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痴漢冤罪で俺を「生理的に無理」と切り捨てた最愛の妻と娘。彼女たちが信じた救世主の正体が暴かれる時、本当の地獄が始まる  作者: ledled


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第二話 偽りの救世主と冷めゆく心

都心を見下ろすタワーマンションの二十五階。窓の外には、煌びやかな東京の夜景が広がっている。だが、俺、杉浦健一の目には、その輝きは嘲笑のようにしか映らなかった。


「……飲めよ。少しは落ち着くぞ」


差し出されたマグカップから、淹れたてのコーヒーの香りが立ち上る。俺はのろのろと顔を上げ、ソファの向かいに座る男を見た。

大学時代からの親友、高島聡だ。セキュリティ会社を経営し、独自の探偵業も営む彼は、鋭い眼光とは裏腹に、今は心配そうな表情で俺を見つめている。


「すまない、高島。こんな所に転がり込んで」

「気にするな。ビジネスホテル暮らしじゃ金も持たんだろ。それに、今の精神状態のお前を一人にしておくわけにはいかない」


俺は高島の言葉に甘え、彼の客間に居候させてもらっていた。

家を追い出されてから一週間。会社からは「事実関係がはっきりするまで自宅待機」を命じられ、事実上の停職状態にある。同僚たちの冷ややかな視線と、上司の迷惑そうな顔が忘れられない。


「……なぁ、高島。俺は本当に何もしてないんだ。信じてくれ」


何度目か分からない言葉を口にする。高島は深く頷き、力強く答えた。


「分かってる。お前がそんなことをする人間じゃないのは、俺が一番よく知ってる。だからこうして匿ってるんだ」

「ありがとう……」


高島の信頼だけが、今の俺を繋ぎ止める唯一の鎖だった。だが、同時に胸の奥が張り裂けそうになる。二十年来の親友が信じてくれているのに、なぜ、人生を共にしてきた妻と娘は俺を信じなかったのか。


「玲子と美緒……どうしてるかな。俺がいなくて困ってないか。家のローンや光熱費の引き落とし口座、変えておかないと……」


未練がましく呟く俺に、高島は少し言いづらそうに視線を逸らした。


「健一。お前は優しすぎる。あいつらは、お前を犯罪者扱いして追い出したんだぞ。心配する必要なんてない」

「でも、騙されてるだけなんだ。あの権田って男と、インチキ弁護士に。誤解が解ければ、きっと……」


俺はまだ、縋っていた。家族の絆という幻想に。

あの日の冷たい拒絶は、ショック状態だったからに違いない。冷静になれば、パパがいない寂しさを感じてくれているはずだ。

そう信じ込むことでしか、己の崩壊を防げなかったのだ。


だが、現実は俺の希望よりも遥かに残酷で、グロテスクだった。


***


杉浦家のリビングには、以前とは違う、甘ったるく歪な空気が充満していた。

ダイニングテーブルの上には、デパ地下で買ってきた色とりどりの惣菜と、高級なワインが並んでいる。かつて健一が座っていた「お父さんの席」には今、権田猛がふんぞり返るように座っていた。


「うん、このローストビーフ、うまいね。玲子さんの選び方はセンスがいい」

「やだ、権田さんったら。私が作ったわけじゃないのに」


玲子は頬を染め、少女のように恥じらっている。彼女は新しいワンピースを着て、念入りに化粧をしていた。夫がいた頃は、家ではジャージ姿で髪を振り乱していたのが嘘のようだ。


「でも、これを選んだのは玲子さんの愛だからね。……本当に、どうしてこんないい奥さんを、あの男は大事にしなかったのかな」

「もう、その話はしないでください。思い出すだけで吐き気がしますから」


玲子はワイングラスを傾け、眉をひそめた。

健一の不在を嘆くどころか、彼女は「厄介払いできた解放感」に浸っていた。権田が見せてくれた(捏造された)証拠データの衝撃は、彼女の中から夫への愛情を根こそぎ奪い去り、代わりに自分を被害者だと信じ込ませるのに十分だったのだ。


そこへ、玄関のドアが開く音がした。


「ただいまー」


明るい声と共にリビングに入ってきたのは、娘の美緒だ。学校の制服姿だが、その手には真新しいブランドのショップバッグが握られている。


「おかえり、美緒ちゃん。お、買ってきたね」

「うん! 権田さん、ありがとう! ずっと欲しかったんだ、このバッグ!」


美緒は満面の笑みで権田に駆け寄ると、躊躇いなくその肩に抱きついた。

父親である健一には「洗濯物を分けたがった」潔癖な彼女が、出会って間もない男に触れることを何とも思っていない。それは権田が「若くて、金を持っていて、理解のある頼れる大人」として巧みに振る舞っていたからだ。


「似合うよ、美緒ちゃん。君みたいに可愛い子には、それくらい良いものを持ってもらわないとね。……父親が犯罪者だからって、君まで惨めな思いをする必要はないんだ」

「……うん。ホント、パパ……ううん、あの人のせいで学校でもヒソヒソ言われて最悪だったけど、権田さんがいてくれてよかった」


美緒は権田の隣に座り、彼が切り分けたローストビーフを口に運んでもらう。

その光景は、一見すると仲睦まじい家族のようだった。だが、その中心にいるのは、家族を陥れた詐欺師だ。


「そういえば玲子さん。例の件、どうなりました?」


権田がワインを回しながら、何気ない調子で切り出した。


「例の件?」

「家の権利書と、ご主人の実印です。離婚調停を有利に進めるためにも、こちらで管理しておいた方がいいと言いましたよね? あの男が逆上して、勝手に家を売ろうとするかもしれませんから」


もっともらしい嘘だった。だが、不安に付け込まれている玲子には、それが慈悲深い提案に聞こえる。


「あ、はい。探しておきました。金庫の中に……」

「そうですか。後で確認させてください。僕が責任を持って守りますから」


権田の目が、獲物を前にした獣のように一瞬だけ鋭く光ったが、玲子も美緒もそれに気づかない。

食事が終わり、美緒が「部屋で宿題してくる」と二階へ上がると、リビングには大人二人だけの時間が訪れる。


「……玲子さん」


権田が低い声で囁き、テーブル越しに玲子の手を握る。


「不安でしょう? でも、もう大丈夫だ。僕がついている」

「権田さん……」


玲子は潤んだ瞳で権田を見つめ返す。夫への失望と将来への不安で空いた心の穴を、この男が埋めてくれると錯覚していた。

権田は立ち上がり、玲子の肩を抱いてソファへと誘う。


「今日は泊まっていいですよね? 悪い虫がつかないように、番犬になりますよ」

「……番犬だなんてもったいないわ。……新しいあるじ様、かしら」


玲子は自分から権田の胸に身を寄せた。

その夜、主寝室からは、かつて健一と玲子が愛を育んだベッドが軋む音が、微かに漏れ出ていた。

壁に掛けられた家族写真の中の健一だけが、その裏切りを静かに見つめていた。


***


数日後。高島が経営するオフィスの個室で、俺は一枚のモニターを見つめていた。


「……覚悟して見てくれ、健一」


高島がキーボードを叩くと、動画が再生された。

それは、駅構内の防犯カメラの映像だ。一般には公開されない類のものだが、高島のコネと技術で入手したらしい。

画面には、ラッシュアワー前の駅のホームの端、死角になる柱の陰が映っている。

そこに、二人の男女がいた。


一人は、俺を取り押さえた男、権田猛。

もう一人は、俺を痴漢だと訴えた被害者の女だ。


二人は親しげに話し込んでいる。音声はないが、その表情は明るい。女がスマホの画面を見せ、権田が何やら指示を出しているように見える。そして、二人はハイタッチを交わし、笑い合った。

その後、二人は時間をずらして電車に乗り込んでいった。俺が乗ったのと同じ車両に。


「これは……!」

「ああ。間違いなくグルだ。偶然居合わせたわけじゃない。最初からターゲットを物色して、役割分担を決めていたんだ」


高島が冷ややかな声で解説する。


「お前は狙われたんだよ、健一。……そして、こっちも見てくれ」


高島が次に差し出したのは、探偵からの調査報告書だった。

そこには、権田の素性が記されていた。自称投資家だが実態はなく、過去に何度か金銭トラブルの噂があるが、警察沙汰にはなっていないプロの詐欺師。ターゲットの家庭に入り込み、信頼を得て資産を搾取する「背乗り(はいのり)」に近い手口を使う危険人物。


そして、報告書の最後には、数枚の写真が添付されていた。

俺の手が震えた。


一枚目は、我が家のゴミ捨て場の写真だ。

半透明のゴミ袋の中に、俺が長年かけて集めてきたアナログレコードのコレクションが無造作に詰め込まれている。割れたジャケット、折れ曲がった盤面。

俺の宝物が、ゴミとして捨てられていた。


二枚目は、週末のショッピングモールの駐車場で撮られたものだ。

権田が運転席に乗り込み、助手席には玲子が、後部座席には美緒が乗っている。

俺の愛車だ。俺が家族のためにローンを組んで買ったミニバンだ。

玲子は助手席で楽しそうに笑い、権田の腕に手を添えている。美緒も後部座席から身を乗り出し、権田に何か話しかけている。


その笑顔。

俺が逮捕され、必死に無実を訴えていた時には一度も見せてくれなかった、屈託のない笑顔。


「……なんだ、これは」


口から乾いた音が漏れた。


「今の杉浦家の様子だ。近所の聞き込みによると、権田はほぼ毎日入り浸っている。奥さんとも、まあ……そういう関係にあると見て間違いないだろう」


高島が苦々しげに言う。

俺の中で、何かがプツリと切れる音がした。


悲しみではない。絶望でもない。

もっと冷たく、重く、鋭利な何かが、心臓の奥底から湧き上がってくるのを感じた。


レコードを捨てられたことへの怒りか? 車を乗っ取られたことへの憤りか?

いや、違う。


俺が地獄の底で、彼女たちを心配し、信じてもらえないことに苦しんでいたその時、彼女たちは俺を排除した世界で、詐欺師と共に「幸せな家族ごっこ」を演じていたのだ。

俺の苦しみなど、彼女たちにとっては「生理的に無理な過去」でしかなかったのだ。


騙されている?

ああ、そうかもしれない。権田はプロだ。玲子や美緒を騙すなんて赤子の手をひねるようなものだろう。

だが、騙されたからといって、俺への裏切りが正当化されるわけではない。

彼女たちは、俺の言葉よりも、他人の男の甘い言葉を選んだ。俺との二十年よりも、偽造されたデータを信じた。そして今、俺の痕跡を消し去り、別の男に媚びを売って笑っている。


「……高島」


俺の声は、自分でも驚くほど低く、冷え切っていた。


「ああ」

「俺は、あいつらを心配していた。バカだったよ。……あいつらは、被害者なんかじゃない。俺を殺した共犯者だ」


指に嵌めていた結婚指輪を引き抜く。薬指には、白く跡が残っていたが、今の俺にはそれが呪いの痕にしか見えなかった。

俺は指輪をテーブルの上に、カツンと音を立てて置いた。


「徹底的にやってくれ。情けは無用だ。……俺の全てを奪おうとした代償を、骨の髄まで払わせてやる」


俺の目から涙は消えていた。代わりに宿っていたのは、どす黒い復讐の炎だ。

高島はニヤリと不敵に笑い、俺の肩を強く叩いた。


「待っていたぞ、その言葉を。……さあ、反撃の時間だ」


モニターに映る権田の笑顔と、それに寄り添う妻と娘の笑顔。

その幸せそうな表情が、恐怖と絶望に歪む瞬間を想像し、俺は拳を固く握りしめた。

もう、あの家に戻りたいとは思わない。あそこはもう俺の家ではない。

魔女と悪魔が住む巣窟だ。ならば、焼き払うしかない。


俺たちは、次回の離婚調停の期日に向けて、静かに、しかし確実に牙を研ぎ始めた。

裁判所という公開処刑の場で、彼女たちに「真実」という名の劇薬を飲ませるために。


窓の外では、雷鳴が轟き始めていた。激しい雨が、街の汚れを洗い流そうとしているかのように、降り注ごうとしていた。

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