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第12話 気付かないままで・・・楓

楓は椿を追って本家の屋敷を転がる勢いで出た。

背後で御大が「無駄だぞ」と叫んでいる様な気がしたが、構う気にならなかった。


まだ椿がその辺にいるだろうと思って道路に出たのはいいものの、彼女の姿はとうに見えなくなっており楓は更に焦った。

だけど、探そうにも椿の行きそうな場所がわからない。とりあえずそこら辺を探そうと思い、必死に椿の姿を探す自分がそこにいた。


今までとは逆だ。婚約破棄する前だったら、椿が楓を追いかけていた。

いつもいつも。

たまに会えば嬉しそうに笑いかけてくる。その後『こんにちは』と恥ずかしそうに言葉をかけてきた。だが、婚約を破棄し、緑川光と結婚してからそんな辺り前の光景が楓の前から消えた。虚無感とでも言うのだろうか、なんだか物足りないような気がする。だが、楓がその喪失感に近い気持ちに気付くことが出来ないまま、椿は人のモノになった。


そう、よりにもよって緑川光の妻に。


それがどうしてこんなにもイラつくのだろう。

どうして、自分はこんなに走ってまで椿を探しているんだ。そして何を言うつもりなんだ。自分の言った事は間違っていない。椿はさっさと他の男を見つけて乗り換えた。


楓を置いて。


それが堪らなく不愉快だ。

このまま椿を見つけても、更に彼女が傷付けばいいと思って残酷な言葉を口にするのか。それ以前に、椿は楓に何も言わなかった。結婚するとも、会社を辞めるとも。婚約破棄の申し出だって、椿の兄経由で知らされた。面と向かって話す事が出来ない臆病な小娘のくせに傷付くなんて、到底信じられない。



そう思っているのに、何故自分は椿を探しているんだ…



椿の姿を探していると、いつの間にか緑川の会社の前まで来ていた。橘本家とは直線距離的にはそう離れていないが、実際に歩くとなると結構時間はかかる。こんなところまで来てしまったことに驚きながらも、まさか緑川の会社に入って行くわけにも行かず立ちつくしていると、近くのカフェから会いたくもない女の声が聞こえてきて楓は内心毒づいた。



「楓さん!?きゃーーー!まさかこんなところで会えるなんて!超ツイてる!もう、最近電話もメールも音沙汰ないんですもん、元気でしたか?」

「悪いが、急いでるんだ。今度にしてくれないか」

「えー?今度っていつですか?そんな事言って、また連絡取れなくなったら寂しいんですけどぉ」



間延びした語尾が癪に障る。小百合の甲高い声も、今の精神状態だと怒りのボルテージを上げる起因にしかならない。

馴れ馴れしく腕を組んできた小百合にびきりと青筋が立ち、「触るな」と振りほどきたいのだが流石に衆目があるのでなんとか堪えた。



「そういえばさっき椿にも会ったんですけど、あの子の旦那!もうホントにムカつくー!」

「椿だと?いつだ、どこへ行った!?」

「えー?椿だったら旦那が迎えに来て、連れて行きましたけど。だけど、本当にムカつくんですよ。あたしの事軽い女だとか言うしぃ!あいつの方がよっぽど性質が悪いじゃないですか。あたしとタメな子が妻だとかありえないー!椿もよくあんなオッサンと結婚する気になっりましたよね。ま、さすが財産狙いって言われてるだけあるわ。ね、そう思いません、楓さん」

「…放せ」

「え?やだ、照れないでくださいよ。ね、これからどこか行きません?丁度あたし暇で…」

「放せって言っただろ」



乱暴に腕を振りほどき、そのまま小百合に背を向けて歩き出そうとすると、後ろから追いかけてくる気配がしたがそれも無視した。後ろでなんだかんだと小百合が喚いている気もするが、全部無視した。


本当にこの女に手を出したのは間違いだった。

なんでこんなのが椿の親友だったんだ。ベラベラよく喋るし、頭も軽けりゃケツも軽い。大人しすぎる椿には相応しくない友人だと今ではわかる。それなのに、なんでこんなのと椿が?


そんな事も知らない。

そもそも椿には興味が無かったはずじゃなかったのか。俺は。


早足で歩く楓に追いついた小百合が、不機嫌なまま楓に食ってかかった。



「…楓さんって椿の事嫌ってたのに、なんで今更気にしてるんですか?そんなに悔しいんですか、自分の元から椿の意志で去って行ったのが」

「あ?」

「だってそうじゃないですか!今まで全然興味の欠片もなかったのに、婚約破棄して椿が結婚してからずっと楓さんは椿を追ってる。自分で気付いて無いんですか?」

「ずっとって何だ。お前何言って…」

「あのパーティーの時もですけど、楓さん、椿の事ばっかり気にしてませんでした?だからあたしを連れて行ったんでしょ?椿に見せ付けるためだけに。まぁ、逆に椿の方が楓さんに自分の結婚相手を見せ付けるような形になっちゃったけど、それでもちょっとでもあの子が傷付けばいいとかって思ってましたよね」



小百合に言われた事は、的確に楓の考えを突いていた。

だが、楓ははっきりと言われた自分の気持ちに表情を変える事無く、そのまま小百合の言いたいようにさせていた。一方、好き勝手に言い切った小百合は今までの睨みつける表情からガラッと変わって笑顔になった。

化粧が濃すぎて口許に皺が寄っている。

今まで気にしなかった事が否が応でも目に付く。



「でもまぁ、椿の事なんて気にしないで下さい。あたしが一緒にいてあげますから!ね?じゃあ行きましょうよ!」



そのままズルズルと引き連れられるように、いつも使っているホテルの前まで来ていた。エントランスまで来て、ようやく今まで黙ったままの楓が口を開いた。



「いてあげる?」

「そうですよー!楓さんだってあたしの事嫌いじゃないでしょう?」



グロスを塗りすぎた唇でそう笑う。

そんな小百合を見ながら楓は口許に笑みを浮かべた。その上辺だけの笑みは見る者が見れば、底冷えのする程のものだったが小百合は気付かない。


早くあの贅の尽くされた最上階に行きたい。あの胸糞の悪くなるようなパーティの夜、椿が泊まったのはあの有名ホテルのインペリアル・スイートだったらしい事は噂で聞いている。

自分より遥かに格下でいつもいつも見下していた椿が、あの緑川光の後妻の座に収まったのは正直ムカつく。

胸と耳に輝くダイヤや指にはめていたルビーの指輪。絶対旦那に甘やかされて贅沢に暮らしているはずだ。


だが、本当に好きだった楓の心は手に入らない。小百合は、楓との関係が椿にはバレているとは露ほども考えたことはない。

だからこそ、椿の心内も知らない。椿の心が未だに楓にあるものだと思っている。

だが、その楓も自分の魅力で落としてみせる。絶対。

今まで落とせない男なんていなかった。だから楓が欲しい。見た目も完璧、しかも旧家の跡取り息子。あの煩そうな母親はいらないが、金は欲しい。椿に負けないほど贅沢がしたい。楓は言えば何でも買ってくれるし、小百合のワガママの聞いてくれる。椿にはかけられる事がなかった優しさを、自分にはかけてくれる優越感。


その盲目的な優越感が、小百合が見ている目を曇らせる。


その優しさを期待された楓はと言うと、気分が全く乗らないばかりか、この女に手を出した事への嫌悪感が渦巻いていた。


遊びなれた女だった。後腐れのない関係を愉しむには都合が良かった。あくまでも小百合は遊びでしか過ぎない。こんな女に本気になる男がいるのか知りたいものだ。自分が遊ばれている事がわからない勘違い女である事を自覚しないばかりか、椿を見下している。今ならわかる。椿と小百合は比べる事すら椿には失礼であるほど、椿の方が格が上だ。

そこには橘の分家の娘と、成り上がりの三神の娘であると言う立場の違いもあるのかもしれない。だが、それでも小百合は格下だ。性格も人格も貞操感も。そんな事に今気付いたとしても意味はない。既に椿は緑川の妻なのだし、元婚約者だった楓には椿との関係は何も無かった。




何も。




「泊まりたいなら泊まれ。最近ハマってるホストの男でも呼べばいいんじゃないか?確か名前は…ジュンとか言ったか…」

「な…なんでソレ…」

「気付いてないとでも思ったのか?それこそ笑わせる。それに、お前もそろそろ気を付けた方がいいぞ。最近お前んとこの会社かなりヤバいって噂だからな。ま、お前は知らないだろうけど」

「ほ…ホストはホストじゃない!それにうちの会社が危ないってどういう事ですか!?」



本当に。

このお嬢様は何も知らないらしい。考えてみれば、就職もせず、ただ遊び歩いている小百合には自分の親の会社がどうのこうのとか言っても何もわからないだろう。それは令嬢としては致命的だとも思えるが、どうせ三神社長もどこかの有名どころの次男坊か三男坊を婿養子にでももらうつもりだったんだろう。そのお鉢が自分に回ることはない。なにせ楓は鳥谷部家の一人息子だ。今まではその跡取りという枷が嫌だったが、今回に限ってその一点では感謝したい。


このまま緑川が手を引き続けると、いよいよ三神の会社は危なくなるだろう。それをのん気にホスト通いで散財していたら、小百合が進む道は見えてくる。

それを同情する気は楓には無かった。



「じゃあな」

「ちょっと、楓さん!?」



喚く小百合を残して、ホテルを出た。このホテルにはもう来ないだろう。定宿にしていただけあって少し惜しい感じがしたが、それで小百合との関係が切れると思うと爽快だった。




「沖縄?」

「ああ、新規ホテルの件でな。施工側と少し食い違いがあったらしい。楓、お前が直に手がけた部門だ。一ヶ月…いや、二週間以内に行けるか?」



沖縄でオープンする予定のホテル事業で少し不都合があったらしい。それが楓が手がけていた部門だったので、専務ながらも楓が行く事になった。


社長室に呼ばれて渡された書類を眺め頭の中でいろいろと計画を考えていると、嵐がパソコンを弄りながら話かけた。



「お前、椿に土下座させたって?」



思わず持っていた書類を握りつぶす寸前ではっと気付いた。ヤバイと思いながらも、皺になってしまった部分を伸ばしているのを見て、嵐がニヤリと笑った。



「動揺してる所を見ると、本当だったんだな。じい様に聞いてまさかと思ったが」

「…俺が見たわけじゃない。御大のホラかも知れないだろう」

「じい様は椿に関してはそういう嘘をつかない。で?なんで椿が土下座したんだ。と言うか、女に土下座なんかさせるなよ」

「椿が勝手にしたんだ。しろと言った覚えは無い」

「………ふーん…。ま、少し後味が悪いだろうが、お前の前にもう現われませんって言質まで取ったんだ。良かったな」

「なぁ…前から聞きたかったんだが、なんでお前や御大はそんなに椿を贔屓目で見るんだ?何も無い娘じゃないか。いくら分家だとは言え、そんなに重要な位置にいるわけでもないし」



そう、ずっと気になっていた。何故下位でもある敷島家の娘が御三家の鳥谷部家の嫁になることが約束されたのか。

いくら敷島家は分家とは言え、鳥谷部家とは釣りあいが取れない。それに、敷島家より上位の分家にも娘がいたはずだ。現に、その女達とも関係があったわけだし。血の濃い薄いと言うのを取れば、身体の事を考えれば、確かに既に本家の血が薄まってしまった敷島の方がいいのだろうが、本家の血と言うのを考えればやはり近い方がいいのではないだろうか。


それを言うと、嵐は大仰に頷いた。



「確かにな。確かにお前には、椿が生まれる前に他の候補はいたんだ。だが、ある日じい様が庭にツバキを植えた。それがあまりに美しく花を付けたから、同時期に生まれた椿がお前の許婚として選ばれたんだ。名前まで椿だったからな」

「そ…そんな事で…」



確かに本家の庭に植えられたツバキの花は毎年美しい花をつける。赤と白の対比が鮮やかで、楓もそれなりに気に入っていたが、そのツバキの花に対して何か思い入れがあるかと問われれば、答えはノーだ。

しかし、椿が婚約者になったのにはもっとしっかりした理由があったのだと思っていたら、そんな脱力するような理由だったとは。

怒るよりも呆れた。そんな楓を見た嵐は苦笑した。



「文句があるんだったらじい様に言うんだな。ま、ツバキの花言葉もある事だし、それでいいと思ってたけど。俺が椿贔屓なのは、他に理由があるけどな」

「なんだ」

(アサヒ)の実家が倒産危機に陥り、俺との婚約も破棄されようとした時。俺はそれがしょうがないと思ってた。だから何も言わずに婚約破棄を受け入れようとしてたんだが、それを椿が諌めてな。『いいのですか。本当に』と」





「いいのですか、嵐様。」

「何がだ」

「旭様とこのまま婚約破棄をされて、本当にいいのですか」

「しょうがないだろう。俺がどうのこうの出来る問題ではないしな。それに旭だってこのまま俺と婚約していたって形見の狭い思いをするだけだ」

「護って……護って差し上げる事は出来ないのですか…」

「椿、これの件はお前が口を挟むことではない。弁えろ」

「申し訳ありません…。ですが」

「くどいぞ」

「…申し訳ありません…でもこれだけは言わせてください。…旭様は嵐様の事をお慕いしていらっしゃいます。嵐様もそれは同じでしょう。だったら、ご一緒に困難を乗り越えてください。一人で駄目なら、二人で助け合ってください。お願いします」



頭を下げた椿を、驚いた表情の嵐が見下ろす形になった。

まさか自分の婚約破棄でこんなにも第三者の椿から懇願されるとは。しかも、周りの人間と違って、婚約破棄しないで欲しいと。



「椿、お前…」

「私は楓様と二人で乗り越える事が出来ません。それはもう自分でもわかっているんです。だからこそ、見たいんです。想い合っているお二人がその手を離さずにいられるという、形を。私では実現出来無い眩しすぎるほどの夢なんです。」

「…楓の事、どうするつもりだ?」

「どうしようもないとわかっています。ですが、私から離すことが出来ない…怖くて出来ないんです。それが疎まれる結果にしかならないとわかっていても、それでも…楓様を想う気持ちはなくすことができませんから」



悲しげに笑う椿の顔は、幼いにも関わらず悲壮に満ちみちていて。

そんな顔をさせているのが他ならぬ、自分だとわかって嵐は申し訳無い気持ちになると同時に、旭との婚約破棄の事は白紙に戻そうと密かに決心したのである。



嵐は目を閉じ、昔の事を思い出していた。



「椿は本当に良く見てる。それからだ、俺が椿の見方を変えたのは。元々はバカな子だと思っていた。お前からあんなに嫌われているのに気付かない鈍感な子だとな。それがあれで全部変わった。俺が旭との婚約関係を破棄せずに済んだのは椿のお陰だ。今の俺達夫婦には椿がキューピッドみたいなもんだからな。

だからこそ、お前が椿に対して取る態度を改めろとも散々言った。それなのにお前は一向に改めなかった。今のお前には小さな椿が言った言葉の意味がわかるだろう。椿がいなくなって、どうだ?一人になった感想は」



一人。



ずっと焦がれていた自由の身。それなのに喜べない。

何故だ。



「楓、気付くなよ。気付いたら喪失に耐えられなくなるぞ」

「どういう事だ?」

「もう椿の事は考えるな。いいか、もう椿はお前の婚約者でもなければ、敷島の娘でもない。お前と椿との縁は切れた。もう考える必要はない。わかったら、仕事に戻れ。沖縄の件はしっかりやってこい。期待してるから」



わかったと言って、重い腰を上げた。

最近、良く嵐にこんな事を言われるようになった。


気付くなって…何をだ。



その謎めいた言葉の意味が理解できないまま、楓は沖縄にとんだ。



そこで全てに気が付いた。




全てに。

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