第15話 混浴
玉座の間。その一角に巨大な風呂釜が完成していた。体長二十メートルはある俺の体を沈められるくらい巨大だ。
俺は今からその風呂に入ろうとしている。理由は体を洗うため、と言いたいが本当の目的はアガペーという蛇髪の姫のご機嫌を取るためだ。
彼女が言うには温泉に二人で浸かれば俺の呪いが解けるらしい。まず呪われていないのだが、それはもう置いておこう。
「放水開始! 放水開始ラブ!」
プスプス族が巨大ホースを使って温水を俺に浴びせてくれている。かけ湯がわりだ。
正直、風呂に入らなくても清潔さは維持できる体なのだが、元日本人の性か、湯船を前にすると自然と心が浮き立つ。
「放水終了ラブ! アシュラ王子! いつでも入浴可能ですラブ!」
誰が王子だよ。まぁいい、湯船に浸かりますか。
右足から浸かり、そして一気に全身を沈めた。
すると、なみなみ張られていたお湯が溢れる。流れ出たお湯がプスプスやナビビを押し流していく。
「流れるプールみたいラブー!」
「ひゃっほー! たーのしー!」
なに楽しんでんだよ。俺はアトラクションじゃねぇんだぞ。
しかし、いい湯だなぁ。疲れた体に染みるぅ。
「後は若いお二人でごゆっくりどうぞラブ」
そう言って精霊たちは全員出ていった。こういう時だけ空気読んでんじゃねぇぞ!
ほどなくしてアガペーがやってきた。裸だが、蛇髪で大事な部分は隠されている。
今の俺は女体を楽しむ余裕がないので何も感情が浮かばない。
しかし、右の顔が鼻血を出していた。
おい。たまに俺の意思とは関係なく動くよな。
「ご一緒してもいいかしら?」
「いや、ちょっと一人で入りたいのですみません」
「逆のことを言ってしまう呪いに掛かっているのね。可哀想に、いま治してあげるわ」
と言って湯船に入ってきた。
おい、この選択肢が一択しかない理不尽な恋愛シミュレーションゲームどうにかしろ。
目の前のアガペーは蛇髪をふわりとなびかせながら、子供用プールみたいな底の浅い部分に腰掛けた。にっこりと笑っている。その笑みが王子様の呪いを解くなどという美名のもとに、あまりにも物騒だ。
「ふふ……湯に溶ける呪いの気配……」
「……え」
湯けむりの中から時折聞こえてくる声は、どうにも聞き捨てならなかった。
「この熱量……王子様の魔力が釜に染みついてる……」
「いや、怖いよアガペーさん」
「私の蛇髪もとろけてきた……これって、ひとつになったってコト?」
誰かこの女を止めてくれぇぇぇ!
俺はアガペーから見えない右側の顔を梅干しみたいにクシャクシャにして心中で嘆いた。
落ち着け俺。このまま風呂にゆったり浸かっていたいが、そうもいかない。アガペーの暴走を止める方法を考えねば。
このまま何もしなければ、呪いが解けないと分かったアガペーが更なる過激な方法で解呪しにかかるだろう。そうなれば……この先は言う必要がないだろう。
そうならないためにもどうにか思考を安全な方へ誘導するしかない。会話から糸口を見つけよう。
「アガペー、湯加減はどうだ?」
「丁度いいわぁ。でも王子様がいるからすぐにのぼせそう」
よくそんなむず痒くなるセリフが言えるな。
「そ、そうか。あんまり無理せず、すぐに上がってもいいぞ」
「王子様ったら優しい。でも大丈夫。それより呪いの方はどう?」
「なんだか体が軽くなってきたようだ。間違いなく解呪されてるよ」
「……その割には変化が見られないわね」
ギクッ。
「い、いやー、体の芯から変わっていくタイプの呪いなんだよ。きっとね」
「そんなはずないわ。やっぱり人間の血が必要かしら?」
「あわわわわ、えっと、そうだ! 他に必要なものあったよな!?」
「キス、よね」
あ……そうだった。詰んだ。
蛇髪が一斉にこっちを見てニヤリとしたのが見えた気がした。……いや、たぶん気のせいじゃない。
動揺の中、アガペーが跳躍し、一瞬で俺の左肩に乗ってきた。
やばい、どうする俺! 別にキスするのはいいが、これで呪いが解けないと分かれば、いよいよ後がなくなる。
どうにか引き延ばすしかない。ここまで彼女の妄想を否定ばっかしたのがいけなかったのかも。今度は敢えて妄想を手助けする方向で行こう。
「ま、待てアガペー。こういうのは順番というものがあってだな」
「順番?」
「なんていうか勢いでするのは良くないと思う。雰囲気も大事だろ? それに以前、同じことをされた時は呪いが解けなかったんだよ」
さらりと嘘をついた。我ながら完璧だ。アガペーから見えない方の顔にドヤ顔を浮かべる。
そんなことをしていると、彼女の冷たく重い声が響いてきた。
「以前……てことは他の女?」
瞬間、アガペーの眉間辺りに青筋が立ち始めた。
「ちちちち違う違う! 確かあれは男だったかな、いや、カピバラ、そうカピバラにキスされたんだよ」
「……ふぅん、ならいいわ」
よかった。ただし、俺の初キスはカピバラということになった。
「でもそうね、婚前交渉は良くないわよね」
うんうん……え、こ、婚前!?
「そういうのは結婚してからよね! 順番が大事ってことだから——まずは同棲から始めましょう!」
はぁ? もう勘弁してくれぇぇ……。
俺は、沈みゆく運命に抗えない泥舟のように湯の中に消えていった。




