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痴漢冤罪で俺を「生理的に無理」と切り捨てた最愛の妻と娘。彼女たちが信じた救世主の正体が暴かれる時、本当の地獄が始まる  作者: ledled


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第三話 法廷という名の処刑台

東京家庭裁判所。

重厚な建物の廊下を歩く俺の足取りは、不思議なほど軽かった。

隣を歩く高島と、彼が紹介してくれた敏腕弁護士の神宮寺じんぐうじ先生は、戦場に向かう武人のような鋭い空気を纏っている。


「緊張してるか? 健一」

「いや。……むしろ、楽しみだよ」


俺は嘘偽りなく答えた。

かつては、ここに来ることを想像しただけで胃が痛くなった。愛する家族と敵対し、罵り合うなんて地獄だと思っていた。

だが今は違う。ここは俺が失った尊厳を取り戻し、俺を踏みにじった者たちに相応の報いを与えるためのステージだ。


調停室の扉が開く。

中には既に、玲子と美緒、そして権田が座っていた。

俺が入室した瞬間、美緒が露骨に顔をしかめ、玲子の背後に隠れるように身を引いた。まるで汚物を見るような目だ。以前なら心が抉られたその仕草も、今の俺には滑稽な猿芝居にしか見えない。


「……よくもぬけぬけと顔を出せたものね」


玲子が低い声で吐き捨てる。彼女は上品な紺色のスーツに身を包んでいるが、その表情は能面のように冷たい。隣に座る権田は、仕立ての良いグレーのスーツを着こなし、余裕たっぷりの薄ら笑いを浮かべている。


「やあ、杉浦さん。久しぶりですね。少しお痩せになったかな? まあ、当然でしょうが」


権田が馴れ馴れしく声をかけてくる。

俺は無視して席に着いた。神宮寺弁護士が分厚い書類の束を机に置く音が、静かな室内に響く。


「それでは、調停を始めます」


調停委員の言葉を合図に、権田側の弁護士(権田が連れてきた男だが、どう見ても胡散臭い)が口火を切った。


「我々の要求は以前お伝えした通りです。即時の離婚、慰謝料一千万円、および財産分与としてご自宅と預貯金の全額譲渡。これらを受け入れていただけるなら、刑事告訴の取り下げを検討してもよろしい」


「ふざけるな」と言う代わりに、俺は鼻で笑った。


「笑い事ではありませんよ! 杉浦さん、あなたのしたことは犯罪です。奥様とお嬢様は、あなたが性犯罪者であるという事実に深く傷つき、PTSDを発症しているんです!」


権田側の弁護士が机を叩く。玲子がハンカチで目元を押さえ、美緒がわざとらしく震えてみせる。


「そうよ……私たちがどれだけ苦しんだか……近所の目も怖くて、夜も眠れないの。あなたのせいで、私の人生はめちゃくちゃよ!」


玲子の涙声が響く。だが、俺は知っている。彼女が昨夜、権田と高級レストランでディナーを楽しんでいたことを。美緒が権田に買ってもらったブランドバッグを学校で自慢していたことを。高島の調査報告書は、彼女たちの「苦しみ」がいかに虚飾に満ちたものかを克明に記録していた。


「……苦しんでいる、ですか」


神宮寺弁護士が静かに口を開いた。


「ええ、そうですとも! 被害者である彼女たちの心のケアのためにも、迅速な解決が必要です」

「なるほど。では、こちらの証拠をご覧いただきましょうか」


神宮寺弁護士が合図をすると、高島が手元のノートパソコンを操作し、室内の大型モニターに映像を映し出した。


「な、何ですかこれは」


画面に映ったのは、数日前のショッピングモールの駐車場だ。

俺の愛車に乗り込み、満面の笑みで権田と談笑する玲子と美緒。権田が玲子の肩を抱き、美緒が権田の頬にキスをする。音声はないが、そこにあるのは「PTSDに苦しむ被害者」の姿ではなく、「新しいパパ」と休日を楽しむ幸福な家族の姿だった。


玲子の顔色がさっと変わる。美緒も目を見開いて固まった。


「これは……! プライバシーの侵害だ!」


権田側の弁護士が叫ぶが、神宮寺弁護士は涼しい顔で続ける。


「おや、苦しんでいるはずの被害者が、加害者を捕まえた男性とこれほど親密にされているとは。……ちなみに、この男性、権田猛氏は、どのような立場でご自宅に出入りされているのですか?」

「そ、それは……相談役として……」


玲子がしどろもどろになる。


「相談役? 毎日泊まり込みで? 奥様の寝室で?」

「っ……!」


玲子が言葉を詰まらせ、権田に助けを求めるように視線を送る。権田は眉をひそめ、不快そうに舌打ちをした。


「……杉浦さん、こそこそと嗅ぎ回るのは趣味が悪いですね。まあいいでしょう、彼女たちが僕に安らぎを求めたのは事実です。それだけあなたが頼りなかったということだ」


権田は開き直り、ふんぞり返った。


「それに、いくら盗撮まがいの映像を出したところで、あなたが痴漢をした事実と、スマホから出てきた盗撮データの証拠能力は覆りませんよ。論点をすり替えないでいただきたい」

「論点のすり替え……ですか。面白い」


俺は初めて口を開いた。真っ直ぐに権田を見据える。


「権田さん。あんた、俺のスマホから出てきたデータだと言って、玲子たちに見せたそうだな」

「ええ、事実ですから」

「そのデータ、どこにある?」

「は? ……警察に提出する前に、バックアップを取ってありますよ。ここにも持ってきていますが」


権田側の弁護士がタブレットを取り出し、あの忌々しい盗撮画像をモニターに映した。


「ほら、これです! 見てください、この卑劣な画像の数々を! これがあなたの本性だ!」


玲子が顔を背け、美緒が「最低!」と叫ぶ。

だが、俺は冷静にモニターを見つめ、静かに告げた。


「高島、解析結果を」

「了解」


高島がキーボードを叩くと、モニターの画面が切り替わった。

左側に権田が出した画像、右側に何やら複雑な文字列とコードが表示される。


「これは、提出された画像のメタデータ解析結果です」


高島が説明を始める。


「これらの画像の日付データを見てください。……全て、杉浦さんのスマホで撮影されたとされる日時のものですが、GPS情報と照らし合わせると、矛盾が生じます」

「む、矛盾?」

「ええ。例えばこの画像。撮影日時は先月の十日、午後三時となっています。場所は新宿駅の階段。……ですが、その時間、杉浦さんは大阪へ出張中でした。会社の日報と、新幹線の乗車記録、そして現地の取引先との会議の議事録がここにあります」


モニターに、俺のアリバイを証明する書類が次々と表示される。


「さらに、画像の解像度とノイズパターンを分析しました。これらの画像は、特定のサイトからダウンロードされたものを、編集ソフトで加工して作られたものです。……そして、その加工が行われたパソコンのIPアドレスとMACアドレスも特定しました」


高島がニヤリと笑い、権田を指差した。


「権田猛さん。あなたの自宅のパソコンですよ」


室内の空気が凍りついた。

権田の顔から、余裕の笑みが消え去った。


「な……何を馬鹿な……でっち上げだ!」

「でっち上げ? ログは嘘をつきませんよ。あなたがいつ、どこのサイトから画像を拾い、どう加工して杉浦さんのスマホに入れたように見せかけたか。全ての履歴が残っています」

「そ、そんな……」


玲子が呆然と権田を見る。


「権田さん……? 嘘ですよね? あれは、夫のスマホから出てきたって……」

「黙ってろ!」


権田が玲子を一喝した。その剣幕に、玲子と美緒がビクリと肩を震わせる。


「まだだ! まだ終わりじゃない! 痴漢の現行犯であることは事実だ! 俺は見たんだ! この手で取り押さえたんだぞ!」


権田が立ち上がり、唾を飛ばして叫ぶ。

俺は憐れむような目で彼を見た。


「そうだな。あんたは『見ていた』。……獲物を狙う狩人の目でな」

「何だと?」

「神宮寺先生、お願いします」

「はい。では、決定的な証拠をご覧いただきましょう」


モニターに、新たな映像が映し出された。

駅のホーム。柱の陰。

そこには、権田と、被害者のサクラが映っていた。


『いいか、ターゲットはあいつだ。あの茶色いスーツの男。さっきの電車で見送ったから、次はこっちの車両に乗るはずだ』

『了解。……ねえ、本当に大丈夫? 警察呼ばれたら……』

『安心しろ。俺がすぐ取り押さえる。周りはパニックになって、誰も細かいことは見てない。お前は泣いて被害者を演じればいい。ギャラは弾むから』

『オッケー、任せて』


高島が復元した音声が、クリアに再生される。

権田の声だ。紛れもない、彼の声で、冤罪の計画を打ち合わせている。


「あ……あぁ……」


権田が崩れ落ちるように椅子に座り込んだ。顔面は蒼白で、脂汗が滝のように流れている。


「これは……高島氏が独自のルートで入手した、駅構内の未公開防犯カメラ映像、および指向性マイクによる音声記録です。……権田さん、これでもまだ、偶然居合わせた正義の味方を演じますか?」


神宮寺弁護士の声が、死刑宣告のように響いた。


「嘘よ……」


震える声がした。玲子だ。

彼女は信じられないものを見る目でモニターを見つめ、そしてゆっくりと権田の方を向いた。


「権田さん……? 嘘ですよね? あなたは、私を助けてくれたんじゃ……」

「パパ……? なんで……?」


美緒もパニック状態で、視線が定まらない。

彼女たちにとっての「真実」が、音を立てて崩壊していく。自分たちが信じ、縋り、愛した男が、夫/父を陥れ、家庭を壊した張本人だったという事実。


「……騙された」


玲子が呻くように言った。


「私たち、騙されてたのね……! ひどい! よくも!」


玲子が権田に掴みかかろうとする。だが、その手は空を切った。


「うるさい!」


権田が玲子を乱暴に突き飛ばした。玲子は無様に床に転がる。


「くそっ! なんでこんな映像があるんだよ! あいつらは絶対に見つからないって言ったのに!」


本性を現した権田は、もはや紳士の仮面などかなぐり捨てていた。


「おい、お前ら! 終わりだなんて思うなよ! 俺にはバックがいるんだ! こんな映像、揉み消してやる!」


喚き散らす権田。しかし、その時、調停室のドアが勢いよく開いた。


「失礼します! 警察です!」


スーツ姿の男たちが数名、雪崩れ込んできた。


「権田猛! 虚偽告訴罪、および組織的詐欺の容疑で逮捕状が出ている! ご同行願おう!」

「なっ……!?」


権田が逃げようとするが、あっという間に取り押さえられ、手錠をかけられる。


「離せ! 俺はやってない! 弁護士! 弁護士はどうした!」


権田が連れてきた弁護士を見ると、彼は既に鞄を持って逃げ出そうとしていた。しかし、彼もまた別の刑事に腕を掴まれていた。


「あなたにも、弁護士法違反と詐欺幇助の疑いがかかっています。署で話を聞かせてもらいますよ」


怒号と悲鳴が飛び交う中、権田と偽弁護士は引きずられるように連行されていった。

嵐のような騒動が去り、静寂が戻った調停室には、俺たちと、床にへたり込んだ玲子と美緒だけが残された。


玲子は、茫然自失の体で床を見つめていた。美緒は膝を抱えてガタガタと震えている。


「……あなた」


玲子がゆっくりと顔を上げた。涙で化粧が崩れ、酷い顔になっている。


「ごめんなさい……私、知らなかったの……騙されてたの……」


彼女は這うようにして俺の足元にすがりついた。


「信じて、あなた。私はあなたを愛してるの。あの男に脅されて……怖くて……」

「そうだよ、パパ! 私も怖かったの! あの人が無理やり……!」


美緒も必死に取り繕おうとする。

だが、俺の心は微動だにしなかった。


「……脅されて?」


俺は冷ややかに問い返した。


「さっきの映像、見てただろ。駐車場での笑顔。俺の車で楽しそうにドライブしていた姿。……あれが脅されていた人間の顔か?」

「そ、それは……演技よ! 逆らうと何をされるか分からなかったから……」

「演技ねぇ」


俺はため息をつき、一歩下がって彼女の手を振り払った。


「もういいよ、玲子。美緒。……君たちの言い訳には飽きた」

「あ、あなた……?」

「俺が留置場で震えていた時、君たちは何をしてた? 俺が無実を叫んでいた時、君たちはどんな目で俺を見た? 『生理的に無理』『汚い』……そう言ったのは、権田じゃない。君たち自身の口だ」


俺の言葉に、二人は言葉を失う。


「騙されたから被害者? 笑わせるな。君たちは、俺を信じることよりも、楽な方へ逃げることを選んだんだ。あの男の甘い言葉と、金と、見せかけの優しさに目がくらんで、俺を切り捨てたんだよ」

「違う……違うの……!」

「違わない!」


俺は声を張り上げた。今日一番の、魂からの叫びだった。


「俺は、君たちのために生きてきた! なのに、君たちは一番大事な時に、俺の背中を撃ったんだ! ……その罪は、『知らなかった』じゃ済まされない!」


玲子が絶望の表情で口を開けたまま固まる。


「神宮寺先生、続きをお願いします」

「はい」


神宮寺弁護士が、一枚の書類を玲子の前に置いた。


「これは、権田猛の借用書です」

「しゃ、借用書……?」

「ええ。彼があなたの実印を使って、違法な高金利業者から多額の借金をしています。……連帯保証人は、杉浦玲子様。あなたです」

「え……?」

「さらに、お嬢様の名義でも、同様の借金が作られています。総額は五千万円を超えます」

「ご、五千万……!? うそ……そんなの知らない! 勝手にやったことよ!」

「実印を預けたのはあなたですね? そして、白紙の委任状にサインもされている」


神宮寺弁護士は冷酷な事実を告げる。


「残念ながら、法的責任は免れません。……杉浦健一氏は、この事実を知った上で、財産分与として『負の遺産』も含めた全ての権利を放棄し、離婚することを希望されています」

「ま、待って! そんなの無理よ! 私たちだけでどうやって返せっていうの!?」

「それは、ご自身で考えていただくしかありません。……家は差し押さえられるでしょう。これからの生活は、相当厳しいものになるかと」


玲子は白目を剥いて倒れそうになった。美緒は「嫌だ! 人生終わっちゃう!」と泣き叫ぶ。


「あなた! 助けて! 家族でしょ!? 見捨てないで!」


玲子が再び俺の足に縋り付こうとする。

俺は彼女を見下ろし、静かに、しかしはっきりと告げた。


「家族? ……俺の家族は、あの日の玄関前で死んだよ。ここにいるのは、俺を裏切った赤の他人だ」


俺は踵を返し、出口へと向かった。

背後で「あなたー!」「パパあぁぁ!」という絶叫が響く。

だが、俺は一度も振り返らなかった。

その声は、もはや俺の心に何の波紋も広げなかった。ただ、遠くで響く野良犬の遠吠えのように聞こえるだけだった。


法廷を出ると、高島がニカっと笑った。


「終わったな」

「ああ。……終わったよ」


俺たちは並んで廊下を歩く。

窓の外は晴れ渡っていた。俺の心の中の曇天も、ようやく晴れた気がした。

だが、本当の「終わり」は、まだもう少し先にある。彼女たちが真の地獄を味わい、俺が完全に過去と決別するための、最後の儀式が。

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