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第29話 痛感する己の無力さ・・・楓

完全改訂

鳥谷部家嫡男と鎧塚家の一人娘の婚約は、一族の中でも上から下をも巻き込んだ話題になった。

特に楓の場合、小百合との妊娠騒ぎで一時本当に結婚するのではないかと噂され、一族の保守派一派からは反対の声が表立って聞かれたし、普段は中立を貫く穏健派ですらいい顔をしていなかった。

小百合の逮捕を受けひとまず鳥谷部家を取り巻く醜聞は去った今、今度は鎧塚家との婚約という一転しておめでたい話題へ様変わりした。

お互い御三家の一家出身である彼等に反対の声が聞かれる事は無く、聞かれたとしても、楓の事を自身を飾りたてるアクセサリーのようにしか思っていない者からのものだった。


一族内からは祝福されていた彼等であったが、当の蝶子は頑なな態度だし、楓の両親にしても長い期間を婚約者として過ごした椿ではなく、突然決まった蝶子に対しても戸惑いがあるのも確かだ。さすがに鎧塚家とは親しくしていたので表立ってのわだかまりはないものの、やはり椿の時とは勝手が違うのだろう。

とは言え、両親も年若い蝶子を可愛がっているし、楓としても椿がいない今では誰と結婚しても同じだと思っていた。



そんなある日、楓は珍しく御崎家に呼ばれた。

和風の大きな屋敷に足を運ぶと、楓を呼び出した海斗は今敷地内の道場にいるらしい。家人からその事を聞き、楓は道場へと向かった。


御崎海斗(ミサキカイト)は楓よりも一つ年上で、橘の傘下にある会社で社長をしている。

背筋がピンとしていていちいちの立ち振るまいが凛々しいが、身長そのものは楓よりも低いし、どちらかと言えば童顔の部類に入る。第一印象では決して実年齢には見えないだろう。


だが、楓は海斗が苦手だった。

一つ年上だということもあるが、苦手というよりも、彼にはどこか近寄りがたい雰囲気があるのだ。

時折自分の事を面白そうに嘲笑しているときもある。自分を嘲笑う理由はわからないが、それもまた楓を海斗を苦手とする要因ともなっていた。


そんな海斗だが、椿の兄である敷島樹(シキシマイツキ)と妙に仲が良い。

仲が良いと言うのは語弊があるかもしれない。決して二人の間柄が和気藹々と言った雰囲気でもないのだが、それでも端から見れば友人関係にあると思うだろう。


そして、樹にしても楓にとっては苦手な種類に入る。

椿にしていた事を考えれば樹のとった行動に思うところはあるのだが、楓はいつも樹に睨まれていたように感じてた。椿と婚約を破棄し、彼女が結婚してからは会社でも顔を合わせていないが、人柄と仕事でも評価が高い樹は上層部でも評判だった。

事実、樹の所属している部署は彼が入社以来国内外の売り上げ実績と満足度が飛躍的に上がった。業界内では樹を引きぬきたいと申し出ている会社も多数あるらしい。そんな彼は五年間の危険な地域での勤務を無事に終え、ようやく日本に帰って来たばかりだ。


そして、帰国早々椿が自身の婚約破棄を申し出て、それが成された。そうしてようやく兄妹二人でやっていくのかと思ったら、今度は椿が突然結婚した。あのパーティで驚いた顔をしていたのを見た限りでは、彼も多分知らなかったのだろう。だが、最後には三人で仲良く話をしていたのを見ると上手くやっているようだ。


だが、ようやく妹の件が一段落ついたと思ったのだが、今度は樹が婚約破棄をされた。それも婚約者からの一方的な破棄だったらしい。

彼等の婚約については、もともとあまりいい噂を聞いた事が無かった。と言うのも、樹が婚約者である柏木萌花(カシワギモエカ)のワガママを諌めもせずに黙って従っていたからだ。

一族のパーティがあっても婚約者の彼女の近くには樹ではなく、他の男がいるのも何度も見かけた事があるし、なによりも萌花は楓の事が好きだと公言していたのもあってほとんど樹と一緒にいたことがなかった。



そう、まるで自分と椿の関係の様に。



先だっては敷島家の財産を食い潰したと報告がなされた。

それも、萌花の実兄である柏木秋(カシワギシュウ)によって。


元々不仲であった彼等兄妹であったが、秋は樹と親交があった為か殊更萌花と嫌っていたように思える。そんな秋からもたらされた情報は正に驚くものだった。


萌花は樹が中東へ赴任してから敷島家に出入りするようになり、そして敷島家の価値がありそうな物を勝手に持ち出してはネットオークションや質屋で換金し、それを自分の金として使っていたのである。それを椿が咎めると、彼女は言ったと言う。



『あんたの冴えない兄と婚約してやってんのよ?これくらいなんて事ないじゃない。むしろ、もえが敷島なんて格下相手に嫁ぐなんて…いわば慰謝料よね、これって』



そう言って、椿の両親のものであった宝石類や画などを全部売り払ったらしい。



これを聞いて、さしもの御大でも絶句した。

秋はただ淡々と報告していたようだったが、時折混ざる声の低さに彼の苦悶が現われていた。特に、樹の父親が結婚する際に妻になる(ひと)に贈った婚約指輪を売ったと言う時には、声に詰まるほどだった。

報告の最後に秋はこう締めくくった。



『樹が何を考えているかはわかりませんが、俺はあいつが怖いです。樹は穏やかな顔で優しい声で全てを許容している。だけど…樹は元々剣士です。それも国内トップクラスの実力者でした。それを考えれば、他者を仕留める方法なんてわかっているんでしょう。だけど、それを今までしてこなかった。誰に対しても…だからこそ怖いんです』




「よう」



御崎家の大きい道場前に着くと後ろから声をかけられて振り向くと、剣道着姿の海斗が立っていた。

わざわざ呼び出した用件は何かと聞こうとすると、道場を目線で示された。



「樹が来てる。せっかくだ、お前も見てけ」

「敷島、が?」

「おう。お前見た事なんだろ?樹の剣道姿」

「あ、ああ…」

「あいつと大学以来まともに打ち合ってないから試合するには多少ブランクがあるが、樹のことだ。簡単に一本取らせてくれないだろな」



海斗ははっと短く笑うと、道場の扉を開けた。

海斗の背中の脇から道着姿の男が道場の真ん中に正座し、精神統一をしている姿が見えた。

自分達が入って来たのは音でわかっているはずなのに、集中しているのかこちらを見ようともしない。そんな樹に海斗が声をかけた。



「樹」

「………」

「いーつーきー!!精神統一もいいが、無視するんじゃねーよ!観客連れてきてやったぜ」

「…観客?」

「ああ。お前の義弟になるはずだった男」



海斗がそう言った瞬間、樹の纏っていた雰囲気がピリッとした空気に変わったのがわかった。

ゆっくりと立ち上がって振り向いた樹は真っ直ぐに楓を見ていたが、そこに何の感情も読み取れずに楓は苦慮した。

椿にあれだけの仕打ちをした男をそう簡単に許せるはずもないだろうに、樹にはそう言った負の感情が見えない。むしろ、婚約していた頃のほうが苛立った様子がわかるものだった。

その苛立ちが今は見られない。

ただ、冴え冴えとした目の冷たさだけがある。


椿が緑川光の妻になった今、何故樹に会わせるのだろう。樹の反応を見る限りでは、樹も楓が来る事を知らされていない様子だったし、海斗に何かしらの考えがあるのだろう。

だが、それがわからない。

樹はおろか、海斗の考えすら読み取られずに困惑していると、正座をしている樹の方が頭を下げた。



「楓様、お久しぶりです」

「あ、ああ…元気だったか…?」

「ええ」

「おい、樹!挨拶はいいから試合しようぜ」

「そうですね。では楓様、そちらで見ていらっしゃってください。危ないので」

「わ、かった」

「はん、危ねえのはお前だっつの。じゃ、一本勝負な」

「俺に手加減してくれるんだろう?なにせ久しぶりだし」

「馬鹿言うんじゃねぇよ。お前のことだ、あっちでしっかり稽古してたんだろ?」

「さあ?どうだったかな」

「はっ!全く食えねえ奴」



軽口を叩き合いつつ、互いに面を着ける。そんな彼等を見ていた楓は一種の疎外感を感じたが、今はそのような事に考えを及ばせる場合ではない。

楓の内心を全く気にする事無く、彼等は竹刀を持ち両極に立つと一礼し、線の中に入った。



「おい、楓」

「なんだ?」

「始めって合図しろ」

「え、でも」

「そこからでもいいから、言え」

「だが…俺は素人だぞ」

「ごちゃごちゃ言ってないでさっさとしろよ」

「楓様、ただ始めと言えばいいだけです」

「わ、わかった……………始め!」



その瞬間、海斗が気合の声を上げ、それを受けて樹も声を上げる。

剣道は全く素人の楓にもその気合は伝わり、それと同時に鳥肌が立った。


打ち合っている二人の力は僅差。と言っても、試合が進むに従って次第に樹が押されているようになった。激しく打ち込んで行く海斗に対し、寸でのところでかわして行く樹であったが明らかに防戦一方で、傍目から見ても押されている。

遂に海斗が樹の面を捉えようと動いた瞬間、防戦一方だった樹が動いた。



勝負は一瞬だった。



腕を振り上げた海斗の一瞬の隙を狙って、空いた喉元を樹が突いたのだ。


あまりにも綺麗に入った一本の衝撃で、海斗は膝を付いた。



勝負あった。



「…く、っそ…!」

「まだまだだな、海斗さん」

「うる、っせ…!」



苦しそうに咳き込む海斗を見下ろしながら、樹は面を取って微笑んだ。



「さて…と。勝負も付いたし………これで……橘に足を踏み入れる事もなくなったわけだ。以外にあっさりしていて拍子抜けだな」

「え…?………そ、それはどういう…」

「ごほっ、俺と勝負したんだ、よ。俺が勝ったら一族から出てもたまに勝負しに俺んちには来る。俺が負けたら二度と橘一族の関わる全ての場所に近づかないってな」



突然のことに驚いていると、樹は楓の前に立った。

見下ろされるようにして…、いや、完全に見下ろされている形で彼に見られている楓は、居心地の悪さと底知れない内心恐ろしさに震えた。



「貴方は妹に随分の事をしてくれましたね」

「…………」

「結局は椿を幸せに出来なかった…か。当然と言えば当然だな。二人とも求めるものが違っているのにも関わらず、お互いも周囲もそれを認めようとしなかった結果だ」

「ま、待ってくれっ!俺は…っ!!」

「待ってくれ?いいだけ待たせたのは誰だ?俺じゃない。お前だよ、鳥谷部楓。椿が苦しんでいても、泣いていても、それに気付きもせずにただのうのうと過ごしていただろう?待ったのは椿だ。だが、お前は椿を苦しめることしかしなかっただろう。だからこそ俺は鳥谷部家との婚約を望まなかった。お前は椿の事を愛して護るなんて事、しないことはわかっていたからな」

「樹、手加減しろよ」

「海斗さん、どうせ最後なんだから言いたい事は最後まで言わてくれ。なあ?」



にっこりと笑んだ樹の目は全く笑っていない。冷めた視線が更に絶対零度にまで凍て付いている。

そんな樹に対して海斗は苦笑しながらも、今まで口を閉ざしていた樹がようやく自分の心の内を明かしてくれる事が嬉しいようだ。

楓はがらりと雰囲気が変わった樹を呆然と見ていた。



これは




誰だ?




「椿を護ると両親の墓前で約束したのは俺だ。お前ときたら、両親の葬式に来たきり何もしなかったな。何も」

「楓、お前こいつんちの法事に行った事ないんだって?最悪だな。仮にも婚約者の女の両親の命日だぞ。普通は行くだろ」

「お、俺は…」

「仕事だとか言う下らないいい訳はするな。それは俺の両親や仕事に対する侮辱だ。まあ、いい。俺がお前を許せないのは、椿を犠牲にしてまで得たモノはなんだったのか。それらは椿よりもよかったのか?俺が手塩にかけて育てた大事な妹を全否定したのは誰あろう、他でもない。お前だ、鳥谷部楓」

「…っ!」

「椿が幸せになる事が許せないのか、それとも…………なあ、教えて欲しいんだ。椿が何をした?お前に椿が何をした?だが、お前は椿に何をした?」

「ち、ちが…」

「違う?何が違うんだ?」

「俺は椿を愛して……っ!」



椿を愛している。


その言葉を最後まで言わせてもらえなかった。

樹が楓を殴ったからだ。

今まで殴られても女に叩かれた程度のものだったので、大の男からの拳は相当衝撃があった。後ろに倒れ込んだ楓を、馬乗りになって直も殴りかかろうとしている樹を、海斗が必死に止めているのが見えた。



「やめろ、樹!」

「放せ、海斗!!」

「おま、え!俺との体格差考えろっつんだよ!!おい、楓!!さっさとそこから抜けろ!じゃないと樹に殺されるぞ!」

「…っ!俺はっ!」




楓が口を開いて、愛している事を樹に伝えようとすると胸倉を掴まれて上半身を起こされる。



「椿を愛してる!?お前、どの口がそれを言うんだ!?あいつがどれだけお前を好きだったか、どれだけお前の行動如何に振り回されたか!!」

「悪かったと思ってる!だから椿にも謝りたいんだ!」

「悪かった?お前、何が悪かったと、ちゃんとわかっているのか?謝る?何に対して謝るんだ?」

「そ、それは…っ!」

「それは?」

「俺が馬鹿で!椿の事を全く知らなかった。だから彼女が泣いているのも知らなかった!!」

「知らなかった?違うだろう?」



馬乗りになっていた樹がようやく楓の身体の上から退くと、それまで樹を拘束していた海斗が荒い息を付きながら「やってらんねえ」と呟いた。



「…そうか。椿を愛しているのか…それは今でもか?これからもか?」

「ああ…」

「はっ!じゃあ、鎧塚の彼女。一生愛されることはないのか」




可哀想に



嘲笑するように呟いた樹は、立ち上がり荷物を手に取ると、同じような格好をして座りこんでいる楓と海斗を見下ろし。

樹は、御崎家のみならず橘家すらからも立ち去った。



一切のものを残さずに。



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