がこじれるから」


 刹那姉ちゃんは胸の下で腕を組んだまま、ばっさりときな子姉ちゃんを切り捨てる。

 なるほど、懸命な判断だ。僕にやましいことなんて一つもないけど、きな子姉ちゃんの場合どんな勘違いをするかわかったもんじゃない。


「うぼおおおい!? せっちゃんそりゃ無いよぉ! あたしだって信ちゃんのラブラブのろけ話聞きたいもの!」

「誰がラブラブじゃい! 多分その期待には答えられねえですよ!」


 彼女いない歴=年齢のボク様に向かって何を言うかねこの人は。

 いくらモテないからって女の子を拾ってくるわけないでしょうが。


「ふう。その様子だと、知り合いってわけじゃなさそうね。一体あの子どうしたのよ?」


 刹那姉ちゃんは頭を抱え、ため息を落としながら僕に質問する。

 まあ、ありのままを報告するしかないよなぁ。


「ああ、買い物に行く途中の道でこの子が倒れてたんで、こりゃ大変だと思って連れてきたんだ。熱中症みたいだったしね」


 僕は身振り手振りを交え、なんとかわかってもらおうと言葉を紡ぐ。

 とりあえず嘘は言ってないし、要点は伝えた。刹那姉ちゃんならこれでわかってくれるだろう。


「ふーん、なるほどね。あんたにしては良い事したじゃん」

「ほっ……」


 良かった、わかってくれたみたいだ。さすがは聡明な刹那姉ちゃん。


「ふむふむ……つまり二人は結婚を誓い合った仲と。そういうわけですな」


 良かった、全然伝わってないみたいだ。さすがは馬鹿なきな子姉ちゃん。今日も平常運転だ。


「てかきな子姉ちゃん! さっきも言ったけど僕とその子他人だからね!?」


 すやすやと眠る女の子を指差し、思わず声を荒げる。

 くそぅ。きな子姉ちゃんに事情を説明するって、それどんな苦行だよ。


「やー、にしてもこの子可愛いねえ。私にも2人目の妹ができるのかぁ。うんうん」

「キイテナーイ!」


 きな子姉ちゃんはつんつんと女の子のほっぺを突っつき、幸せそうにホクホクと笑う。

 刹那姉ちゃんはため息を落とすと、まるで猫を持つようにきな子姉ちゃんの首根っこを掴んで持ち上げた。


「はいはい、その子起きちゃうから。姉さんはちょっと黙ってて」

「おふ。せっちゃんちべたい……」


 刹那姉ちゃんはしょんぼりとした顔のきな子姉ちゃんをずるずると引きずりながら、廊下に向かって歩いていく。

 僕は唖然としながらその姿を見送っていたが、やがて重大な事実に気付いて声を張った。


「ち、ちょっと待った姉ちゃん!! 僕一人にすんの!?」


 女の子と二人って、変に緊張するんだけども。

 なにより、起きていきなり泣き出されたりしたらどうすりゃいいんだ。


「大丈夫でしょ、よく眠ってるし。アタシたちはこれから洗濯の続きをするから、あんたはその子のこと見てなさい」


 刹那姉ちゃんは適当に片手を振り、廊下へときな子姉ちゃんを引きずっていく。

 きな子姉ちゃんは能天気な笑顔を浮かべ、「ばいびー」と手を振りつつ廊下へと消えていった。

 静かな和室には女の子の呼吸音だけが響き、茫然とした僕は二人が消えていったドアをただ見つめる。

 いや、まあ……大丈夫か。確かによく眠ってるし、そうそう起き―――


「う、ん、ここは……?」

「…………」


 突然目を覚ます女の子と、石化する僕。

 声を出すことすらできず、僕はその場で硬直し続けていた。

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