死因は24時間以内にお届けください。届かなければ俺が死にます
◇ 第一章 ◇
「死体から抜いた死因は、24時間以内に売れ。——売れなかったら、お前がそれで死ぬ」
ドルクはそう言って、俺の前に汚れた革袋を置いた。中には拳大の水晶玉と、先端に針がついた奇妙な道具が入っていた。
「封玉器ってやつだ。死体に刺して死因を抜く。抜いたらまずお前の体に入る。それを24時間以内にこの水晶に封じて売る。売れなきゃ——分かるな?」
「死ぬのか」
「お前がその死因で死ぬ。溺死を抜いたら溺れ死ぬ。心臓発作を抜いたら心臓が止まる。だから仕入れは慎重にやれ」
ドルクは港の荷揚げ仲間だ。三年前に仕事をやめて、今は何をしてるのか聞いたこともなかった。
「一回でいくらになる」
「モノによる。心臓発作なら金貨10枚。老衰なら金貨100枚。うまくやりゃ一晩でお前の月給の100倍だ」
月給。銀貨30枚。港で朝から晩まで木箱を担いで、銀貨30枚。リーナの薬代は月に銀貨80枚。
足りない。ずっと足りない。
「やる」
ドルクが笑った。「まあ初回は練習だ。いきなりデカいのは狙うなよ」
その夜、裏路地の行き止まりに転がっていた浮浪者の死体から、俺は初めて死因を抜いた。
封玉器の針を刺した瞬間、何かが体の中に流れ込んできた。冷たくて、重くて、腹の底が空洞になるような感覚。
餓死。
こいつは飢えて死んだのだ。
「餓死かよ」ドルクが舌打ちした。「銀貨5枚にしかならねえ。まあいい、早く売りに行け」
闇市に持ち込んだ。路地裏の薄暗いテントが連なる、表の人間が知らない市場。
死因を買いたいという声はあった。ただし誰も「餓死」なんか欲しがらない。
暗殺にも使えないし需要がない。需要がない。
12時間が過ぎた頃、腹が減り始めた。普通の空腹じゃない。臓腑を握り潰されるような飢餓感。
18時間。立っていられない。膝が震える。視界の端が暗い。
22時間。路地裏の壁にもたれて座り込んだ。指先の感覚がない。
——死ぬ。このままじゃ、餓死する。
残り40分。ドルクが走ってきた。「見つけた。呪術師のババアが買うってよ」
連れていかれた先で、歯のない老婆が死因玉を手に取って言った。
「餓死ねえ。まあ触媒にはなるか。銀貨3枚」
「5枚」ドルクが言った。「相場だ」
「はいはい。銀貨5枚ね」
銀貨5枚を受け取った瞬間、腹の底の空洞が消えた。飢餓感が嘘のように去った。
路地裏に座り込んで、手のひらの銀貨を見た。5枚。リーナの薬代の十六分の一。
命を賭けて、銀貨5枚。
——でも、今日は生きていた。
◇ 第二章 ◇
「仕入れてから売り先を探すな。死にたくなきゃ、先に客を見つけろ」
ドルクの言葉を、俺は二回目から守った。
闇市を歩き回り、顔を売り、誰が何を欲しがっているかを聞いて回った。
貴族の護衛長が接触してきたのは、始めて三週間目のことだ。
「心臓発作の死因玉が欲しい。暗殺用だ。金貨10枚出す」
金貨10枚。銀貨にして1000枚。リーナの薬代一年分。
買い手を確保した。次は仕入れだ。心臓発作で死んだ人間を探す。貧民街の老人の遺体が葬儀場に運ばれる前に、ドルクの情報網で場所を特定した。
抽出。封玉器を刺すと、胸に圧迫感が走った。心臓発作の仮宿り。24時間の始まり。
取引場所に向かった。裏通りの酒場、奥の個室。
——護衛長がいない。
「消えた」ドルクが額の汗を拭いた。「ガルムのところに聞いたら、別のブローカーに客を奪われたらしい。つまり——」
「買い手がいない」
胸の圧迫が強くなった。心臓が勝手に跳ねる。不整脈のような不快な拍動。
残り8時間。走り回った。呪術師。闇医者。情報屋。
残り3時間で見つかった買い手は足元を見てきた。
「心臓発作ね。金貨1枚でどう?」
金貨10枚のはずが、金貨1枚。十分の一。ふざけてる。だが命には代えられない。
「——売った」
帰り道、金貨1枚を握りしめて薬屋に寄った。リーナの薬を買う。
「お兄ちゃん、最近お金どうしてるの?」
「仕事が増えたんだ」
リーナが笑った。嘘をつくのが下手な俺の顔を見て、何か言いたそうにして——言わなかった。
◇ 第三章 ◇
四回目の仕事で、俺は死にかけた。
ドルクが持ってきた案件だった。「上客がいる。老衰の死因玉だ。金貨100枚。一発で何年分も稼げるぞ」
老衰は最高級品だ。供給が極端に少ない。自然に老いて穏やかに死ぬ人間なんて、この貧民街にはほとんどいない。
ドルクが教えてくれた場所に、確かに老人の死体があった。
安らかな顔だった。皺だらけの顔に、苦痛の色はない。老衰に見える。状況証拠からも老衰だろうと判断した。
封玉器を刺した。
——違った。
体内に流れ込んできたのは、穏やかな眠気ではなかった。喉の奥が焼け、胃がひっくり返り、口から血が溢れた。
毒殺。
老衰に見せかけた毒殺体だった。表情が安らかだったのは、毒の種類が苦痛を麻痺させるものだったからだ。
膝をつく。吐血が止まらない。
取引場所に這うように向かうと、待っていたのはドルクと——「蛆」のガルム。闇市の死因売買を仕切る元締め。
「お前の嗅覚は悪くねえ。うちで雇ってやるって言ったのに断るからこうなる」
ガルムはナハトの苦しむ姿を見下ろしていた。
「ドルク——」
「すまねえナハト! ガルムに脅されて——弟のことを持ち出されて——」
ドルクの弟は三年前に病死している。ガルムはそれを使ってドルクを動かしたのだ。
残り6時間。毒殺の前兆が体を蝕む。視界が赤く染まる。
闇医者の元へ転がり込んだ。
「毒殺か。銅貨50枚で引き取るよ。呪術の素材にはなる」
銅貨50枚。ゴミだ。でも死ぬよりマシだ。
売った瞬間、吐血が止まった。路地裏で仰向けに転がって空を見た。
その夜、帰宅したらリーナが寝ていた。
苦しそうな寝息。眉間に深い皺。薬が効いているはずの夜に、この表情。
寝言が聞こえた。
「……痛いの、もう嫌だな……」
俺は枕元に座ったまま、朝まで動けなかった。
——治らない。分かっていた。薬はただ進行を遅らせるだけだ。痛みは日に日に増している。
じゃあ俺は何のために金を稼いでいるんだ。延命か。苦しみの延長か。
リーナが本当に欲しいものは、もっと別のものなんじゃないか。
◇ 第四章 ◇
「安楽死の死因玉が欲しい」
闇市の情報屋に聞いた。安楽死——苦痛ゼロで眠るように逝ける死因。最も希少で、年に一つ出るかどうか。
「持ってるのはガルムだけだ。あの野郎、金貨50枚積んでもまだ渋ってる。コレクションにしたいらしい」
ガルムのところへ行った。毒殺を食らわされた相手のところへ、また行く。
「安楽死を売ってくれ」
「金貨50枚。もしくは——お前の腕を永久に俺に差し出せ」
金貨50枚はない。ガルムの奴隷になるのも論外だ。
「取引をしよう。俺が老衰を持ってくる。本物の、完璧な老衰だ」
「前みたいに毒殺を掴むんじゃねえのか。お前に見分けがつくのかよ」
「つかない。だから時間をくれ。確実に老衰だと分かる相手を探す」
ガルムは鼻で笑って、だが了承した。コレクションに完璧な老衰も欲しかったのだ。
それから二週間、俺は貧民街の老人たちを訪ねて回った。死因を抜くためじゃない。話を聞くためだ。
一人暮らしの老人は多い。寂しい目をした人もいれば、穏やかに笑う人もいた。
103歳のバーサ婆さんは、毎朝猫に餌をやって、午後は編み物をして、夕方になると死んだ旦那の写真に話しかけていた。
「あんたは優しい子だね。毎日来てくれて」
「婆さんが元気か見に来てるだけだよ」
「嘘おっしゃい。死因屋でしょう、あんた」
心臓が止まるかと思った。
バーサ婆さんは編み物の手を止めずに言った。
「この歳まで生きりゃ分かるよ。私の死因が欲しいんでしょう。老衰」
「……ごめん」
「謝んなくていいよ。ちょうどよかった。——お願いがあるんだ」
婆さんは猫を撫でた。
「この子の世話を頼まれてくれないかい。私がいなくなった後」
「……分かった」
「じゃあ約束ね。——もう長くないのは自分が一番分かってる。朝起きて、ああ今日も目が覚めたって思う日が続いてね。そのうち、もういいかなって思う朝が来るの。たぶん、もうすぐ」
三日後の朝、バーサ婆さんは椅子に座ったまま亡くなっていた。編み物を膝に置いて。窓際の旦那の写真に顔を向けて。猫が足元で丸くなっていた。
封玉器を刺した。
体に流れ込んできたのは——温かい眠気だった。
今まで経験した仮宿りと全く違う。餓死の飢え、心臓発作の圧迫、毒殺の激痛。どれとも違う。
ただ眠い。穏やかに、温かく、眠い。
24時間以内にガルムの元へ。取引は成立した。完璧な老衰と、安楽死の死因玉。
安楽死の死因玉は、掌に乗る小さな結晶だった。淡い、温かい光を放っている。
猫を抱えて、家に帰った。
◇ 第五章 ◇
リーナが横になっていた。薬はもう三日前から効いていない。
枕元に座った。猫がリーナの布団の上に丸くなった。
「……何この子」
「もらってきた」
「お兄ちゃん、猫なんて飼う余裕ないでしょ」
「大丈夫だ」
沈黙。リーナが猫の背中を撫でた。猫が目を細めた。
「リーナ。俺、ひどい仕事してたんだ」
「……知ってるよ」
「いつから」
「最初から。港の稼ぎで薬が買えるわけないじゃん」
リーナは笑った。笑うと咳が出て、咳が収まるまで少し待った。
俺は安楽死の死因玉を取り出した。淡い光が、薄暗い部屋をほんの少しだけ照らした。
「これを使えば——痛くない。眠るみたいに」
リーナが死因玉を見つめた。長い沈黙。
泣くかと思った。怒るかと思った。
リーナは——笑った。
「ありがとう、お兄ちゃん」
「違う。俺は薬代を稼いでたんだ。治すつもりだった。でも——」
「うん。でも、もう十分だよ」
リーナが死因玉を胸に抱いた。淡い光がリーナの顔を照らして、苦痛で強張っていた眉間の皺が、少しずつほどけていくのが見えた。
安楽死の前兆——痛みが消えていく。何ヶ月もリーナを苦しめていた痛みが。
「お兄ちゃん」
「ん」
「猫の名前、バーサがいいな」
「……なんでバーサ」
「なんとなく。この子、おばあちゃんみたいな顔してるから」
リーナが笑った。痛みのない笑顔。何ヶ月ぶりに見た、皺のない笑顔。
「おやすみ、お兄ちゃん」
「おやすみ」
リーナが目を閉じた。猫が小さく鳴いた。
俺はリーナの手を握ったまま、朝まで動かなかった。
翌朝。封玉器を革袋に入れて、港の桟橋から海に投げた。
荷揚げの仕事に戻った。朝日がやけに眩しかった。
足元にバーサがついてきた。猫は港の魚が目当てらしく、木箱の陰に座ってこっちを見ている。
死因は売り物だ。この街ではそうなっている。老衰に値段がつき、安楽死に値段がつく。
でもリーナが最後に見せた笑顔には——値段がつけられなかった。
あれは売り物じゃない。
俺がもらった、最初で最後の贈り物だ。




