第1話:終わりの夜
コメントで感想・問題点を教えてくれるとありがたいです。何でもいいので。
ひとつ、ふたつ、みっつ。
天高く掲げられる木柱の先端には、人々を護るために戦った戦士、つい先ほどまで悪を焼き払っていた魔女、そして罪なき民間人の生首がぞんざいに突き刺してあり、街が完全に征圧されようとしていることを、未だ抵抗している人間たちに知らしめていた。
その冷酷無比な首刺し丸太を支えているのは、血生臭い悪臭を放つ黒い粘性の肉塊により、辛うじて人の形を保っている悪魔、『異形』。
魂を失った生ける屍のようにふらふらと彷徨っているが、人間を見つけると途端に素早く動きだし、体の一部を刺のように伸ばして胸を貫き、臓器を補食してくるその様に、誰もが恐怖を覚えていた。
3体の丸太持ちの中心には、捕虜が載せられた神輿のようなものを担いでいる異形が数体おり、黒煙が立ち込める街中を行進している。その前方には、人間を殺戮するための異形が十体ほど、奇怪な動きをしながら、木柵のバリケードの中で戦闘準備をしている人々を睨みつけていた。救けを乞う捕虜たちの悲痛な叫びと、彼らを縛り付ける血濡れた鎖が発する鈍い金属音が、異形を迎え撃とうとする生存者たちの戦意を確実に削ぎ落していく。
「こ、こっちに来るんじゃねぇ!この化け物どもが!」
「もう駄目だ……。攻撃系の魔法使いがいないんじゃ、勝ち目がない……」
「レガル!どうにかしてくれよ!」
パニックになった人々は、赤いスカーフを巻いた腕で、刃こぼれが激しい大剣を手にする少女に注目した。
白みがかった灰色の髪の隙間から覗く、夜闇と夕焼けが混じったような赤黒い瞳。その視線は、目の前に広がる絶望を網膜に映し出されてもなお、揺らぐことはなかった。
しかしそれは、彼女が不撓不屈であるからではない。
「おい!何とか言ってくれよ!一応魔法使いなんだろ?今までみたいに、やっちまってくれよ!」
――ここの異形を倒せたとしても、どうせすぐ、次の奴らが来るのに。
それでも、赤黒い血液が滴る拳を握りしめ、レガルは大剣を構えた。幼少の頃より植え付けられてきた教訓が、脳裏をよぎる。
『お前たちの存在価値は、強さ以外にない』
彼女は視線を前にやったまま、汗水を垂らして震えている人々の前に立った。
「もう時間がない。みんなは逃げる準備をしておいた方がいい」
「逃げるったって、どこに……」
問答をしている間もなく、木の柵は打ち破られ、異形がなだれ込んでくる。瓦礫の山でできた袋小路の唯一の脱出口から、死の神輿が狂喜乱舞しながら侵攻してくる様子は、まさに地獄絵図だった。
――長期戦になれば勝ち目はない。狙うなら一発逆転だけだ。
レガルは大剣の柄を強く握りしめ、右脚を前に出して腰を落とし、全身に集中を巡らせる。心臓が激しく脈打ち始め、血液が胸の右側に集中し、『魔法』を使う準備をする。
――加速。
彼女の動きは、まさに電光石火。瞬く間に、異形の軍勢の後方10メートルにまで移動していた。音を置き去りにした斬撃により、正面の戦闘兵を3体、神輿を担いでいる個体を5体切り裂いた。神輿のバランスが崩れ、ぐらぐらと激しく揺れる。
人間の本能を恐怖させるような、甲高い奇声が上がる。しかし、なまくらな大剣だったためか、神速から繰り出した斬撃でも、急所である頭を両断することはできなかった。アメーバのように肉塊が伸びて、裂かれた部分がゆっくりと再生していく。
むしろ、体に損傷を負ったのは、攻撃を仕掛けたレガルの方だった。彼女は自身の体の一部、または全体を加速する魔法を使い、素早く高威力の斬撃を繰り出すことで、異形を屠ってきた。しかし、体を加速させるということは、それだけ負荷がかかるということでもある。筋繊維が破断し、骨が軋み、大剣を握る力が失われていく。そして、彼女はついに、前のめりに倒れこんでしまった。
――これでもう終わりか……
生にしがみつくことを諦めた彼女は、すべての事象から目をそらすように、静かに目蓋を閉じる。意識はまどろんでいくが、後ろの方から聞こえる断末魔の叫びだけは、脳に鮮明に刻み込まれていた。
* * *
レガルは生きていた。生首が突き刺してある木柱に、磔にされた状態で。
足首と腰、手首に首を縄で縛りつけられて、身動きが取れない。目と鼻は自由なため、眼下に広がる人々の惨たらしい死体と、真上にある生首から放たれる、吐き気を催す死臭にやられて、まさに生き地獄状態だった。
――もう、殺して……
齢15歳にして、彼女は自ら死を望んだ。
物心ついたときから、レガルは街の防衛隊としての訓練を受けさせられてきた。肉体の限界を超過したトレーニングに加え、厳しい生活管理、不当な体罰を受けながら、異形から街を護るためだけの存在として、教育されてきた。
防衛隊の戦士は、かなり強かった。平均的に見ても、一人で10体程度の異形は討伐できる。しかし、それはあくまでも、護るべきものがない訓練の場で出した結果だった。他に類を見ない大軍勢で侵攻されたことで統率を失い、散り散りになった戦士たちは、体をばらばらにされるか、見せしめとして磔にされた。
レガルも例外ではなく、むしろ近接戦闘においては一般兵よりもかなり強かった。しかし、彼女の場合、強者でなければならないという洗脳教育の影響を強く受けたために、敗北するということに並々ならぬ屈辱を感じていた。
しかし、彼女は敗北した。弱者へと成り下がったゆえの自殺願望だった。
彼女の願いとは裏腹に、異形は人々への見せしめとしてレガルを生かしたまま、生き残りを探して、瓦礫の山となった街を練り歩いていく。
高所に括りつけられていたため、嫌でも街の全貌が視界に映った。遠くの方で、他の異形の群れが蠢いているのが見える。その軍勢も同様に、見せしめとして、人間を括りつけた柱を掲げているようだった。その人間が生きているか、死んでいるかは、距離が離れているため視認できない。
「おい、あれ……」
「防衛隊の人じゃない……?」
レガルを晒上げる異形の群れは、固まって逃亡している生存者グループを見つけた。武器は持っておらず、全員が民間人のようだった。
恐怖に腰を抜かした人々の視線は、磔にされている一人の少女へ釘付けになっていた。腕に巻かれている赤い布切れで、彼女が防衛隊の人間であることを察する。肩で息をして、前髪で隠れた顔面から血がしたたり落ちている様に、完全に生気を削がれていた。
――見ないで……はやく、はやく殺して……
異形の群れは、その場にうずくまる人々に向けて、突撃する構えをとる。
「ごめん!遅れちゃった!」
突然、殺伐とした戦場に陽気な声が響いた。次の瞬間、耳を劈くような断末魔の叫びが複数聞こえてくる。その数十秒後、レガルの視界はぐらっと揺れて、空中で縄を解かれた後、気付けば何者かに抱きかかえられていた。黒鉄の大鎌を片手に携え、大きな魔女帽子をかぶった女性が、微笑みかけてくる。
「もう大丈夫だよ。異形狩りのリエルちゃんが来たからね」
リエルと名乗る人物は、レガルを抱えたまま、文字通り宙に浮かんでいた。体に纏う黒衣が風になびく。その後、ゆっくりと降下していき、生存者グループの近くに着地した。絶望に打ちひしがれていた人々の声に、希望の色が宿る。
「異形狩りだって!?来てくれたのか!」
「た、助かったぁ……もう安心だわ」
異形狩り。レガルが住んでいる街から遠く離れた場所にある大都市に拠点を構え、都の防衛や他地域の救援を主な仕事とする、異形討伐のプロフェッショナル。ようやく現れた救世主に、レガルを含め、誰もが安堵した。
リエルはふんと鼻を鳴らし、自分の背丈よりも大きい鉄鎌を右手でくるくると回した後、喚き散らす異形たちにその切っ先を向けた。
「このくらい、僕が一瞬で片付けてあげるよ」
彼女は自信満々に言って、勢いよく宙に飛び立った。異形の1メートル上空あたりで急に動きが遅くなったかと思うと、一気に降下して、赤黒い肉塊を一刀両断する。地に足を着けた瞬間に再び地面を蹴って浮遊し、敵の様子を伺っている。
「ほんっとうに、醜い生き物……」
怨恨が込められた声でそう吐き捨てると、リエルは再び空中を舞いながら、異形たちを次々と斃していった。
――あんなに強い人がいるなんて……
レガルは自分を救ってくれた魔女に、強い憧れと希望を抱いた。先程まで死を希っていたが、偶然に偶然が重なって生かされた彼女は、近くに落ちている剣を拾い上げた。
瓦礫の山に潜んでいた異形が飛び出してきたのは、それとほぼ同時に起こったことだった。
「うわあ!」
レガルは反射的に、悲鳴が聞こえてきた方を振り返る。10メートルほど先で、腰を抜かしてしりもちをついていた男性に、小型の異形が襲い掛かろうとしていた。
――今度こそ。
咄嗟の出来事でありながら、レガルは魔法を上手く制御することに成功した。ステップを踏んで人々の間を素早く駆け抜け、弾性に飛び掛かってくる異形のちょうど目の前まで移動して停止した。体への負担も軽く、剣を振るう余裕がある。彼女はそのまま、異形の頭部と思わしき部位を貫いた。
「ɱ⊤'ɼ†ı†ı†ı†!」
鼓膜を割るようなノイズの混じった咆哮が轟き、レガルの白みがかった灰色の髪がなびく。しかし、彼女は微動だにしなかった。
「へぇ。君、なかなか良い魔法持ってるね」
既に他の異形を片付けて、死の神輿に囚われていた人々を解放しているリエルに魔法を褒められたが、レガルは何も言葉を返さなかった。無視されたことを意に介さず、大鎌の魔女は話を続ける。
「ねぇ、もうちょっとだけ頑張れる?」
レガルは周囲を見回して、その言葉の意味をすぐに察した。
彼女らの四方八方に、新たな異形が出現し始めていた。地上を突っ走り、突撃してくる小型の群れ、地面から湧き出てくる液体のような異形、そして、人間の数倍の大きさを持ち、触手のようなものを振り回しながら漸進してくる、蛸のような見た目の変異個体。これらを相手に全員を護りきるのは、彼女でも至難の業なのだろう。
「分かった」とだけ返事をして、レガルは剣を握る。以前酷使していた大剣と比べて重量は軽いが、刃が鋭く保たれており、魔法を使わずとも弱い異形ならば切り伏せることができそうだった。
異形狩りによる抗戦は、実に見事なものだった。
リエルが蝶のように舞い、死神のように鎌を振り下ろすたびに、異形は次々に斃れていく。彼女の手が届かないところは、レガルが引き付けて着実に殺す。
逆に、レガルが数で圧倒されそうなときは、彼女の目の前にどこからともなく大鎌が飛翔してきて、一か所に集まった異形を一網打尽にした。
蛸型の触手も同様に、リエルの敵ではなかった。蛸は触手を硬化させ、目にも止まらぬ鋭い突きで彼女の右胸を貫こうとするも、大鎌を正面に構えて高速で回転させることで攻撃を防がれ、隙を突かれて触手を斬り落とされる。リエルは腕を失って暴れる蛸の頭に飛び乗り、大きな目玉に鎌を突き刺して、一思いにとどめを刺した。ぐちゃりというグロテスクな音とともに、どろりとした黒い液体が勢いよく噴き出す。
一般的には使いにくい武器である大鎌を巧みに操り、攻撃に防御、味方のカバーまでこなすリエル。強者揃いの異形狩りの一人である彼女にとって、この程度の異形は敵ではなかった。
ようやく戦いが終わった。レガルは一息つくために、辛うじて形を保っている建物の石壁にもたれかかる。
「いやぁ、手伝ってくれてありがとね」
大鎌の魔女は、灰色の髪が顔に絡みついたままうつむく少女に声をかけた。
「大丈夫?もう少しだけ頑張って。他の異形狩りの子たちと合流し……」
「どうしたら」
レガルはしゃがれた声で、リエルの言葉を遮る。
「……どうしたら、あなたみたいに強くなれる?」
異形狩りは眩しいほどの笑顔を見せて、情熱の炎を取り戻した紅い瞳に光を注いだ。
「知りたい?あとで教えたげるよ」
年齢は4、5歳ほどしか離れていなかったが、二人は師弟関係となることを約束した。あたりは死臭と黒煙に満ちていたが、レガルの心には確かに希望が芽生え始めていた。
それと同時に、身も心もどろどろに溶かすような安心感が溢れだし、緊張が一気に解けていく。
目蓋が重くなり、外界への意識が散漫になる……
――私はもっと強くなって、生きる価値を……
「……げて!」
「……はやく!」
悲痛な忠告は、レガルの意識を取り巻く暗雲に飲み込まれてしまう。代わりに彼女を現実に引き戻したのは、石壁から伝わる途方もない大衝撃だった。
――っ!?
振動は、彼女の右側から伝わってきた。驚きのあまり、反射的に右を向く。
――は?
前髪の隙間から見えた光景に、レガルの心臓は止まりかけた。
薄汚れた灰色の壁に、血飛沫がべったりと貼り付いている。
その鮮血は、先程まで意気揚々としていた異形狩りから噴き出たものだった。




