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第23話 吐き出す・・・椿

知っているのか、はたまた偶然なのか。


大地が選んだ店がまさかここだとは…。


苦笑した椿を怪訝に思った大地が、「ん?」と言った表情でこちらを見ている。


今二人はエレベーターを待っているのだが、第三者から見ればカップルの様に映るらしい。

事実、大地を見ている若い女性達は見た目が悪くない彼に秋波を送っているし、椿を見てあからさまに落胆している風でもあれば、見下されている視線も感じている。

よくもまあ、こんな悪意のある視線にも動じなくなったものだと半分呆れながらも、その点では楓に感謝していた。


身体の事も相まって、椿はあまり緑川の会社関係のレセプション等に顔を見せていない為、橘の一族出身である自分を品定めをするような好奇な目に晒されるという事もなかった。だから自分の精神安呈のためには安心していたのが、年を経ても魅力的な夫に群がる女は絶えずいるという噂も耳に入って来ている。


まあ、その噂は本当なのだろうとも思っている。

結婚報告の場になった橘のパーティでも光に狙いをつけているハンターのような女もいたし、たまに緑川の会社に行く時があれば好奇の目で見て来る輩もいる。今までは怯んでいた目線も、最近ではほとんど気にならなくなって来た。

先に小百合にズバリ言い放った内容や、先日のパーティーの一件でもあったように、自分だけを見てくれているという自負があるからこそそんな噂には負けない。


負けられない。


こういう事を大地に漏らすと「図太いね」と言われるのはわかりきっているので黙っているが。



「あのね、ここのスカイレストランって有名らしいよ。夜景が綺麗なんだってさ」

「知ってるよ。来た事あるから」

「あ、そうなの。てっきり初めてだろうなと思ってここにしたのに。予約取るの大変だったんだよー」

「ごめんね、頑張らせちゃって」

「その分食べてるから気にしないで」



ふふふと笑い、エレベーターに乗り込むと光にプロポーズされた時の事を思い出した。

あの頃は純粋に一人で死ぬのだとばかり思っていた。それなのに、こんな短期間で自分が楓に抱いていた以上の愛を自分に注いでくれる大事な、掛け替えのない伴侶と知り合えた。

運命とは不思議なものだなと心の底から思う。



時に血反吐を吐くほど残酷で、時に甘美なまでに優しい。



運命というものを本気で信じた。それと同時に憎んだ。


その昔に感じた運命に、今日ケリを付けるためにここにいる。

光にプロポーズされたこの場所は、何か分岐点のような感じがする。

楓を諦め、光を愛そうと思ったその場所だから。


あの時渡された指輪は今は無い。

それでも心と魂が光の元にある以上、まさに死が自分と光の二人を別つまで一緒だ。



「緊張してる?」

「うーん、そうでもないかな…」



そう。緊張はしていない。


妙な胸騒ぎを感じるだけで。

この胸騒ぎは何なのだろう。

楓に会うという気構えではなく、これで彼と会うのも最後になるのだろうなという落胆のような感慨でもない。

その妙な胸騒ぎの正体がわかる前に、エレベーターが目的の階に停まった。



「じゃあ、行こうか」

「そうだね」



大地に促されて狭い箱から足を一歩踏み出す。


それが大事な一歩。




「お久しぶりです」



目を離さず、真っ直ぐに彼を見る。

相変わらずの秀麗な風貌をしているが、心無しか痩せたと思う。大地に聞いたところによると、相当小百合からの攻勢が激しいようだ。あの飽き性の小百合は、一方でとてもしつこい。自分が一番ではなくては気がすまない性格は、下手をすればストーカーと取られかねない行動も何回もしている。それが大事にならないのは、ただ単に父親のバックネームがあったからだろう。それも、今の三神建設の経営状態ではどれだけの影響力であるのかなど高が知れているが。


しかし、楓は何故そんな目で自分を見るのだろう。まるで捨てられた動物のような。それでいて熱望したとでも言いたいような。



「変わりなさそう…ではないな。また痩せたんじゃないか?」

「それはこちらの台詞です。痩せましたね、楓様」



とりあえず上辺だけでも平静を装わねばならないのだが、如何せん前にいるのが楓と嵐だ。嵐にはこの前の経緯を話していないようなので、幾分ほっとしたが、万が一ふと漏らせばそうなるのだろう。大地が喋るとは思えないが、そもそもがこの子は遠慮がない。もしも嵐にバレたら…。

ふと冷たくなった指先を暖めるように、テーブルの下で大地がそっと手を握ってきた。驚いて大地を見ると、大丈夫だよとでも言うように柔らかく笑んでいた。



「さて。僕お腹減ったんでコース料理食べますけど。椿さんはどうする?前菜だけでも食べる?」

「ううん、いらない」

「そう。じゃ、橘のご当主と鳥谷部さんはどうしますか?」

「俺も軽めのものを。楓、お前は?」

「俺はいい…。なあ椿、お前食わないのか?それ以上痩せてどうするんだ?」



どうするもこうするも、食べられないのだからしょうがない。自分でも痩せすぎの自覚はあるし、そもそもが医者から出産は反対されている。

これからつわりが始まれば、もっと痩せるだろう。


十ヶ月保つか、保たないか。十ヶ月の妊娠期間が満了するかもわからない、まさに賭けのような身体で望む出産。妊娠の事実を嵐は知っているらしいが、相変わらず苦い顔をしているところを見ると賛成ではないようだ。当たり前かと自嘲気味に思ったが、それでも産む決意は変わらない。



「いいえ、いりません」

「…っ。わかった」

「じゃ、僕と橘のご当主だけか。僕は黙々と食べてるから、普通に話しててくださいね。置物だとでも思って」



軽い調子だったが、今も自分の手を握っているところを考えると、やはり大地は自分の味方をしていてくれるらしい。力強いと感謝しつつ、むっつりと黙り込んだままの楓に視線を合わした。


とは言え何を話せばいいのかわからない。楓の方も口火を切る素振りは見せないし、運ばれてきた料理を黙々と食べている大地と嵐が逆に羨ましい。

間が持たないのはいつもの事だが、今日は勝手が違う。


これは楓との決別。

自分の十八年の終幕を自分で下ろす。



「こうして面と向かって話すのって初めてかもしれませんね」



沖縄の時は孕んだ脅威のせいで話すこともままならなかったことを思い返せば、今の雰囲気は随分と安穏としているように思える。実際はそうでなくとも。



「ああ…そうだな」

「それで、今日はどのような事を」

「いや…」



こんなにも歯切れの悪い人だっただろうか。



「私は、今日で全てを最後にしに来たんです。それを確認して欲しくて、楓様にご足労願いました」

「最後?」

「本家で一度叱責されたのにも関わらず、こうして楓様の眼前にいる自分が浅ましいと思います。一度言った事も実行出来ないのですから」

「ち…!違う、あの時は…っ!!」

「いいえ。あの時確かに御大にも明言していたんです。それなのに今楓様のみならず、ご当主の目にも触れるようなところにいる。馬鹿な女だとお笑いになって結構です」



ぐっと堪えるような表情をする楓に対して、嵐のその秀麗な顔からは考えが読み取れない。こういうところはさすがだなと羨ましいような気がする。

自分はちゃんと言えているだろうか。決して言いよどむような事はしていないはずだ。


目線を上げて、真っ直ぐにかつて焦がれた男を見る。



「小百合と結婚なさるんですか?」



これが聞きたかった。

別に楓と小百合が結婚したところで、自分の立場は変わらない。

自分は緑川光の妻。それに、緑川の会社の社長婦人。


三神の会社から光が手を引くとなれば、三神の会社は大打撃だろう。それを救えるのは緑川と同規模の橘しかない。楓と結婚するとなれば、会社にも少なからず益はあるはずだ。

それに、小百合との密会現場を見た限りでは二人ともお似合いに見えた。それが例え本家からの反対があったとしても、楓が強く望めば結婚は叶うのではないのだろうか。小百合の子供が誰なのかはわからない。それでも、あの時期に楓との関係があったからには可能性はゼロとは言えない。


しかし、その事を口に出した途端楓の表情が一変した。真っ青とまではいかないが、以上に顔色は悪い。それを他人事の様に眺めながら、楓の言葉を待った。



「馬鹿言うな!小百合と結婚なんて冗談じゃない!そもそも、あいつの腹の子供の父親は俺じゃない!」

「検査したんですか?」

「あいつがそれを拒んでる。そもそも、検査を拒否する事自体俺の子供ではないと言っているようなものだろう。大体、俺が小百合との結婚を望んでない」

「…小百合とも結婚したくなくて、私とも結婚したくなかったんですね」

「違…っ!」

「違いません。貴方は『鳥谷部家』のしがらみと『結婚』を同じ事だと位置づけている。確かに結婚という枷は貴方にしがらみとなって縛るでしょうが。それに気付かなかった、気付けなかったんですね。私は」



自嘲しか出ない。

そう、楓はしがらみを嫌っていたのだ。それに付加する形で自分も嫌った。同意義だと考えていれば当たり前だったのかもしれない。しかし、その事に対応するだけの意思も、強さもなかった。


自分が見目麗しかったのなら、もっと社交的な性格だったらと何回も自己改造しようとしただろう。それは全て失敗した。そもそも、自分が何をしようが興味もない人のために何かしようとしても、当の本人に気付かれなければどうしようもなかったのだ。

それに今気付いたとしても、遅すぎるし、意味は無い。



「私は楓様と離れて良かった。その方が良かったんです、最初から…」

「ちが…違う、そうじゃないんだ、椿…」

「じゃあ、どういうおつもりだったんですか。隔月のパーティーでは一緒にいるのは最初の三十分だけ。あとはご自分は他の女性と一緒に朝まで過ごす。一族の人達からの誘いを断ろうともせず、それを私に楽しそうに意地悪く教える彼女達の当てこすりに黙って耐えているしかなかった私を、貴方は庇ってくれましたか。

目線を合わせれば睨まれ、言葉を交わそうとすれば苛立ち混じりのため息ばかり。さっさと自分の前からいなくなればいいと、暗にそう言われていた私の気持ちがわかりますか。わからないでしょう?それなのに婚約破棄をして、私が結婚した今になって貴方は私を気にかける。その行動は自分勝手以外の何者でもありません。私は私を護ってくれて、愛してくれる人にようやく逢えたんです。それは貴方じゃない」



瞠目している楓を他所に、心情を吐露した椿は深く息を吐いた。

大地は相変わらず我関せずの態度を貫いているし、嵐は何を考えているのかわからない。このテーブルだけ異常な雰囲気を醸し出している。


そんな中、表情を消していた嵐が口を開いた。



「椿、子供が出来たそうだな」

「はい」



びくりと楓の身体が反応したように思えたが、まさか知っているのだろうか。知っているとしたら、喋ったのは大地だろう。

全く、本当に困った子だ。


嫌いになれない、困った子。


嵐の表情を見る限りでは、楓の子供だという事は知らないらしい。しかし、嵐がこの事を持ち出したからには言いたい事は一つだろう。



「そうか…何ヶ月になる」

「二ヶ月です」

「そうか。……椿、俺の言いたい事、わかっているだろう」

「………はい…」



嵐が一息入れる為に、水を飲んだ。

楓は話の内容が見えないために不思議そうな顔をしているし、大地はメイン料理を美味しそうに口へ運んでいる。

全く対象的な三人を見ながら、椿は、今日帰ったらゆっくりお風呂に入ろうかなと全く関係の無い事を考えていた。



「中絶するという選択肢はないのか」



ピキッと。


まるで薄いグラスにヒビが入ったような音が聞こえたのは、自分の幻聴なのだろうか。

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