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第7話 知らない彼女・・・楓

周りの喧騒が煩い。


誰も彼もが突然発表された、椿と緑川光の電撃結婚の話題で盛り上がっている。

どうやら婚姻届も既に提出済みで、実質的に椿は前妻の死後以降、誰も座ることの出来なかった緑川の後妻に納まったらしい。

小百合は汚れた服の事も忘れる程興奮しているし、本家の者ですら嵐以外は誰も知らなかったしく、あまりにも素早い、しかも橘とはライバル関係にある緑川との結婚などいろいろと五月蝿い老人連中は当然難色を示すものかと思われた。



だが実際、蓋を開けてみると全く違った。


憤った者は楓が想像していたよりも遥かに少数に留まった。それどころか、椿はいい嫁になるだろうと諸手を挙げて祝福したのだ。

その最たる者が御大――家督も会社も次代である嵐へと譲り、今や悠々自適の隠居暮らしをしている嵐の祖父だった。早くに両親を亡くした嵐を育てあげた御大は、その人柄と確かな経営手腕から一族内外からの圧倒的な支持があった。

楓は嵐と友人だったのもあり御大からも大層可愛がられたのだが、そんな御大も椿の事には楓を呼び出し、叱責を繰り返した。その際たる時が楓が婚約破棄をしようとした時。あの時は御大からの大反対があった為に仕方無く諦めたのだ。


それなのに、椿が結婚した事を喜んでいるのが信じられなかった。難色を示した者達はどちらかと言えば、年配者よりも年齢層が若い者達だ。中には、無遠慮に椿の身体を眺めている男もいれば、悔しそうな顔をしている男もいた。

とりわけ女達は喜んでもいたが、嫉妬している風でもある。



緑川光と言えば、若い時分に妻を亡くして以来すっかりと影を潜めたが、元々は楓と同じように女性関係が派手だった。その名残を求めて緑川の後妻の座を射止めようとしていた女達は、軒並み失敗していると言う話もあったのだ。

四十代半ばと言うデメリットは、『緑川光』という最高クラスの男にとっては何の意味も成さないらしい。

円熟味を帯びた風貌、堂々たる経営者としての存在感。経営者としても天才的な手腕を発揮している緑川光の会社は、橘でこそ対抗出来るようなものの、他社ではその足元にも及ばない。橘と緑川では得意分野が違うと言えども、多岐に渡っている会社経営ではお互いがライバル関係にある。

その関係は決して友好的なものではない。


一進一退を繰り広げている会社間を左右しかねない椿と緑川光の結婚と言う繋がりは、果たして吉と出るのか、凶と出るのか。



また、椿の結婚を喜ぶ一団は違う面でも喜んでいた。正式に楓がフリーになった事への歓喜…正確には鳥谷部家の妻の座が正式に開けたのだ。

一族の中でも楓が一番嵐に近い位置にいる。それに女性関係が派手な事に目を瞑れば、楓は優良物件だ。

だからこそ、野心がある者達は自分を、娘を売り込む。


そんなあからさまな視線に腹が立ったのだろう。小百合が憤っていたが、彼女の立ち位置も似たようなものだ。

むしろ先程の醜態を晒した事を考えると、ここにいる女の中で誰よりも下位にいる。それをわからないままにしておくのもいいだろう。別に連れてきたくて連れてきたわけではない。あくまでも、椿に対する見せしめ程度の役割でしかない。

せいぜい上手く立ち回ってくれればいいが、当の椿が全くこちらを見ない。


それが腹が立つ。


内心イライラしているといつの間にか隣に来ていた母親が楓に声をかけたが、隣にいる小百合には視線すら寄越さなかった。



「椿は本当に綺麗になったわ。ようやく椿の蕾が開いたようね」

「どういう意味ですか」

「お前には一生わからないでしょう。そんな子を連れて来るくらいですからね」



ちらりと楓の隣を見てから離れた母は、一言も小百合に声をかけなかった。

暗に貶されているのがわかった小百合は顔を真っ赤にして俯いていたが、内心はクソババアとでも思っているのだろう。そのまま母の行く先を目で追いかけると、父と共に椿に話しかけていた。


婚約をした当初から椿を気に入っていた母の事だ。誰を連れてこようが、文句を言うに決まっている。


そして、椿の隣に立つ緑川光は相変わらず椿を見る目がうっとおしいほど慈愛に満ちている。何か面白い事でも言ったのか、一同がどっと笑い声に包まれた時、楓の気分は最高潮に悪くなった。



強い酒が欲しい。めでたくも無いのに、シャンパンなんか飲んでいても仕方がない。こんなパーティーはさっさと終わればいい。終われば思う存分、女が抱ける。


楓は以前、パーティー中にも物陰やトイレで事に及んでいたが、それが見付かった事はない。ましてや椿が知っていたとも思えない。もしも現場を目撃していたとしたら、椿はどうしていただろうか。きっと泣いていただろう。

だが――


楓は椿が泣いた所を見たことが無いのに気付いた。泣いてたと言うのは知っている。小百合が話のネタ代わりにベラベラ喋っていたからだ。しかし、実際泣いている顔を見たわけではない。嵐も泣いていると言っていたが、実際見たわけではないと言っていた。

そこまで考えて、自分が椿の事しか考えてないのに、また気分が悪くなった。



早く終われと呪詛の様に唱えていた楓は、隣に小百合がいないのに気が付いたが放っておいた。どうせ着替えにでも行ったのだろう。今日もホテルに部屋を取っていたが、今いるホテルではない。となると、誰かに頼んで持ってこさせたに違いない。


小百合を連れてきたのは間違いだった。傲慢でワガママなお嬢様っぷりを晒した小百合は、どう考えても鳥谷部の嫁には相応しくない。本家筋でもある鳥谷部家を仕切るには、行儀作法だけではなく人間性も問われる。その点から考えても及第点どころか、選考候補にすら当たらない。しばらくは、そんな女を連れてきた事に対する風当たりが強そうだと考えると、今までの自由な生活が懐かしいかった。パートナーとして義理のように並ぶ椿は、自分の事を煩わせなかったし、女といても何も言わなかった。しっかりパートナーの役割を果たしていた。その事に不満を持った事はない。


これから隣に並ぶ女は、鳥谷部家の嫁と言う立場で見られる。そうなれば、下手な女は連れて歩けない。今までは椿がいたから良かったものの、これからの事を考えると憂鬱になった。


そんな気持ちを察してか、強めの酒が目の前に差し出されていたのに気付いた。差出人は嵐だ。何か考えているようで、決してそれを読ませない。そんな表情を浮かべながら、楓の隣に立った嵐は楽しんでるかと聞いてきた。



「お前の目は節穴か。楽しいわけないだろう。連れてきた女は騒ぎを起こすし、母親からは詰られるし、良いこと無しだ」

「おまけに椿が結婚相手連れてきたしな」



内心ぎくりとしたが、多分バレていないと思う。楓は動揺した自分を叱りつけながら、嵐に手渡された酒を一口煽った。



「お前知ってたのか、相手が緑川光だって」

「あぁ。まあ婚姻届も提出済みだったのは知らなかったがな。見たか?揃いの指輪もしてたし、何よりも幸せそうだしな」

「幸せ?」

「ああ。これからは彼が椿を護ってくれるんだろう。安心した」



嵐がほっとした様な顔を見せた事に対して、更に機嫌が悪くなった。楓の雰囲気を察してか嵐は何か言おうとしたが、結局そのまま口を噤んだ。



本家当主である嵐と楓は、周囲からも圧倒的に目立つ。二人に近付いて挨拶する者達は、挨拶もそこそこに椿と緑川光の事を話題に出したが、彼らの顔には好奇心がはっきりと浮かんでいた。そんな好奇心を満たしてやることはないとばかりに、終始表面的に笑みを貼り付けて、会話の全部を流した。

そろそろ顔の筋肉が吊りそうな程笑顔の安売りをしたので、もういいだろうと思っていると、ちょうど食事の時間になったので安堵した。今回はディナーパーティーだった為に、予め座席が決められていた。自分の名前が書かれた座席へと座ると、着替えて来たのか、小百合がむっつりとした顔で隣にかけた。さも当然のように腰掛けた小百合を、同じテーブルに座っている面々が不快そうな顔をしたのに気付いたが、素知らぬ顔を貫いた。


食事が給仕されるようになると、彼らの不機嫌さは輪をかけた。小百合のテーブルマナーがあまりにもお粗末だったからだ。おまけに、話題も終止薄っぺらい上に、自分の自慢話に端を発したそれは、次第に親友椿を貶すものへと変わった。

そこまで行くと、愛想笑いに終始していた彼らも顔色を変え、さすがに我慢の限界だったのか、同席していた一人の男が楓を叱責し始めた。本家筋の鳥谷部の跡取り息子に意見するだけの男ではなかったが、他のテーブルにいた彼らも暗に楓を一様に責めていた。



「鳥谷部家の跡取りともあろう方が連れてくるような女性ではありませんね。品がなさすぎる」

「敷島の娘さんだったら、こんな事は無かったですわね」

「私、テーブルを変えていただきたいですわ。こんな方と食事を共にするなんて耐えられませんもの」



ヒソヒソと囁かれる悪口が聞こえたのか、ようやくその口を閉ざした小百合は、悔しげに俯いてはいたが、気を取り直したのか話題を椿の結婚話に変えた。途端に表情を変えた彼らは、一様に椿と緑川光の事を話し始めた。

そんな彼らを見ながらワインを一口飲んだ楓は、離れた席に座る椿を見た。既にメインまで進んでいるのにも関わらず、全く手を付けていない事を訝しんだが、どうせダイエットだろうと思った。楓が付き合った女達も、連れて行けと言うから連れて行ったレストランで、平気で食事を残した。食べないんだったら、連れて行けとか言わなければいいのにと言うと、一度来てみたかった、流行ってるから来てみたかった、来店したのがステイタスだと愚にも付かない戯言を抜かした。椿もその類だろう。痩せた身体で緑川光の後妻の椅子をモノにしたのだ。そんな女が二十年近く婚約者だったなんてゾッとする。やはり婚約破棄して良かった。そう思った。


それにしても――楓は小百合を見て、心底人選を失敗したと後悔していた。マナーは悪いし、話題も薄い。おまけに人の話題を面白おかしくベラベラと話す。これが椿だったら、こうはならない。

テーブルマナーはしっかり身に付けていたし、話題も周囲の人間を不快にさせないものだった。自らが進んで話す側では無く、ほとんど聞き役に徹していた風でもあったが、最後には話していた誰もが椿は話を聞くのが上手いと誉めていた。そもそも、椿は自分を前に出さない。常に二歩も三歩も下がって付いて来る。若い時分は金魚のフンだなんだと揶揄していたが、今となれば妻にするには申し分ない人柄だった。そこまで考えて、楓はワインを飲み干してその考えを打ち消した。



馬鹿馬鹿しい。今更そんな事を考えてもしょうがないし、椿の事はちょうど良かった。これからは身も心も自由な独身者だ。結婚だ何だと言う事はしばらく忘れさせてもらおう。まぁ嵐も快楽主義者を続けてもいいと言っていたし、両親も好きにしろと言っていた。言質を取ったからには、実行させてもらおう。


しかしながら、今日の所は小百合と共にホテルにしけこむつもりはない。折を見てさっさと別れよう。まぁ、小百合だとて散々バッグだアクセサリーだと強請(ねだ)られ、プレゼントしてきたのだ。手切れ金代わりには高すぎるぐらいだ。

そう言えば、椿の首と耳を飾ったダイヤモンド。あれは緑川光から贈られたものだろうか。いや、きっとレンタルに決まっている。流石に小娘にあれだけの物を贈る酔狂はいないだろう。そう考えていると、椿がいる一角がざわっとどよめいた。


どうしたのかと全員が注目したのだが、騒ぎの主は、手を振って皆を注目させてしまった事を謝っている。取るに足りない話題で皆を驚かせたのかと鼻で笑おうとした時、誰からともなく、今ざわめいた理由が告げられた。



「全部買ってあげたらしいぞ、ネックレスもイヤリングも」

「指輪はルビー、しかもピジョンブラッドの最高級品。いやはや、玉の輿ってやつか」

「あら、椿にはあれ位じゃ足りないんじゃないかしら。だって、婚約していた時、何も付けていなかったじゃない。それを考えれば、甘やかされて然るべきだわ」



暗に貶されているとわかったが、黙っておいた。チラリと隣の小百合を見る。小百合が付けているピアスは有名メーカーの限定品で、楓が強請られて贈った物だ。とは言え、ダイヤモンドでは無いし、そこそこ値段はしたが椿が付けているイヤリングとは格が違う。多分、片方だけでも小百合のピアスが余分に買える。


所詮は俗物だったか。

椿のイヤリングがキラリと光ったのが遠くから見えて、楓は眉を顰めた。

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