第12話:そして夏が始まる
「ああ、なるほどね。僕が桜崎さんをメロメロに…………えええええ!?」
いや、なにそれ、なにそれ!? 何を言っているんだ彼は!? もはや意味がわからない。言葉っていうか彼の存在が理解できない!
「無理! 絶対無理だよ! だって、桜崎さんだよ!? クラスの男子ともほとんど話さないじゃないか!」
なんだかわからないけど、桜崎さんはクラスの男子どころか、男性教諭とすら言葉を交わそうとしない。
そんな彼女を、僕にメロメロ? 無理に決まってるじゃないか。ていうかメロメロて、なんか古いよ。他にふさわしい擬音は思いつかないけど。 いや、そんなことはどうでもいい。猛君、きみはやっぱり馬鹿なのか!?
「馬鹿! 無理でもやるんだよ! あずきちゃんの笑顔を守りたくねーのか!?」
「うっ……」
猛は情熱を込めた真っ直ぐな瞳で僕を見つめ、両肩を掴んだ手の力を強める。
その痛みで、動揺した僕の心がほんの少しだけ元に戻った。
「確かに、それを言われると……」
これから先あずきが笑顔のまま学園生活を送るには、クラスの女子達との友好関係は絶対条件だ。それは間違いない。
クラスから浮いたあずき。今は太陽のようなその笑顔も、いつか曇ってしまう日が来るのかもしれない。
僕はそんなあずきを……見たくない。
「わかった。やるよ、僕。やってやるさ!」
「おおっ、よく言った! 俺も全力でサポートするぜ!」
僕は右拳を握り締め、決意を込めた視線と高らかな宣言を天井の蛍光灯へとぶつける。
猛はそんな僕の拳に自らの拳を当て、同じく高らかに僕のサポートを宣言した。
「うっしゃあ! そうと決まればさっそく桜崎さんにアプローチだ! 行け、信よ!」
「うぉおおおおおおおおお!」
僕は猛からの指示を受けて一度大きく気合を入れると、桜崎さんへと一直線に歩いて距離を詰める。
桜崎さんは目を丸くして驚き、やがて僕へと言葉をぶつけた。
「はぁっ!? あ、あんたいつのまに……ていうか、何? 何か用?」
桜崎さんは男子が近付いてきたことが嫌なのか、不機嫌そうに腕を組み、僕の顔を訝しげに見つめる。
いや、ここで引いちゃ駄目だ。僕なりのアプローチを、アプローチをするんだ!
「やあ、桜崎さん。今日も可愛いね、よかったらお昼休み、僕とランチでもどうだい?」
「はぁっ!?」
僕は出来る限り爽やかな笑顔を携えて前髪をかき上げると、甘い声で言葉を紡ぐ。
確か、確か刹那姉ちゃんの部屋にあった恋愛漫画には、こんな感じのセリフが書いてあったはずだ。
「きもっ、気持ちわる! 馬鹿じゃないの!?」
桜崎さんは嫌悪感全開の表情で数歩後ずさり、僕との距離を取る。
あ、あれ? おかしいな、こんなはずじゃ……
いや、アプローチが足らないのか?
「恥ずかしがらなくていい……さぁ、桜崎さん、僕と一緒に素敵なランチを楽しもうじゃないか」
僕は足を使ってさらに距離を詰めて桜崎さんの頬に触れると、さっきよりもさらに甘い声で囁く。
その瞬間桜崎さんの頬に触れた僕の手の平には、確かにさぶいぼのような感触が走っていた。
「っ!? ちょっ、触んないでよ! きもっ!」
「あ、あれ……?」
桜崎さんは僕の頬を思い切り叩くと、そのまま廊下へと歩き出してしまう。
その他の女子も僕を汚物を見るような目で一瞥すると、桜崎さんの後を追いかけていってしまった。
「おかしい……何故だ。これで女の子はメロメロになるんじゃないのか……?」
僕は人差し指を曲げ、顎の下に当てると、先ほどの結果を頭の中で反芻する。
結果はわかってる。最悪だ。ていうか嫌われた。でもなんでそうなった? アプローチが悪かったのか?
「なあ、信……」
「あ、猛! さっきの僕、何かまずかった!?」
やがてやってきた猛に向かって、動揺した心のまま、言葉をぶつける。
猛は先ほどと同じように、しかし今度は腫れ物に触るようにそっと僕の両肩に手を置いた。
「お前、マジか? 今の……マジか?」
「マジかって何!? 何で二回言ったの!?」
猛はこれまでに見たことも無い悲痛な表情で、僕の顔を見つめる。
な、なんだよその可愛そうな人を見る目は。僕はそんなに可愛そうだっていうのか?
「ぜ、前途多難だ……いや、しかし、諦めるわけにはいかねえ! これもあずきちゃんのためだ!」
猛はぶんぶんと頭を横に振って何かを振り切ると、右手を握って僕の目を真っ直ぐに見つめる。
その瞳には闘志が燃え、僕の胸にも熱いものが込み上げてきた。
「??? なんだかわかんないけど……そうだね! 諦めないよ、僕は!」
僕と猛は互いの拳をぶつけ合い、お互いの瞳を見詰め合う。
そうだ、一回くらいじゃ諦めないぞ。
必ず僕はクラスの平和を、そしてあずきの笑顔を手に入れてみせる。
「信どの? 桜崎さんが怒っていたようでござるが……どうかしたでござるか?」
あずきは不思議そうに首を傾げ、疑問符をその小さな頭に浮かべる。
僕はそんなあずきの頭を撫でると、力強く言葉を返した。
「大丈夫だからね、あずき! 大丈夫だから!」
「あ、あい。了解したで、ござる?」
僕は至近距離で言葉を紡ぎ、あずきを元気付ける。何故か頬を赤くしているようだけど、教室が暑いんだろうか。
いや、ともかくわかった。とにかく僕は、やるしかないんだ。
「うおー! やるぞー!」
僕は窓の外の青空に向かって、大声で胸の中の熱い鼓動をぶちまける。
ああ、そうさ。それくらいやらなきゃやってられない。
女子との交流は、僕にとって一番の苦手分野。でも、負けられない戦いなんだ。
「お、気合入ってんな信! うおっしゃー!」
猛も僕につられるように、右手を挙げ、青空に向かって雄たけびを響かせる。
ビリビリと動くガラス窓は、僕達の決意と熱意を一心に受けているようだ。
「??? お、おー、で、ござる?」
あずきは状況もわからないまま、とりあえず両手を挙げ、声を出してみる。
その間の抜けた声に決意も揺るぎそうになるが……とにかく、やるしかないんだ。
季節はもう、夏真っ盛り。
照りつける太陽は窓ガラスにぶつかり、教室内の机や椅子を力強く照らす。
蝉の声はますます強く、これからしばらくは、鳴き続けるだろう。
僕の一生で、たった一度。
ずっと忘れることのない、たった一度の夏が―――
今、始まった。