まとめて棄てて、いいですか?
「お姉様なんか、ミシェル様の婚約者には、ふさわしくないわよ」
エスコートもなく一人で来た夜会の席だった。
聞き慣れた甘い声にジェーンが目を向けると、そこには案の定。
ジェーンの婚約者である侯爵家の三男、ミシェル・ライトナーが周囲に令嬢たちを侍らせていた。
失礼な発言の主は、ジェーンの異母妹、アガサ。
娼婦が産んだ子だったが、母親が亡くなったためジェーンの父、エヴァンズ伯爵に引き取られ、実の姉妹同然に育てられてきたのだ。
「お姉様ったら、ドレスはいつも古臭いし。仕事ばかりで、ミシェル様とのお茶会もいつも義務みたい。ミシェル様が、おかわいそうだわ」
「そう言うものではないよ。アレでも君の姉上だろう、アガサ」
アガサを窘めながらも、ミシェルは満足そうな笑みを浮かべる。天使とも評される面差しに見惚れる令嬢がた、多数。
「まあっ、お姉様みたいな、無表情令嬢なんかに……! ミシェル様ったら、お優しいわぁ!」
ミシェルの腕にすがりつく異母妹から目をそらし、ジェーンは先ごろ悪竜被害で壊れた橋と水車小屋の補修費をどこから回そうか考え始めた。
昨年、両親が事故で亡くなって以来、ジェーンが伯爵代行となっているのだ。
ミシェルは結婚を急ごうとしたが、ジェーンのほうは、悲しみと忙しさとで、とてもそんな気になれないまま、今に至る。
その間に 『無表情令嬢』 だなんて有り難くない二つ名までついてしまったが――両親が亡くなってしばらくは、あまりに突然な事態に呆然として泣くことなんてできなかったし、最近では逆に、ちょっとしたことでも出てくる涙をこらえるのに精一杯なのだ。
そして、とにかく忙しい。
それでもジェーンは、せめて婚約者は疎かにすまい、と努力した。一緒に過ごす時間はきちんととったし、贈り物も小まめにしていたのだ。
なのに気付けば、いつのまにかアガサがミシェルの相手をすることが多くなり、ミシェルも、ジェーンではなくアガサをエスコートするようになっていた。
「お姉様は忙しいんだから、しかたないわよ。ミシェル様だって理解してくださっているわ」 とアガサは言うが ――
いくらジェーンが忙しいとはいえ、夜会に参加しないと勝手に決めつけて、ふたりで出掛けてしまうのは、どうなんだろう。
(なぜそこで私が悪者になり、ミシェル様が『理解ある被害者』面をなさるのかしら? 私に断りを入れることすらせず、やりたい放題なさってるのはそちらなのに? アガサだって、昔はあんなふうじゃなかったのに……恋すれば、あんなにも変わるもの?)
常々、モヤっているジェーンである。
たしかにジェーンの今の忙しさでは、夜会への参加もままならない。
だが――いくら忙しくても参加せねばならぬときもあるのだ。
今夜のように、この国唯一の公爵家の令嬢の、誕生日祝いの席などならば。
――当然、ジェーンは出席で返事していた。
なのにミシェルはやはり、アガサをエスコートして先に会場に入ってしまった。
しかもアガサは、この夜会のためにジェーンに贈られたはずの、ミシェルの色のドレスを勝手に着てしまっていた。
ミシェルはそれをまったく咎めないどころか 「よく似合うよ」 とアガサを褒めていたのだ。
しかたなくジェーンが古いドレスを着ていったところで、冒頭のアガサの発言である。
そして、あのミシェルの返事――
(アレでも婚約者、は、こっちのセリフよ!)
心のなかで婚約者を罵倒しつつジェーンが、補修に足りない予算を何を売って補おうかと考えていたとき。
「結婚式を挙げたいのだけれど、なかなかお姉様が許してくれなくってぇ……」と、アガサが悩ましげに周囲に訴える声が、耳に入った。
(――は!?)
思わずそちらを二度見するジェーン。
視線の先では、アガサが薄ら笑いを浮かべながら腹を撫でている。
「けど、この子が生まれるまでには、結婚を認めていただくつもりよ。でないと、この子が可哀想だもの……」
「そうだね、アガサ。僕も、ジェーンに僕たちの結婚を認めてもらえるよう、努力するよ」
アガサの肩を抱き寄せるミシェル。周囲の令嬢たちが、羨望と同情の眼差しをふたりに向ける――
どうやらジェーンが予算のことを考えている間に、ことはジェーンの悪口から、アガサとミシェルの妊娠テロによる当事者のひとりを無視した婚約解消宣言へと発展したらしい。
(ええええ!? 聞いてませんけど――!?)
唖然とするジェーンだが、ここで騒ぎ立てても無駄である。
『爵位と財産に執着するあまり、愛し合うふたりの結婚を認めようとしない意地悪な異母姉』 に仕立て上げられるだけなのは、周囲の令嬢たちの反応から見て明らかだ。
すでに、ちらちらとジェーンのほうに送られる視線には、いくばくかの棘が含まれている。
(こ、これ……どうしよう……)
戸惑うジェーンをよそに、アガサは 「わたしは、お姉様の役割まで取り上げるつもりはないのよ?」 と得々として語る。
昔、ジェーンの姿が見えないと泣いて探し回る姉さんっ子だったころからは、考えもつかぬ姿だった。
「お腹の子が男の子なら、爵位を継がせられるでしょう? そうすれば、我が家は安泰。お姉様も次代を気にせず、安心して伯爵代行の役目を続けられるでしょ?」
「そうだよ。ジェーンはもともと、僕を愛していなかったからね。なかなか結婚してくれなかったんだ……だから、愛し合う僕とアガサが結婚して跡継ぎを作り、ジェーンが伯爵代行として頑張ってくれれば! 役割分担で、すべて上手くいくんだよ」
「そうなのよ。あとは、お姉様が認めてくださるだけなんだけど、なぁ……」
ちらちら。
送られてくる複数の視線にかなりな圧を感じるジェーンだが。
(認める? あり得ないわよ……!)
こんなの、ようは異母妹と婚約者による伯爵家乗っ取りでしかない。
爵位と財産を奪っておきながら、ジェーンを働かせるだけ働かせようとの魂胆しか、ないではないか。
(もう、我慢できない……!! まとめて棄てて、いいですか!?)
ジェーンが拳をそっと固めたとき。
「楽しんでくださってる?」
艷やかななかにも凛とした響きを持つ声が、話しかけてきた。
夜空を紡いだかのような黒髪。紫水晶の瞳に陶器の肌の、完璧な美貌――この夜会の主、ヴィンターコリンズ公爵令嬢だ。
ジェーンは縮み上がった。
夜会に招待されたとはいえ、特別なコネでもない限り直接話すことなどない、雲の上の存在――なのに急に声をかけられたのは、きっと異母妹と婚約者の香ばしい会話を耳にしたからに違いない。
「す、す、すみません! せっかくの、お誕生日のお祝いですのに、あのような不届きな……」
「よくってよ。おかげで、どなたが愚かでどなたが支配しやすいか、一目瞭然ではなくて?」
もしこのセリフがなければ、ジェーンは『ヴィンターコリンズ令嬢もあっち側か』と勘違いしていただろう。
それほどに、この公爵令嬢がミシェルたちに注ぐ眼差しは、慈愛に満ちていたのだ。
「――わたくし、ゴミクズが好きなのよね」
「……?」
ジェーンは思わず、ヴィンターコリンズ令嬢の顔をまじまじと見てしまった。
なんだか、先程から意外なことばかり言われているのだが――
「ゴミクズって。どう始末すべきか、考えるだけでワクワクしませんこと?」
「…………!」
つまりはお掃除にことよせた励ましだ、とジェーンは理解した。
ヴィンターコリンズ公爵令嬢は、有難くももったいなくも、ジェーンに『あんな連中、さっさと片付けてしまいなさいな』と伝えてくれているのだ――
「あの、失礼ですが」
ジェーンは思い切って尋ねてみた。
「もしヴィンターコリンズ令嬢が、お掃除されるなら…… どういうふうに、なさいますか?」
「あら。お掃除は手を汚さず楽しく、がセオリーではなくて?」
紫水晶の瞳に生き生きとした光が宿る。
公爵令嬢はジェーンにあることを耳打ちし、くすくすと笑った。
※※※※
数日後、ライトナー侯爵家――
「おまえは、なんということをしてくれたんだ……!!」
「なんですか? お父様」
渋面を作り拳を震わせる父に、ミシェルは首をかしげた。
先日のヴィンターコリンズ公爵令嬢の誕生日パーティー以来、婚約者のジェーン・エヴァンズ伯爵代行と父、ライトナー侯爵との間で慌ただしく行き来があったことは知っている。
おそらくはジェーンとの婚約解消、及び異母妹のアガサとの婚約について協議が行われているのだろう――ミシェルはそう踏んでいた。
それなら、ミシェルの目論見どおりのはずだ。
――アガサとは、擦り寄ってくるほかの令嬢たちと同じく、一時の仮初めの関係のつもりだった。なのに、うっかり妊娠させてしまって焦ったが……
よく考えれば、女性が爵位を継ぐことのできないこの国では、どのみち、その血筋の男子が必須なのだ。
ジェーンが伯爵代行になれたのも、いずれはミシェルと結婚して後継を生むという見込みがあるからである。
ならば、畑が姉でも妹でも、関係ないではないか。
不義だなんだと言われる前に、社交界に 『愛し合うふたりと嫉妬からそれを邪魔しようとする姉』 という物語を信じさせてしまえばいい。
そうすれば、ジェーンとしても世間体と爵位継続のため、アガサとミシェルの結婚を認めざるを得ない。
ミシェルとアガサの子が成長して爵位を継ぐまでの間、当主代行として働かせてやれば、ジェーンも納得するだろう。
しかも、ミシェルは未来の当主の親として遊んでラクに暮らせる、というわけだ――
こうした計算からミシェルはわざと、ヴィンターコリンズ令嬢の夜会でアガサとの関係を明かしたのだった。
普通に言えばただの浮気だが、ミシェルには顔という武器がある。この顔で誰からも可愛がられ、慕われて育ってきた彼には、絶対の自信があったのだ。
事実、『天使のよう』 と評される美貌を曇らせながらアガサへの愛とジェーンの冷たさを訴えれば、周囲は簡単にジェーンを悪者と認識してくれた。
そうして、ミシェルがエヴァンズ伯爵家に縁付く予定は変わらぬまま、花嫁だけが変わることになった――そのはずだ。
「ジェーンが身を引き、アガサと僕との結婚を認めてくれたんでしょう? なにも問題ないではありませんか」
「愚か者!!!」
「ぶほっ……」
ミシェルの頬に痛みと熱が走り、目の前に星が飛ぶ。
殴られた――
ミシェルはよろけて尻もちをつき、呆然として父の顔を見た。
普段は温厚な父が、顔を真っ赤にして涙をこらえている。
「お父様……? ど、どうして……」
「アガサは、伯爵家から縁を切られ、追い出されて行方不明らしい」
「はあ!?」
「もともとアガサは、故エヴァンズ伯爵の幼馴染の娘だ」
「……はあ!? だから、ジェーンの異母妹でしょう?」
「母も違うが、そのじつは父親も違う――」
没落して娼婦になった幼馴染の子を、ジェーンの両親が憐れんで引き取り、我が子同然に育てただけ。
ただの預かり子であり、血筋の者ではないために養子縁組すら、していない――
「そもそも、故エヴァンズ伯爵夫妻の仲睦まじさは有名だったんだぞ。彼が他所に子を作るなど、あり得ぬことだ」
父の説明に、ミシェルの顔からさあっと血の気が引いていく。
「アガサを、世間的には異母妹としていたのは、故伯爵夫妻と現・伯爵代行の温情に過ぎなかったんだよ……」
「あっ、な、ならば! やっぱり、ジェーンと結……ぶはぁっ……!!」
再び父の拳が息子に飛んだ。
「公爵令嬢の誕生日祝いの席で、あのような恥さらしをしておいて! なかったことにしてください、などと! どの面下げて言えると思ってるんだ……!!」
「で、でも……僕は美しいから……ジェーンだって当然、ぅ゙お゙ぅっ……!!」
ミシェルの鼻に拳がめり込む。
鼻血を押さえるミシェルの前では、父が目頭を押さえてうつむいていた。
「……アガサはこちらで探し、結婚させてやる。侯爵家としての体面を保つためにも、それしかない……ただし!」
続く父の言葉は、ミシェルには思いもよらぬほど、厳しいものだった。
――結婚後は国外へ出て、二度とこの国に姿を見せるな。
ライトナー侯爵家を名乗ることも許さぬ――
「アガサが見つかるまでは、田舎で謹慎しておけ! わかったな!」
ミシェルはただ、うなだれるしかなかった。
※※※※
「ええええ? あの顔だけドクズと結婚!? あり得ないんですけどぉ?」
エヴァンズ伯爵家の別宅。
こじんまりとしているが居心地良く整えられた部屋で、ソファに寝転び足をぶらぶらさせながら、アガサは長年、姉と慕ってきた女性を見上げた。
――ジェーンの両親が亡くなる前からアガサは、ミシェルが浮気を繰り返していることに気づいていた。
ミシェルだけが悪いというより、婚約者がいると知っていながらミシェルの顔に吸い寄せられる女たちも相当だとは思うが、とにかく浮気は浮気。一生治らないやつである。
(こんな男に、だいじなお姉様をあげるなんて、ダメ、絶対!)
決意を固めたアガサはミシェルに近づき、ジェーンからミシェルを引き離しにかかったのだった。
妊娠した、と嘘までついたのは――
この婚約をジェーンは 『亡くなった両親が決めたことだから』 と大切に考えていて、よほどのことが無ければ解消しようとしないだろうから。
それに貴族の婚約はこんなことでもないと無かったことにはできないから、でもある。
なお、夜会でジェーンの悪口を言ったのは、ミシェルを完全に信用させるため。
ジェーンを傷つけてしまうのは嫌だったが、ジェーンにミシェルを棄てる決意を固めさせるために、しかたなくもあった。
結果、ジェーンからの信用も己の名誉も失うことになるとしても――そんなのどうでもいい、とアガサは思っていた。
もともと、たまたま運良くエヴァンズ伯爵家の預かり子になり、娘同然に可愛がってもらっただけのこと。
恩を返すなら今しかないし、両親亡きあと必死で財政を回しているジェーンに、いつまでもおぶさるつもりもない。
ジェーンとミシェルの婚約をぶっ壊したあとは、密かに姿を消そう――アガサはそう考えていたのだ。
なのに、あの夜会のあと。
アガサは、ジェーンから 「もっと自分を大切にしなさい」 とくどくど説教され、今後の計画を聞かされたのだった。
つまりは、ジェーンとミシェルは婚約解消。アガサは、ほとぼりが冷めるまで姿を隠す。
いまここ、といったところである。
「――で、ライトナー侯爵家から、あなたの行方について知らないかと問い合わせが来たのだけれど…… アガサ、あなた、ミシェルと結婚したい?」
ジェーンの問いに対するアガサの返事はもちろん 「んなわけ、ないでしょぉ!」 である。
「そうよね……!」
ジェーンはほっと息をつき、アガサの隣に腰を下ろした。
「でも、どうしてアレが嘘だってわかったの、お姉様?」
「信じたいことを、信じただけよ」
――あの夜会で、ヴィンターコリンズ公爵令嬢はジェーンにこう言った。
『本物のゴミクズはね、廃棄すれば、とっても気持ち良いだけなのよ』
だからジェーンはもう一度、考えた。
本物のゴミクズが、誰なのか――
そして、わかったのだ。
アガサならけっして、何の意図もなくジェーンを裏切り恥をかかせることはしない。
そもそも昔から、アガサの男性の好みは 『有能さ』 であって 『顔面』 ではなかった――
「ところで、アガサ。ヴィンターコリンズ令嬢から、ほとぼりが冷めたら公爵家のメイドにならないか、っていう打診がきてるんだけど」
アガサが勢いよく起き上がる。
「行くわ……!!」
「だと思った」
ジェーンの焦げ茶の瞳とアガサの榛色の瞳がぶつかり、同時に微笑んだ。
なにしろ、公爵家といえば、アガサ好みの有能な使用人や騎士がよりどりみどりなのだから。
その後――
頑張り屋の伯爵代行に惚れ込んだライトナー侯爵家の長男が嫡子の地位を次男に譲ってジェーンに求婚。
同じころ、アガサもヴィンターコリンズ公爵家の新人騎士と意気投合したという。初デートまで、もうすぐだ。
なお、田舎で謹慎になっていたミシェルは、無聊を慰めるためだったのだろうか。かつて貴族の間で流行していた、とある媚薬に手を出し、いまや廃人寸前。
自慢だった顔もやつれ、黒いデキモノに覆われて見る影もないと、風の噂である。
ともかくも。
そんな危険なブツを誰が彼に渡したのかは――当事者たち以外、誰も知らない。
読んでいただき、ありがとうございます!
この話で何やら暗躍しているヴィンターコリンズ公爵令嬢が、ゴミクズどもを毒と魔法とえげつない策略でしばき倒す小説が本になりました!
詳しくはページ下部をご覧ください。
(アガサはメロンブックス様の限定SSに登場する、好奇心たっぷりのメイドさんです)




