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62.亡き竜が遺した戦斧

 王都の裏手に降り立ち、カグツチは人の姿に戻る。

 ロボに誘導されながら、私たちは裏道を通り、城から離れた場所にある王族専用の資材倉庫へと侵入した。


「……ゲホッ。なんですのここ。埃とカビの臭いが充満していますわ。絵画に彫刻、家具……これほど雑多に積み上げるなんて、美術品への冒涜ですわね」

 

 ノエルは手で口元を覆いながら、倉庫内を忌々しげに睨んだ。

 ロボが慣れた手つきで奥の木箱をどかし、即席の椅子を作る。


「文句言ってねェで隠れろ。……俺はアシュレイを連れてくる」


「アシュレイを?」


 ノエルの眉がぴくりと動いた。

 彼女の鋭い視線がロボを射抜く。


「なぜそこでアシュレイの名前が出てきますの? ただの後宮への抗議なら、彼を巻き込む必要なんてありませんでしょう?」


 その指摘に、空気が凍りついた。

 アシュレイを連れ出すということは、ゼファレスへの明確な反逆を意味する。

 ただの抗議の範疇ではないことが、その人選だけで露見しかけている。


「いくらゼファレスの兄上とは言え、不仲ですし。王位継承権を持つ彼が口を挟めば、余計に角が立ちますわ。取り持ってくれるとは思いませんわ」


「……あー、とにかく待ってろ!」


 ロボはノエルの追及から逃げるように、慌ただしく倉庫を出て行ってしまった。

 倉庫の中に、私とカグツチ、そしてノエルだけが残される。

 重苦しい沈黙が降りた。

 ノエルはしばらく黙って私を見ていたが、やがて小さくため息をついた。


「……はぁ。逃げましたわね、あの粗暴竜。……ですが、意図は分かりましたわ」


 ノエルは一人で納得したように頷く。


「何をなさるおつもりかは存じませんけれど……王族の後ろ盾が要るほどの大事(おおごと)、ということですわね?」


 ノエルの解釈は、半分当たっていて、半分間違っていた。

 アシュレイはゼファレスの首を取るための共犯者だ。

 けれど、それを今ここで肯定するわけにはいかない。

 私が沈黙を守っていると、ノエルは私の瞳を覗き込むように一歩近づいた。

 その視線は、何かを確かめるように――まるで、氷の城で出会った時の私と、今の私を比べているかのようだった。

 

 あの時の私は、きっと死にゆく者の顔をしていた。

 触れてはいけない、壊れそうな薄幸の少女。

 だから彼女は、何も聞かなかった。


 けれど今は――。

 ふと、アンティーク調の鏡台に映った自分の顔が見えた。

 そこには、終わりへ向かう少女の影は、もうどこにもなかった。


 ノエルは、やがて静かに口を開いた。


「ルシアさん。……あなた、本当は何をしようとしていますの?」


 その声は、先ほどまでの道化のような明るさが消え、真剣そのものだった。

 誤魔化すことはできなかった。

 彼女は聡明だ。私の目的が、単なる騒動ではないことなんて――氷の城に滞在していた時から気付いている。


 けれど、あの時と今の私が違うことも――彼女は見抜いていた。

 その変化を確かめるように、彼女は敢えて問いかけたのだ。


 だから私は、彼女を遠ざけるために、一番残酷で、一番確実な言葉を選んだ。


「……センスは、あなたの平穏を望んでいました」


 その名前を出した瞬間、ノエルの肩が小さく跳ねた。

 私は彼女から視線を逸らし、冷たく突き放すように続ける。


「私の血なまぐさい事情に首を突っ込むなんて……センスは望みません」


「……ルシアさんったら、センスのことを何も分かってないのですね。センスならきっとこう言いますわ」


 ノエルは金槌を優雅に口元へ持っていき、にやりと笑みを浮かべる。

 これは――社交の場で何度も目にした令嬢特有の攻撃を孕んだ仕草だ。

 そして、少し声を低くし、あえて冷ややかな口調を真似てみせる。


「……お嬢様、定義が間違っています。お嬢様のような騒音と破壊を撒き散らす歩く災害にとって、大人しく過ごすことは平穏ではなく、ただの機能不全です」


 予想外の罵倒に、私は瞬きを繰り返す。

 けれどノエルは止まらない。まるでそこにセンスがいるかのように、流暢に毒舌を続ける。


「あなたという生物の機能が最大限に発揮されるのは、安全圏で優雅にじゃがいも畑を耕すのではなく、お相手を殺傷能力の高い言葉で叩き割って高笑いしている時でしょう? その迷惑極まりない輝きこそが、貴女の正常な状態なのですから……って」


 ノエルは金槌を布の掛かった調度品の上に置くと、ふふん、と誇らしげに胸を張った。


「センスはそういう奴でしたの。私のことを災害だの騒音だの散々貶しておきながら……私が私らしく暴れることを、誰よりも楽しみにしている悪趣味な竜でしたわ。全く……それは作り上げた(ノエル)だと言っているのに」


 私はどうするべきか、とカグツチを見やった。

 カグツチは困ったように、けれどどこか嬉しそうに肩を竦めた。


「ルシア、降参したほうがいいよ」


「しかし……」


「センスも()()ルシアだったら、そうは言わないと思うけどな」


 それは――私が復讐の先を見ない、死にゆく者だったからという意味だろう。

 カグツチは、埃を被った王家の紋章を見上げながら、静かに続ける。

 

「それにさ、仮にセンスが止めたってノエルは言うこと聞かないでしょ」


 その言葉に、私は深くため息をついた。

 二人掛かりで説得されては、もう逃げ場がない。

 私は、私の中にある守られるべき令嬢ノエルという像を捨て、目の前のノエル・センス・スコットに向き直った。


「……分かりました。負けです、私の」


「あら、勝ち負けの話をしていましたの? 私はただ、事実を陳列しただけですけれど」


 共に歩こうとしてくれている彼女にだけは、本当のことを言わなければならない。

 アシュレイを呼んだ本当の理由を。


「……私は、婚約者を殺されました」


 ノエルの動きが、ぴたりと止まる。

 カグツチが静かに目を伏せた。


「何の罪もない、ただ私を愛してくれた優しい人でした。……私は、国を変えたいわけでも、正義を行いたいわけでもない。ただ、彼を奪った――ゼファレス・ファ・ヴォルシュタインを許せない。それだけで彼を殺そうとしています」


 それは、身勝手で醜い、復讐者の理屈だ。

 愛想を尽かされるかもしれない。そう思って唇を噛んだ私に、ノエルはふぅ、と息を吐いた。


「……やっと言いましたわね」


「……え?」


「ルシアさんのあの時の悲壮な顔を見ていれば、大切な方を奪われたことくらい察しがつきますわ」


 ノエルは遠くを見るような目で、けれど力強く微笑んだ。


「納得のない別れを強制し、未来を奪うなど……王以前に、人として三流の所業ですわ」


「ノエル、さん……」


「ルシアさん。奪われた痛みを知る者は、奪った者に報いを受けさせる権利があります。それが法で裁けぬ王ならば尚更ですわ」


「ですが……」


「復讐上等、結構ではありませんの! ……もし、私があなたと同じ立場になったとしたら――」


 ノエルは金槌を握りしめ、優雅に、そして凶悪に言い放った。


「――もうとっくに、ぶっ殺してますわね」


 あまりに直球な物言いに、私は呆気にとられ――そして、ふっと小さく吹き出した。

 心の奥に溜まっていた重たい澱が、彼女の一言で粉々に砕かれた気がした。


「ルシアさんの婚約者――アグレスト家の御子息でしたわよね。名前は……なんでしたっけ、よくあるお名前だったのは覚えているのですけれど」


「アルトです」


「そうそう、アルト・アグレスト! ――そもそもアグレスト家は社交の場に殆ど顔を出しませんでしたし、私はお話したことはありませんけれど……本当にゼファレスが、処刑したのですか……?」


 ノエルは信じがたいものを見るような目でいった。

 まるで、ゼファレスが処刑を行ったという事実そのものが、パズルのピースとして噛み合わないかのように。


「いえ、ゼファレスの肩を持つつもりではありませんわ。年齢が近いせいで何かと彼とは話す機会が多かったのです。だからこその引っ掛かりが――ちなみに、アルトさんはどのような経緯で亡くなられたのでしょう?」


 カグツチの顔が曇る。

 その表情を見たノエルは、踏み込みすぎたことを察したように一瞬口を噤んだが、すぐに表情を戻し、私の言葉を待った。


「……オレがアルトの竜継の儀の日に、ゼファレスに手を出したから。道具の不始末は主が取る。そう言われた」


 そう言葉にしたのはカグツチだった。


「ゼファレスは私に触れようとし……カグツチは、私を守ろうとしただけなのです」


 ノエルは口元に手を当て、考え込みながら埃っぽい室内を歩き回る。


「……触れようとした?」


 私の言葉に、ノエルは眉をひそめて首を傾げた。


「あの男が? まさか。ゼファレスは昔から感情らしい感情のない、氷の人形のような不気味な男でしたわ。他人に興味も執着もない……そんな男が、婚約者のいるルシアさんに情欲で手を出そうとし、たった一度の反撃に対して激昂し、翌日に処刑……?」


 ノエルは金槌の柄でトントンと自身の肩を叩き、不可解そうに宙を睨んだ。


「ルシアさんの嫁ぎ先がアグレストだったから……? 竜なしになったとは言え、かのヴァレット家の令嬢が得体の知れない下級貴族に嫁がねばならないのか――と貴族界隈では有名な話でしたけれど、ゼファレスがヴァレットの名前欲しさにそんな強硬手段を選ぶのでしょうか……」


 やがて、すぐにその目がすぅっと細められる。


「……いえ、計算や言い訳ではありませんわね。今の話を聞く限り、それは――抑えきれないほどの本物の怒りだった」


「本物の、怒り……?」


「ええ。あの無機質な男が、表に出さざるを得ないほど感情を爆発させたのですわ」


 ノエルは私の方へ向き直り、探るような視線を向けた。


「あの氷の人形をそこまで熱くさせ、理性を吹き飛ばすほどの何かが、ルシアさん……あなたにはあるということですわね」


 その言葉に、背筋が寒くなった。

 ゼファレスが私に向けた執着。

 それはヴァレットという二千年の看板に向けられたものではなく――もっとドロドロとした、私の知らないものだとしたら。


「……まあ、考えても仕方ありませんわ。相手が感情を持って向かってくるなら好都合。こちらも感情と物理で叩き潰すだけですもの」


 やがてノエルは金槌を振り上げ、ビシッと私へ向ける。


「後戻りが出来ない覚悟はとっくに決まってますわね。なら、最後までご一緒しますわ」


 その瞳は、共犯者のそれだった。

 私は深く頷く。

 アシュレイの件について、ノエルはもう問わなかった。ゼファレスへの反逆に王族の兄が絡むのだと――それだけで、聡明な彼女には十分だったのだろう。

 

「さあ、そうと決まればとっとと始めましょう。ルシアさんの復讐と……私の平穏なスローライフを取り戻すために!」


 その背中は、どんなドレス姿よりも勇ましく、そして頼もしかった。

 センス。あなたの残したお嬢様は、あなたが思った以上に頑丈で、厄介で――愛おしいです。


 私は心の中で亡き竜に詫びた。

 ――連れて行きます。彼女が、彼女らしくあるために。

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