07.ドラグマキナ
アルトは、貴族たちに囲まれながらも堂々と応対していた。
多少の緊張は見えたものの、言葉を選び、笑みを崩さずに受け答えをしている。
私の出る幕は完全になさそうだった。
フェリシアが去ったあと、カグツチはアルトのもとへ戻ることなく、私の隣に居座っている。
長い尾を揺らし、子どものようにわざわざ屈んでこちらを覗き込んでくる。
大の大人よりも大きいのに、やっている所作は子どもそのものだ。
竜の年齢は精神に比例しないのだろうか。
「アルトのそばに控えなくて良いのですか」
「そのアルトがルシアを見ててって言うからさ」
アルトがカグツチを考慮しての事なのか、言葉通り受け取るべきなのか、一瞬悩む。
彼のことだ――きっと、両方だろう。
「……先ほどの言葉。フェリシア様に対しての言動、あまり良くありませんでしたよ」
そう告げると、カグツチは首を傾げ、飄々とした声で答える。
「だから何? 文句があるなら貴族遊戯で決めたらいいんじゃないの、その序列ってやつは」
「そう単純なものではないと、昨日お話したでしょう……」
私は思わずため息をつく。
カグツチは竜としては稀に見る強さを持つが、貴族社会の水脈に流れる駆け引きや序列の複雑さは、まだ理解していない。
いまカグツチに説明したところで納得はしないだろう。
時間を掛けて教えていくしかない。
「それにしても……先ほどは、別人かと思いましたよ」
今はカグツチの嫌がる説教よりも、良いところを伸ばしていく方が良いだろう。
そう言うと、カグツチは胸を張って笑った。
「昨日の夜、アルトと何度も打ち合わせしたからね。台詞も一字一句、ポーズも完璧だよ。タイミングも、ばっちり。……だった?」
「ええ、とても立派でした」
きっと夜遅くまで二人で仲睦まじく練習していたのだろう――その映像が、自然と浮かんで口元に笑みが浮かぶ。
ふと――絨毯の先に、ある家の竜が主の背後に立っているのが視界に入った。
主は談笑しながら「維持費ばかりの飾り物」と笑い、竜は沈黙を受け入れていた。
隣でカグツチの尾がわずかに揺れる。
「……あんなふうに言われて、何も感じないのかな」
「感じても、表に出しません。それが貴族の道具です」
「じゃあ、オレもそうしなきゃいけないの?」
カグツチの言葉に、すぐに答えが出てこなかった。
ここでは、その疑問自体が異質だ。
「……言葉ひとつで主が問われるのです」
短い沈黙ののち、尻尾が床を打った。
「……嫌いだわ、ここ」
本来逆らわぬ竜が、真っ直ぐそう言った。
その違和感が胸に残った。
アグレストはカグツチを傷つけたくなかった――それはきっと、決闘で受ける外傷の事だけを言っているのではない。
この社交の場において、人間の悪意に晒される事も含まれているのだ。
――それでもアルトはこの場所で生きていく事を選んだ。
「ねぇルシア。外、行こ?」
カグツチが再び屈んで、私の顔を覗き込む。
「外……テラスのことですか?」
「うん。ちょっと寒いけど」
軽い声に、一瞬にして肩の緊張がほどけた。
テラスへと続く扉に自然と視線が行って、あそこへ行けば少しは楽になれるのではと錯覚してしまう。
「あ、令嬢モード解除」
「なんです、それ」
「こわーい顔がかわいいになるやつ」
その言葉に面食らう。
私が唯一思い悩むのは、いつだってアルトとカグツチの事だと――この竜は分かっているのかいないのか。
テラスへ一歩踏み出すと夜気が流れ込み、白薔薇が揺れた。
「静かだね。ルシアも音がないの、好きだもんね」
「えぇ。今日は特に」
手すりの冷たさに触れて現実の温度を確かめる。
夜風が薔薇の葉を揺らす。
「ねぇ、もう少ししたら帰らない?」
「アルトは本儀者ですよ」
「でもルシア、さっきからずっと暗い顔してる」
どうしてだろう。
ふいに、決闘の後の控室でのやり取りが胸に浮かんだ。
竜は痛みを感じない――私はずっとそう信じていた。
だから、あの時も深く考えずに流してしまったのだ。
けれど、いまカグツチは私の心の奥底の不安にまで気づいている。
……痛みを知らないはずの存在が、どうして他人の不安を察せるのだろう?
思えば、カグツチは昔からこうだった。
アルトが傷つけば痛がり、アルトが苦しめば眉を寄せた。
それは私に対しても同じだったはず。
おかしいのは――竜ではなく、竜をひとくくりに理解したつもりでいた私の方ではないだろうか。
「ルシアが悲しいとアルトが悲しむし、オレも嫌」
カグツチの返答に、それから揺らぎかけた価値観を振り払うように私は首を振った。
アルトは優しいから、社交の場に置いてもカグツチを強く縛り付けたりはしないだろう。
私が正しく在る限り、この竜は自由でいられない。
誰かがこの歪みを引き受けなければならないなら、それはきっと――私だ。
「悲しんでいるのではありませんよ――心配なのです、あなた達が」
「でも、アルトは強くなったよ。君に見合う存在になりたいからって、社交術の練習もしてる。……相手はパン屋のおやっさんだけど」
「ふふっ」
領民相手に社交術の練習をしているアルト想像して、思わず笑ってしまった。
「えぇ。アルトは私が女学院に入学する前より、確かに成長していますね」
「それが実はちょっと寂しかったり?」
確信を突く言葉に、少しの間。
この竜は、貴族の竜としてある事を自ら望んでいないだけで、決して精神が子どものままと言うわけではない。
むしろ――アルトの前では敢えてそう演じているのではないか。
そう勘繰ってしまう鋭さを時折見せる。
「……寂しいくらいでちょうど良いのです」
風がふたりの間を抜けた。
「……ルシアって、ちっちゃいのに強いよね」
「まだ成長途中です。それに、カグツチが大きすぎるだけです」
「ふふ、ごめんごめん」
その言葉に、胸の奥の硬さがふっとほどけた。
白薔薇が風に揺れ、散らぬ花弁が夜の光を受けて静かに息づいていた。
会場の光が、硝子越しに揺れている。
玉座の傍、もう一つの席を探して――息が止まった。
いない。
あの白と金の礼装だけが、まるで最初から存在しなかったみたいに消えていた。
代わりに、背中へ薄い圧が貼りつく。
私は振り返れず、手すりの冷たさに縋った。




