視線
自サイトより微修正し転載。
「……」
また来てるな、あの客。
粘着質な視線を感じて、俺は溜息をついた。
俺はビデオショップでバイトをしている。
夜間のバイトなんで率もいいし、色んな人が来るから人間観察すんのも面白いし、俺には天職だった。
……数ヶ月前までは。
「その顔は、また来てるんだな?」
「先輩……」
俺にこのバイトを紹介してくれた先輩が、声を掛けてきた。
途端に嫌な感じが増す。
「正体は未だ掴めず、か?」
「ええ」
鋭い目で店内をざっと見回した先輩は、ふっと溜息をついた。
「駄目だな。こんな時間の客は誰もが怪しく見えちまう」
「それは……それを云うなら、此処でバイトしてる俺たちだって怪しいってことなんじゃないですか?」
「そりゃそうだな」
先輩はからからと笑った。
俺はどうも妙な客に目をつけられているらしい。
深夜のビデオショップなんて、客も店員も男ばっかりだから、恐らくはこの粘着質な視線の主も、男だ。
それまでは本当に楽しい職場だったんだが、な……最近はバイトが憂鬱に思えてしまって、困る。
最初のひと月程はひとりで耐えていたけれど、ストレスやら何やら溜まる一方で。
仕方ないんで此処を俺に紹介してくれた先輩に相談したら、それからずっと同じシフトで入ってくれて、店内をさり気なく見回って犯人捜しに協力してくれているが、今のところ成果はない。
「あー、もう……辞めたいかも」
最近はそんな風にまで思い始める始末。
――だが、煮詰まっていたのは俺だけではなかったようで。
「ねえ、君」
返却されてきたビデオを棚に片付ける作業をしていると、背後から声を掛けられた。
「あ、何か御用でしょうか?」
振り返ると、客相手にこういうことを云うのも何だが、どこか薄気味の悪い男がにやついた笑みを浮かべて立っていた。
「君、可愛いよね。最近ずっと見てたんだよ?」
「……」
こ、こいつか! あの気色悪い視線の主は。
「ねえ、今恋人とかっている? いてもいいけど」
「……は?」
いきなりどうしてそういう話になるんだ?
「僕、君のことが気に入ったんだ。だから僕と付き合おう」
「なんだって!?」
まるで決定事項のように云われて、俺は面食らう。
冗談。こんな薄気味悪い男は、願い下げだ。
こっちが半分以上退いていることにも気づかず、男は勝手にぶつぶつと1人で盛り上がっている。
終いには、なんかべとっとする手で俺の手を握り締めやがった。
「……」
一応、こんな奴でも客は客だ。
殴り飛ばすことも出来ずに困り果てていると。
脇からひょいと伸びてきた手が、俺の手を握ったままの手を軽く払い除けた。
「――すいませんね、こいつは俺のなんですよ」
「え……!?」
目の前の男が驚愕の声を上げるが、俺だって同じこと。
男の手から俺を解放した腕が、そのまま俺の躰に回って背後に引き寄せられる。
背中がしっかりとした胸板にぶつかり。
「そういう訳なんで。こいつ口説くのはもう止めてくださいね?
でないと……」
「で、でないと……?」
その途端、俺を包んでいた空気の温度が一気に下がった、気がした。
「でないと――容赦しませんよ?」
「ひ……ッ!」
竦み上がった男は這々の体で店を出て行く。
だが、恐怖を覚えたのは男だけじゃない。
「――ごめん、怖がらせた?」
がたがたと小さく震える俺の躰に回された腕に、また少し力が込められて。
背中からぎゅうと抱きしめられた。
「……いえ、あ、ありがとう……ございました」
その暖かさに、躰の震えと強張りはゆっくりと解けていく。
「あ、あの……お客さん減らしちゃったのはやっぱりマズいんじゃ……」
云った途端、怒鳴られた。
「馬鹿! 店のことより自分のことを第一に考えろ!」
あまりの剣幕に、身を竦ませてしまう。
「あ……悪いな、嫌な思いしたのはお前なのに」
沈んだトーンで呟いて、先輩は俺の頭をよしよしと撫でた。
「仕方ないさ。お前だってあいつに、もう来て欲しくないだろ?」
「まあ……そうですけど」
「じゃあ、これでいいってことにしておけよ。な?」
「……はい」
「それじゃ、仕事に戻ろうか」
「そうですね」
カウンターに戻っていく先輩をなんとなく見送ってから、俺は周囲にぶちまけていたケースを拾い上げた。
――こいつは俺の、という先輩の言葉の意味を、考えないようにしながら。
そしてそれが嫌じゃなかったことも。
サイト掲載は2006年夏。夢小説にしようとして断念し方向転換した、と覚え書きが。
登場人物ふたりに名前はない。これからふたりの関係がどうなっていくのかも判らない。
たまにはこんなものも。