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第23話:その訳を

「……ねえ、まだ着かないわけ?」

「うーん……」


 不機嫌そうな桜崎さんの声に内心焦りながら、僕はおまわりさんに描いてもらった手書きの地図とにらめっこを続ける。

 おかしいな。豆腐屋さんはあそこだから、この先に―――あ!?


「あ、あった! あれだよあれ! ほら、“飲料卸売り”ってわかりやすく描いてある!」


 僕は小さく飛び上がりながら、桜崎さんへと声をかける。

 良かった、本当に良かった。これ以上桜崎さんの機嫌を損ねれば、本気で僕のHPがゼロになりかねない。

 もうこれ以上、精神攻撃には耐えられそうになかった。

 しかしまあ、道程は決して間違っていなかったみたいだ。むしろいくつかあるルートの中で、最短の道を選んでこれたと思う。


「……おっそ。本当役に立たないわね。もう私がさっさと話つけてくるから、馬鹿はその辺で立ってて」

「おごぉっ! は、はい……!」


 しかし相変わらず絶好調だ。桜崎さんの言葉のナイフ。

 いくら最短ルートで来れたとはいえ、女の子二人を炎天下の中歩かせた事実は変わらない。

 その暴言も、甘んじて受けなければならないだろう。

 とはいえ―――見事に胸部に突き刺さったナイフは致命傷らしく、僕は空を見上げて溢れ出そうな涙をそっと乾かした。


「あのー、すいません。飲み物を注文―――」

『くらぁあぁぁぁ! バイト! その酒はそっちじゃなくてトラックに積めって言ってんだろうが! 何度言わせるんだよ!』

『ひっ!? す、すみません店長!』

「…………」


 Oh。なんだかとっても、忙しそうな問屋さんだ。

 店の中では明らかに“男!”って感じのムキムキな店長さんが、アルバイトらしき青年に檄を飛ばしている。


「…………」

「桜崎さん?」


 桜崎さんは最初こそ勢い良く歩いていたものの、問屋の様子を見ると足を止めてその様子をじっと見つめている。

 もしかして、問屋さんが珍しいのかな。

 ……いや、違うな。あの様子は―――


「あの様子は、あの時と同じ……か」


 そう。例の“カバン飛翔事件”の折、僕が桜崎さんを連れ出した時に見せた、あの青ざめた表情。

 今、桜崎さんの顔からは血の気が引き、まるで何かを怖がっているように見える。

 しかし僕には彼女が一体何を“怖がって”いるのか、察することができなかった。


「…………」


 桜崎さんは時々意を決したように奥歯を噛み締め、問屋の方へと向おうとするが……その足が前に出ることはない。

 今まで僕が見てきた、桜崎さん。その女の子は何に対しても……特に僕に対しては、いつも物怖じせずに向ってきた。

 そんな彼女が、今は一歩前に踏み出すことができないでいる。

 先ほど僕に“立ってろ”とまで言った手前、僕に任せて引っ込むこともできないのかもしれない。

 そう。僕に彼女が何を怖がっているのか、何故前に進むことができないのか、察することはできない。

 だったら―――


「桜崎さん、悪いけど、ちょっとここで待っててくれるかな。僕、問屋さんの中でちょっと涼みたいんだ」


 だったら僕が、ピエロになればいい。

 元から嫌われているんだ。いまさら軽蔑されたところで大して変わりはしないだろう。


「は!? あんた、何言ってんの!? 私だって暑いし、桃園さんだって暑いじゃん!」


 桜崎さんは“問屋の中で涼みたい”という僕の発言に怒り、少しだけ震えながら僕を睨みつける。

 僕は頭を掻きながら、出来るだけ情けなく笑顔を返した。


「ははっ、ごめんね。僕ほら、あんまり体力ないし……あ、そうだ。あそこに日陰があるから、そこでちょっと待っててよ」

「はぁっ!? ちょっと……!」


 僕は桜崎さんの返事を聞くことも無く、問屋さんの中へと歩みを進めていく。

 とりあえず今は、強引でも事を運ぶしかないだろう。

 桜崎さんが問屋に行きたくないなら。僕にそれを頼むことができないのなら。

 全部僕のせいにして、問屋に入らない理由を作ってあげればいいんだ。


「チッ。最……っ低。女の子より体力ないわけ……? 行こう、桃園さん」

「あっ!? え、えっと……」


 桜崎さんは小声で不満を呟きながらもどうしようもないと悟ったのか、モブ子さんの手を引いて日陰の中へと歩みを進めていく。

 モブ子さんは心配そうに僕を見つめていたが、手を引かれるままに日陰へと入ってくれた。

 よかった……桜崎さんはこのお店の何がそんなに嫌だったのかはわからないけど、とりあえず変に意地を張らせずに済んだみたいだ。

 僕は意を決して問屋さんへと歩みを進め、ムキムキな店長さんへと近づいていく。

 それにしても良い筋肉だ。見慣れているとはいえ、かなり戦闘力が高そうだな。


「あのぉー、お忙しいところすみません……」

『んだぁぁぁ! だから、そっちのダンボールは一緒に詰むなって言ってんだろが! 何回言えばわかんだコラァ!』

「うわっ!?」


 問屋さんは僕の言葉に欠片も気付くことなく、アルバイトに檄を飛ばし続ける。

 駄目だ、小声じゃあの人に聞こえない。

 ここは―――


「すみません! 少しお願いがあるのですが、今よろしいでしょうか!」


 僕は大きく息を吸い込み、精一杯の大声を問屋さんの中に響かせる。

 さすがにこれだけの大声なら、問屋さんはおろか外の桜崎さん達にまで聞こえているかもしれない。


『ああん!? こんな時に誰……お!? あんた、お客さん!?』


 問屋さんは後ろに立っていた僕に気付くと、目を丸くして呆然とする。

 どうやら無視されてたわけじゃなくて、本当に気付いてなかったみたいだ。

 この反応を見る限り、あんまり怖い人でもなさそうな気がする。


「はい、お忙しいところすみません。実はご相談がありまして……」


 僕は桜川祭で大量のドリンクが必要なことや具体的な納期など、現時点で決まっていることを淡々と告げる。

 問屋さんは鍛えられた胸元から取り出したメモに僕の話をまとめると、満足げに微笑んだ。


『うっし、オッケーだ。ドリンクの準備は任せときな! 坊主、若いのにしっかりしてんな!』

「いやぁ、ははは……」


 事前に話す内容を考えていたおかげかスムーズに話は進み、どうやら円滑に終わりそうだ。

 外に桜崎さん達も待たせているし、あまりのんびりはしていられない。この結果は上々と言えるだろう。


『はっはっは! いやー、大口の注文は有難いぜ。ほれ、外暑いからスポーツドリンク持ってけ!』

「っと!? あ、ありがとうございます!」


 問屋さんは冷蔵庫から三本のスポーツドリンクを取り出すと、僕に向って放り投げる。

 僕はそれを受け取ると、出来るだけ大きな声でお礼の言葉を返した。

 キンキンに冷えたジュースの感覚が手の平に心地良い。

 これを一気に飲み干せれば周囲の暑さと相まって、なんとも言えない幸福感を運んできてくれることだろう。

 問屋さんもオープンな構造のせいで、正直言って全く涼しくない。きっと冷やすためのエネルギーは全て、人間ではなくドリンクに向けているんだろう。

 僕は滝のように溢れてきた汗を指で弾くと、煮え立つような熱い呼吸を空中へと吐き出した。


「えっと……では、僕はこれで失礼します」


 僕はドリンクを持ったまま、大きく問屋さんに頭を下げる。

 問屋さんは『おう! なんかあったらまた来な!』と、気持ちの良い返事を返してくれた。

 どうやら見た目よりずっと爽やかで、いい人だったみたいだ。これはいい出会いをしたな。

 さて……しかし、目下の問題は―――


「…………」


 外で不機嫌そうに立っている桜崎さんに、どうやってこのドリンクを渡すかだ。

 モブ子さんは普通に受け取ってくれるだろうけど、桜崎さんは僕が直接手渡そうものなら―――


『はぁ? あんたが触ったものなんか口に出来るわけ無いじゃん。ドブにでも流しとけば?』

「うっぐぅ!」


 いかん、妄想の中でも桜崎さんの切れ味は半端ないぞ。思わずダメージを受けてしまった。

 しかししばらく一緒にいてみて、なんとなくわかったことが一つある。

 もしこの僕の仮説が正しければ……彼女はこのドリンクを受け取ってくれるはずだ。

 僕は持っていたドリンクを問屋さんの入り口にあった木箱の上にそっと置き、桜崎さんへと近づいていく。

 これで、下準備はOKだ。


「桜崎さんモブ子さん、終わったよ。ごめんね待たせちゃって」


 僕は片手を上げて頭を下げながら、二人に向かって謝罪する。

 桜崎さんは僕に視線を向けることもなく、不機嫌そうに返答した。


「あっそ。じゃあさっさと次。今度はモタモタしないでよね」


 相変わらず視線を僕から外しながら、てきとうな言葉を僕に返す桜崎さん。

 モブ子さんは笑顔で「ありがとう」とお礼を言ってくれたけど、桜崎さんは相変わらず尖った反応だ。


「あ、ちょっと待って二人とも。実は問屋さんの奥さんから“外で待ってる女の子達にどうぞ”ってドリンク貰ったんだ。そこに置いてあるよ」


 僕は木箱の上に置かれた二本のドリンクを指差しながら、桜崎さんへと言葉を続ける。

 僕の推測が正しければ、これで桜崎さんはドリンクを受け取ってくれるはずだ。


「……ふーん。じゃあ、もらう」


 桜崎さんは木箱の上のドリンクを持つとそのまま蓋を開け、喉を鳴らしながら飲み込んでいく。

 僕は思わず生唾を飲み込むのを耐えながら、なんとか思考を開始した。

 とにかくこれで、はっきりした。

 彼女は、桜崎さんは……原因はわからないけど“男性”を極端に嫌悪している。

 だから僕が触れたり、問屋さんがくれたものだと彼女は口を付けてくれないだろう。

 でも、問屋さんの奥さんなら別だ。それは結果が証明している。

 とりあえず桜崎さんは水分補給ができたし、これで炎天下に出てもしばらくは大丈夫だろう。


「……んっ」


 桜崎さんとモブ子さんはこくこくとドリンクを飲みながら、再び談笑を始める。

 モブ子さんは僕を気にしてくれている様子だけど、桜崎さんは僕の方に視線を向けることもない。

 この現状をもって、ますますはっきりした。

 つまり嫌悪している“男性”の中でも特に嫌っているこの“僕”と一緒にいる現状が耐えられず、桜崎さんは僕を無視したり罵倒したりしていると、そういうわけだ。


「は、ははは……なんだこれ、気付かなきゃよかった」


 僕は炎天下の中ふらつきながら、ほぼ間違いない事実に絶望感を覚える。

 なんというかもう、死にたい。自分で言うのもなんだけど、学生のこの多感な時期に女子にここまで嫌われるのは精神的ダメージが計り知れない。というか、死にたい。

 しかもそんな女の子と、これからしばらく一緒に買い物か。ある意味拷問に近いな。

 僕はその事実に眩暈を覚えながら、蒼天の青空を見上げる。

 蝉の声は相変わらず街に響き、熱せられたアスファルトが僕の足を焼く。

 再び小さく息を落とすと、僕は気を取り直して手元のメモを見直した。


「えっと……次は、ポスターやチラシで使う用紙とペン類の確保……か。多分駅前の画材屋さんに行けば揃いそう、かな?」


 蝉の声に紛れながら、モブ子さんと談笑している桜崎さんへと声をかける。

 桜崎さんは会話を邪魔されたのが気に入らないのか、眉間に皴を寄せながら返事を返した。


「知らない。早く帰りたいんだからさっさと決めてよ」


 桜崎さんは胸の下で腕を組むと心底面倒くさそうに僕を見つめ、言葉を紡ぐ。

 その眉間にはばっちりと深い皴が刻まれ、口で言われるよりも如実に彼女の機嫌を語っていた。


「う、うん、ごめん。じゃあ、画材屋さんに行っちゃおうか。ははは……」

「あ、えと、そうだね! ありがとうしぐれくん!」

「…………」


 慌てた様子でお礼の言葉を紡ぐモブ子さんと、鋭い視線をぶつけてくる桜崎さん。

 そんな二人を連れて僕は、炎天下の中最初の一歩を踏み出した。

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