表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
25/34

第25話 小百合の真実・・・椿

『さようなら』



それを言った所で彼が自分の方を見る事は無かったけれども、それを悲しいとは思わない。



大地がチョイスした店は光との大切な、大事な思い出があった。それを知っていながら別れの席に選ぶなんて、やはり大地は食えないと思う。しかしながらそれに感謝もしていた。

確かに出逢いと別れの分岐点のような店になってしまった。だが、自分が選んだ道は楓の手を取る事などでは無く、光の手を取る事に決めたのだ。


もう迷う事は無い。

楓の事が気になっていたのも、どこか自分の深層心理で気にする感情があったのかもしれない。しかしいろいろとあって、自分は楓ではなく光を選んだ。


その選択に後悔はしない。絶対に。



自宅に帰るタクシーの中、隣に座っている大地に右手を握られている感触がしたので、その感触を確かめるようにそっと手を盗み見た。反対側の車窓を眺めているので表情は見えないが、多分その瞳は温かいはずだ。

この感触は嫌ではない。

大地はいつもそうだ。自分の心が寂しいと悲鳴を上げているとこうしてそっと手を握ってくれる。人の考えを読みすぎるのは関心しないけれど、こうした気遣いは嬉しいと素直に思う。


今は店で光が楓達と話をしている。

何と無く落ち着かないような気がするのは何故だろう。光が自分の身体の事をおいそれと話すわけはないし、彼の事を信頼している。子供の事は言うかもしれない。あれほど自分が産む事に拘ったのだ、それを許してくれた光の心境を思うとやりきれないが、それでも自分は決めたのだ。



例え短い命が更に削られようとも、この子を産んであげようと。



自分勝手な考えでこの世に生を受けることになるこの子は、一体どのように育つだろう。

その成長過程が見れないのが本当に悔やまれてならない。光は可愛がってくれるだろうか。いや、そもそも自分の子供だと言ってはくれたが、本当にこの子を実子として育ててくれるのか…。不安なことばかりが浮かぶが、浮かんだ不安をふり払うかのように大地に握られている手に力を込めた。



タクシーが自宅のマンションに着き、大地が支払いをしているのを待っていると、エントランスから見慣れた一人の女が警備員に追い出されるところに出くわした。

その女――小百合が何故ここにいるのだろう。

唖然としている椿に気付いた小百合が腕を掴んで追い払おうとしている警備員をふり払って、椿達の元へ半ば駆け足のような早さで向かって来るのが見えた。



「小百合…」

「え?」

「なんでここに…」



タクシーへの支払いが終わった大地も訝しげに小百合を見ている。こちらに近づいて来る小百合は、相変わらず派手な格好をしていた。妊婦なのだからもう少し格好に気を付けなければいけないはずなのに、剥き出しの足に腕、それに8cmほどのハイヒール。持っているバッグはハイブランドの限定品。全身が有名デザイナーの作品で纏められている小百合は、まるで歩くブランド品のようだ。あんな服装ではいくら妊娠していると言っても楓が納得しないはずだと、どこか人事の様に思う。

一方の椿はと言うと、ゆったりとしたワンピースにローヒールの靴を履いている。先程まで楓達と会っていたので、シンプルながらも失礼にならない程度の物を選んでいた。それでも椿の着ている服は完全一点物の高級品である。選んだのは光で、実は小百合の付けているブランド品全部の金額よりも値段は張る一点なのだが、椿はその金額を知る由も無かった。


小百合を見て知らず眉間に皺が寄ったが、辺りは暗かったので彼女にはばれていないと思う。

と同時に、隣にいる大地が低い声で吐き捨てるようにドイツ語を呟いた。多分あまり良くない言葉なのだろう。ドイツ語がわからないので雰囲気でしかないが。



「椿!あたし待ってたのよ!あんたと話がしたいの!」

「…私はしたくないけど…」

「いいから!誰もあんたの意見なんて求めてないのよ。ねえ、部屋に上げてよ。あたしとあんたの仲じゃない!」



強引な面は相変わらず。それでも焦燥している感じが見受けられないし、本当に何をしに来たのだろうと訝っていると、それまで黙っていた大地が口を開いた。



「椿さん、ここじゃなんだし。家に上げようか」

「…そうだね」

「ねえ、あんたさぁ。下手な事しないって約束出来る?出来ないんだったらここからさっさと立ち去りな」

「はあ!?あんた誰!」

「椿さんの息子。て言うか、そんな事あんたに関係ないと思うけどね」



大地にいつもの飄々とした雰囲気が見られない。むしろ刺々しいとでも言えばいいのだろうか、明らかに小百合に対して敵意を持っているように見受けられた。

椿はその大地の雰囲気の変わりように少し意表を付かれたが、大地の言う通り仕方なく部屋に上げる事にした。エントランスを通り抜ける際、こちらを見ていたコンシェルジュが驚いた顔をし、それを見た小百合が勝ち誇ったかのような笑みを浮かべた。



「ここのコンシェルジュ、教育がなってないわね。あたしを不審者扱いしたのよ!?ありえないでしょ!?」

「………」

「だっけどさぁ、椿ってこんないいとこ住んでんの?本当に玉の輿に乗ったわよねー。ま、こんな大きな子供(コブ)付きなのはマイナスだけど、どうせ一緒に住んでないんだし?確かイギリスにいるんでしょ、アンタ。だったら、好きなだけ遊び放題じゃない!本当羨ましいんだけど!」



くすくす笑う小百合の声が癇に障る。さきほどから一言も口をきかない大地が何を考えているのかはわからないが、自分が邪魔者だと貶されているのは椿にもわかるのだから、聡い彼にはきっとそれ以上にわかることだろう。

心底失礼な人だと憤慨する一方、彼女が何をしに来たのか未だわからなかった。


部屋に着くとすぐさま部屋中を物色し始めた小百合をとりあえず放っておいて、大地と一先ずキッチンへと移動する。急に訪ねてきたとはいえ、客人であることは変わりは無い。妊婦であることも考慮してカフェインレスの飲み物を用意しようとすると、大地がやんわりと押し留めた。

表情を見ると、先程までの無表情ではなくなっている。その事に少し安堵しつつ、やはり大地は小百合の事を嫌っていると確信した。



「いいよ、ここは僕がやるから。あの女、こっちが黙ってたら椿さん達の寝室にまで乗り込んで行きそうだし。まあ普通の人はしないけど、あの女だったらやり兼ねないからね。行っていいよ」

「そう?ありがとう。…ねえ…大地君、小百合は何しに来たんだと思う?」

「うーん…あんまりよく無い事であることは確かだね…。椿さん、気をつけてね。あのタイプは逆上したら何しでかすかわからないタイプだから。不用意に近づいたら駄目だよ」

「お、驚かせないでよ。小百合だって、まさかそんな大それた事はしないでしょう?」

「まぁそうだけど。用心する事に越した事ないからね。僕もこれ淹れたらすぐ行くけど、椿さん、自分一人の身体じゃないんだから。ちゃんとそのお腹の中の子供を守ってあげるのは母親の貴女なんだよ。それを忘れちゃ駄目だからね」



ほら、行って。と心配そうながらも笑顔で大地にそう言われて、キッチンを後にする。

リビングに行くと、夜景を見ていた小百合がこちらを向いた。大地に脅された影響ではないけれど、少しばかり身構えたのは気のせいではないだろう。小百合が自分を見ている目が少し怖い。

しかし、小百合は本当に同じ妊婦なのだろうか。確か自分よりも妊娠期間は長いはずで、もうお腹が目立つ頃でもある。確かに膨らんだ感はあるのだが、そこに子供を授かったという感慨は無いように思えた。


油断無くそんな事を考えていると、目の前の女がくすりと笑った。



「ねえ、どうやって緑川光を(たら)し込んだわけ?」

「え?」

「ずっと不思議に思ってたのよね。椿みたいな平々凡々のフッツーの女が、どうやったら緑川光みたいな男と結婚できるわけ?大体さー、楓さんの時だってそう。あんたみたいなのが婚約出来る人じゃないのに、一族の長が決めたってだけで楓さんは婚約破棄も出来なかったのよ。元々あんたなんて相手にもされてなかったくせにねぇ」

「…なに?」

「本っ当ーにあんたってバカ。婚約破棄するんだったら、ずっと我慢してた楓さんにさせてあげるのが筋ってものでしょ?何勘違いしてあんたから婚約破棄してんの?だから楓さんがあたしと結婚できないんじゃない!楓さんに罪悪感植えつけてんじゃないわよ!!」



美人だと評され、また自らも美しいと信じている小百合の顔が醜く歪む。


悪鬼の如く。



「あたしさー、前からあんたの事、大っ嫌いだったのよね。鬱陶しい顔して、暑苦しい髪型して。その性格も凄いウザかった。ウジウジしていっつも後ろむきな考えしか出来なかったあんたに、このあたしがお情けで友達付き合いしてやってたのよ?それを本当の友情だなんて考えるんだから、マジで笑っちゃう!」



これが小百合の本音。

今まで隠されていた…、いや自分の事を欺き続けた彼女の独白じみた言葉をじっと聞く。多分、今ここで自分が口を挟んだところで意味は無い。それに、キッチンにいる大地にだって聞こえているはずだ。彼が来ないと言う事は、多分まだ大丈夫なのだろう。



「あんたの下らない相談!あれ全部楓さんに筒抜けだったのよね。ま、それでもあの人は『だからどうした』って言う一点張りだったんだけど。ねえ、マジで何であんたと楓さんって婚約してたわけ?すっごい不思議~!」

「…御大がお決めになった事だったから…」

「ああ、御大ね。あの死にぞこないのジジイもさっさと死ねばいいのに!そうすればあたしと楓さんは結婚出来るのよ!」

「………」

「ていうかさー、鳥谷部家ってお金持ってるのよね?だったらあたしもあんたみたいに遊んで暮らせるかなー」

「鳥谷部家に嫁ぐんだったらそんなに甘い考えじゃ駄目だよ。それに橘の一族の事も全部わかっていなきゃいけない。それがあの家に嫁ぐ者の第一条件なの」



橘の本家に一番近い鳥谷部家。そこに嫁ぐ者は嫁ぎ先の事だけではなく、本家との関わりもある。従って、遊んでいる暇などあろうはずも無い。それを小百合はわかっていない。自然ため息が零れそうになるが、なんとか堪えた。

そんな基本的な事もわかっていないのだなという、そんな椿の態度が小百合の癪に障ったらしい。途端に目を吊り上げた。



「そんなの誰かが適当にやってればいいじゃない!何であたしがそんな面倒な事しなきゃならないの?それにあたしは楓さんと結婚するんであって、家と結婚するわけじゃないわ!それに、この子を育てなきゃいけないし~」

「……小百合、妊娠してるんだったらその服は止めたほうがいいと思うわ」

「何でよ。何でそんな事あんたに言われないといけないの!?あたしにマタニティとか着ろって!?バカじゃないの?」

「妊娠してるんでしょ?楓様は否定してるみたいだけど…」



その言葉は小百合にとっては禁句だったようで、カッとなった彼女が椿に掴みかかろうとしたした瞬間、大地の声が聞こえてきた。



「本当に妊娠してるの?あんた」



カップを持った大地の登場で場が一気に緊迫した。大地が言っている事…それは小百合の言っている主張を根本から覆すもので、もしも本当に妊娠していないのであれば楓は取りもしないでいい責任を取る事になり兼ねない。

椿は思わずぎょっとして小百合を見ると、心無しか狼狽しているように思える。その挙動不審な動きは大地が言っている事を肯定しているようにも見えた。



「嘘でしょ…小百合…まさか本当に妊娠してないの…?」

「違っ…!してるわよ!!あんた変な事言わないでくれる!?」

「ああ、ごめんね。その反応を見る限りじゃ当たってたみたいだねぇ。頭の軽そうなあんたが考えたの?…なわけないか…あ、ごめん。忘れてた。ケツも軽かったね」



ケラケラと笑う大地の場違いな笑い声が響く中、椿は事の成り行きを見守り、小百合は既に顔から色味が失せている。

一体どう言うことだろう。小百合が妊娠して楓と結婚するのはいいとして。だが、その妊娠していたとされる子供が存在しないのでは全く意味が無いではないか。



「ね、知ってた?三神建設って今、相当危ないところにいるんだよ。その元凶のあんたの父親が逮捕されるのも時間の問題って感じだし、それを今更うちの会社が助けるわけないし。ましてや、あんた自身も海外では派手に遊んでるみたいだね。今度海外出たら強制送還…、いや、アメリカ国内に入ったら違法薬物の件で服役しないといけないくなるかもね。入管から目付けられてるっていう噂だよ」

「…うそよ…嘘よ、そんなの!!」

「嘘じゃないよ。あ、逃げられないから覚悟しておいたほうがいいよ。会社が背負うべき負債からも、社員達全員の恨み辛みもからも。今まで安穏として暮らしてきたんだ、それくらいはしないと。それとー…」



大地が一歩小百合に近づく。その一歩から逃れるように小百合も後ろに下がるが生憎後ろはガラス、逃げ場は無い。



「ほーらね。妊娠してないじゃん?」



大地にぐっと押された小百合の腹が緩く歪んだ。

小百合のタイトな服の中に詰められた布が床に落ち、彼女の顔面から更に色が無くなった。



「…ちょっ…な、何。ど…どう言う事…」

「見ての通りの虚言って事。妊娠してないのに妊娠してるって言ってまで鳥谷部さんと結婚したかったんだろうね」

「だって…、子供はどうするの…?小百合が妊娠したから結婚したのに、子供がいなきゃ話にならないじゃない」

「大方、誰かに産ませようとしてたんじゃない?あの父親だったらやり兼ねないけどね」

「小百合、あなた…そこまでして楓様と…?」



思いもがけない出来事で思わず小百合に手を差し伸べようとすると、パンと言う乾いた音が鳴った。手を払われたのだとわかるには少しの時間がかかったが、すかさず大地が椿を背中に庇った。



「うるっさいのよ!どいつもこいつも!!ああ、そうよ。あたしの方があんたなんかよりも全然楓さんに相応しいもの。他の誰でもない、このあたしがね!!それを邪魔するやつなんて、絶対に許せない!」



逆上した小百合が、カウンターの上にあった花瓶を手に取ったのが見えた。




そこから先は正直覚えていない。


唯一覚えているのは、珍しく焦った声の大地。


それと、まだいるはずのない光の怒声。



何があったのか。


それを全てわかったのは、小百合が逮捕され、三神建設社長が逮捕された時だった。




評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ