はじまり 2
時刻は午前九時を回った頃。世間一般では日曜日と呼ばれる日だ。
カーテンを閉め切った部屋で黙々とパソコンに勤しむ高校二年生の班堂拓 真は今日もいつも通り著名掲示板で他人との会話を楽しんでいた。
「は? はあ!? ……馬鹿かコイツ、そりゃパソコンとばっか向き合ってりゃ空なんて見えねーだろ。……、……やべぇ、こいつ真性だわ。……そんなんだからお前らは童貞なんだよ(※拓真も童貞です)。あんさぁ、親に悪いとか思わねーのか糞ニート共。寄生してねーでとっととハローワーク行って来いよ社会の底辺共。……え? あ、そーいや今日は日曜だったな。ハローワーク休みじゃん」
拓真にとってネット上での会話は他人を煽るのと同意義。むしろ慣れ合うことこそ悪で臭いものと感じるほどだ。
これといって特徴も無い。クラスじゃいわゆる日陰者。だからといって完全にクラスで浮いてるわけでもない。彼女なんて当然いない。まともに話せる女なんて母親くらい。彼女を作ってみたいと思うことは多々ある。しかし、実際彼女を作った時の自分を想像してみたら、耐えられないことは火を見るより明らか。
「……ハゲに人権なんてねーから」
イチャついているカップルを見ると腸が煮えくり返るほど悔しいが、ならお前もなるか? そう問われたら答えは必ずしもYESとは限らない。
「(ていうか、そもそもモテないから考えるだけ無駄なんだけど)」
「……そういや新作今日だっけ……」
椅子に座りながら腕を伸ばし、ぐっと背伸びをしながら欠伸をする。マウスから手を離し立ち上がると机の上に置かれていた皮財布を手に取り部屋を出た。高校一年の時から履き続けている靴を履いて外へと出てみるが今は七月半ば、だいぶ太陽が元気を取り戻してきた頃合だ。はっきり言って中々に暑い。
自転車に乗り颯爽と田舎道駆ける拓真。風は適度な追い風。視界は良好。なかなかに良いサイクリング日和だ。目的地は自転車で二十分ほどのゲーム屋。自転車で駆けるには絶妙な距離である。
このまま普通にゲーム屋に向かっていれば違う展開ももしかするとあり得たのかもしれない。しかし、喉の渇いてしまった拓真は近くのコンビニに入ってしまう。
そこで悲劇は起きた。
先にトイレを済まして洗面所で手を洗っていた時のことだった。
ビクッ! と一瞬電気が走るような痛みが全身を走ったのだ。
「少しピリピリするかもしれませんが許してください」
突然後ろから低い声が聞こえた。正確には高い声をあえて低くしたような声。鏡を見ると自分の後ろに十歳ちょいほどの少女が立っていて、腕を拓真の背中に伸ばしている。おそらくこの少女が何かしたのだろう。
突然のことに驚いたが冷静になって話しかけようとする拓真。しかし何故か口が動かない。それどころか全身が金縛りにあったようにピクリとも動かせない。スタンガン何かか? 色々と考えてはみたが、いくら凄いスタンガンでもこんな真似はできないはずだ。
さらに驚くべきは拓真の視線の先に映る奇怪な物。
純白の翼。
そう、視線の先に現れたのは白い翼を背中に生やした肩ほどに伸びた銀髪ウェーブの外国人の少女だったのだ。
北欧系? っぽい雰囲気とかなり綺麗な容姿をしていて街を歩けばそれだけでロリコン共の視線を奪ってしまいそうな勢いがある。いや、ロリコンでなくとも振り向いてしまうだろう。
何より今まで外国人を見たことは何度かあったがこれほどインパクトのある人は見たことがない。何せ背中には純白の翼。大方日本のアニメや漫画に影響して来日したのだろう。しかし、これはなんだ、アニメか何かのキャラになりきっているのか? だとしたら随分性能の良い玩具が最近は売ってあるんだなと少し感心してしまう。
近くに親がいる様子も迷子になって困っている様子も無い。
「(まさか俺に敵役しろってんじゃねーだろーなぁ……勘弁してくれよ)」
予約をしておいたので買うことはまず間違いなく。だが早くしないと新作ゲームをやる時間がどんどん無くなっていく。こんな所で知らない子供の遊びに付き合ってあげるほどロリコンでもフェミニストでもない。
「先に謝っておきます、すいません。実は先ほどからずっとアナタを監視していました。情報によるとアナタはかなりの危険性を持った寄生個体であると聞いていたので、アナタと二人になれる状況を探していたところ、人の出入りを抑制しやすい場所に入ってくださったので少し強引な方法ですが拘束させていただきました」
「(なんだ? どんな設定だ。まずプロットを教えろ。)」
「結論から言わせてもらいます、アナタのペ、ペペ、ペニスを頂戴させてもらいます!」
「(…………なるほど、こいつが主人公で俺は敵役。そんで目的はペニスを頂戴すること……すげえ、まったく意味がわかんね)」
気恥ずかしそうな顔で言う彼女の可愛さに一瞬遊び相手になることにOKサインを出してしまいそうになる。が、腕はおろか口も首も動かせない状況では賛同も反対もできない。しかしペニスを頂戴するアニメキャラ? どれほど情報処理能力に優れた者でも少女の言ってることは処理できないだろう。
「賛同して頂けるなら適切な方法で去勢をさせていただきます。ですが、もし賛同していただけない場合……この場で強制的に去勢させていただきます」
どちらにしろ去勢というのならそれは選択肢と呼べるのだろうか。
「ん~んん、んんーん」
このままされるがままにしておくと強制去勢になりそうなので、とりあえず口が動かせないことを少女にアピールしてみる。
「……、あ! そ、そうでしたね、口が動かせないんじゃ賛成も反対も言えませんよね。ご、ごめんなさい。でも、顔だけで許してください、逃げられたら困るので。……あの、ワタシこの仕事どうしても失敗できないんです。絶対に成功したいんです。だからついテンパっちゃって。あはは、ホント駄目だな。で、でもやる気だけは人一倍ですから! 頑張ります」
「(チンコを刈り取る仕事てなんやねん)」
スッと顔の筋肉を縛っていた痺れが引いていくのがわかった。
「……ん、お、ああ、おおしゃべれる」
言ったとおり顔付近の金縛りだけは解いてくれたようだが、相変わらず全身は麻酔を打たれたように動かない。凄い玩具だ。それとも本当は玩具ではなく、もっと別の何かなのかと思うと少しだけ怖くなってきた。何せ少女の翼がたしかに生き物のように自然に動いているからだ。ここは一応確認しておいた方がいいだろう。
「俺も結構アニメとか漫画とか見るんだけどさ、どーしてもわかんないんだよね。これって一体なんの作品なの?」
「作品? 作品とはなんですか?」
「だから色々あるじゃん、SFとかハーレムを題材にしたもののタイトルが。俺も結構そういうもの見るけど、こんな設定のもの知らねーよ?」
「言っている意味があまりよくわからないのですが。それは人間界における共通ワードか何かですか?」
とことんまでシラを切るつもりか。
「わかった、もういいわ。もう設定とか聞かないからお前が何者なのかとりあえず教えてくれ」
「よくわかりませんが、そうですね、自己紹介は大事ですよね。ワタシはセルシエル・カティア・アスケアノス、親しい人なんかはセシルなんて呼んでくれます。天界の天使で、まだ全然下っ端ですけど毎日頑張ってます。えっと、これで良かったでしょうか?」
「……てんし?」
「はい。正確には天界第十空帝師団の天使です」
思考停止に陥りそうになる脳を起こし、質問を続けた。
「えっと……、じゃあなんでその空帝師団の天使様が俺のチンコを狙うわけ?」
「仕事だからです」
答えになっていそうでいない返答に言葉を詰まらせる。
しかし背中の翼といい先ほどの金縛りといい人間には真似できないことを平然とやってのけたあたり、まんざら嘘とも思えない。むしろ真剣すぎる眼が事実だと教えてくれる。
「……マジで言ってんの?」
「大マジです」
表情は真剣そのものだった。とても嘘を吐いているとは思えない。
「あの、それで、協力お願いしてくれますか?」
「…………、…………とりあえずこの金縛りみたいの解除してくれる?」
「えっと、逃げないって約束してくれます? 約束してくれないと」
早くしろと言わんばかりに拓真が首を二度ほど縦に動かしたことに安心したのかセシルの指が服の端から離れた。すると今まで全身に走っていた痺れが取れ、同時に体の自由が自分に戻ってきたことを理解した。それと同時に拓真の足先が出入り口へと向いた。
風の吹かないコンビニ内に一瞬風が吹いた。
唐突なことにセシルは反応できないでいる。
セシルが声を出そうとした瞬間には既に出入り口の自動ドアは開いていた。
拓真は自分でも驚くほど驚異的な速さでその場を離脱したのだった。
「……ちょ、え、ええええええ!? は、話が違う!」
慌てて追いかけて外に出るセシル。左右を見渡すが拓真の姿はどこにも見えない。
当然と言ってしまえば当然だ。自分のペニスを狙ってくる者から逃げれる状況ならば逃げる。そんな当たり前のことすら想像できずに対象を縛っていた紐を解いてしまった。
彼女の完璧なミスだ。
「……う、うぅ、またやった。なんでワタシ……、なんでこんなにも簡単に信じちゃうのよ。……でも、でもやっぱりあの男が約束破っただけ。たしかにワタシのミスも少しはあるかもしれないけど、やっぱり約束破る方が悪いです。そう、そうワタシは騙された、騙されたんだ。ううん違う騙したんだ
、あの男が。許せません許せません許せません許さない許さない許さない許さなぁい!」
セシルの背中に生えた翼が倍に広がると一気に上空へと飛翔した。空を飛ぶことのできる天使が地上を走る以外に術の無い人間を捕まえることなど赤子の股間を踏み潰すより単純かつ容易だ。
「やります、絶対やりますからリディア様。ワタシやってみせます! ペニス、ゲットだぜ! です」
空高く舞ったセシルの視界の先には異常な速度で商店街を走り抜けている拓真の姿がしっかりと映った。百メートル走に換算するなら十秒を超えているかもしれない。当然普通の高校生が出せる速度ではない。
「(あの速度、もしかしたら先ほどの束縛の法術に感化されて中の悪魔の力が外に漏れているか、身体に影響してる? だとしたら急がないと)」
セシルの予測が正しいのならモタモタなどしていられない。情報課の感知した拓真の魔力エネルギー量は並の悪魔ものではなかった。下手に力を手にした後ではセシル自身手に負えなくなる可能性が出てくるだけでなく、突然力を手にした人間が何をしでかすかわかったものではないのは天界の授業ですらやっている。だから力を僅かでも開放していない状態で事態を収めなくてはならない。しかし、拓真の走る速度を見る限り、先ほども言ったが普通の高校生の速度ではない。
空帝師団原則ルールとして任務中における生物への殺生は堅く禁じられているが、ある条件下では例外となることがある。
悪魔の力を覚醒させた者。
これはその者の覚醒具合にもよるが、拓真の場合発するエネルギー量から察するに、おそらく僅かでも他人に危害を与えるレベルの力を発動してしまえばこの対象になってしまうだろう。
「でも、そんなことリディア様は望んでない。リディア様を失望させるような結果を持って帰るわけにはいかない」
展開した翼で空気を叩き一直線に拓真に向かって飛んで行った。
一方全力疾走中の拓真は自身の体がに当たる風を切るように駆けていた。これ以上あの少女に関われば間違いなく悪いことが起こると第六感が告げている。少しでも早くあの少女のいる場所から離れなければという気持ちが拓真の足を加速させた。
そんなことがあって、今の河川敷での現状なわけなのだが……。