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第11話 帰巣本能・・・椿

――娼婦――



楓に吐き捨てられた言葉が、椿の頭の中をグルグルと回っている。


楓の目にはそう写っていたのか。


いや、きっと楓だけではない。多分一族の中でも、口には出さずともそう思っている者はいるはずだ。

年上の、しかも会社社長婦人の座を身体を使って得た財産目当ての女だと。

真実はそうでないとしても、端から見ればそうなのだろう。


最早、楓に何と思われようがどうでも良いと言う気持ちもある。今までも口に出さないまでも、自分の事を鬱陶しがっていたのを表情一つ、何よりもそれが彼の気持ちを如実に物語っていたから。


だが。


実際に、そう面と向かって言われるのは初めてだ。冷たい目で見られるのには慣れている。だが嫌悪まで混じった目線は今までにない。

楓に対しての思いはとうに捨て去ったはずなのに、自分は未だにいい感情で見てほしいのか。


椿は薄ら寒い気分のまま、光と住んでいるマンションまで歩いていた。タクシーを拾う事すらも頭から抜け落ちていたらしい。高いヒールを履いた足が悲鳴を上げてからようやく、椿は近くにあったベンチに腰を掛けた。


今すぐ光に会いたい。

だけど、今、会っていいのかわからない。今日は休日ながら、急ぎの仕事があるらしく会社に行ってしまったが、光は結婚しているんだから勿論会社に来てもいいよと言ってくれるだろう。だが、今の鬱々とした気持ちのまま光に会えない。きっとまた心配をかけてしまう。そう考えると、臆病な自分が顔を出して、内へ内へと籠もってしまう。

そんな自分に嫌気がさす。



婚約破棄をした時に決めた筈だった。

内気な自分と決別すると。

だが実際ああいう風に楓から嫌悪が宿った目で見られ、罵られるとどうにもならない。



――娼婦――



その言葉が更に椿を苦しめていた。


自分はずっと楓しか見ていなかった。それを知っているはずなのに、楓は事も無げに椿の気持ちを全否定した上に、更に椿を身持ちの悪い女と罵った。あの人は何も見ていない。今更ながら、改めて楓の無関心ぶりがわかってしまった。


もうこれ以上は楓から傷付けられることはないと思っていたはずなのに、未だに楓の態度で容易く傷付く自分を滑稽に思った。



「椿?ちょっと何してるの、こんな所で」



聞き慣れた声に顔を上げると、目の前には小百合が立っていた。相変わらず派手な化粧とスタイルの良さをひけらかすような露出の高い服。別にそれを悪い事だとは思わないが、久しぶりに見る小百合はどこか嬉しそうに見えた。

椿としては別に話す事はないので、小百合を無視してベンチから立ち上がってタクシーを拾おうとした所を、小百合の甲高い声で遮られた。



「ちょっと、久し振りに会ったんだからどこかでお茶でもしない?話したい事もいっぱいあることだし!」



嬉々として話す小百合に一言も発する事が出来ないまま、引っ張られるまま光の会社近くのカフェに来ていた。何も飲みたく無かったが半ば義理の様にカフェラテを頼み、小百合は何が楽しいのかニコニコと笑顔でシフォンケーキと紅茶のセットを頼んでいた。

はしゃぐ小百合を冷めた目で見やりながら、椿は暖かいカフェラテに手を伸ばして一口飲んだ。寒さに震えていた身体が温まったが、目の前で甘ったるい匂いがするケーキを食べている小百合を見て胸やけがしてしまい、早く本題を切り出して欲しいと思った。


どうせ光と結婚した事を根掘り葉掘り聞くんだろう。

小百合の話題と言えばそんなものだ。

付き合っている彼氏がどうのこうのとか、どうやらあの友人が二股しているらしいだとか。つまる所、小百合の話の内容は全てが浅い。


今までは何も考えずにうんうんと頷いて聞いていたものだけれど、考えてみるとやはり自分は聞き役に徹している方が性に合うらしい。だが、今日に限っては小百合が遠慮もせずにガンガンと自分の事を聞いてくるだろう。

最悪、目の前の会社に逃げ込もうか。いいや、そこまで自分は弱くない。弱くないと思いたい。



「で、どうして緑川社長と結婚したの?」



やっぱりね。



「椿ってさぁ、楓さんが好きだったんじゃないのー?それなのに、自分の親ぐらいの年のオジサンと結婚するなんて信じられな~い!!椿ってオヤジ趣味にだったんだ。知らなかったなぁ。だったら楓さんと合わないのもわかるぅ~!」



そうね。



「ねぇねぇ、どうなの?緑川社長夫人の感じ!!もちろんお金持ってるんでしょー?すっごかったもんね、あのパーティーで付けてたダイヤ!あれ全部合わせて何カラットあるの?いいなぁ、レンタルとかじゃなく、あれ買って貰ったんでしょー?あー!!ちょっと、その指輪も見せてよ!うっそぉ、ルビーの回りをダイヤが囲ってるし!高そー!!」



煩い。



「ねぇねぇ、聞きたいんだけどさぁ。椿ってマジで楓さんの事諦めたわけ?あ、違うか。オヤジ趣味だから、元々どうでもいいんだもんねー。ね、じゃあさぁ、私が狙ってもいいんだよね?あ、って言うか。ゴメンねー、あたしも狙ってたんだよね、楓さん。実は、前々から二人で会ってたりしての。ごめんね、裏切るつもりはなかったんだけど…。でも、楓さんから誘われちゃって…。あ、勘違いしないでね!断ろうと思ったのよ!?でも断れなかって言うか…。わかるでしょ?あの楓さんに誘われて断るバカって居ないじゃない?でさー…あははっ!ホント、ゴメンね!!あたしも反省してるの。親友のあんたを裏切るような真似、本当はしたくなかったんだけど…。

でも、椿も結婚したし!!でさぁ、元婚約者って事で楓さんとの仲、協力してよ!ね、いいでしょ?どうせ優雅な若奥様なんだから、ヒマなんでしょ?何だったら今からでも」

「あいにく、椿はこれから私と予定があるから暇ではないんだ」



聞き慣れた声に振り向くと、いつからいたのか光がそこに立っていて、椿のコートを手に取って広げて待っていた。有り難くそのコートに腕を通すと、光は伝票を持って会計をしにいく所だった。どうやら小百合には興味が無いらしい。あからさまに無視された小百合は、語気荒く光の背中に話しかけた。



「いいですねー、緑川社長!若い奥様で!これから予定ってまさかデートですかぁ?椿は根暗だからインドアが好きですよ。あぁ、もしかしてこれからベッド直行ですかー?きゃー、わっかーい!!」



店中に響くようにわざと大きな声で話す小百合に、咄嗟に頭に血が登った椿は言い返そうとしたが、光に笑顔で制された。「さぁ出るよ」と背を押されるように促されて一緒に出る際、光が入り口で足を止めて小百合を嘲笑うかの様な冷笑を浮かべた。



「私の椿はベッドを暖めるだけの女じゃないんだ、君と違ってね」



光はそれだけを言うと、待たせていた車に乗り込み、さっさと店を後にした。

車中、光の肩にもたれかかった椿を除けることなく、優しく抱き寄せていた光が酷く甘い口調で話しかけた。こういう時は、何を言っても甘やかされるだけだ。仕方無く目を閉じて、質問に答えていく。



「あの娘に嫌な事言われただろう?」

「…はい…でもあり、いいえでもあります」

「橘の本家でも嫌な事があったんだろう」

「御大にはご理解いただけました。優しいお言葉もかけてもらって、私の願いも聞いてもらいました」

「願い?」

「私の遺言ですね。最初で最後のワガママです。もう一族にも金輪際近付かないと約束もしてきました。これでもう、私は帰る場所が無くなっちゃいました…」



小さな声で呟いたそれを光は聞き逃さなかった。椿を自身の膝に乗せてお互いの額をくっつけると、椿が瞳を揺らしながら光を見た。



「あるだろう」

「どこに?」

「私のココ。ちゃんと抱いていてあげる。だから椿が迷っても戻ってくるのは、私の胸の中だ。わかったか?椿の帰る場所は私の胸だから。な?」



至極真面目に言ってくれているのだが、椿はどうしても我慢出来ずに吹き出してしまった。



「……ぷ…くっ……あはっ…あははは!あ…光さん、く…くさい!!スッゴいクサい!!」

「失礼だね、君は」



ムッとしながらも本当に怒っていない光に安心しつつ、未だ収まらない笑いをしつこくしていると、むにっと頬を摘まれた。



「いひゃいでひゅよ」

「んー?何言ってるかわからないな。何だ、椿」



そう言いつつも抓る事は止めてくれないらしい。椿は手をぺちぺちと叩いて抗議すると、抓っていた頬を今度は包まれ、しっかりと目を覗きこまれた。



「本家で何を言われた」

「……何でもないですよ…」

「何でもないわけないな。椿が私と目を合わせないのは、何かあった時のサインみたいなものだ。さ、何があったのか言いなさい」

「本当に何でも…」

「椿」



逃げられない。観念した椿は、本家に突然現われた楓に罵られたと白状した。流石に娼婦と怒鳴られた事は伏せたけれど、だがそれまでの事で十分だったらしい。椿を抱き締めている腕が、気持ち震えている。椿も光の背に腕を回して抱きついた。


こうやって光に逃げる。向き合うと決めたはずなのに、結局は弱さに負けて助けてくれる光に頼りきりの自分。そんな自分に嫌気がさしてくる。だけど、そんな風に負けたくない。自分はあと何ヶ月もしないうちに、この世からいなくなる。だとしたら、こんな事に傷付いてなんかいたくない。幸い、小百合に会っても何も感じなかった。

これから彼女は楓を狙うらしい。だが、あのパーティーの失態と醜態を考えれば難しいだろう。精々頑張って欲しい。


それで楓も小百合も、幸せになるとは到底思えないけど。


椿は皮肉気に考えながら、光の腕の中でまどろんだ。



「なあ、椿。君はまだ彼の事が気になるか?」

「…気にならないと言えば嘘になりますけど…。でも今更傷付けられたとしても、それは甘んじて受けるつもりです。どうせ彼に何を言おうと、それは結局私の主観でしかないんですから。彼は彼で生きていって欲しいです。そこに私は必要ない。そう言えば、小百合が彼にアピールするみたいですよ」

「小百合…あぁ、さっきの三神の娘か。…随分とワガママに見えたが、甘やかされた娘が鳥谷部家の嫁になるには少々敷居が高すぎると思うがね。しかし、不思議なんだが。そんな娘と、どうして椿は親友だったんだ?」



その問いに椿は苦笑しつつ、ぽつぽつと答えていった。


小百合との出会いは中学に上がってからだった。

椿は内向的な性格が災いして、入学と同時に出来上がっていく輪に入れず一人ぽつんといる時に声をかけてきてくれたのが小百合だった。当時から人気者だった彼女は、たくさんの友人に囲まれていかにも楽しい学校生活を送っていた。そんな小百合が何故自分に声をかけてきたのかわからない。

今となっては、楓の婚約者だったと言うので面白見たさで声をかけてきたのだろうとわかる。それでも中学生だった椿は嬉しかったし、小百合を信頼していた。だが、高校生にもなる頃には、椿に対して陰湿なイジメが流行った。靴が無くなるとかの物理的な物ではなく、陰口や学校裏サイトでの根拠のないデマが主だったが、その度に小百合は憤り、そして慰めてくれた。


ちょうど楓の留学していた同時期だったので、楓は知らないはずだ。最も、知ったとしても楓が何かをしようとする気配は微塵も感じなかったが。

小百合は頼れる友だった。何でも相談したし、いつも一緒にいた。たまに小百合のワガママに辟易した時もあったが、それでも全部を許容してしまった。小百合は親友だから。彼女は自分を裏切るような真似はしないから。


だがそれが、小百合の裏切りと言う行為が発覚して全てが終わった。

どうやら小百合自身は気付いていないようだが、楓との関係を仄めかす内容の情報は椿にももたらされていた。それは、楓と関係のあった一族の女から聞いたものだったが、椿はそれを信じなかった。信じたくないと言った方がいい。頑なにそれを拒んだのだが、自分の目で見てしまった以上、否定は出来なかった。


だから終わらせた。

全部を。

小百合が楓を手に入れたいならそうすればいい。どうせ初めからそのつもりで椿に声をかけたのは間違いない。ずっと虎視眈々と狙っていたに違いない。その為にいろいろと椿の側にいたのだろう。でももうどうでもいい。そんな事にもういちいち傷付きたくはない。



「彼女が憎いか?」

「憎くはないです。不憫だなとは思いますけど」

「不憫…?なぜ?」

「一時的にしか得られない彼の感情を追い求める小百合は、これからこの先、ずっとそれを追い求めるんです。昔の私みたいに。あの人は一人に対して…いいえ、誰に対しても自分の感情を与えない。私は十八年で終わりましたけど、小百合はあと何年、何十年そんな感情に左右されるのだろうかと思うと…ううん、違いますね、これは不憫じゃない。同情です。そう、小百合には同情します」



椿はそう言うと、瞳を閉じた。光は椿を緩く抱き締めながら、車外の喧騒とはかけ離れた車内で椿の頭に唇を落とした。



「椿、沖縄に行かないか」



いきなり脈絡もなく光に誘われた椿は、沖縄に行ってもまだ寒いのではないだろうかと、くすくすと笑った。光は渋っている椿を苦笑しながらも、一週間の出張のついでだけどね。と言って、涼しい別荘で過ごせるよとぐらりと心が動くような魅惑的な誘惑をしてきた。



「海も見えるよ。まだダイビングは出来ないだろうが、美ら海水族館に行こう。ジンベイザメが見れるぞ」

「ジンベイザメ…見たい!!」

「良し。じゃあ決まりだな」



強引な手法に呆れながらも、死ぬ前に行きたいと思っていた沖縄に行ける事になったのは単純に嬉しかった。

その頃には、もう椿の心からは楓が残した傷痕は癒えている事を願いながら、光の胸の中で微笑んだ。

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