第19話:桜川祭実行委員
あずきの声を聞いた桜崎さんは僕と同じく唖然とした表情で、その様子を見つめていた。
……はっ!? し、しまった。ぼーっとしてる場合じゃない。早くあずきに挙手を撤回してもらわないとこの案が―――
『うおっしゃ! 決まったぁぁぁぁ! というわけで、桜川祭実行委員は、桜崎&時雨ペアで決定だな!』
「あ、あ……!?」
先生は勢いよく机を叩き、まるで裁判長のハンマーのようにその場の収束を教室中に知らしめる。
僕はもう声すら出せず、そんな先生の姿を歪んだ視界で見つめていた。
「ちょっと、先生! さっきから何なんですか!? 私納得できません!」
突然机を叩く音が教室に響き、その方角に視線を戻すとそこでは桜崎さんが眉間に皺を寄せた状態で大声を張り上げていた。
そりゃまあ、そうだろう。誰だってこの理不尽な決定に納得できるわけがない。
『えー、んなこと言ったってよー。決まったもんはしょーがねーじゃーん?』
「くっ、むかつく……!」
先生は口を3の形にしながら、またしても妙に上手い口笛を吹いて桜崎さんの意見を速攻で却下する。
確かにあれは、むかつく。あの先生は、人を怒らせることに関して他の追随を許さないからなぁ……
「そーだそーだ。もう決まったことだぞ桜崎嬢! 今更ごちゃごちゃ言うな!」
「はぁぁ!?」
「きゃいんきゃいん!」
猛は席を立ってすかさず先生への援護射撃を開始する……が、桜崎さんに一括されると一瞬にして僕の背中に隠れ、まるで怒られた子犬のようにぶるぶると震えだした。
怖いなら言わなきゃいいものを……一体何がしたいんだ君は。
『まーともかく、これでホームルームは終わりな! 桜崎と時雨! お前らはクラス委員の二人と協力して、きっちり桜川祭の準備しとけよ! じゃ!』
「あ、ちょっと先生!? 待って下さい!」
僕はかろうじて先生へと声を飛ばすが、先生は白衣を翻らせて颯爽と教室を後にする。
まだホームルームの時間は余裕があるし、この後逆転しようと思っていたのに……完全に誤算だ。
良く考えたらあの人に、授業時間なんて概念自体あるわけなかったんだ。普段から「早く帰りたい」と思っているだけの人なのに油断した。僕が馬鹿だった。
「先生! 私絶対“こんなの”と一緒に委員なんてやりませんから!」
「こんなの!?」
桜崎さん。こんなのって、こんなのって何!? 僕、時雨信だよ!? “こんなの“じゃないよ!?
心が抉られて吐血しそうなんですけど!
『あ、そうそう。二人とも委員活動サボッたら内申に死ぬほど響くから覚悟しとけー? じゃっ、今度こそ帰るわ。おつかれー』
「「ちょっ!?」」
僕と桜崎さんは同時に先生の衝撃の言葉に反応して思わず声を発するが、先生はとっとと教室を出て帰っていく。
教室のドアが閉められたその音はホームルームの終了を意味し、同時に僕の人生の終焉を表していた。
「ああもう、さいっあく! なんで私が、“あんなの”と委員やらなきゃいけないわけ!?」
「あ、あんなの……」
もう、もうダメ。僕の心ボロボロ。もう持たない。
あんなのってどういうことなの。あんなのって。少なくとも否定的な意味であることはわかるけど、それ以上はわからない。わかりたくない。
まさかたった四文字で存在を表現される日がくるなんて想像もしてなかった。
「ふふ、ふふふ。よかったじゃないかぁ猛。君の勝ちだ。君が、ナンバーワンさ……」
絶望によって力の抜けた僕は机に突っ伏した状態で顔を横に向け、口の端から溢れ出すように言葉を紡ぐ。
終わった。終わったよ僕の学園生活。
「やーやー、そう褒めんなよ信! 俺だって照れちまうぜぇ!?」
猛は本当に恥ずかしそうに頭を掻きながらくねくねと動き、頬を赤く染める。
うるさいよ。もう言葉っていうか、動きがうるさいよ畜生。ナチュラルに死にたくなってきた。
「よっし、そうと決まれば桜崎嬢! こっち来んしゃい! 桜川祭の打ち合わせをするわよ!」
「ぶっふぅ!?」
猛は突然立ち上がると桜崎さんに向かって両手を振り、あろうことか打ち合わせを提案する。
駄目だ、彼が何を言っているのか理解できない。性能が低い僕の頭脳ではもはやついていけなかった。
「はぁぁぁ!? バッカじゃないの!? そんなもんするわけないじゃん! あんたたちで勝手にやってれば!?」
「あはは、は……そりゃそうだ」
少なくとも、こっちに決定権を委任してくれただけでも大分マシな回答じゃないのか?
まず、返答してくれたことに対して驚くべきだろう。
それくらいガードの硬い(?)女の子なのだ。桜崎さんという人は。
「ふふっ、桜崎嬢。僕の両手、もっとよく見てごらん♪」
「はぁぁ?」
「???」
意味不明な猛の言葉に興味をそそられた僕は、突っ伏していた体を起こしてゆっくりと横に振られている猛の両手をじっと見つめる。
そこにはマジックペンで、何かが書き込まれているようだった。
「えっと、右手は“内申”、左手は“低下”……!?」
た、猛。なんて恐ろしいことを。しかもご丁寧に“低下”の後にハートマークまで付けている。
これは俗に言うところの脅迫ってやつじゃないだろうか。
「何よ、何が書いて―――!?」
「ふふふ……」
どうやら桜崎さんも猛の両手文字に気付いたらしく、大きく両目を見開く。
長いまつ毛に守られていた両目が白日の下に晒され、白く細い両腕はいつのまにかぷるぷると震え始めていた。
「あんた、たち。ロクな死に方、しないわよ……!」
「ひっ!? こ、こわい!」
死に方云々というより、今まさに引導を渡しに来ようかというオーラを背中から放ち、桜崎さんは僕たちの席へと歩いてくる。
なんだ、なんだこれ。一瞬意識を手放しそうになるくらい怖いんだが。
「まーまー♪ 桜崎嬢、抑えて抑えて♪ はい、お二方はそっちに座ってくださいねー♪」
「きゃっ!?」
「うわっ! ちょ、ちょっと猛!」
猛は無理矢理周囲の机と椅子を動かすと僕と桜崎さんを隣同士に座らせ、自身は対面の椅子へと腰かける。
隣に座らされた桜崎さんから石鹸のような良い香りが漂い、整った横顔に僕は一瞬言葉を忘れる。
あ、いやいや。何を考えてんだ僕は。今はそんなこと言ってる場合じゃないだろう。
「ああもう、最悪……! ていうかあんた、ちょっと近いんだけど!?」
「あっ! ご、ごめん、モブ子さんにぶつかっちゃうから、これ以上はちょっと……」
僕の隣に座った桜崎さんは恐ろしく鋭い眼光で僕を射抜き、不満をぶつける。
モブ子さんは僕が近付くとあわあわと口を動かし、その顔を俯かせてしまった。
もっと離れろと言われても、それは無茶だ。教室もそう広いわけではないし、周りには他の生徒もいる。これ以上は本当に移動できなかった。
「ちっ、役に立たない……!」
「うぐふぅ!」
マジかよ。座って四秒で役立たず宣言頂いちゃいました。
もしかして日本最速記録なんじゃないだろうか。
「はっはっは、ご両人とも相性抜群ですなぁ。こりゃ桜川祭が楽しみですぞ!」
「「どこがよ!?」」
僕と桜崎さんは思わずハモりながら、猛へと言葉をぶつける。
なんかさっきから時々シンクロするけど、思考が似ているんだろうか。
「ふむ。こりゃ意外と、劇薬でもいけるかもしれんな……」
「はっ?」
猛は突然曲げた人差し指を顎の下に当て、何かを考えるような仕草を始める。
僕はその言葉の意味がわからず、ただぽかんと口を開けていた。
「いよし、こうしよう! 今度の土曜、二人で街へ買い出しに行ってきてくれないか!? もちろん、桜川祭のためにな!」
「……は?」
猛はぐっと親指を立て、今日何度目かわからない爽やかな笑みを僕たちに向ける。
何を言ってるんだ、彼は。毎度のことながら、彼が何を言いたいのかさっぱりわからない。
モブ子さんも両手を口元に当て、明らかにびっくりしている様子だ。どうやらこれも猛の勝手な判断らしい。
「はぁぁ!? 私が、こいつと買い物!? ふざけないで! 死んでも嫌!」
「ぐぇえ!」
マジかよ! 死よりも上行っちゃったよ僕への嫌悪感! ある意味人間のレベル超えてるんじゃないか!?
なんかおしっこちびりそうになってきた!
「ヘイヘーイ、さ・く・ら・ざ・き・さん♪ 僕の両手、もう一度見たいのかい?」
「ぐっ……!」
猛は表現するのも憚られるような邪悪な笑顔で桜崎さんへと声をかけ、これ見よがしに両手を横に振ってみせる。
なんてこった……仮に僕が猛を止めたとしても、それはそのまま、桜崎さんの内申を低下させる結果になるだろう。
先生を説得するか……? いや、おそらく無理だろう。猛なら、そのくらい予想しているはずだ。
それに先生と男子生徒全員を説得するにしても、そんなことをしている間に桜川祭の準備期間は刻々と無くなっていく。
桜川祭は、クラス全員が楽しみにしている行事なんだ。当然、中途半端な出来にしちゃいけない。だから、説得する時間を捻出するのは不可能に近い。
それに、それにだ。僕だけならまだしも、優等生である桜崎さんの内申が下がるなんて、絶対ダメだ。彼女の将来に関わるじゃないか。
「…………」
僕は頭を右手で抑え、考えを整理する。
そして……気持ちは決まった。
当事者である僕が、こんなことを言うのはズレていると思う。
でも、ここは―――
「ごめん、桜崎さん。僕と一緒に、桜川祭の準備をしてもらえないかな? 上手くできるかわからないけど……せめて、桜崎さんの時間が無駄にならないよう、精一杯頑張るから!」
僕は桜崎さんへと体を向け、精一杯の気持ちを言葉にする。
そうだ。現状の打破が不可能なら、もうこうするしかない。
家族以外の女の子とろくに関わったことのない僕じゃ不安だけど……それでもなんとか、この桜川祭の準備を桜崎さんにとって不快じゃない時間にするしかないんだ。
「……はぁ? あんた、頭に蛆でも湧いてんの? あんたと一緒の時点で楽しめるわけないじゃん」
「うごっはぁ……!」
ですよねー! わかってたよ最初から!
いや、しかし諦めないぞ。もう僕にはこの手しかないんだ。
「……っ、ごめん、桜崎さん、ちょっとこっち来て!!」
「はぁっ!? ちょ、ちょっと!!」
僕は桜崎さんの手を引き、生徒たちの視線のある教室を後にする。
そのまま人気の無い廊下を進むと、階段の踊り場まで桜崎さんを引っ張っていた。