第19話 禁断の花嫁
茶番みたいなスライム騒動が終わって一週間後。
プスプス達の働きぶりのおかげで、温泉区画は見違えるほど復旧していた。迷路の壁は磨かれ、湯気も立ちのぼり、観光客の笑い声が再び響いている。
俺はというと、精霊ガイアやプスプスに振り回されながらも、どうにか日常を取り戻していた。
そして問題児だったアガペー。あの一件以来、驚くほど大人しくなった。隣の迷宮の主にしてトラブルメーカーだった女は、今や俺の玉座の横で膝を抱え、やたらとおとなしい彼女を演じている。
なら、今のうちに手を打っておくべきか。
「アガペー、話がある」
「なぁに?」
「結婚しよう」
やっぱりこれが一番の解決策だ。強引にでも契約して、余計なトラブルを防ぐ。
俺の三つの顔で同時に言ってやった。低音のいけてるボイス。シンプルなプロポーズ。我ながら完璧だ。勝ったな。
「イヤよ」
「そうか、それはよかっ……え、ええええええ!?」
予想外の返答に俺は眼を見開いて叫んだ。漫画だったら目ん玉が飛び出ていただろう。
「な、なぜ!?」
「同棲してから、まだそんなに経ってないじゃない」
妙に現実的な理由だな!?
「その代わり、先に約束ごとを決めておきましょう?」
「約束?」
「そう。結婚って互いにどう支え合うかが大事なんでしょう? だったら、好き嫌いや、やっていいこと悪いことを先に決めておいたほうがいいと思うの」
なんだろう。こいつ、意外とまともなこと言うじゃないか。
「……なるほど。じゃあ、何か約束しておきたいことあるか?」
「うん。まずひとつ、“人間を傷つけないこと”」
えっ、それは俺が言うべきことじゃ……?
「ふたつめ、“精霊も傷つけないこと”」
……まあ、うん。それも俺が言いたかったことだ。
「みっつめ、“浮気しないこと”」
「……最後のは分かる。だが一つ目と二つ目は俺が言いたかったことだぞ」
「知ってる。好きな人の言葉だもん、覚えてるわ。だからこそ、先に言っちゃった、えへ」
舌をチロリと出して、はにかむ。
コイツはまた照れ臭いことを平気でいいやがる。
「そういうことか。俺のことを理解しようとしてくれているんだな」
「そだよ!」
笑顔が眩しい。やっぱいい女かもな。妄想癖を除けば。
まだ部屋から出られていないし、結婚なんて正直考えられないが、もし、余裕が出てきたらアガペーを本当に嫁に選ぶのも悪くない。純粋にそう思った。
ともあれ、こうして俺とアガペーの物語は、一応ハッピーエンドに収束した。
そして。
大きな事件もなく、夕方になった。
一日の業務を終え、俺は玉座で伸びをする。
「平和だなぁ……」
こんなにのんびりしてるのは、いつぶりだろうな。このままスローライフをしたい。あとは小型化スキルを覚えれば完璧だというのに、まだ特殊条件は分からない。
「アシュラ様」
平和ボケを満喫していると、ガイアが淡々とした声で話しかけてきた。
玉座の横に現れた魔導スクリーンに緑色だらけの女が映る。
「……なんだよ。もう休みたいんだが」
「大変、言いにくい報せが入ってきました」
「どうせまたプスプスかナビビがやらかしたんだろ」
「違います。外の世界に流れた噂についてです」
「……うん?」
ガイアが小さく溜息をついた。
「“アシュラに番ができて繁殖している”。そんな噂が周辺の村々に広まっています」
「……は?」
思考が一瞬停止する。が、すぐに目をパチパチさせて正気に戻った。
「ちょ、ちょっと待て! なんでそんな話になる!? 俺、繁殖なんてしてねぇぞ!!」
「そりゃあ、アガペー様と四六時中イチャイチャしていたら、そう見られても仕方ありませんよ。今も足元にいらっしゃるし」
視線を下げると、アガペーが俺の右足に抱きつき、猫みたいに頬をすり寄せていた。マーキングかな?
「いやいや、仕方ないだろ。邪険に扱ったら、こっちが滅ぼされるんだから」
ガイアがバカにしたようにフッと鼻で笑った。相変わらずムカつくやつだ。
「続けます。噂の拡散元は旅人風の黒装束の青年。腰に短剣、手には……レーズンバターサンド」
「ハデスうううううううううう!!」
自称怪盗のハデス。玉座の裏のハリボテ門の先に理想郷があると信じ込んでいる痛い奴だ。迷路を複雑にしてからはろくに姿を見なかったが……よりにもよって何をばらまいてやがる。
しかし、衝撃はまだ終わらなかった。
「……えー、さらに入ってきた情報によりますと、その噂が南にあるクロノス王国に届き、アシュラ様を“異種拡散災害”と認定したようです」
「え……待て待て待て、それってつまり?」
「異種族モンスター同士で繁殖を行う危険な存在として、【緊急討伐対象】に指定されたということです」
「はああああああああああああああ!?」
三つの顔で同時に怒鳴り上げたせいで、玉座の間に絶叫が木霊した。天井がわずかに揺れる。
いやいやいや、俺はスローライフを送りたいだけなのに、なんでこうなるのぉぉぉぉぉぉ!?
「現在、クロノス王国にある複数のギルドで討伐者を集めているようです。迎撃の準備をなされた方がよろしいかと」
「う、嘘だろ……災害って……もうスローライフ無理だろ……」
あまりのショックに俺は玉座の裏の壁に額を押しつけたまま、しばらく動けなかった。
そうしている間にも残酷王アシュラ繁殖説は、静かに、確実に、世界を巡り始めていた。
【第2部 禁断の花嫁編】 —終—




