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第26話 優しさという強さ・・・椿

ずっと強くなりたいと思っていた。


楓から冷たくされようとも、無視されようとも。


一族の者からの批判や嘲笑、憐憫の目で見られても泣かないでいれるように。

あの頃はいつも悲しみや憤りを全部押し隠して、笑顔を作っていた。一人になった途端溢れる涙は、辛くて辛くてどうしようも無くどうしてこんな目に合わなければいけないのかという、憐憫の涙ばかり。自分で自分を哀れむしかなく、それでも次の日には何事も無かったかのように笑った。

そんな生活で精神が保つわけがない。ましてや、六歳から思春期にかけての大事な期間。よく壊れなかったなと驚く一方、あの当時は毎日が綱渡りで身体はほとんど薬漬けのような生活をしていた。


心身ともに強くなりたかった。


だから精神を強くさせたいと思って始めた華道や茶道、現実的に強くなりたくて武道なんかを習ったりもした。それがずっと続く事がなかったのはやはり自分が弱いからだといつも結論付けていた。確かにそれもあるのだろう。

大抵の習い事が長続きしなかったのは自分が飽きっぽいからだと納得し、自分の欲しい強さの本質を全然わかっていなかった。

今から考えれば、だから多くのものは短い間でしか続かなかったのだろうと思う。



ずっと欲しかった強さ……それは




「Hello、椿さん」

「大地君!どうしたの?大学は?」

「うん、ちょっと時間が空いたからこっちで過ごそうかなと思って。どう、調子は?」

「そうなの?こっちは毎日暑くなってきたけど、比較的身体は大丈夫だよ。ほら、この子も」

「うわ、大分お腹大きくなったね」

「そうでしょう?最近は蹴るようになったんだよ。触ってみる?」



今椿はオーストラリアで静養している。滞在しているのは、以前光が所有していると言っていた物件である海が観える大きな屋敷だ。日本では既に秋を迎えている頃だろうが、南半球はこれからが真夏になる。来た当初は寒かったために、体調を崩していたのを思えば今は大分良くなった方だ。


ベッドに入ったまま大地を迎えるのは失礼なのだろうが、光に連絡を入れて自分には何も言っていなかったこの子の事だ。多分文句は言わないだろう。それに、大地も椿の身体の事を知っている。言うつもりはなかったのだが、結局光が教えたらしい。その事に対してやはり驚いた風はなく、むしろどこか泣きそうな顔をしていたように見えたのが印象的だった。


最近は幾分体調がよくなってきたとは言え、もう随分と体力と筋力が落ちているのを自覚しているし、昼夜問わず激痛に苛まれるときもある。妊娠しているので滅多な薬を投与出来ない為、痛みで失神するのはいつものことだ。こんな身体では胎児にも悪影響を及ぼすのではないかと心配したので、光が産科と外科のホームドクターを屋敷に滞在させてくれた。

産まれるのはあと何ヶ月後か後だ。と言っても椿の身体が先に音をあげる事も考えられる。その為に未熟児用の治療チームも待機しているらしい。ある意味至れり付くせりな毎日だと満足している。



あの後。



小百合が花瓶を掴んで、大地と自分の方へと振り下ろした衝撃は来なかった。

正確には、椿は余りのショックで貧血を起こし倒れていたので大地と光から聞いた話でしかないのだが、いくら逆上したとは言え、小百合は所詮女で、大地は男だった。


それで話は終わり。


振り下ろされる前に小百合の手首を捻りあげてそれを防いだ大地ではあるが、小百合が暴れに暴れた為に割れた花瓶やカップの破片で腕と足の数箇所を切り、小百合も大地に腕を捻られた影響で手首を軽く捻挫した。

その暴れている最中に偶然光が帰宅、もみ合いになっている二人を見るなり警察に通報した。そして光は倒れている椿を発見、警察官が部屋に上がってくるなり小百合を暴行の現行犯で逮捕させた。小百合の受けた怪我はあくまでも大地の正当防衛と見なされ、そしてそこから三神一家が失墜していった。


三神建設の社長である小百合の父親は贈収賄容疑とインサイダー取引、粉飾決算の疑いで特捜部から自宅と会社の家宅捜索を受け、更には妻である小百合の母親も億単位の詐欺容疑で決して少なくない被害者に被害届を提出された。

はたまた小百合も小百合で名誉毀損、傷害、窃盗の罪で何人もの女性や、中には過去付き合っていた男性からも告訴された。

椿にだけしていたと思われたイジメは、実は何人も同じ事をしていたらしい。それは学生時代だけではなく、卒業して家事手伝いという自由人として遊び暮らしていた時期にもしていたのだ。


叩けばホコリが出るなどという生易しいものではなく、調べれば調べるほど芋づる式に出てくる悪業は三神一家をどす黒く覆っていた。

今まではそれを匿っていた大物国会議員も自身の関わりを疑われないために、あっさりと三神社長とは手を切り、結果、三神一家は世間的に抹殺されたと言っても過言ではない。


今まで放蕩三昧だったツケが一気に押しかかった三神一家は、面白半分のマスコミに追いかけられ、会社も倒産間際にまで追い込まれたが、残された社員の中には地位は低いが真面目な者も少なからずいたようで、なんとかそれは免れた。

緑川の会社も当初手を引くと思われていたが、社長以下役員全員の首を取り替える事で提携を維持。三神建設の名は消滅し、今では新生の会社として最近では随分頑張っているらしい。



連日連夜セレブ一家の堕落だなんだと報道がされていた頃、椿はオーストラリアに来ていた。名目は病気療養だが、もう最期が近い。

光は、最期にグレートバリアリーフを観て死にたいと言った椿の言葉を覚えていてくれたらしい。妊娠中のために飛行機に乗るのは憚れたので、じゃあ…とまさかの船旅にしてくれた。そんな贅沢はしたくないと言っても、頑として光は首を縦に振らなかった。

その船には船医も乗っているし、ヘリポートも付いているので万が一何かがあっても大丈夫だと請け負われては素直に折れるしかなかった。


船から見る事の出来る穏やかな海は心を落ち着かせ、これも胎教にいいのかもしれないと笑みが零れた。光もオーストラリアに着いて少し落ち着くまでは現地にいるらしい。ただ、あまり頻繁に日本を空けられないというので一週間置きくらいにこっちに来ている。その場合は大抵四日ぐらいで帰国してしまうのだけれど、本当の最期になったらずっと一緒にいてくれると言ってくれた。その言葉にまた泣いた。



「椿は泣き虫だな」



そう言って光は笑ったけれど、自分は人前で泣いた事は無い。いつもいつも一人で隠れて泣いていた。たまに気付いて兄やご当主が気にかけてくれたけれど、それでも本人達の前では涙を流した事は無い。



これほどまでに自分を見せられる光に出逢えた、それだけでも自分の生きてきた事に意味はある。



「大地君、怪我した腕は大丈夫?…って言っても、結構前の話か…時が経つのは早いね」

「ま、そうだね。怪我自体は大した事ないよ。そんな深い傷でもなかったし。それよりさ、椿さん、その子の性別聞いたの?」

「そう、よかった…。ずっと気になってたんだ、何とも無いって聞いて安心した。あ、そうそう、この子?実はまだ聞いてないの。なんかね、聞いちゃうと楽しみがなくなっちゃうような感じがして!」

「じゃあ生まれてからいろいろ買いに走るの?うわー、父さん大変だね。やっぱり椿さんは性格悪いよね」

「性格が悪いんじゃなくて、底意地が悪いの」



「そっちの方が悪いよ」とカラカラと笑いながら大地は自分で淹れた紅茶に手を伸ばした。その光景を見ながら、今までに起こった怒涛のような毎日を思い出す。


余命宣告を受け、婚約破棄をし、結婚し。

無理矢理抱かれたと思ったら妊娠、結果光との関係が深まったのを鑑みればそれら全てが試練だったのかもしれない。以前の自分だったら絶対そんな試練は嫌だと突っぱねていたはずで、それは今でも変わらない。

自分から進んで困難な道に進みたいと思わないし、安易な道を人はどうしても選びやすい。椿もその一人で、だから楓との辛くて苦しい婚約期間を過ごしていたんだと思う。彼を失いたくなくて。実際は失う、失わない以前に、そんな関係は築けていなかったのだが。


最近では今までに起きた事、思っていた事を随分と客観的に見る事ができるようになったと思う。それが人生の終着点が見えてきたことに対する自己反省なのかもしれないし、想い出を愉しむといった境地に立ったからかもしれない。


今椿が抱いている夢はこの子を無事に産んで、そして自分の腕に抱くこと。それすら夢物語のようで、ひどくうっとりする気分になる。夢を抱くのはいい事だと医師(せんせい)も言ってくれたし、それが目標なることで身体の方も頑張ってくれるらしい。何事にも目標があるのはいい事だ。

とは言え、自然分娩では無理だとはっきりと言われている。だから帝王切開になるのだが、麻酔が覚めないでそのまま…と言う最悪のシナリオも存在しているので、何枚もある書類にサインし、それを承諾しなければならなかった。椿にしてはそれで構わなかったのだが、光が最後まで渋った。最終的にはサインしてくれたのだが、一つだけ守ってくれと約束させられた。



「絶対に生きて戻って来て、また私の目を見てくれ」



と。



光は自分の涙腺をとことん破壊しなければ気がすまないらしい。




最近では手紙を書いている。この子が無事に産まれて、誕生日に読んで欲しいと思って毎日毎日どんな子に育っているのだろうかと考えながら書く手紙はとても楽しい反面、寂しい。自分が一緒に過ごしてあげたいと思ってもそれを神様は許してくれないし、自分だってそれをわかっている。

だから手紙に想いを託す。


この子が二十歳になる時まで。

合計二十通の手紙。




「椿さん?」

「え?あ、ごめんね。ボーっとしてた」

「本当ちゃんとしてよね。そう言えば今日父さんもこっちに来るんだって?」

「うん。午後の便で来るよ。こんなに行ったり来たりで大変そうよね」

「老体に鞭打って頑張らせてるのは椿さんでしょう?本当に悪女だね」

「酷いなぁ。それに光さんに老体って。失礼ね!」



ここにいない光に盛大に軽口を叩いて。

来たら大地が黙って来た事に小言を言って貰おう。それ位は父親としてビシッと叱って貰わないと、大地の性格がますます大変になってしまう。そんな事を言えば大地は顔を顰めて反論するだろうが、それでいいと思う。

今日は久しぶりに賑やかなディナーになりそうだ。



そんな予感がした。




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