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54.復讐の炎

 私はカグツチに対して必要最低限の会話しか返さないまま、一夜が明けた。

 朝になってもまだ、カグツチは私のベッドの縁に寄りかかり、床に座ったまま眠っていた。


「じゃあ、直してくるね」


 朝食もそこそこに、カグツチは道具箱を担いで部屋を後にした。

 昨日、ロボをふっ飛ばした際に開けた廊下の壁を塞ぐと言うのだ。昨日の時点で仮止めは終わっているらしく、あと少しで終わると言っていたけど――壁の修理工程なんて私の知識の中にはないもので、言われても想像が付かなかった。


 私は部屋でベッドに腰掛けながら、ぼんやりと窓の外を眺めていた。

 しんとした空気に包まれ、気持ちも少しだけ穏やかになる。


 が――その静けさは長くは続かない。カグツチが出て行った直後、ノックもなく扉が開き、ロボが入ってきた。

 また何かしら騒がせに来たのかと身構えたが、どこか目の奥に熱のない影があった。


「どうしました、ロボ」

 

「……あー。いや。別れの挨拶だ。アシュレイが行ってしばらく経つ。もうそろそろ何か掴んでるはずだ。俺も王都に戻る」


 口ではそう言うが、ちらちらと廊下の向こう――カグツチが作業している方向を気にしている。

 どうやら私とカグツチの距離感について心配しているようだった。


「……お気をつけて」

 

 それに、彼は肩越しに振り返って――ふいに、真顔でこう言った。


「俺がいねぇ間に、(つがい)になっとけよ」


 不意に放たれたその言葉は、冗談とも本気ともつかない響きだった。

 もしかしたら、彼なりの不器用なエールなのかもしれない。

 けれど、私は首を横に振った。


「――見つからないのです」


「あ?」


「言葉が……カグツチの、あの残酷なまでの献身を突き崩す言葉が、まだ見つからないのです」


 結局――あれからカグツチと(つがい)についての話をしていない。

 それどころか、面と向かって話すことすら出来ていない。


「お前が懇願すりゃ、あいつは折れるんじゃねぇか?」


「……そうですね、そうだと思います。でも、それはカグツチを道具にすることと一緒です」


「もういっそ命令すりゃいいだろ、道具になれって。お前がそう思ってねェのはわかってんだからよ」


 ロボは一度言葉を切り、私を見据えた。


「……もし、あいつがこのままここで死んだらどうすんだ?」


 その問いは、単純で、残酷だった。


 カグツチが、いなくなる。

 想像しただけで、胸が締め付けられる。耐え難い。

 彼を救いたい。でも――でも、私には復讐しかないのだ。

 カグツチを失ったとして――それこそ、もう復讐を諦める理由がなくなる。

 復讐を手放すと言うことは、私という存在を諦めることと同義だ。


 私は少しの間を置いて、静かに答えた。


「その時は……私は、一人でゼファレスの元へ向かうでしょうね」


「……は?」


「カグツチを失うのは……耐えられません。ですが、だからといって復讐を諦める理由にはなりません」


「お前な……もう少し頭の切れる人間だと思ったが俺の見込み違いか?」


 静かな苛立ちだった。

 ロボがわざとらしく肩をすくめる。

 

「カグツチなしでどうやって殺んだよ。ゼファレスの枕元で寝首掻く機会でも待ってるつもりか? だったらそりゃもう見事な自殺志願者だ。さすがは高貴な貴族様、お迎えは絢爛豪華にしてやるよ。……金ピカの墓でも用意しとくか。さぞ高貴なお葬式になるだろうよ」


 毒々しい皮肉の混じった言葉に、私は少しだけ視線を逸らした。

 窓の外に広がる、どこまでも冷たい雪原。

 私たちの行く末を暗示しているかのようなその白さに目を向けたまま、静かに口を開く。


「あなたは――口は悪いですが、優しいですね」


 自分でも驚くくらい、あまりにも静かな声音だった。

 不思議と――ロボのどんな言葉も私を揺らすことはない。


 一瞬の沈黙。ロボが鼻を鳴らし、再び私を射抜くような鋭い視線を向けた。


「……うるせぇ。せめてもっとマシな方法考えやがれよ、テメェは没落してもヴァレットだろ」


 その声色は嘲りではなく、むしろ本気の警告だった。

 この男は、他の誰よりもゼファレスという男の本質を見てきたのだ。

 恐らく、兄であるアシュレイよりも。


「あなたが言った通りです。ゼファレスが望む通りの鞘となり、彼の寝首を掻きます」


 ロボは嫌悪を隠さないまま、あからさまに大きなため息を付いてみせた。


「その細腕で、腕力もなくて、どうやってゼファレスの首を落とす? 色目で落ちる男じゃねェぞ、あいつは。ゼファレスは暗殺を何より警戒してる。お前が顔見せた時点で、疑いの目は絶対に消えねぇ。裸にされて、手足縛られて、毎日張り付かれて、毒も刃も仕込ませてもらえねェぞ」

 

 ロボは私を睨みつけた。

 口調はどこまでも荒々しく、投げられる言葉は容赦なく私の無力さを暴いていく。

 けれど、その奥に潜むのは私という存在を案じるがゆえの、不器用な気遣いだ。

 

「そうして一生、ゼファレスの道具として生きてくことになるんだぞ。考えが甘いとかのレベルじゃねェ、ただのバカだ!」


 想像しただけで身の毛がよだつ。全身全霊で、想像することを身体が拒否していた。


 あの灰色の空が、広場の血の匂いが、昨日のことのように頭の中に広がっていく。

 どれだけ時間が経ったとしても、この心の内で燃え上がる業火を誰も消せはしない。

 あの男をこの業火で焼き尽くす――そうしなければ、私は一生浮かばれることはない。


 私は、花が綻ぶような完璧な微笑みを浮かべた。

 

「――それで、構いませんよ」

 

「……は?」

 

「近づけさえすれば、あとはどうだっていいんです。裸にされたからなんです? それで、武器を取り上げたつもりですか?」


 ロボの表情が凍りついた。

 信じられないものを見るような、明らかな困惑と引き気味の気配が、彼の巨体から漏れ出す。

 

「――私の武器は、家でも、毒でも、刃でもありません。絶えることのない復讐の炎です。何十年かかろうと、どんな立場に置かれようと、その炎だけは消えない。道具にされようと、閉じ込められようと――私は必ず、ゼファレスの首に届く瞬間を逃しません」


 私の言葉を追いかけるように、弱い風が静かに窓を揺らした。

 まるで、城中の息が止まったかのように、部屋の空気が張り詰め、凍てついていく。

 ロボは何かを言いかけて、しかし、喉の奥で言葉を押し殺した。

 あの粗暴で鳴らした竜種が、私の瞳の奥に潜む狂気に当てられ、思わず背筋を冷やしているのが手に取るように分かった。

 

「……おいおい……マジで怖ぇな。お前、それ本気で言ってんのかよ」


「――もともと、はじめからそのつもりです」


「……理解出来ねぇよ。なんでそこまでして自分だけの復讐に拘るンだよ……気でも触れたか?」


「気ならとっくに触れてますよ。正常な人間は復讐なんてするわけないでしょう」


 私は淡々と、今日の天気の話でもするように告げた。

 ロボの目には、もうからかいの光など微塵もなかった。


「一人で地獄を征く覚悟なんて、とっくに出来ています」


 そこにあるのは、理解の範疇を超えた化け物を目の当たりにした、ほんの少しの――確かな戦慄だった。


「……はぁ。あー、なるほどな。やっとわかったぜ」


 ロボは大きく、深くため息をついた。

 呆れを通り越して、どこか諦めたような声だった。


「なんでカグツチがあんなに頑ななのか」


「……?」


「何がルシアがルシアじゃなくなるのが嫌だ、だよ。そんな綺麗なもんじゃねぇ。……今のあいつを動かしてんのは」


 ロボは私の胸元を指差した。


「欲だ」


「……欲?」


 ロボはニヤリと笑うが、その金色の瞳の奥は笑っていなかった。


「お前の怒りに焼かれる前のあいつなら、とっくにお前の望む通り(つがい)になって「待て」が出来る忠実な道具になれただろうよ」


 私は僅かに首を傾げ、無意識にベッドのシーツを握りしめていた。


「でも今は違う。失いたくねェって感情と、生きてほしいっつー泥臭い本能だ。……お前の怒りに当てられて得たのは嫉妬や後悔だけじゃねェって話だ」


 ロボの言葉が、冷たい風のように吹き抜ける。


「お前は復讐して終わりにするつもりかもしれねェが、カグツチは違う。あいつは復讐の先にある、お前との時間を欲しがってる。……一度美味い餌の味を知った獣は、もう腐った餌なんざ食わねェんだよ」


「……」


「あいつは、お前の自殺に付き合う気なんざ更々ねェ。……お前の復讐を成功させて、その上で五体満足で連れて帰る。そこまでしなきゃ気が済まねェほど、今のあいつは強欲なンだよ。でもお前はそれを拒んでる。つまりな、ようは脅しだ」


 ロボは忌々しそうに吐き捨てた。


「残念だったな。愛された竜ってのは厄介なんだよ。何がオレを説得させてみる? だ。あいつは自分の命を盾にお前に復讐の先を見ろっつってるだけじゃねェか」


 そう突き放し、ロボは踵を返した。

 私はついに一言も言い返すことが出来なかった。


「俺が戻ってくるまでに腹決めとけ。あいつは悠長なこと言ってやがるが――時間はねぇぞ」


 それだけ言い残し、ロボは歩き出した。

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