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第38話:土下座

「くそっ。なんてことだ……!」


 声のした方向に駆け寄ると、そこでは二人の男と口論する桜崎さんの姿があった。

 嫌な予感に限っていつも当たってしまうとどこかの誰かが言っていたが、この予感だけは当たって欲しくなかった。


「だから、行かないって言ってんでしょ!? 耳が腐ってるわけ!?」

「いやいや、ちょっと遊ぶだけなんだからさぁ。な? いいじゃん。楽しませてやるって!」


 桜崎さんは壁に背中を預け、二人の男と口論を続けている。

 あの状態では恐らく、逃げ場も無いだろう。


「チッ。なあ、行こうぜぇ? ぜってー楽しいから!」


 男はいつまでも自分の誘いに応じない桜崎さんの様子に苛立ち始め、言葉が段々荒っぽくなっていく。

 桜崎さんは少しずつその顔を青くしながら、搾り取るように言葉を返した。


「は、はぁ? だから行かないって言ってるじゃん。もしかしてあんた耳だけじゃなくて、頭まで腐ってるの?」

「なっ、こいつ……!」

「っ!? まずい!」


 男性は桜崎さんの言葉に逆上して眉間にシワを寄せると、一際大きな口を開けて桜崎さんに言葉をぶつけようとする。

 考えるよりも先に僕の体は動いていた。


「あ、あの、すみません! その子、うちのクラスメイトなんです!」

「っ!? あ、あんた、何でこんなところに……」


 桜崎さんは突然現れた僕に驚き、震えはじめた体を抱きしめながら言葉を紡ぐ。

 結局間に合わなかったその様子に僕は奥歯を噛み締めると、二人の男へと近づいていった。


「はぁ? 誰だお前。この女のクラスメイトぉ?」


 男はさらに苛立ちを募らせ、僕を睨みつける。

 僕はそんな男の目を見返すと、返事を返した。


「ええ、そうなんですよ。実はこれから僕と一緒に見回りをする約束があって……ね? 桜崎さん」


 僕は咄嗟に思い付いた言葉をそのまま吐き出し、桜崎さんへと顔を向ける。

 桜崎さんはポカンとしながら、かろうじて口を動かした。


「えっ? あ、ああ。えっと―――」

「いやいやー。それは通らないっしょ。彼女は俺らと約束してたんだし。なぁ?」

「おう、そーだよ。クラスメイトだか何だか知らねえけど、邪魔すんなよな」


 桜崎さんの言葉を遮り、二人の男はニヤニヤと笑いながら言葉を紡ぐ。

 いや、さっきまでの状況から察すると桜崎さんは明らかに嫌がっていた。

 そうなればここは、引き下がるわけにはいかない。


「いやぁ、申し訳ない。桜崎さんとは本当に僕と約束があるんですよ。だから―――」

「あっ!?」


 桜崎さんの驚いたような声が、路地裏に響く。

 僕の視界が一瞬揺れ、頬にヒリヒリとしたむずかゆい痛みが走る。恐らく男にビンタでもされたんだろう。

 その揺れた視界の中に、驚いて両目を見開いた桜崎さんの表情が見えた。

 まずいな……怯えさせてしまったか。

 僕の前に立っていた男はその右手を振り抜いた状態のまま、僕を睨みつけていた。


「うっせーな。この子は俺らと遊ぶって言ってんだろ? わかったらさっさと帰れや」

「ぷくくっ。お前いきなりビンタとか、マジひでーな」


 僕の頬を叩いた男は言葉を続け、隣の男は口元を押さえて笑いをこらえる。

 なるほど、よくわかった。

 どうやらこの人達に説得は無理みたいだ。

 だったら僕のやることなんて―――ひとつしか、ないじゃないか。

 僕は両膝を落とすと汚れた道に膝をつけ、両手と頭を硬いアスファルトに突き立てると再び口を開いた。


「お願いします。桜崎さんを、解放してください」


 アスファルトに浮いた土埃が顔に付いても、冷たいそれが僕の体温を奪ってもいい。

 桜崎さんの安全を守れれば、それでいいんだ。


「なに、やってんの……何やってんのよ、あんた! こんな奴らに土下座なんて……!」


 少し遠くから、震えた桜崎さんの声が聞こえる。

 僕はさらに頭をアスファルトに擦り付け、言葉を続けようと口を開いたが―――


「……うぜーよ、お前。この子は俺らと一緒に遊びたがってんの。わかる?」

「うっは。お前土下座してるやつの頭蹴るとか、マジ鬼畜じゃん」


 僕の脳は一瞬横に揺れ、固定されていた視界が左右にブレる。

 アスファルトに擦り付けていた額には擦り傷が出来てしまったのか、薄い赤色がアスファルトを染めた。

 でも、だからってやめるわけにはいかない。


「おねがい、します。桜崎さんを開放してください……」


 僕は下げている頭を上げることなく、再び深く頭を下げる。

 擦り傷になってしまった額がアスファルトに衝突し、鈍い痛みが走った。

 それでも桜崎さんが泣いてしまうより、ずっといい。


「もう、やめて……。やめてよ! あんたなんかいなくたって、あたしは大丈夫だから。だから、やめて……!」


 ほとんど涙声になってしまった桜崎さんの声が、僕の耳に響く。

 僕は結局桜崎さんを泣かせてしまった悔しさに両手を握り締めると、さらに額をアスファルトに押し付けた。


「……はぁ。わかったよ、そこまで頼まれちゃしょうがねえよな」

「お、おい……」


 二人の男のうちの一人が優しい声色で言葉を紡ぐ。

 僕はほっとしながら顔を上げようと、両の手に力を込める。

 よかった……本当によかった。

 これで、桜崎さんは―――


「あぐっ!?」

「っ!? いやぁぁぁあぁぁぁああ!!」


 頭を上げようとしていた僕の後頭部に固い何かがぶつかり、僕は鼻からアスファルトへと激突する。

 クラクラとする頭の奥に、桜崎さんの悲鳴と男の声が響いてきた。


「ぷっく……ば、馬鹿じゃねーのこいつ。せっかく見つけたいい女を渡すわけねーじゃん」

「ぎゃはははは! お前ほんとひでーな!」


 ふらつきながらも少しだけ頭を上げると、目の前の黒いアスファルトがどんどん鮮血に染まっていく。

 恐らく頭を踏みつけられた……か。鼻血が止まらない。


「なんっ……で。なんで、そこまで、するのよぉ……! あたしのことなんてもう、ほっといて……!」

「桜崎、さん……」


 頭を上げた視界にぼんやりと映る、泣きじゃくった桜崎さんの姿。

 ごめん、桜崎さん。君を泣かせないために来たのに、結局僕が君を泣かせてしまった。

 でも絶対に助けるから、待っていて欲しい。桜崎さんが泣くことなんて何もないんだ。


「あ? なんだこの状況。この這い蹲ってるの誰?」


 僕の背後から、さらに数人の男の声が聞こえる。

 僕は小さくため息を落とすと、再び大きく頭を下げた。


「お願いします! 桜崎さんを、開放してください!」

「チッ、こいつ、まだ……!」


 後頭部の上辺りから、苛立った男の声が聞こえる。

 僕のこんな頭くらい、いくらだって下げる。このままずっと桜崎さんを返してくれるまで粘り続ければ、とにかく僕の目的は達成されるんだ。

 僕はまだ少しクラクラしている頭をアスファルトに擦り付けると、その体勢のまま男の言葉を待った。


「あー、なんかよくわかんねーけどこいつ、うぜーな。もうボコせばいんじゃね?」

「それいーな! 丁度イライラしてっし!」

「あ……」


 後頭部の髪を掴まれ、僕は無理矢理立ち上がらされる。

 開けた視界では桜崎さんが路地裏の壁に背を預け、今にも大声で泣き出しそうな顔で微かに震えながら僕を見つめていた。

 集団で僕を殴るか……そりゃ、そうなるだろう。

 でも彼らの注意が僕に向いてくれれば、それはそれで好都合だ。

 うまくすればその隙に、桜崎さんはこの場から脱出できるだろう。


「うっし、じゃあ俺、いっちばーん♪」

「…………」


 僕の腹部に、先ほどまで話していた男の拳が捻じ込まれる。

 僕は無言でその一撃を受けるが、それでも視線は桜崎さんから離さなかった。


「やめ、て。もう、やめてよ……!」


 桜崎さんの、泣きそうな声が聞こえる。

 四方八方から飛んでくる暴力に僕の身体は揺れ、鮮血が辺りを染める。

 桜崎さんは震えたまま、壁に背を預けていた。

 まずいな……彼らの注意を僕に向ければ桜崎さんは逃げられると思っていたのに、どうやら足が竦んで動けないみたいだ。

 しかしそれも無理はない。男性に対して異様なまでの恐怖心を持っている桜崎さんにとって、この状況はどれほど辛いものだろう。

 僕は胸の奥が締め付けられるような感情に駆られ、奥歯を強く噛み締めた。


「チッ、もういーや。つまんね。いいからさっさとその子連れて遊びに行こうぜ」

「へっ、マジかよ。俺ら全員とか、その子壊れちゃうんじゃね?」

「ひっ……!?」


 男性達は僕への暴力を止め、桜崎さんへと歩み寄っていく。

 僕は心臓が大きく高鳴り、まだ鉄の味がする口を懸命に動かして言葉を紡いだ。


「!? ま、待ってください。桜崎さんは―――ぶぐっ!」

「うっせーよ、お前。そこで寝てろや」


 言葉を紡ごうとした僕の口に、突き出された男の肘が突き刺さる。

 いつのまにか切れていた頭から鮮血が垂れ、僕の視界を真っ赤に染める。

 やがてその男は、桜崎さんへと歩み寄り―――


「さ、行こっか。さくらさき、ちゃん? だっけ。ま、名前なんてどうでもいーか」

「っ!? は、はなして……!」


 桜崎さんは男に肩を抱かれて反発しながらも、どこか心配そうに僕を見つめる。

 どうすれば、いい? もう、戦うしかないのか?

 でも、僕は―――


「おーい信、大丈夫か!? 先生達呼んどいたから、もう安心だぜ!」

「た、猛!?」


 遠くから駆け寄ってきた猛から、声が響く。

 そうか、猛。桜崎さんを心配して来てくれたのか。これで安心だ。


「なっ……先生!? マジかよ……!」

「見つかるとめんどくせーな。さっさと行くぞ!」

「あっおい!? 待てよお前ら!」


 男達は桜崎さんを離し、そのまま学校の外へと駆け出していく。

 桜崎さんは助かった……のか? 猛のおかげだな。


「ごめんね、桜崎さん。怖かった……よね」

「―――あ、え?」


 僕は出来るだけ顔についた血を拭うと、未だ状況を飲み込めず震えたままの桜崎さんへと言葉を紡ぐ。

 桜崎さんは恐怖からか呆然とした表情のまま、その場を動けないでいる。

 僕はその様子に奥歯を強く噛み締め、悔しさに顔を歪めた。


「ふむ、ギリギリだが間に合ったみてーだな。こっちに真っ直ぐ来ちまったから先生を呼んだってのは嘘だが、効果はてきめんだったみてーだ」


 猛はどこか安心したように息を吐きながら、肩を落とす。

 これは、あとでちゃんとお礼をしなきゃいけないな。

 猛が来てくれなかったら僕はもう、戦うしかなかっただろうから。


「桜崎さん、大丈夫?」

「…………」


 僕は校舎裏の壁に背中を預けたままの桜崎さんに、言葉を紡ぐ。

 しかし桜崎さんは呆然と中空を見つめたまま、言葉を返してくれなかった。


「……桜崎さん?」


 僕は疑問符を浮かべながら、言葉を紡ぐ。

 桜崎さんはゆっくりと視界を僕の方に向け、震えるその口元をゆっくりと開いていた。

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