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76.美しきものは狂気に宿る

 翌日。後宮の共用サロンは、色とりどりのドレスを纏った令嬢たちと、その背後に控えるドラグマキナたちの熱気で満ちていた。


「あら、ノエル様。今日もその、……機能性だけが自慢の地味なドレスですのね」


 フェリシアの取り巻きの令嬢のうちの一人がノエルの前に立ちはだかり、下卑た笑みを浮かべる。

 私は彼女の顔を見た瞬間、指先が凍りつくような感覚に陥った。

 

 ――ベアトリス・クラウゼン。

 女学院時代、私の母の形見の銀の葡萄のブローチを粉々にした、あの女だ。

 

 彼女は私と同じ十六歳。本来なら竜継の儀はこれからのはずだが、ゼファレスは儀式など待たず、家の竜ごと後宮に囲い込んだのだろう。

 令嬢そのものではなく、家を縛り付けることにしか興味がないと言う証左だった。


「あら、ベアトリスさん。そのドレス、まるで色鮮やかな毒キノコのようで素敵ですわね。どこで売っているのかしら?」


 ノエルは優雅に紅茶を啜り、視線すら合わせずに言い放った。


「な……っ!? 毒キノコ!? 失礼にもほどがありませんこと!?」


 ベアトリスが立ち上がる。その背後には、後ろで結い上げた金髪を揺らした軽薄そうな青年――セイデンキが控えていた。

 絵画のように涼しい顔をして佇んでいる。まさかあの口から驚くような訛りが飛び出してくるとは誰も思わない。


「……あら。ベアトリスさん、今の『な』の発音……。もしや、オルドレア南地方のご出身かしら?」


 ベアトリスの顔が、一瞬で土色に変わった。


「な、何を……っ! 私は由緒正しき王都の……!」


「まあ、素敵! 私、南地方の温かみのある方言が大好きなんですの。王都の冷え切った言葉遣いよりも、ずっと情緒があってよろしくてよ。……さあ、何か仰ってみて? その可愛い訛りで」


「……っ、そんな、汚らしい言葉、私は知りませんわ!」


 ベアトリスは必死に標準語を維持しようとするが、動揺のあまり語尾が震えている。

 ノエルは逃がさない。

 彼女は、重い刃を振り上げる処刑人のような鋭い笑みを浮かべた。もう遅い。ベアトリスは既に戦斧の間合いに引きずり込まれた。


「汚らしいだなんて、ご自身の故郷に対してあまりに無慈悲ですわ。……そうだわ、そちらの竜種。貴方の主人は少々お疲れのようですから、代わりに貴方が故郷の言葉で挨拶して差し上げて? 懐かしさで、主人の心も解れるかもしれませんわよ」


 ノエルの視線が、背後のセイデンキに向けられた。

 竜種は社交の場では口を利いてはならないというルールだ。それを破ることは何百年と許されて来なかっただろうし、セイデンキの身体にはそう刷り込まれている。

 だからこそ私はセイデンキに向けてメガネを僅かにずらし、ノエルに従うようあごで促した。

 

「あー……せやな。お嬢、そんなに無理して都言葉喋らんでも、地でいけばええねん。な? 南のアカピカダケみたいなドレス、よぉ似合っとるで」


 極上の訛りが、静かなサロンに響き渡った。


「セ、セイデンキィィィッ!!!」


 ベアトリスの絶叫が轟いた。

 仮面を粉々に砕かれた彼女にとって、もはや理屈など通用しない。


「……ふふ。やはり南の言葉は活気があってよろしいですわね」


 くすくすと回りのテーブルから嘲笑の声がベアトリスに突き刺さる。

 いまこの瞬間をもって、ベアトリスの扱いは南の田舎者と言うレッテルが貼られたのだ。


「……あああああああクソ!!!! ノエル!!! あんただけは絶対に許さん……!!」


 ベアトリスが激昂し、銀貨を床に投げつける。

 プライドをズタズタにされた彼女にとって、これはもはや試合ではなく、自分の汚点を知る者を消すための処刑へと変わった瞬間だった。

 あろうことかベアトリスは、ノエルに対して貴族遊戯(ドラグデュエル)の挑戦状を叩きつけたのだ。


「……正気ですの? ベアトリスさん、竜継の儀はまだでしょう? お子様にも理解出来るルールではなくってよ?」


 ノエルは不思議そうに首を傾げる。

 それに対してベアトリスは顔を真っ赤にして震えていた。

 ベアトリスのデタラメにナイフを振り回しているだけのようなレベルの低い話術では、ノエルの凶悪な戦斧にあっけなく弾き飛ばされることなど分かっていただろうに。


「いいから戦えッ!!」


 しかしベアトリスはあくまでも貴族遊戯(ドラグデュエル)にこだわり、ノエルを睨みつける。

 ベアトリスは「早く拾え!」とノエルの足元に転がる銀貨を指さした。

 それを拾うと言うことは勝負を受諾する証。


 話の通じないタイプの相手に、ノエルが一体どう返すのかと見やると――にっこりと笑顔を固めた。


「――我が家には竜はもうおりませんの」


 笑顔を浮かべているはずなのに、ノエルのその表情はどこか翳っている。

 しかしベアトリスは引かない。

 その表情をぐにゃりと曲げて、私を指さした。


「あらぁ、後ろの侍女使えばいいじゃない? その赤毛の不細工な女、道具として使うには適任でしょ」


 サロン中の視線が、私に集まる。

 私は眼鏡の位置を直し、深く頭を下げて殺気を殺した。

 

 ――めちゃくちゃだ。貴族遊戯(ドラグデュエル)は竜同士の戦いだ。

 ノエルがちらりと私を見やる。その視線はどうするべきか、と問いかけていた。


 ノエルを貶めたこと、それから粉々に砕かれた母の形見が脳裏に蘇り――私の内側で、氷のような怒りが静かに脈打つ。

 人間として刃を振るえないのなら――竜種として私が持てる武器で全力でお相手して差し上げよう。


「わかりました。お嬢様のためならば、承りましょう」


 竜同士の戦いに人間を引き合いに出すのはありえないが、幸い私は竜種であり、なにより洗濯室での出来事を考えれば――セイデンキは私に攻撃性を向けることはありえないだろう。

 私は眼鏡の奥から、真っ直ぐにセイデンキを射抜く。


「……っ!?」


 彼は一歩踏み出そうとした足を止め、その場に崩れ落ちるように跪いた。


「さぁ、銀貨を拾いなさい竜なしノエル! ……セイデンキ? 何をしているの!?」


「ベアトリスお嬢様……受諾致しかねます」


 彼は顔を上げることもなく言った。


「……な、何なのよその無様な姿は!?」


「この戦いを強制するのであれば――私は角を折ります」


 ベアトリスは目を見開いた。

 自ら角を折るという宣言は、竜種にとって死よりも重い敗北であり、主君への最大の抗議だ。

 セイデンキは床を見つめたまま、滝のような汗を流している。

 彼は理解していた。目の前の地味な侍女が、戦う対象などではないことを。それはただの死であり、抗うことすら許されない圧倒的な終焉であることを。

 女王の巣で――メスと言う存在がどれほどに絶対な存在だったのかを思い知らされる。


「……角を折る? 何を、何をバカなことを言っているの!? 相手はただの、どこの馬の骨かもわからない侍女なのよ!? それとも……ノエルが怖いと言うの!?」


「……これ以上の強制は、我が家の誇りを汚すことになります。どうか、お聞き届けを」


 セイデンキの声は掠れ、もはや悲鳴に近かった。

 しかし、この異様な光景を前にしても、ベアトリスの歪んだ認知は正解に辿り着かない。


 ベアトリスは、椅子に座ったまま微動だにしないノエルを見て、絶望に顔を歪めた。


「……この役立たずッ!! あの芋女の何が怖いっていうのよ!」


 ノエルは笑顔を貼り付けたまま、セイデンキを頭を足蹴にするベアトリスを見つめていた。

 まるで、遠い日の自分をそこに見ているような――そんな、少し影を帯びた表情だった。

 

「お、お化粧直しに行きますわ! 皆様!! この女には関わってはいけません、呪われますわ!!」


 ベアトリスは、跪いたままのセイデンキをヒステリックに怒鳴りつけ、逃げるようにサロンを飛び出していった。


 後に残されたのは、静まり返ったサロンと、不思議そうに自分の手を見るノエルだけだった。


「……ルウ。私、そんなに怖かったかしら?」


「きっと、お嬢様の正論が、雷よりも鋭く刺さったのでしょう」

 

 母の形見を壊されたことを恨んでいたわけじゃない。

 ただ、ほんの少しだけ気持ちが晴れたことに対する感謝を、後でノエルに伝えなければと思った。


 ◆ ◆ ◆


 夕刻。

 西日が差し込むサロンには、再びピリついた空気が流れていた。

 昼間の騒動――セイデンキが屈服した一件――で、ノエルの格は証明されたかに思えた。しかし――ノエルのテーブルには誰一人として近付いて来ない。


「……またやり過ぎてしまいましたわね」


 私にだけ聞こえるくらいの小さな声でノエルは呟く。


「いえ、ここで耳を澄ませているだけで情報は拾えますので……」

 

 しかし、プライドの高い令嬢たちは、まだ諦めていなかったらしい。

 特に、この鳥籠のボス的存在を自負するフェリシア・ハンガー・ロズベルグは。


「――皆様、どうぞこちらへ」


 フェリシアの竜種であるハンガーが、テーブルの上にドン! と重々しい木箱を置いた。

 中から取り出されたのは、水晶で作られた額縁のような魔道具だ。


「これは想影の額縁(ファントム・フレーム)。念じるだけで、脳裏にある光景を記憶のままに写し出すことができる貴重な魔道具ですわ」


 周囲の令嬢たちが「まぁ……」と感嘆の声を上げる。

 フェリシアは勝ち誇ったようにノエルを見据えた。


「本日の夕食を賭けて、勝負といきましょう。お題は――我らが敬愛するゼファレス殿下のお姿」


 彼女は高らかに宣言する。


「誰が一番、殿下を鮮明に、美しく出力できるか。……愛の深さが試されますわね。もしボヤけたり、醜く写ってしまった方は――愛が足りないということで、夕食抜きとさせていただきます!」


 無茶苦茶な理屈だ。

 この魔道具は、極めて高度な精神集中と思考の統制を必要とする。特殊な水晶を介して脳内の記憶を物理的に焼き付けるため、素人が扱えばノイズが走るか、最悪の場合、精神力が削り取られて倒れる代物だ。

 私も昔、両親の写真を焼き付けようとして失敗し、丸一日寝込んだことがある。

 それを愛の深さにすり替えるとは、質の悪い新人イビリに他ならない。


「……あら、面白そうですわね」


 しかし、ノエルは優雅に受けて立った。


「まずはやってみせなさい、ミーナ!」


 まずはフェリシアの取り巻きの一人が挑戦する。

 彼女は額縁を握りしめ、顔を真っ赤にして念じるが――。


「う、ううぅ……!」


 バタン!

 額縁には何も映らず、ミーナは白目を剥いてその場に倒れた。


「あらあら、情けない。次はベアトリス!」


 指名されたベアトリスは、まだ昼間のショックを引きずっているのか、青ざめた顔で額縁を受け取る。

 震える手で念じるが――出力されたのは、真っ白な背景のみ。

 夕食抜きのプレッシャーで頭が真っ白になっているのが丸わかりだった。


「……話になりませんわね。では、わたくしがお手本をお見せしましょう」


 フェリシアが自信満々に額縁を手に取る。

 さすがは歴史ある貴族の令嬢と言うべきか、数秒の集中の後、額縁の中に像が結ばれる。

 そこに映し出されたのは――実物よりも三割増しで美化され、バラを背負ったキラキラしたゼファレス……らしき男の肖像画だった。


「ご覧になって! これこそが愛! これこそが忠誠ですわ!」


 パチパチパチ……と、周囲から力のない拍手が起こる。

 フェリシアは鼻高々に、ノエルへと額縁を突きつけた。


「さあ、次はあなたの番ですわ、ノエルさん。まさか、平民同然の生活で殿下のお顔を忘れたわけではありませんわよね?」


「ええ。忘れるわけがありませんわ」


 ノエルは不敵に微笑み、額縁を受け取った。

 そして、一瞬だけ瞼を閉じ――カッ!! と目を見開く。


「――これが、私の世界で一番美しいものですわッ!!」


 ブォン!!

 額縁に嵌め込まれた水晶が過剰な精神波を受けて唸りを上げ、強烈な光と共に一枚の写真が出力された。


 そこには。

 気怠げにソファに寝そべり、本を片手に呆れたようにこちらを見下ろす、黒髪の竜種の姿があった。

 角に入った無数のヒビの一本一本、まつ毛の先、尻尾の鱗の光沢に至るまで。

 異常なほどの解像度と、狂気じみた色彩感覚で再現されたその姿は、まるで今にも動き出しそうなほどに生を宿していた。

 被写体への理解、観察眼、そして何より――敬愛。

 それらが極限まで高まった芸術品だった。


「…………は?」


 フェリシアが口を開けて固まる。

 ノエルは満面の笑みでその写真を見つめていた。


「あらぁ……なかなかよくできていますわ。あの気だるげな視線、完璧ですわね」


「い、いやいやいや!?」


 フェリシアが金切り声を上げる。


「はぁ!? あなたの家の竜!? しかも角が割れてるじゃない! そもそもゼファレス様ですらないじゃない!? ルール、ちゃんとご存知でして!!?」


「ルール? 愛の深さを競うのでしたでしょう? でしたら、これが私の最大出力の愛ですわ」


「対象が違いますわよ対象が!!」


「なんで私がゼファレスなんかの写真を出力するのかしら? 我が家の竜の方が眼福でしょう? ごめんなさいね、うちの竜の顔が良すぎて」


 ノエルは悪びれもせず言い放った。

 しばらく誰も口を開かなかった。

 そして――。

 バタッ、バタッ。

 周囲の令嬢たちが、次々に泡を吹いて倒れていく。

 先に挑戦した者から順に、限界が来たらしい。

 無理やり絞り出した精神力の反動が、じわじわと遅れて牙を剥いているのだ。


「だからこの女は嫌いなのよ……! なぜッ! なぜルールを変えるのよッ!? この後宮では私がルールなのよ!? ああぁあぁあもうッッ!!!」


 フェリシアは地団駄を踏んだ後、背後に控えていたハンガーの膝を蹴り飛ばした。

 ハンガーは微動だにせず、まるで効いていなかった。


 ――勝負あり。

 またしても、ノエルの不戦勝だった。

 私は後ろで乾いた笑いを漏らすことしかできなかった。

 

 けれど、ふと背筋が寒くなる。

 この魔道具は、素人が使えば一枚出力するだけで気絶するほど精神力を消耗するものだ。

 ノエルほどの才女でも、額には玉のような汗が滲んでいる。


 ――だというのに。

 私の脳裏に、あの日、黒鉄の城の隠し部屋で見た光景が蘇る。

 壁一面、天井まで埋め尽くすほどの、ノエルの写真。

 すべて、彼の脳内に焼き付いた記憶をこれと同じ魔道具で出力したもの。

 さらに懐には――今もきっと、あの手帳を忍ばせているのだろう。

 それらを合わせれば数千枚。いや、万を超えていただろうか。


(あれを、平気で何千枚も出力していたのですか、アシュレイという男は……)


 一枚で令嬢たちを気絶させるほどの精神負荷。

 それを、毎晩、息をするように、何千回と繰り返していた男。


(……恐ろしい。ゼファレスよりも、あの方の愛の方がよほど深淵に近い気がしてきました……)


 私はそっと眼鏡の位置を直し、倒れた令嬢たちの介抱に向かった。

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