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外注都市伝説  作者: 高宮
1/3

口裂け女1

点滅する電灯には蛾の姿があった。この住宅街はもう太陽の光は注ぐことなく、すでに夜を向かえていた。元々閑静な郊外の土地柄のためか、人の姿は本当にまばらである。偶にぽつりぽつりと道路に人の姿が見える程度で、人気を感じるには少し勘遠い場所だった。

そんな住宅地の道のひとつに高校生の姿があった。学生服を着た彼は、帰路を急ぐわけでもなく、寄り道をするような素振りもなく、ただ帰り道を黙々と歩いていた。

ふと彼は妙な声を耳にしたような気がした。そして彼の帰る道の先に誰かがいるような感覚に取り付かれた。釣り目がちな目を彼は細めてみた。

「あ…」

すると夜闇に紛れてはいるものの、3つ先の電信柱の影に誰かいるのに彼は気がついた。

その影はゆっくりと彼に近づいてきた。彼がその影を確認したと同時に、静かにそして音を消すようにである。少々彼は訝しむ様子を見せた。目を細めた彼の先に移ったのは、電灯に照らされた背の高い女性の姿だった。身長は170cmを超えており、髪は長く黒いストレートだった。赤いハイヒールを履いているためか、その身長はさらに高く見える。顔はよく視認できない彼だったが、その口元は白く四角く反射している。所謂マスクをつけている為だった。

「ねぇ…」

その女性は彼に話しかけてきた。ゆっくりと歩みを止めぬままにか細い声が漏れ、俯きがちの彼女の顔から鋭い視線が彼に注ぐ。

「はい」

少し彼は体を硬くして、そう返した。若干声に棒がつかえたような響きがあった。赤いワンピースを着た彼女を彼はしっかり視界の中央に入れ込んでいた。彼はその姿から逃れられないような様子でもあった。

女性のマスクから息が漏れる。その音は静か過ぎる住宅街のせいかよく響き、あたかも爬虫類の威嚇を思わせるものだった。

「私、きれい?」

彼女はそう聞いた。なお歩みは止めず、すでに彼との距離は1mを切っていた。

「はい」

彼は半歩後ずさりながらそれだけ述べた。彼の額には若干の汗が浮かんでいた。

そんな彼の様子に対して、彼女は歩みを止めたわけではなく、ただ彼の元に近づいてきていた。地面と靴がこすれあう音が響く。彼は目の前の女性を見ていた。ストレートの髪はよく見るとパーマがもう抜け切る寸前で、ひどく荒れていることに彼は気がついた。彼女の鋭い目は充血し、その瞳が濁った黒い灰色をしていることにも気がついた。そして彼女の呼吸が妙に荒く、空気の漏れるような音がすることに彼は気がついた。

そしてそんな彼女は彼の目の前に立ち、ゆっくりとマスクをはずしはじめた。

「…これでも?」

マスクを取ってそう笑った彼女の唇は、普通の人と比べ大きく裂けきっていた。三日月のような笑みを見せる彼女の口からは歯茎も表情筋を構成する肉もよく見えきっており、その瞳には狂気の色が映っていた。

一瞬彼は呆気に取られた。しかし次の瞬間、彼の顔から汗がさらに流れ、瞳には激しい感情の色が映りこんだ。

そんな様子を見た彼女はさらに唇の端を大きく吊り上げ顎を下に大きく開いた。今にも高笑いをして追いかけて襲ってきそうな、そんな彼女の姿を見て顔を大きく歪めた彼は彼女に対しこう叫んだ。

「素敵だ!」

彼女は呆気にとられた。一瞬2人の世界が凍りつく。そしてそれを解いたのは彼だった。

「いや、すいません、初対面の女性に対して。いやでも本当に僕そう思ったんです。長い髪の毛にスレンダーな体系、そしてそれに合った洋服のセンス、一見厳しそうに見える目ですがそれもメイクによるものですし、何よりその口!そんなに大きく開いて…、なんて、その……あぁ、もう!」

最後の言葉で、彼女は体をびくっと振るわせた。先ほどの彼女の瞳に見られた狂気の色はもうなく、そこには困惑の色しか存在していなかった。

「あの…その…」

半歩下がりながら彼女はどもりはじめた。そんなことをしている彼女に対して、彼は学生服のポケットから携帯電話を取り出すと、

「あの、すいません。アドレス聞いていいですか?」

マイペースにアドレス交換を持ち出した。

「ええと…」

混乱する頭の中で彼女はふと思った。もしかしてさっき私が近づいたとき、汗かいて動揺してたのって怖いからじゃなくて…

「この機会ですし、また会えたりお話できたりしたいですし、今日はもう遅いですしその…」

彼のタイプだったから、という彼女の一見血迷ったかに思える仮定は確信に一押しされた。

「いえ、その出来たら、お時間あればちょっとお話とかしたいって僕は思ってるんですけど」

彼女の確信はさらに強まった。そしてその確信が強まった分、彼女の行動の選択肢は、襲うでもなく脅かすでもなく別の選択肢を選ぶ必要性に迫られた。それは

「あっ!!」

彼が叫んだ。彼女は回れ右をすると全速力で走り始めた。逃亡である。

「あ、あのっ」

彼も走り始めた。彼女が振り向くと彼が走って追いかけてきていた。目を見開いて彼女は驚き、さらにスピードを上げた。しかしそこは男子高校生か、そう簡単に距離は離れなかった。

「待ってくださぁぁぁぁぁぁああーーーーーい!!!!」

後ろから聞こえてくる声を完全に無視し、涙目になりながら彼女はひたすら走った。オリンピックの短距離ランナーも驚くようなスピードで赤いワンピースの影は夜闇に消えていき、それを追うようにして学生服の影も消えていった。




そこには薄ら明かりに覆われているようにぼんやりしている光が散在していた。空気はそれなりに肌寒く、そして視界的にもどこ霞がかかっているようだった。

(しばらくぶりだけど、ここも変わんないな)

ニット帽の女性はそう思った。背が170cm程度あり、髪の毛はセミロングにしている。服装は迷彩色のダウンジャケットを着込み、ジーパンをはいていた。そして彼女は、どこかが人間の住んでいる街とは違う街の景色をぼんやり見て歩いていた。

女性が歩いている場所はこの世ではなかった。この世とは少し隔てた場所にある、妖界という場所だった。そこでは所謂、霊や妖怪と人間たちが呼称する者が住んでいる場所だった。彼らは人間界に入り込み、様々な怪異を起こしている。その目的というものも実はそれなりに存在するのだが、その目的がなければ彼らというものはひどく無害な存在だった。そしてニット帽の彼女は、人間ながらもそのことを知っている数少ない人物だった。

女性は歩みを進めているうちに一軒の喫茶店の前に彼女はたどり着いた。そして店内に入る。

「いらっしゃいませー」

女性店員の一人が応対する。その顔は青ざめており、この世の存在を示す血の色をしていなかった。垂れ目気味の目をしており、目の下の隈がパンクバンドのメイクのように黒かった。特徴的なことに彼女の鼻筋から横に大きな傷跡があった。

ニット帽の彼女はそんな彼女の容姿を特に気にしている風もないようだった。

「何名様ですか?」

「あー、待ち合わせでさ、そいつ先に来てるはずなんだけど」

ニット帽の彼女は店内を見回した。まばらな客数のためか、奥の左端の席に白髪の小さな女性の姿をすぐに見つけることができた。彼女は手を軽く振って、その席に近づいていった。

「おす」

「どうも、こんにちは」

ニット帽の女性と、白髪の女性がそれぞれ挨拶を交わした。

白髪頭の女性は、目が大きく幼げな顔つきをしていた。その肌の色は粉が噴かないばかりの白さをしていた。白く細かい網目のストールを着込み清楚で落ち着いた雰囲気がよく似合っていた。

ニット帽の女性は店員を呼び出した。けだるそうな足取りで先ほどの店員が近寄ってきた。ニット帽は彼女にコーヒーを一杯注文し、店員はオーダーを受けるとすぐに戻っていった。

「久しぶりー。今回はどうしたー?また住宅ローンの借り換えの相談?」

「あぁ、その節はどうも、おかげさまで」

軽い調子にニット帽の女性はそう話しかけ、白髪の女性は会釈をした。

「いやいや、まーめんどくさいけどねー、大変だよねー」

「資金繰りもそんなに苦でもなくなってきたし…。あ、今回の相談はこれとは別なんだけど…」

頬をかいて、白髪の女性が視線をそらした。どこか困ったような苦笑いが浮かんでいた。

「聞いてくれる?枯野さん」

ニット帽の彼女、枯野は人間ではあった。

「それで、何にお困り?」

同時に、妖界にてその住人たちを相手どり、相談を受ける何でも屋でもあった。

にこりと営業スマイルをする枯野に対して、テーブルの上で指をあわせ言い出そうかどうか迷っているようだった。

しばらくして彼女はゆっくり話し始めた。

「突然だけど、今、私さ派遣で仕事しててね」

「うん、年金足りてないの?」

「それもあるんだけど…。息子が実は今帰ってきてて」

その言葉に枯野は目を細めた。

「あれ、就職したんじゃなかったの?」

「したのよ。座敷童子事業系列の下受けの会社に…。でもあそこ、あなた達の方面で火災事故あったでしょ?」

「あー」

そういえば数年前に東北の旅館で火災事故があったという話を耳にしたな、と彼女は思い出した。

「その影響で業界全体が一気に冷え込んじゃってねー…。あの子の会社運も悪くて、再生法適用受けるまでになっちゃったのよ」

少し困ったような顔で白髪の彼女はそう話した。

「あー…」

反応に困た様子で枯野は生返事を返した。

「まぁそんなこんなで、私自身働いて外にも出たいし、夫を説得して派遣で仕事してたのね」

「はぁ。ちなみに何のお仕事?」

「口裂け女の現場の」

あぁ、と気だるそうでどこか寂しそうな返事を枯野はした。

「はいはい…、この仕事も20年位前は人気の仕事だったらしいのにねー、今やアウトソーシングにまで…」

口裂け女の都市伝説が発生した際、妖界の新興市場は活気に沸いていた。新たに次々と会社や事業が誕生していたのだが、それも今は燦々たる有様となってしまった。

「そんなこと言っても仕方ないわよ、座敷童子がダメになる時代よ。絶対に安全な怪談事業なんてないわ」

知ったような口ぶりで白髪の彼女はどこかシニカルにそう返した。

だが実際問題、妖界にとって、このような大規模に流行する都市伝説というのは願ってもない話であった。彼らが人間界から得たがっているものは、人間が放つ恐怖や驚きの感情エネルギーだった。感情エネルギーを妖界に運ぶ際にそのエネルギーは万能な資源として変質し、それを用いて様々なものを作ることが可能となるのが妖界の仕組みだった。妖界の中にも鉱脈という形でそのエネルギーは存在する。しかし鉱脈自体が珍しいものであるがために、人間界からエネルギーを採取する必要があり、それが彼らの目的でもあった。

もちろん人間の間でこれらの情報が広まってしまえば採取の可能性が著しく減少するため、これは人間たちの間においては知られることのない情報である。

「まぁ、それでどうしたの?」

枯野が先に話を進めようとした。

「それで営業成績もそれなりに真面目に仕事はしてたんだけどね」

「うん」

「3日前に変な男の子に会っちゃって」

「はぁ」

妖界の住人に変な子扱いの人間とは、と枯野の内心には妙な笑いが起こっていた。

「その子ね、その…」

何かを言おうとした白髪の彼女は、突然しどろもどろになった。下を少しうつむいて、目をきょろきょろと動かせている。話すのが恥ずかしいと言わんばかりのしぐさをしていた。

「何?どうしたん?」

「いやその、恥ずかしくて…」

枯野はゆっくりと微笑した。

「大丈夫、聞いてあげるから。言ってみて」

相談を受ける者独特の抱擁の雰囲気を枯野は纏っていた。普段つっけんどんな彼女だったがこういった切り替えのよさが彼女にはあった。

「うん、そのね…」

なおも躊躇いがちな白髪の女性は、その幼げな顔つきに見合った大きな目をきょろつかせていた。なおもその内容を話すことにためらいがあるようで、どこかその白い肌にも赤みが見えるようだった。

だが決心を決めたのかついにゆっくり言葉をつむぎ始めた。

「その…私のことが好きみたいなの…」

言葉を聴いた瞬間、枯野は微笑したまま硬直した。石像のように固まった彼女はしばらくして

「……あ”?」

と一言漏らしただけだった。

「いつも通りねマニュアル通りに『私、綺麗?』『これでも』ってやったのよ、そしたら彼私の顔じっと見て『素敵だ…』なーんて言い出してね。その、私もね、そんなこと思っても見ないじゃない。最初はただ驚きすぎちゃって変になったのかなとか、ひねくれてる子なのか、もしくは私が手を出させないために必死になってるとかそういうのも考えたのよ。過去の事例取り上げた書類にもそーいうパターンあったし。でも、あの子様子がおかしくてね、目が妙に輝いてるし、私も対応の自身がいまいちなかったから、その場はその、ちょっとおいとましてね…」

そんな枯野に構わず白髪の女性は話を一方的に巻くし当て始めた。枯野は聞いているか聞いていないかはともかくとして

「……」

先ほどの姿勢のまま固まり続けるだけであった。

「でもね、次の日からよ問題は。あの子ね、また同じ場所に同じ時間でいるわけ。次の日だけじゃなくてその次の日もさらにまた次の日も…。ここ数日はあの子を見つけたら絶対に避けるようにしてて何とかなってたんだけど、あの子も考えたのか少しずつ行動範囲広げてきててね。2日前なんてあと少しで見つかりそうになって本当に必死に逃げたのよ。こんな状況だから営業エリアを変えてもらいたいんだけど、急に変えてもらうわけにもいかないし、もちろん理由は話せないし。どうしたものかって困っちゃって…」

彼女の話が終わるころには、その彼女の表情は生き生きとしたものの反面、確かに困惑さをも持っている微妙なものになっていた。

そんな彼女を見て、枯野は無言で立ち上がった。そしてレジに向かおうとした。

「どこ行くの?」

白髪の女性が枯野の袖をつかんだ。大きな瞳が枯野の背中を睨んでいた。

「帰る」

枯野がそう切り捨てるように言った。

「頼むわよ、枯野さん。本当に困ってるんだから」

「知らない、自分で何とかしな」

振り向きざまに見せた枯野の表情は心底どうでもよくそして面倒くさそうなものだった。それに対して、白髪の女性は見るからに必死そうでもある。彼女にとっては大問題なのだろう。

「だって私100キロババァじゃない!!」

彼女がそう叫ぶように枯野に訴えかけた。確かに彼女の前職は100キロババァだった。口裂け女ではない。口裂け女は派遣の業務だ。

だからなんだ、と言いたげな視線が枯野から発せられていた。問題はそっちじゃないだろ、と枯野は思った。

「夫いるじゃない!子持ちじゃない!年金受給年齢じゃない!」

そうそうそっちだ、と枯野は思ったが、よくよく考えたらこれも問題にあたるのかと枯野はまた思った。しかし非常に彼女にとってはどうでもいい話で

「自分でなんとかしなさいよ、そんなことー」

さっさと帰ろうとするため、袖をから腕を引き剥がして出口に向かおうとした。しかし、白髪の彼女はそう簡単に離そうとせず、二人はそのままこう着状態に陥りかけた。その時だった。

「お待たせしました、コーヒーです」

気だるそうな顔をしたさっきの店員がコーヒーを運んで現れた。揉め事を起こしているような2人には一切興味のない素振りだったが、

「コーヒーです」

コーヒーは飲んで帰れ、と暗に言っているように彼女は再びそう言い放った。

店員の視線が枯野に刺さり視線をつい逸らす。ふと店の入り口を見るといつの間にか長い髭と長い白髪が特徴的な男性、つまりこの店のマスターまでいたのだった。それを枯野は確認すると、コーヒーを飲むまではこの店から出られないこと、そして彼女の話を聞かなければこの椅子を立てないことをなんとなく悟りため息を漏らすのだった。

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