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第3話 出逢い・・・椿

あくまでも私の創作なので、実際の医療選択とは違う事を了承の上でお読みください。

医師からは治療を勧められたが、椿はそれを全部断った。

治療をして保って一年なのならば、わざわざ辛い道を選ぶつもりはない。自分のしたかった事をしようと考えていた。

本来の自分は内向的な性格が災いして、友人と呼べる人が少ない。親友だと思っていた彼女にも再び連絡を取るつもりもない。

だが、それを別にしても、椿は人間関係を改めて構築しようと思ったのである。性格改善と同時に、人間関係を整理するのだ。

そう考えると、どうせ一年も生きられないのだから…と思い、以前だったら絶対に断っていたであろう合コンなどの誘いも積極的に参加した。


浅く広い人間関係。


さもしいものだなと思いながらも、椿はそれを考えないようにした。

そんな椿の友人らしい人達は、当然椿の婚約破棄の事も知っていたが、ありがたい事に誰もそれを深く聞いてこようとはしなかった。たまに無神経な事を聞かれたりもしたが、全部笑い話に(かこつ)けてはぐらかした。


そんな事が続いたある夜、本家のご当主に呼ばれ、有名な料亭に連れて行かれた。

婚約の破棄を申し出てから初めて会う事になった彼は、椿の刹那的な生活に眉を顰めていたが、それは椿の身体の事を心配して言ってくれているものだとわかっていたから黙って小言を聞いていた。


ご当主には、身体の事を話していた。

会社の社長でもあり、本家の当主でもある彼に椿は多大な心配をかけていた。そこまでして貰う事はないのにも関わらずだ。その事を有難く思いながらも、一切口外しないと約束させて椿は全部を話した。



医者から余命宣告をされた事、治療を拒否している事、これからしようとしている事などを包み隠さず。



彼と親友であるご当主は当初、渋い顔をした。

しかし、椿の揺ぎ無い決心を見て取るや、わかったと請け負ってくれたのである。


しかしながら、今やっているような刹那的な生活は止めろと暗に叱られてしまった。

合コンというものの名前を知っていても椿の婚約者の事を思うと誰にも声をかけて貰えなかった椿だったが、それを密かに羨ましいなと思っていたので誘いに乗っただけで、最近では大分飽きてきたのも手伝ってご当主の忠告に従う事にしておいた。

それ以前に、身体がしんどくなってくる事が増えたのも忠告に従った理由だったがそれは言わない事にした。



車で送るというご当主の言葉を断って、一人でバーに立ち寄った椿は、ソルティードッグを頼んで考えに沈んでいた。

あと何回こうしてお酒が飲めるのだろう。そろそろ会社に行くのも辛くなって来た。こうなったら、会社を辞めてしまおうか。

考えて見るといい考えだと思い、早速明日にでも辞表を出そうと思う。どうせ、自分の変わりなんていくらでも居るのだ。大して役に立っていたとは思えない自分が退社した所で、別にどうこう言う人はいないだろう。


ふとグラスを見ると、空だった。そろそろ帰ろうと思って、腰を浮かした時、隣に座っていた初老の男性が泣いているのが見えて、思わず持っていたハンカチを渡した。ハンカチを手渡された男は、驚いた顔で椿の顔をじっくりと見て、軽く目を見開いた。その反応に少し驚いたが、どうぞと言って差し出した椿のハンカチをやんわりと断り、男は恥ずかしそうに目元を拭った。


彼は親友が急逝したらしく、葬儀の帰りに二人でよく飲んだこの店に立ち寄って旧友同士の懐かしい会話を思い出してどうにも我慢できなかったとの事だった。

どうも自分は彼が感傷に浸っていたところを邪魔したらしい。一言謝って席を立とうと思ったが、椿はどういう事が悲しげに微笑う彼の事が気になって、一度上げた腰を再び下ろして、もう一杯マティーニを頼んだ。



彼は緑川光(ミドリカワアキラ)と名乗り、年は四十六らしい。椿はどこかで聞いた事のある名前だと考えていると、椿の本家である橘と肩を並べる会社の社長だった事を思い出した。

よくパーティーで見かける緑川は、独身である事が業界では周知の事実だったのだが、実は二十代の頃に結婚し、その妻を事故で亡くしている。

亡き妻を忘れられずに未だ再婚をせず、浮いた話も無いと噂されていた。最も、妻が存命中の頃は数多くのスキャンダルが付きまとったが、現在はとんとナリを潜めたとも言われていた。

一人息子がいるが、現在はスイスのパブリックスクールに入ってから、ロンドンの大学へ在籍している為に、日本を離れて長いらしい。それを寂しく思った事はないのかと聞いてみると、慣れた、と苦笑混じりだがどこか寂しそうな顔で答えてくれた。


不思議な事に、笑った時に目尻に寄った皺が実年齢よりも若く見えさせた。四十六と言う年齢は二十代前半の椿にとっては、オジサンと思ってしまう年代だが、緑川は上品な感じで好感が持てた。年の割には若いと思う。だが、見た目とは裏腹に実年齢を聞けば、落ち着いた物腰も納得出来る。

黙っていれば四十前半…いや、下手をすれば三十代にも見えるだろう。

会社の上司と同じ年だとぼんやり思いながら、その上司から見ると目の前の男は随分若いと改めて思ってしまった。


なんだか緑川になら、自分の事を話してもいいだろう。何故かそう思った椿は、隠すことなく全部喋っていた。辛かった記憶も余命宣告を受けた事も全て。


緑川は黙って聞いてくれていたが、流石に余命宣告の話には驚いたていた。話すにつれ、吹っ切ったと思っていた思いが溢れ、いつの間にか流れていた涙を彼は自分のハンカチで拭いてくれた。さっきとは逆になった立場に、椿は少し笑った。



「死ぬのが怖いかい?」



怖くないと言ったら嘘になる。だけど、椿が本当に怖いのはそれでない事に、その時ようやく気付いた。

怖いのは、自分が死ぬ事が誰かに知られることだ。ひっそりと、誰に知られる事無く死にたい。終末期医療(ターミナルケア)を選択した椿は、どこかのホスピスに入所すると言う選択肢はない。

出来るならアイバンクにも登録して、自分が死んだらそれに自分の角膜を提供したいし、死んだ後も、自分の身体を献体として提供したい。そして、最後には名前すら残らないようにしたかった。


それを聞いた緑川は、椿の頭を撫でながら彼女が驚く様な申し出をしたのである。冗談かと思ったそれは、緑川の真剣な目によって椿の心の中に、妙にストンと落ちてきた。別れ際、お互いの携帯番号を交換したが、きっと小娘をからかって楽しんでいるんだろうなと思っていた椿は、次の日の朝からマメに電話をくれる緑川に吹き出しつつも、その申し出をありがたく受ける事にしたのである。





「うわー…敷島さん、思い切ったね」

「婚約破棄してキレたんじゃない?」

「あんな頭で仕事出来るの?」



緑川とのバーでした一つの取り決めを実行するために、まず椿は考えていた通り辞表を出した。その前に景気付けで、ずっと伸ばしていた髪を切った。


色も抜いた。


髪を伸ばしていたのは、楓の好みのタイプが髪の長い子だったからだ。呆れる程従順だった自分を悲しく思いながら、美容師が勿体無いと言う台詞を無視してばっさりと切った。それまでいじってこなかった髪色も脱色し、かなり明るい茶色になった。

それまで憧れていただけの髪型のポブヘアにした椿は、難しい髪型にも関わらず、かなり似合っていた。担当した美容師ですら驚く程の仕上がりになったそれは、かなり周囲の目を引いた。その髪型に合わせて服装も変えた。


それまで椿は、ぽっちゃりとした体型を気にして身体の線が出るような服は敬遠していたが、余命宣告される以前から少しづつ痩せた。食べても太る事無く徐々に落ちている体重は、確実に椿の身体を蝕んでいる。

しかし、周りの人間は婚約破棄の影響だと思っているらしかったので、そのまま訂正しないでおいた。その脂肪の落ちた身体は、今まで着ることが無かった短いスカートや、細めのパンツ、後ろ姿がはっきりとわかるカットソーなどが難なく着れるようになった。幸い、ぽっちゃりしていた頃にそれなりにあった胸の肉は減っていないため、最近綺麗なラインが見えるような服装をするようになったと好評だった。


辞表を出す際も、高いヒールを履いた。一見すると下品にも見えかねない椿の服装は、攻撃的でもあり扇情的でもある。出された辞表に唖然とした課長を苦笑して、さっさと自分のデスクへと戻った。しばらく遠目に見ていた同僚達も、面白そうにあれこれ椿に聞いて来たが、終止無言を貫いた。

その時デスクにある電話が鳴り、社長室に呼ばれた。最上階にある重役室には、社長以下重役が机を並べている。当然専務である楓も同じフロアにいるはずだが、あの人がどうのこうの言う人ではないのは知っている。妙に凪いだ気持ちで重役室専用エレベーターに乗り込んだ直後、緑川から携帯にメールが入っているのに気付いた。


受信時間を見ると、つい先程で『今日もし時間があるようだったら、食事をしないか』と書かれたそれに是と微笑みながら返信し、ポケットにしまうと同時にエレベーターが開いた。


重役付きの秘書達が椿の顔を見て、揃って一様に驚いた表情をしたが、そこは重役付きだと言うこともありすぐさま自分の仕事に戻っていた。目端に見えた専務室には、楓の他に楓付きの秘書もいた。彼とは一度合コンで一緒に飲んだ事があるが、別段深い仲になるまでには至らないどころか、その時の合コンは途中で気分が悪くなった為に、早々に帰っていた。

専務室に一瞬だけ視線を送ると、そのまま社長室へと向かった。



社長室には嵐と嵐付きの秘書がいたが、椿が来たとわかると、秘書を退室させて誰も入ってこないようにと厳命した。

座ってと言われたが、そのままデスクを挟んで立っている事にした。困った表情を浮かべた嵐は、身体は大丈夫かと聞いてきたが、曖昧に笑ってはぐらかしておいた。多分敏い彼の事だ。とっくに見抜いている事だろう。



「仕事、辞めるのか?」

「はい。もうそろそろ隠す事が難しくなってくると思うので」

「…そうか。これからどうするんだ?治療を受けないんだろう?」

「…嵐様。私、結婚することになりそうです」



椿の脈絡のない発言に、流石のご当主でも驚いたらしい。数秒椿の顔を凝視していた嵐は、椅子にもたれて天を仰いだ。

めったに見ることの出来ないご当主の驚いた顔を、死ぬ前にいいものが見れたと思い、椿は微笑んだ。



「…相手…聞いてもいいか?」

「緑川光です」

「緑川光!?」



再び瞠目した嵐は、今度こそ気を失うのではないかと思った。心配した椿は、水を一杯持ってこようと社長室を出て、ウォーターサーバーの所へ行った。そこで水を汲み社長室へと戻った椿は、頭を抱えている嵐の机にコトリとグラスを置いた。



「本気か、椿…」

「はい。緑川さんも私の身体の事を知っているし、私の望みを叶えてくれるって。私が緑川さんに返せる事はないですけれど、短い間でも緑川の妻のポジションが埋まるのは、彼にとっても都合がいいらしいですから」

「…椿、そこに愛はあるのか?」

「あの人よりは私を見てくれます。それだけで十分です」



椿がそう言うと、尚更辛そうな顔をした嵐に少し笑って、大丈夫と繰り返した。

納得していないようだった嵐も、最後には許してくれた。これから沢山迷惑がかかるだろう事はわかっている。ライバル社でもある緑川と結婚する事は、この会社で働いている兄にも影響があるだろう事は簡単にわかる。それを防ぐためには、嵐の協力を仰がねばならないのはわかりきった事で、不承不承だが納得してくれた嵐は悪いようにはしないだろう。


ありがとうございますと頭を下げて、社長室を出ようとした時に後ろから声がかかった。



「椿、幸せになるんだよ」

「ふふっ…ありがとうございます。嵐様も気苦労が耐えませんね」

「本当だな。それでも、椿、君が幸せになるのは素直に嬉しいよ」



笑って、椿は社長室を後にした。


急に辞める事になったものの、引き続きの仕事もあるわけではないし、デスクにある私物を簡単に片付けて、定時で終業した。呆気ないほど簡単に楓との絆が切れていく。寂しく思うよりも先に、爽快感すら感じさせた。


会社を出る前に、同僚に呼び止められた。好奇の視線がありありと浮かんでいる彼女達に、話すことはないとばかりに、にこやかに笑ってさようならと告げた。多分もう彼らと一緒の時間を過ごすことはないだろう。椿は荷物を駅のコインロッカーに預けて、そのまま緑川と待ち合わせしている場所へと向かった。


そこは若い人に人気の、夜景が見えると評判のスカイレストランだった。こういう所に来たことが無かったのだが、緑川のエスコートで思ったよりも気楽に過ごすことが出来た。あまり量が食べられなくなってきた椿の身体に配慮された食事は、文句のつけどころが無いほど美味しかったし、緑川の大人ならではの静かな口調も手伝って、いつしか椿は満面の笑みを浮かべていた。

ふと窓の外を見ると、眩いばかりの夜景に思わず見とれていると、緑川に左手を取られた。どうしたのかと思い、彼を見るとビロードの小さな箱が白いクロスがかけられたテーブルに乗っていた。

驚いて緑川を見ると、少し心外そうに笑った。



「指輪も贈らない男だと思った?」

「いえ…でも私…」

「いいから受け取っておきなさい。君が最期の時になって、この指輪が君を守ってくれますように。君にはちゃんと愛している者がいた証だ」

「…愛してくれるんですか?」

「もちろん。君が幸せになるのを側で見ていてあげる。だから、少しの間だけでもいい。私の事も愛してくれ」



ぼろりと零れた涙は、緑川が困ったように笑いながら拭いてくれた。その事に少し笑って、彼が左の薬指に填めてくれた指輪を彼の手の中に滑り込ませ、椿は今度こそ幸せそうに微笑んだ。

椿の病気について明言はしていませんが、頭の中では癌を想定しています。ターミナルケアについては、いろいろ問題点などがあるそうですが、私は肯定派です。

アイバンクや献体に関して、実際はどのようになっているのかわかりませんが、本人の意思確認が出来るのであれば、それはいいと思っています。あくまでも私の主観です。ご了承下さい。

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