第39話:彼女を抱いて走れ
「なんなのよ、あんた。なんであんなこと……! 馬鹿じゃないの!」
「桜崎さん……」
桜崎さんは震える身体を抱きながら、小さく言葉を落とす。
僕は困惑したその表情を直視できず、目を伏せた。
そうだよな……あれだけ頭を下げた後で結局猛に助けられて、滑稽にもほどがある。
きっと桜崎さんにも、呆れられてしまったんだろう。
「あたしなんかのために、土下座なんて……なんで!? なんでよ!」
「えっ!? あ、えっと……」
想像していなかった質問をぶつけれた僕は、混乱して視線を左右に泳がせる。
しかしなんでと言われても、理由なんて一つしかない。
クラスメイトの女子が困ってればそりゃ助けるだろう。手段は違っても誰だってそうすると思う。
僕は身体の丈夫さには自信があったから、あえて土下座を選んだ。
ただそれだけのことだ。
「なんでって言われても困るけど……まあ、ほら、桜崎さん困ってたでしょ?」
僕は桜崎さんを怖がらせないよう、出来るだけ朗らかに笑いながら言葉を返す。
これでちょっとでも、雰囲気が軽くなってくれればいいんだけど。
「っ、そりゃ、そうだけど……! 一体どうなるか、わからなかったのに……!」
桜崎さんは瞳の中に涙をいっぱいに溜めると、今にも泣き出しそうになるのを奥歯を噛み締めて耐えている。
やばい。やばいやばいやばい。ここで泣かれちゃったら、一体何のために来たのかわからないぞ。
僕は動揺した頭をフル回転させて、どうにか言葉を紡いだ。
「あっ、ご、ごめんね。大丈夫だよ。えっとほら、ちょっと鼻血出ただけだし、頭の傷もどうせすぐ塞がるし……ね? 大したことないってばさ!」
僕は慌てて顔に付いていた血を袖で拭うと、歯を見せて笑いながら出来るだけ明るく言葉を発する。
桜崎さんは拭われた血を見ると、ついにポロポロと雫のような涙を溢れさせた。
「ばがぁ……っ! なんでぞんな、あがるいのよぉ! ひっぐ、血、いっぱい、でてるし。しんじゃうかも、だし……!」
桜崎さんはとうとう顔をぐしゃぐしゃにしながら、両手で必死に涙を拭いながら声を荒げる。
しゃくり上げた状態で息苦しそうに言葉を紡ぐその姿に僕の胸は締め付けられ、慌てた手つきで血を拭い続けた。
「あ、いや、大丈夫だよ。ほら、もう血止まったし、かさぶたになってるもん」
僕は少しだけ屈むと、切れてしまった頭頂部を桜崎さんに見せる。
ううむ。身体の丈夫さというか、再生能力の高さにここまで助けられる日が来ようとは思いもしなかった。
お母さん、僕を頑丈に生んでくれてありがとうございます。
「ひっぐ。ほ、ほんっ、と……?」
桜崎さんは少しだけ落ち着いたのか、変わらず涙を流しながらも心配そうに首をかしげる。
ぐーっと背伸びをして僕の頭頂部を見つめると、少し納得した様子で息を落とした。
「ふっう……ほんと、だ……っ」
桜崎さんはしゃくり上げながらも、どこか安心したように瞳を伏せて何故か再び溢れそうになっている涙を必死で堪えている。
僕はすかさず身なりを整えると、出来るだけ明るく言葉を続けた。
「えっと、心配してくれてありがとう。でも大丈夫だよ。僕ほら、実家が道場でさ、ちょっと鍛えてるんだ」
僕は努めて自然に笑いながら腕をぐっと曲げ、力こぶを作ってみせる。
とにかく今は、桜崎さんを安心させてあげなきゃ。それ以外のことなんて後回しでいいんだ。
「ひっく。そう、なの……?」
桜崎さんはまだ少ししゃくり上げながらも潤んだ瞳のまま小首を傾げ、どこか不思議そうに僕を見つめる。
僕は再び笑顔を見せ、出来るだけ柔らかに言葉を紡いだ。
「うん。だからもう、大丈夫だよ。怖かったよね……ごめん、桜崎さん」
僕は申し訳なくて、桜崎さんの目を真っ直ぐに見つめて改めて謝罪する。
ああいう事態に遭遇したとき、猛や刹那姉ちゃんならそつなく回避するんだろうけど……僕は駄目だな。不器用すぎる。
結局桜崎さんを、怖がらせる結果になってしまった。
「っ……その、べつに、あやまらなくてもいい、から……」
「???」
桜崎さんは頬を赤く染め、目付きを鋭くしながら涙を拭って僕から視線を逸らす。
まずいな……もしかして、熱でもあるのか? それともどこか、怪我をしたとか?
「あの、桜崎さん大丈夫? 顔が真っ赤だよ?」
あまりのストレスで熱が出たか、あるいは疲れてしまったのか。
外傷は見当たらないから恐らく大丈夫だとは思うんだけど……
とりあえずもう少し、近くで見たほうがいいかな。
「!? だ、大丈夫! だいじょうぶだかりゃ!!」
「そ、そう」
桜崎さんはぶんぶんと手を横に振り、近くで様子を見ようとする僕を制止する。
あ、そうか僕も男だもんな。近づくのは自重しなくては。
しかし相変わらず気が利かないというかなんというか。自分の鈍感さには嫌気が差す。
「さて、そろそろ行かなきゃかな。猛―――あれ?」
傍にいたはずの猛が、いつのまにか消えている。
先に教室へ帰ったのかな……まあ、お礼は明日の朝言えばいいか。
「えっと、桜崎さん。そろそろここを離れようと思うんだけど……」
「えっ!? あ、う、うん!」
桜崎さんは混乱しているのか、まだ少し紅潮している頬のままコクコクと頷く。
こんな薄暗い校舎裏にいつまでも居たら、またどんな奴に絡まれるかわかったもんじゃない。
とりあえずこの場は、離れた方がいいだろう。
「じゃ行こうか、桜崎さん。……桜崎さん?」
僕の呼びかけに返事は無く、桜崎さんは少し頬を膨らませてぷるぷると震えながら、両足に力を込める。
しばらくするとその場に、ぺたんと尻餅をついてしまった。
「さ、桜崎さん! 大丈夫!? どこか怪我を!?」
僕は血の気が引く思いで桜崎さんを見つめ、両手をわたわたと動かす。
ああもう、こんなときどうすればいいんだ。それほど彼らには触れられてなかったと思うんだけど……一体何処を怪我したんだ。
「あ、ち、ちがう。こ、腰が、ぬけちゃって……」
桜崎さんは自分でも驚いているのか、震える両足に力を込めて立ち上がろうとするが、一向に立てそうな気配はない。
僕は安堵して少しだけ息を落とすが、やがて遠くから人の声が響いてきた。
まずいな、こんな人気の無いところに来るなんてまた不良グループかもしれない。ここは強引にでもこの場を移動するしかないか。
「ごめん、桜崎さん。ちょっとの間我慢してね!」
「えっ……あ!?」
僕は桜崎さんを抱き抱え、校舎裏を走り抜けていく。
とにかくあの場を、離れなければ。今はそれが最優先事項だ。
「あ、あの。わっ……!?」
桜崎さんは安定しない僕の腕の中で咄嗟に僕の首に手を回し、自らの身体を固定する。
安定させるのは無理そうだけど、仕方ない……とにかく今はこの場を離れよう。
僕は両足に力を込め、再び全速力で駆け抜けていく。
傾き始めた太陽を尻目に、僕は口の中の鉄の味を噛み締めながら学内を走り抜けていった。




