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第28話 兄妹・・・椿

「椿、鳥谷部が結婚するそうだが…何故か、私は君がこの件に絡んでいるような気がするんだが…気のせいか?」



くすくすと笑いながら光が昼食を運んできたところだった。起き上がる事が出来ない椿に、オーストラリアに居る間はこうして食事をベッドまで運んでくれる。それに微笑んで感謝を伝え、上半身を起こす。大分起きるのが辛くなってきたとはいえ、さすがに食事の時やなんかはこうして苦労しながら身体を起こしている。

身を起こすと、すかさず光が枕を背中に入れて身体を支えるようにしてくれる。ふうと息を吐き、淡く微笑んでいる光の方を見上げるようにして顔を向けた。



「うふふっ、どうしてそう思うんですか?」

「勘……かな。君は鳥谷部を一人にしておきたくないんだろう?」

「一人に…と言うか…なんでしょうね…上手く言えないけど…楓様は誰かと一緒にいないと駄目になります。誰かあの人の衝動的な部分を抑えるような人がいないと。その為に蝶子ちゃんとの結婚話を薦めたんです」

「…どうしてまた」

「蝶子ちゃんってね、似てるんですよ。楓様に。衝動的と言うか、刹那的と言うか…。身体が弱いというのもあって、ずっと抑圧するしかない感情を上手く表現する事が出来ないんです、彼女。だからこその辛辣な言葉使いなんですけど…その分相手の気持ちをよく理解しているっていうか。わざと傷付けて、逆に自分が傷付いてる。損な性格をしているあの子を支えてあげられるのは、楓様だと思ったんです。だから御大に両家の縁談を考えてみて欲しいって願い出たんです。」

「それで?」

「御大は最初だめだと言ったんですが…私が説得しました。私の遺言だと思ってくれませんかっていう脅し文句も付けてね」



昔の事を思い出して微笑んだ椿は、スプーンで口にスープを運ぼうとしている光に視線を合わせた。思い出し笑いなんて随分としていない。それを考えると、辛い事しかなかった過去を笑い飛ばせるだけの余裕が出来、自分は過去から決別したと実感する。

それを悲しいとは、もう思わない。



憎む事はもう、とうに止めている。

今更過去の事をどうのこうの言っても、過ぎた事は変える事は出来ない。わかっているからこそ、自分は許すことを選んだ。

光はそれを「強いな」と言って賞賛してくれるけれど、自分が欲しかったのは強さだ。その自分が追い求めていた『強さ』と言う不可視なものが、優しさだと気付いた。

ストンと身に落ちたそれ。それに気付いてからは、自分は誰も憎んでいない。


あれだけ酷い事をされた楓すらも許したのだ。幸せになって欲しいと願っている。自分を幸せに出来なかった分、他の…蝶子に慈愛を傾けて欲しい。それを出来る人だと思っているからこそ、妹のように思っている蝶子を委ねた。


大丈夫、彼ならきっと。



「あの二人なら、きっと大丈夫」

「…そうか…」

「ふふっ、あのね。蝶子ちゃんに初めて会ったとき、私『ブス』って言われたんですよ。本当に目が合った瞬間に」

「ぶ…それはまた随分と…」

「でもブスって言った直後、逆に蝶子ちゃんの方が泣きそうな顔になっちゃって。それを見て私思ったんです。『ああ、この子はこうやって言葉で壁を築いて、去りそうな人間を排除してるんだな』って。そうしたらもう、なんだか私が申し訳ないような気になってきてしまって…結局、蝶子ちゃんは謝ってくれたんですけど、あの時の衝撃は忘れられないなぁ」

「それで仲が良かったってわけか」

「そうです。いつしか妹みたいな存在になってましたね。だからこそ、蝶子ちゃんが楓様を見る目が特別だっていう事にも気付きました。蝶子ちゃんに楓様をお慕いする何かがあったのはわかっていますけど、それを聞いた事は無かったですし、彼女も話してくれませんでした。そもそも私はまだ婚約中でしたから…でもね、私が婚約破棄したって聞いて、随分と怒ってましたけどね。彼女のお母様が『蝶子の機嫌が悪くて大変なのよ』って言ってましたから」



くすくすと懐かしい想い出を語る椿を、光は「そうか」と言い、優しい目で見ていた。

幾分冷めてしまったスープを今度こそ口に運んで貰うと、半分程度は食べることが出来たのだがそれ以外は残してしまった。それに対するお叱りは無かったが、大部動くようになった胎児に話しかけるように光は椿の腹を撫でた。



「ご飯は足りたかい?」



どんとタイミングよく蹴ってくる子に目を見合わせて笑いつつ、椿は本当に大丈夫だろうかと心配になる。母体の栄養が足りてないと胎児にも影響があるのはわかっている。なまじ、帝王切開になる事が決定しているので、やはりもう少し食べた方がいいのかもしれないと思ったがやはり身体が受け付けない。

自分のままならない身体を情けなく思ってうな垂れていると、頬に温かな感触が触れた。

目線をあげると、やはり自分の愛すべき存在がそこにいてくれる。それだけの事が、たまらなく心強い。



「大丈夫だよ。この子はきっと無事に産まれてくるから。そんなに君が後ろ向きになっていると、この子が気の毒だろう?」

「…そう…思います?」

「ああ。君が悲しんだり、辛かったりすると、この子にも伝わるんだよ。だからね、椿。悲しい事はもう起きない。私がいるからね。君を辛い目には合わせないよ」

「光さん…」

「そうだ。椿、左手を出して」



そう言われたので、言われた通りに左手を差し出すと、おもむろにその手を取ってそのまま口付けられた。突然の事に思わず顔を赤らめると、にこりと笑った光がするりと何かを嵌めた。



「…え…これ…」

「結婚指輪。無くしたんだろう、前のルビーのは」

「え、あの、あれは…」

「いい、わかっているから…。だから新しいのを作らせた。前のと違って石はついていないが…気に入らないか?」



目を(みは)った椿は、思わず光の顔を見た。どこか哀願している子犬のような雰囲気が漂っているが、自分はそれを拒絶するつもりはない。

前のピジョンブラッドとダイヤの指輪も確かに美しくて、確かに嬉しかった。だが、今回の何も付いていないシンプルな指輪の方が何倍も嬉しい。

華美な印象も無く、全くのありのままを表す指輪は、彼と出逢った頃を思い出すかのような錯覚を受けた。ルビーの指輪を貰ったあの頃は、慣れないながらも綺麗に装っていたが、どこか光に全部を託すことが出来なかった。それが今はこうして華やかさからもかけ離れた病床に伏している生活を送っているものの、気持ち的にはとても充実している。

光を愛して、そして彼に愛されているからこそ、余計な装飾品は必要ない。


そう、いつだって物事はシンプルだ。

だが、シンプルなものほど気付きにくい。なかなか上手くいかないものだが、足掻いてこその充足感は誰にもわからない。自分以外には。



「あ…ありがとうございます…本当に、嬉しい…」

「あ、こら、泣いては駄目じゃないか」

「泣いて、ない、です…」

「私の気のせいではないはずだが?ほら、笑って。その方が私も嬉しいんだから」

「ふふ、強引…」

「私は社長だぞ?それはむしろ誉め言葉だよ」



ふふんと笑った光に抱きついた椿。それに反応したであろう胎児が驚いて抗議のキックをしたのを、二人はくすくすと笑いながら感じていた。



その時、控えていた家政婦が来客を告げた。

誰だろうと思って光を見ると、彼もその来客については知らないようでベッドから降りて玄関ホールへと向かった。

それを見送って、広いベッドから観える海を眺めた。


今日も穏やかな波が打ち寄せては引いていく。

日本で見てきた海と違って、ここ、オーストラリアの海は青と言うか緑に近い。沖縄で見た海と似通った部分もあるけれど、椿はこのベッドから見る海が好きだった。


これから先もう日本の海を見る事は無いけれど、海は世界と繋がっている。

日本とも。



「椿、お客さんだよ」

「え?お客さんって、だ、れ………」



光の声に、海を見ていた視線を声がした方へと動かすと、そこにはいるはずのない人が立っていた。

信じられない気持ちで呆然とその人を見ていると、光が彼を中へと促し、自分はお茶を持ってくると行って部屋から出て行った。


椿は彼を前にして何を言えばいいかわからずに俯いて黙っていると、相変わらず大きな手で頭をふわりと撫でられる感触に、顔を上げた。



「お前、ちゃんと食ってるか?食いたくなくても、少しでもいいから食えよ。子供産むために体力付けておかないとな」

「に、兄さん…なんでここに…」

「うん?今会社辞めるからな。就職してから今まで使って無かった有給消化でオーストラリアに旅行」

「……そう、辞めるんだ…。兄さん、今までお疲れ様。私のために、本当にごめんね」

「馬鹿、そんなんじゃない。俺が会社に入った事なんか、お前が気に病む事なんか無いからな」



兄が希望していた職に就く事が出来たのは、兄の実力だからだと思っている。だが、兄が配属された部署と言うのは、本来ならば三年目から海外に赴任しなければいけない部署であるのにも関わらず、兄は椿が高校卒業するまでの六年間日本に残った。自分のためにはよかったことだったが、決して会社内ではよいことではない。

その為に言われなくてもいい中傷紛いの事を影で言われ、ついでに婚約者からも馬車馬のように使われていた。

椿が婚約破棄をしたとほぼ変わらない時期に白紙に戻した兄の元婚約者、柏木萌花(カシワギモエカ)は椿よりも四歳上の、一族の中でもほぼ上位と言って過言ではない中位家の一人娘だった。

血の繋がりが無いながらも、まるでもう兄一人として椿自身も慕っている柏木秋(カシワギシュウ)の実妹でありながら、彼と萌花は仲が悪く、椿が見た限り彼等が自分達兄妹のように話している姿は見た事が無い。


そんな萌花は、秋曰く末っ子長女の為に相当に甘やかされて育っており、実際萌花は小百合のようにワガママな人だった。

そして、やはり小百合に似て楓が好きだった。


そんな萌花は結局兄と婚約していたのだが、彼女のワガママは兄に対しても健在で、兄を好き勝手に呼び出しては罵詈雑言を言い、そして兄をクレジットカードよろしく使いまくった。

彼女が兄に対して無理を言っていたのは承知している。だが、流石に彼女が亡くなった両親の残してくれた金品を持ち出したのには椿も我慢の限界が来た。

我慢出来ずに兄に直訴すると、兄は言ったのだ。



「俺はあれとは結婚しないし、する気もない。椿、全部が終わるまで我慢してくれ。ただ、お前の生活は俺が護る。だから心配しなくていい」



その時は何の意味かわからなかったけれど、椿はそれで渋々引き下がった。

兄は自分に嘘を付かない。それは小さい頃からずっと護ってくれた兄の言葉であり、これからもたった一人の兄からの唯一のお願いだったから。


だから我慢した。

兄が中東へ赴任してからも度々実家へ来ては父や母の形見を持ち出された時も我慢し、兄を無視して楓に擦り寄っているのも我慢した。

自分達に不本意なあだ名が付いていたのもわかっていた。

だが、それでも兄は何も言うなと目線で制し、怒りに燃える秋も押さえ込んだ。



そして婚約が白紙に戻された今、兄が長年考えていた事が実現される。

秘密主義な兄だけれど、兄からその考えを聞いた時、素直に「いいよ」と答えた自分。

そう、何故か兄の考えがいいとすんなり自分の中に入ったのだ。反対する気もなかったし、そもそも反対する必要もなかった。

今から考えると、多分兄は自分がそう答える事をわかっていたんではないかとも思う。なかなか人間観察が趣味のようなところがある兄は、生まれてから一緒にいた妹が考えそうな事を言わずともわかっている風な節があるから。


そう言うところは光に似ている。

以前光に兄と似ていると言ったのは嘘ではないし、間違っているとも思わない。兄も光も自分の事を考えてくれ、そして言わずとも自分の考えを察してくれる。だから二人の側は居心地がいいし、飾らなくてもいい。

ありのままの自分でいられる場所なのだ。



「そう、わかった。それでどうして?光さんは何も言って無かったけど」

「お前と話したくてな」

「…兄さん?」

「お前は本当に手のかかる妹だな…俺がわからないとでも思ってたか?」

「…っ!」

「お前の考えそうな事だ。俺に心配かけさせたくない、自分一人のことだから。そうやって抱え込むのは止せって俺は口を酸っぱくして何度も言ったよな。俺にも隠したくなるのはわかる。それでも、時間が少ないってわかってて俺に見送りもさせずに逝くなんて酷くないか?」



声が震えている兄をじっと見ていると、兄は途端に泣きそうな顔で笑った。今まで椿に見せた事がないような顔で。



「父さんと母さんが死んだ時、俺はお前だけは何が何でも護るって二人の墓前に約束したんだ。それなのに…」

「に、いさ…」

「お前を一族の悪意から護れなかったばかりか、あの男からも護りきれなかった。本当にごめん、椿…」

「…兄さん…?」

「子供………緑川さんの子供じゃなくて、あの男…楓さんの子供なんだろ」



愕然として兄の言葉を聴く。

何故兄がそれを知っているのか。自分は何も言った覚えは無い。まさか楓が?

そう思ったのだが、その考えは兄に否定された。



「お前が結婚してから何ヶ月か後に、俺に楓さんからお前に会わせてくれるように連絡が合ったんだ。そんな事今までになかったのに、何故いきなりと思った。そして今更と思って憤った。でも、あの男は俺が断ってもしつこくてな。不思議に思ってたら、お前が妊娠したって言う連絡。にも関わらず、あの時お前は離婚しようと思ってただろう?俺が一人で考えた結果、楓さんの子供なんじゃないかって結論を出した」

「………」

「椿……お前はなんでそう、自分を苦しめるような道ばかり選ぶ…」

「ち………ちが、兄さん、違う。私は苦しくなんかない」

「嘘言うな!お前が泣いてる声、俺はずっと聞いてきたんだぞ!なのに、なんでお前は…っ!」

「ご、ごめ、んなさ…い…兄さん、本当にごめんなさい…」



泣き出した椿に兄は言葉もかけずにただ、黙りこくっていた。

兄、樹は一人泣きじゃくる妹を見ながらも、どこか安堵した気持ちも抱いていたのも本当で。



「…もう決めたんだろ。俺はそれを反対したりはしないよ」

「ふっ…ぅ…ごめ、ごめんなさっ…」

「謝るのは俺の方だ。ずっと我慢させてて悪かった。それに、お前はもう緑川さんに護ってもらえてるんだろう?もう俺でなくともいいんだな?」

「うぇ…っ、ふ………に、さん、わ、私…」

「ああ、勘違いするなよ。俺はお前のたった一人の兄だからな。それだけは忘れるな」



優しく頭を撫でられると、我慢できなくなった椿は兄の胸に飛び込んだ。

兄はいきなりの事でびっくりしていたが、それでも苦笑しながらも抱き締めてくれた。



「元気な子供産めよ。んで、父さんと母さんに初孫だって報告してこい」

「う、うん…うん…」

「お前が産む子だ、俺にとっても甥か姪だからな。俺の子供と一緒になって遊び回ればいいさ。どうせ何ヶ月も違わないだろうしな」

「…え…?」

「言い忘れてたけど、俺結婚するから。子供も出来たし」

「は……はあ!?」

「奥さんと一緒に婚前旅行がてら、お前の顔見に来たんだ。あ、下にいるぞ。あとで会わせてやる」



そう言って笑う兄の顔は、椿を護ってくれていた時のような少年の面影を残しながらも、確かに父親の顔に見えた。

後半の樹とのシーン、追加しました。

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