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63.盤面から消えた駒

 埃っぽい倉庫の中で、私たちはロボの帰りを待った。

 私の心臓は、戦いの予感に早鐘を打っている。

 けれど、不思議と恐怖はなかった。

 隣には、最強の竜と、最強の令嬢がいるのだから。


 やがて――。

 倉庫の扉が、音もなく開いた。


「戻りましたわね」


 ノエルが金槌を木箱の上に置き、出迎えようとする。


「遅かったで……すわ……ね?」


 出迎えようとしたノエルの足が、凍りついたように止まる。

 入ってきたロボは、まるで幽鬼のように蒼白な顔で、ズルズルと足を引きずっていた。


 そして何より――。


「……っ、ぐ……」


 彼が左手で抑えている右腕が、あり得ない方向に曲がっていた。

 骨が折れているなどという生易しいものではない。完全に、破壊されている。


「えっ、なにその腕……どうやったらロボの腕をこんな風に曲げられんの?」


 カグツチが即座に駆け寄り、体を支える。

 ロボは脂汗を流しながら、苦痛に顔を歪めて笑った。


「……るせーな。ただの、お仕置きだ」


「お仕置きって……あんま穏やかじゃないね。この王都にはそんなやばい奴がいんの?」


「決まってんだろ。……ゼファレスだ」


 その名前に、室内の温度が一気に下がった気がした。


「城を出ようとしたら、鉢合わせちまった。……勝手に動くな、だとよ。……許可なく持ち場を離れた道具への罰だっつって、その場であっさりへし折られちまった」


 ロボは頑丈さが取り柄の竜種だ。

 カグツチに何度も蹴り飛ばされても傷一つ付かなかった丈夫さを持っている。

 その腕を、まるで枯れ木のように()()()()なんて。

 ゼファレスの力への恐怖と、配下を平然と破壊する冷酷さに、私は震えを覚えた。


「……それで、アシュレイは? 連れて来れなかったのですか?」


 ノエルがハンカチを取り出し、ロボの額の汗を拭いながら問う。

 ロボは悔しげに歯を食いしばり、首を横に振った。


「……いねェ」


「いない?」


「アシュレイの執務室も、地下の独房も見て回った。でも……どこにもいねェんだよ。アシュレイの気配が、王城のどこからも消えてやがる」


「な……」


 私は息を呑んだ。

 アシュレイが消えた。

 その時、私の脳裏に冷たい記憶が呼び戻された。


 ――辺境の地、黒鉄(くろがね)の城。あの応接室での会話だ。


 『あいつは、私が誰にも話せないまま王都を空けるように仕向けた』

 『罪を作るんじゃない。疑っていい前例を――口にしていい空気として先に配る』


 アシュレイは言っていた。

 ゼファレスという男は、物理的に殺す前に、まず周りが助けない状況を作り出し、盤面から駒を弾き出すのだと。


 ふと、氷の城の前でのノエルと兵士のやり取りが脳裏をよぎる。

 兵士は言っていた。ゼファレスの命令により、竜なしのノエルを後宮へ招待する、と。


 あの合理の塊のような男が、無駄な手を打つはずがない。

 アシュレイが消えたタイミングで、ノエルが呼ばれた。

 そして私は知っている。

 黒鉄の城の隠し部屋で見た、あの狂気じみた収集品の山を。

 アシュレイ・ファ・ヴォルシュタインという男が、ノエル・センス・スコットに対して抱えている、異常なほどの執着を。

 そしてそれはゼファレスも弱点として捉えており――だからこそ、アシュレイはゼファレスの首を狙っている。


 ――あぁ、そういうことか。


 パズルのピースが、音を立てて嵌まった。


「……アシュレイは、恐らくゼファレスの駒になりましたね」


 私の呟きに、カグツチがハッとして私を見た。


「やっぱり裏切った、ってこと?」


「いえ、違います。――あの時、アシュレイは言っていました。ゼファレスは王座に座った時、席が一つ減っていればそれでいいのだと。……アシュレイがいなくなったのではありません。盤面の上でゼファレスの駒として動くようになった、と考えるのが妥当でしょう」


 自らの意思か、強制か。それは重要ではない。

 重要なのは、なぜあの男がアシュレイを生かして駒にしたのか、だ。

 飼い殺すなら、檻だけでいい。あえて駒として盤上に残すなら、絶対に裏切らせないための鎖が必要になる。


「……アシュレイほどの男でも、やはり王族としての地位や名誉は捨てられなかったということですわね」


 ノエルは口元に手を添えながら、心底呆れたようにため息をついた。


「あの兄弟が不仲なのはアシュレイから聞いておりましたけれど、そうまでして守りたかったのですね……ご自身の地位や名誉を」


 ノエルはそこで言葉を切り、ふと遠くを見るように目を細めた。


「――でも、その泥を啜ってでも生き残ってやろうというマインド、嫌いではありませんわ! どっせい!」


 その言葉に、私とカグツチは目を見合わせた。


 違う。アシュレイが守りたかったのは自分の地位などではない。

 むしろそんなもの、ノエルのためなら喜んでドブに捨てるだろう、あの男は。


 彼が泥を啜ったのは、自分のためではなく――彼女を守るためだ。

 けれど、彼を縛る鎖の正体がノエル自身であることは、本人には黙っておいた方が良いだろう。

 この逞しい令嬢が、アシュレイを自分と同じだと誤解して親近感を抱いているのなら、今はそれでいい。


 私がロボに目配せをすると、彼もとっくに理解しているようで、ノエルに見えぬよう小さく頷いた。


「で。駒になったアシュレイはどこにいるのか、でしたわね」


 ノエルの視線は、壁に掛かった王城の絵画を見上げた。

 私も倣うようにじっと見つめる。


「ロボ。あなたはどこを探しましたか?」


「あ? いつもの執務室、地下の牢獄、食堂の戸棚……隠せそうな場所は全部だ。後宮は無断では入れねぇが、あんなところにいるわけねェだろうし。……王の居住区は、ゼファレスに見つかってそれ以上進めなかった」


「……ゼファレスにとって、いまアシュレイにされると一番困るのは情報収集ですね」


 ノエルがゼファレスの手の及ばないところで無事だと分かれば鎖の意味がなくなる。

 つまり、ノエルの動向は箱の中に閉じ込めたままアシュレイには見せたくないはずだ。


 私は人差し指で、絵画に描かれた王城の中心――最も高く、最も強固な場所を指し示した。


「ロボが探せなかった場所。……つまり、ゼファレスの息がかかった王の領域に、アシュレイ様はいらっしゃるのでは」


 ロボはゼファレスと鉢合わせして腕を折られた。つまり、それ以上奥へは進めなかったのだ。

 ゼファレスの手の届く範囲に置かれている。

 戴冠式に兄殺しは最悪の風評被害になる。生きている可能性の方が高いだろう。


「だとしても、どうやって近づく? ……ルシアが下働きに化けても、王の私室までは近づけねェぞ」


 ロボが痛みに耐えながら呻く。

 その通りだ。今の警戒態勢で、外部の人間が王に近づくなど不可能に近い。


「別に私の復讐にアシュレイ様は必須の駒ではないのですけれど」


 私は冷たく言い放った。

 アシュレイを助ける義理はない。彼がどうなろうと、私の目的はゼファレスの首だけだ。


「まぁそう言うなよ。アシュレイが王の領域にいるってんなら、ゼファレスに近付けばついでに見つけられンだろ? ついででいいからよ」


 ロボが懇願するように言う。

 私は少し考えて、頷いた。


「ええ。どのみち私が目指すのも、ゼファレスのいる場所ですから。……そこにアシュレイが転がっているなら、拾うくらいはしてあげます」


 そう。目的はあくまでゼファレス。

 アシュレイの救出は、その道すがらに落ちている小石を拾うようなものだ。


「……けれど、下働きでは王の領域には近づけません。どうやって侵入するか……」


 私が顎に手を当てて思案していると、横から華やかな声が割り込んできた。


「……あら、なら後宮へ入ればよろしいじゃない?」


 ノエルの言葉に全員の視線が集まった。

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