覚醒
責めるようにセシルを問い詰めていく拓真。相手を煽るのは彼の十八番だ。
落ち込むように項垂れるセシルと、言葉とは裏腹にそれほど落ち込んではいなかった拓真。今はとりあえず言葉攻めの時。相手が折れれば良し。セシルの裸を見れても良し。服を売り捌ければ尚良し。拓真に死角など無い。
プルプルと震えながら俯くセシルにゲスニヤ顔で近づく拓真。
ネット上では当たり前でも現実では口喧嘩などしたことはほとんど無かったが、意外とやれるものだなと少し自信が湧いてきた。
傍から見れば十歳ちょいの女の子を高校生が虐めている図でしかないが、流儀通りに彼は気にしない。
「(いやあ、弱いもん虐めは楽しいですねぇ)」
ただリアルではむしろ虐められる側というのが残念な事実ではあるが……。
「おいおーいセェシルちゃぁん、さっさと決めてくれませんかねぇ。お兄ちゃんいい加減ちゅかれまちたよぉ。なんなら汗掻いたついでに俺の家で風呂入っていきまちゅ? そんで体洗いっこしちゃう? いんやぁ、お兄ちゃんこれじゃあただの変態さんだなぁ」
「…………、……な……に……ッ」
「ん? 何? 何か欲しいの? なんなら俺のナニ貸してやろうか? 何だけにつってなぁ。アハハハハハ! まぁ、あげれはしないけど。」
そう言いながら拓真はすっとセシルの右肩に手をかけた。
パチン! と響く音。
「? ……、ッゥ、どきゅびゅぎゃあああぁあああぎぎゃあああああああああああ!!」
ギャグ漫画のように口から煙を出す拓真。セシルの体に触れた瞬間彼女の体に帯びていた電流がアースのように拓真の中に流れ込んだようだ。
セシルはまだ幼い。その為感情が高まると体に電流を帯びさせてしまうのだが、当然そんなことを知るよしもない拓真は怯むように三歩ほど後ろに後退する。
「わわわわ、ワタシ、ワタシ悪くありませんから! 悪いのは約束破ったアナタ、そうアナタじゃないですか。なのにまるでワタシだけが悪いみたいに。……もう怒りました。この場で去勢です。絶対去勢です。はい脱いで」
ズボンに手をかけ下げようとしてくるセシルに抵抗するようにズボンを上げる拓真。
「っちょ、やめーや。何この状況!?」
男のズボンを脱がす絶賛成長中の少女。
少女にズボンを脱がされることを頑なに拒む絶賛ニート予備軍の高校生。
「シュールすぎるやろ」
「じゃあ脱いでください。大丈夫です。法術を使って綺麗にしてあげますから。それに……名前まだ聞いてませんでしたね。教えてくださいお願いします」
「この状況で言うことじゃねーだろ、べつにいいけど。班堂拓真だよ。いいから離せ」
「班堂拓真? そう拓真ですか。では拓真、ズボンから手を離してください。これじゃあ拓真のズボンを下ろせません」
「お前が先に離せ」
「拓真が先に離してくれたらズボンを下ろした後にちゃんと離します。安心してください」
「何を?!」
「心配しなくても拓真のものなんて触りません。嫌です汚いです。勘弁してください。でも仕事なので我慢します。見るの我慢します。だから拓真も我慢して去勢してください」
「ぶっとばすぞクソガキ」
言葉使いとは裏腹の悪気の無さそうな素直な腹黒さ。恐ろしいの一言だ。
そんなやり取りを続けること数分、ようやく諦めたのかズボンから手を離すセシル。
「なんでそんなに頑なに拒むんですか」
「あたりめーだろ。そもそもなんで天使様が俺なんぞのチンコを狙うんだ。理由を言え理由を。でないと賛成も反対もできるわきゃねーだろ」
「それは……、そうですが、必要以上のことを寄生個体の対象に話すことは空帝師団のルールに反する為話すことはできません。ですが、たしかに事情もわからないまま去勢では拓真も納得しないということはわかりました」
若干下がりかけたズボンを上げて保険とばかりにベルトをきつめに締めながら話に耳を傾ける。
「単刀直入に言えば、拓真、アナタの中には悪魔が寄生しています。それもかなりのエネルギー量、つまり強大な魔力を持った悪魔が」
「はぁ? 悪魔?」
「疑うのは無理もないかもしれません。でも先ほど走っている時、何か違和感無かったですか? 例えば今までにない速度で走れた、とかです」
思い返してみれば確かに自分とは思えないほどの速度が出ていたとは思うが、それで悪魔の影響ですと言われて信じれるほど拓真も馬鹿ではない。そもそも拓真には悪魔にとりつかれるようなことに関わった覚えが無いし、それで何か体がおかしくなったことも無い。
「……仮に、お前の言う通り俺の中に悪魔がいたとして、それがなんで俺のチンコを頂戴するって話になんだよ? もしかしてチンコを刈り取ったら中の悪魔も死ぬとかっていうアホみたいな原理か? だとしたら、とりついたのが女だったらどうすんだ? 子宮でも摘出すんのか?」
「去勢をしたとしても中の悪魔は消えません。寄生している悪魔を殺すには寄生個体である人間を殺す以外に術はありませんから。ですが復活を阻止することはできる。本来悪魔は人間界にその姿を出現することができません。それは単純な話、人間界が天界の強力な加護を受けている為です」
「待て待て待て、話が見えん」
「そうですね、順を追って説明しましょう」
かつて天使と悪魔との間には大きな戦争があったが、結果は悪魔陣営の敗北で終わった。ところが悪魔達は天界の影響から逃れ人間界へと流れ着くことに成功する。しかし、天界の加護を受けている人間界では力を使うことも
、ましてや自分の姿を維持すること不可能であった為、悪魔達は胎児を宿した母体に寄生することによって中の胎児に憑依することに成功する。
そのままでは完全に復活することができないとわかると今度はその胎児の胎児、つまりその者の赤ん坊に目を向けたのだ。自分の魔力を全て吸収させた種を受精させることによって、胎児の意思を破壊し、胎児の状態として復活することが可能とわかると、悪魔達は寄生した胎児の中で力を増幅させることを考えた。
寄生した胎児の時に力を完全に近いものにしておけばしておくだけ、復活した時に完全に近い状態で復活することができる。故に強大な力に目覚めた者は早急に去勢しなくては、単純な話、悪魔の力による無理矢理の性行為などでも復活することができるのだ。
「ワタシ達天使は力を覚醒した者を、かつての裏切り者の天使ダアトの名から取り、ダアトと名付けました」
「……まんまやね」
ダアトの去勢は現在の天界において最優先事項。何がなんでもやり遂げなくてはならないものだ。
「わかっていただけましたか? アナタの存在そのものが、この人間界の危険因子となっているのです。ですからワタシ達天使は可及的速やかにアナタ方ダアトの去勢および摘出をしなくてはならない」
「……、まぁたしかに、なんとなくだが話はわかった」
自分の中によくわからない強大な力が蠢いていること。
それに既に巻き込まれていたこと。
色々と考えるべきことは多い。
それを踏まえて拓真は口を開く。
「だから何って感じだな」
答えは決まっていた。
天界? 魔界? ダアト? そんなこと拓真からしたら知ったことではない。ましてや自分の子供が悪魔として復活すると言われても、正直驚く以前に興味が無かった。
仮に自分が子孫を残すとして、その子供が悪魔だったとして、一体自分になんの不利益があるというのか。それに、話によると寄生された者は悪魔の力を使えると思われる。
悪魔の力を使える。
それは中二病をこじらせた高校生にとって最高の贈り物ではないか。
「わ、わかってるんですか、アナタの中の力が開放したらどうなるか」
「あぁわかってるよ。でもそれは俺にとってなんのデメリットも無いんだなぁこれが」
「どういう意味ですか?」
「くくく、そんなん決まってんじゃん。子供が悪魔として復活ぅ? アハハハッ、いいじゃん、素晴らしく燃える展開。何より、俺が悪魔の力を使えるってとこが最高すぎる。断る理由がないぜ。どうせなら悪魔の力を開放させる方法を伝授してもらいたいくらいだ」
「な!? 自分が何を言ってるかわかってるんですか」
「わかってるさぁ、だから言ってんだろ? デメリットは無い、ってよ」
「生まれ子供が人間界で悪さをするかもしれない。そうなればアナタの大事な人達も死ぬかもしれないんです。苦しい未来が待っているかもしれないんです。それがどういうことか理解して言ってるんですか」
「……くく、くは……あははははははははははは!!」
「な!? 何も笑う場面など無かったはずです!」
「アナタの大切な人達? 苦しい未来が待ってる? くはっ! おもしれーこと言うなお前。……本当に何も知らないんだな。馬鹿すぎて反吐が出るっつんだよボケェ。俺に守りたい大切な人間なんているわけねーだろ、誰に向かって言ってんだ。社会の底辺に生きてる班堂拓真様だぞ? 苦しい未来が待ってる? はははははははは!! 自分で言うのもなんだけどなあ、俺の未来に苦しいものが待ってねーわけねーだろが。むしろ苦しいことしか待ってないわ。よーするにテメーの言ってることは全部的外れなんだよバーカ、ざまあみろ」
自分で言ってて悲しくなってくる。
「そうですか、でもこうは思えないですか? アナタの犠牲によって世界を救えるんだと」
「やれやれ、天使ってなぁ馬鹿ばっかだな。世界を救う? 寝言は寝て言えっつんだ。なーんで俺が世界救わなくちゃなんねーの? アホらし。こんな世界どーなろーが知ったこっちゃねーよ。俺は自分が一番大切なんだよ。」
「本気で言ってるんですかアナタは」
「生憎俺は生まれてこの方本気で生きたことも、本気で何かを発言したことも無くってね。だーけーどー、世界がどうなろうが知ったこっちゃねーって気持ちだけは本気かもなあ」
それまで必死に拓真を説得しようとしていたセシル。その彼女の表情が冷たく変わる。
「……そうですか」
何かを察したように呟くセシル。
「アナタはそういう人物なんですね」
セシルの全身から電流が放たれ近くのコンクリートを抉った。
バチバチと体中から電気を走らせ辺りを威嚇するようにそこらかしこにばら撒いている。
「もうこれ以上話すことはありません。空帝師団のルールに基づいて、アナタを消させてもらいます」
「はぁ?」
「これはリディア様のお望みではない展開。ですが、拓真がそういう考えなのでしたらワタシは鬼にも悪魔にもなります」
「何言って――」
雷光が走った。
それは一瞬だったが、それでも結果は漠然と残っていた。
何万ボルトかもわからないほどの一撃が拓真を貫いたのだ。
数秒の間宙を舞った後地面へ転がり落ちる拓真。見たところ外傷のようなものは見えないが、セシルの渾身の一撃を受けて生きているはずもない。
散々の忠告を無視し自分勝手なことを言い続けた末路。そう言ってしまえば簡単だが、これはあまりにも残酷な最後ではないだろうか。
「(すいませんリディア様)」
心の中でリディアに謝罪をし、右手に装着されたクヴェレティアという腕輪に内蔵されている通信装置にて結果を天界へと伝える。
しかし結果はどうあれ、今後のことを考えれば自分のしたことは間違っていない。説明をしたのに状況を理解せず勝手なことを言った拓真。放っておけば必ず彼は悪魔の声に耳を傾けるに違いない。だとすれば、セシルのしたことは間違っていない。
はずだった。
ふと雷光で体を貫かれ死んだはずの拓真の方を見た。
そこでセシルは絶句する。
「(いない!?)」
それまで地面に倒れていた拓真の死体が無い。
慌てて辺りに目を向けるセシル。
脳裏にとても嫌な予感が走った。と、同時にセシルの体が謎の衝撃によって勢いよく吹っ飛ばされ川の中へと突っ込んだ。水がクッションとなっていなければ大怪我となっていたかもしれないほど。これを放った人物。それはセシルの視線の先にいた。
「な、なんで……」
腕をぶらりと垂らし、不敵な笑みでこちらを見てくるその人物。
班堂拓真の存在に寒気にも近い感覚を覚えた。
「よくわかんねーけど、どうやら俺は死んでないみたいだぜセシルちゃん」
無傷? そんなことはあり得ない。普通の人間が、覚醒もしていないダアトが、今の一撃を受けて無事なわけがない。
「……な!?」
拓真の背中から薄らと見える黒い翼。まだ完全には出現していないせいか、薄らとしか見えないがたしかに彼の背中には真っ黒な翼が生えていた。
「まさか、今の一撃で力をさらに開放させた? そんな……、たしかに心臓を貫いたのに」
状況が飲み込めない。
たしかにセシルの放った法術による一撃は拓真の体を貫き致命傷を与えたはず。しかし彼は生きている。退屈そうな表情でこちらを見続けている。薄れゆく意識の中で見た黒い翼、そして今この現状、セシルの中で一つの答えが出た。
班堂拓真はダアトとして目覚めた。
しかし、そうこうしている間にセシルの意識は遠のいていき、水中深くへと沈んでいった。