バカのハサミの使いよう
どうして俺が辞めたかって? それはね、正しいハサミの使い方ってのが分からなくなったからなんだよ。俺は別に好きでやってきた訳じゃないよ。たまたま江戸時代から続く和菓子屋に丁稚奉公させられただけさ。毎日食うので精一杯。稼ぎはほとんどねえからな。技術を身につけるしかなかったわけだ。
そんな中で飴細工ってのにはまったんだ。いくら綺麗な和菓子でも毎日毎日作ると飽きてくる。基本的には上に言われたものしか作れないから工場で部品を組み合わせるのと一緒だ。全部ただ流れ作業のように作る。そんな中で遊びとして作ってたのが飴細工さ。飴細工だけは自分の好きなものを作る事が出来た。最初見た時は全く以て驚いたね。ものの一分でウサギやら猫やらに変わってしまう。こんな俺でも魅力を感じるのはやっぱり自分で作れること、それに自分の腕次第でどのようにも変わってしまうことだね。
ただやってみるとまず、飴の熱さに驚く。飴が固まるから一分、二分で作ってる訳さ。別に早いから凄いんじゃなく、早く作らないといけなかったんだよ。毎日狂ったように飴細工にのめり込んで、仕事終わりにこっそり作ってたんだがな。毎日毎日、どうすれば兎や猫が出来るか研究しつつ、経験を作り上げていくしかなかった。勝手に飴を使っていたのに全く怒られなかったことに本当感謝している。さすがに仕事中に飴細工の作り方を教えてくれ! と何度も訊きに行ったらぶん殴られたけどな。
その昔、飴屋ってのは大仕事だったらしい。飴つって想像するのはビー玉くらいのサイズ、あるいは水飴でも全然食べられる量だ。だが本当の飴というのは重たいんだ。業務用の水飴は一斗缶に入ってる。それは相当な重さだ。そして腰やら足やらやられたものが、それでも何とか働く意欲を出すために見せ物として飴細工を習ったらしい。まあこれも孫がいんたーねっとで調べてくれたおかげなんだけどな。
別に俺はそんなこと意識せず、ただただ日頃の鬱憤を晴らすために作ってただけさ。何でも一緒だ。鍛錬鍛錬の連続。そうやって積み重ねることによって出来上がっていく。
初めてうさぎが出来たときは嬉しかったよ。職人と同じ動きが出来るなんてな。本当驚きだったよ。そうやって俺が作ったウサギは俺が食べた。職人は皆思うがな、いくら美しい、綺麗、壮麗、何でもいいがそんな和菓子を作っても銭をもらって食べてもらわないと意味がないんだ。食べて初めて和菓子自身も喜ぶ。なんてことは思わなかったが、食べられないと銭が入らないんだよ。まあ銭は入らなかったが俺自身がちゃんと食べたさ。いつも食って飽きてる飴の味がちょっと違った気がしたのは本当さ。
結局そうやって、小っ恥ずかしいが「趣味」として飴細工をやっているうちに段々人に見てもらいたい欲求が出てきてな。縁日で売り出すことにしたんだ。その頃にはもう丁稚ではなく、ちゃんとした職人になっていた。縁日だからな、ちゃんとそういう奴らにも頭を下げたし金も渡したさ。
子供たちが喜んで動物の形をした飴を見ている姿を見ると、それまでなかった感情が生まれてきやがった。ああ、これが俺の天職なんかもしれねえと。こうやって子供たちに飴細工の素晴らしさを見せてやりてえ。バカみたいな話だろ? 実際そう思ったんだからしょうがねえ。
俺は店を辞めちまった。専業の飴細工職人になりたかったんだ。
でもそんなこと最初から出来る訳もないから、結局は独立したがっていた奴を仲間に連れて共同で和菓子屋を作った。まさか飴細工で独立が出来るとは思わなかった。
日頃は和菓子職人として、そして夏になると縁日の飴細工職人として働いた。毎年夏になるとわくわくしたよ。俺も単純な男だったんだろうよ。
そんな中であの子と出会ったのさ。
縁日には子どもがいくらでもうろついてるがその子は服が恐ろしく汚かったんだ。時代が今と違うのを差し置いても、いくら何でもそんな格好はないだろ? って感じだった。ズボンも穴が何カ所か開いてて、半袖のシャツは黄色いはずなのにくすんでいたり、しみがついていて正直汚らしい。履き物も泥だらけ。その子を見てるとなんだか飴をやらなくちゃって思うしかなかったんだ。
うつろな目をしていたよ。みんな屋台で楽しんでるのに、その子だけぼんやりみんなを見てる。
思わず「おい、そこの坊主!」って叫んじまったよ。何度叫んでも気づきやしない。まさか自分が呼ばれてるなんて思ってもないって感じさ。だから結局は屋台から飛び出してその子を引っ張ってきちまった。
近づいてみると顔や腕に切り傷があったんだ。「坊主? 何だその切り傷は?」って単刀直入に訊いたら「ハサミで切った」って言いやがった。普通ハサミで腕やら顔やら切るか? 俺はバカだったんだろうな。その時気付けばよかったんだ。今だったら何だって言えるさ。聞いてても分かるだろう? 虐待って奴だ。可哀想にな。
俺は結局ハサミって言葉ばかりが頭の中にあった。そうさ。飴細工にはハサミを使う。和ばさみって奴を日頃から使うわけだ。だから俺は説教しちまった。「坊主、ハサミは正しい使い方をしなくちゃならないんだ。顔やら腕やら切るための道具じゃねえだろ?」ってよ。「坊主? 好きな動物言ってみろ。何でも俺が作ってやる」普通の子どもならすぐに答えが出るのに、そいつは何も言わなかった。結局俺は諦めていつも通りの手つきで猫を作ったんだよ。それを坊主にあげるつって、手渡そうとしたら物凄い表情と声音で俺に向かって言ったんだ。
「こんなのもらえないよ!」
こんなの、かよ。俺が作ったのはこんなの、か。と思って、ムキになって猫を渡したんだ。俺も怒っちまった。「おじさんが作った飴がもらえないのか!」って。そいつ、泣きそうな顔になりながら捨て台詞のように「ありがとう」と呟いて走り去っていった。
その子がどうしてもどうしても気になって、店を放って追いかけたんだよ。その時初めて気付いたんだよ。その子にはちゃんと親がいる。でも人目のつかない所で殴られてたんだ。親にさ。俺の作った飴は何度も何度も踏みつけられて。
訳の分からないものに出会ってしまうと何も出来なくなるんだな。恐怖は感じなかった。そうやって子どもをぶん殴る奴がどこにでもいたからな。ただなんだろうな。ハサミって単語や、生傷や、全力で拒否をする姿、合致したときに俺は遠くから、それこそその子みたいにぼんやり見ることしか出来なかったんだよ。
もうその時にああ、俺は何をやってきたんだろう。子ども一人幸せに出来ねえなんて。って思っちまったんだ。
さすがに和菓子職人を辞めることは出来なかったさ。ちょうど結婚して子どもが生まれるって時期だった。家族を養わないなんてことはしたくねえ。ただ飴細工をすることの限界は感じたんだ。たったそれだけの出来事と言えばそうかもしれねえ。まだやろうとしたら出来たかもしれねえ。でもなんでだろうな。もう手が付けられなくなったんだ。
バカとハサミは使いよう。俺にぴったりの言葉さ。俺はバカだしハサミも使ってたしな。ただ結局言い換えれば、ハサミを使えるバカだったんだな。バカのハサミの使いようさ。
俺はその子がどうなったかは知らねえ。もしかしたら、と思う時もある。信じたくはないさ。ただもう俺は長年作ってないんだ。飴細工を。
でもあいつのハサミを使いたいって思いはあるさ。まさか一人息子がハサミ職人とはな。そんな言葉があるなんて今でも信じられねえ。しっかり和ばさみ作りやがって。需要があるのか? そんなものに、って感じさ。俺もあいつも職人か。何の因果かねえ。まああいつにも子どもが生まれたわけだから。初孫に飴細工ってのもいいかもしれねえな。