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36.応接室にて④ 命定改名

 窓の外で、風の音だけが強く鳴っていた。

 黒鉄の城を訪れてから、まだ数刻も経っていないが、外の天候は荒れているようだ。

 

 私は無言で視線を促した。

 アシュレイは数ページを器用にめくりながら、淡々と語り出す。

 

「ゼファレスが現在手中に収めているドラグマキナは二機だ」


「それが不思議なのです。貴族に下賜される竜種は一機。旧王家は竜種を所持していなかった。――なぜ、ヴォルシュタインは二機も?」


 ドラグマキナの徴用はまだ行われていない。

 ゼファレスのもとにいる二機は、少なくとも私が社交界に姿を見せる以前からゼファレスのものだったと記憶している。


「私の祖父が玉座を奪う際に、貴族から奪った。……残ったのが二機だ」


 ――玉座を奪う。貴族から奪う。

 なるほど、と胸の奥で何かが繋がる。

 今の王家を、上級貴族たちは認めていない。少なくとも私にはそう見えた。

 だから彼らは、いまも「正統」ではないのだ。


「それがヴォルシュタインが下に見られる所以だったのですね……」


「あぁ、そうだろうな」


「……レヴォネス陛下の治世では、貴族と表立って衝突するようには見えませんでした。それが……先王陛下の御代では、そんなことが?」


「祖父は破天荒な人でな。あぁでもなければ天下は取れないのだと思い知らされるよ」


 アシュレイはどこか懐かしむようにため息をついた。

 王家の身内の情は、私には測れない。

 しかしアシュレイのその表情は――誇らしげに祖父を思う孫のそれだった。


 アシュレイは姿勢を正した。


「さて、二機の名だが――デッドアッシュ、ロボウノイシだ」

 

 この世界に意味を持たない音――それでもどこかの世界では意味を持つ。それが竜の名だ。

 デッドアッシュ、ロボウノイシもまた、そんな異界の音でできていた。

 

「どちらも取り立てて変わった能力はない。強いて言うのならデッドアッシュは身体能力が異常に高く、ロボウノイシは異常に硬い。貴族遊戯(ドラグデュエル)で見せたカグツチの強さに比べれば、どちらも劣るだろうが」


 アシュレイが情報の出し惜しみをしているようには思えない。

 しかしその話が本当なら、二機そのものへの警戒は薄れる――はずだった。

 

 アシュレイの眉がわずかに寄った。

 

「この二機は――命定改名(ミューテ・ノメン)によって、因果を書き換えられている」


 聞き慣れないその言葉に、本能が警鐘を鳴らす。

 アシュレイは、私の反応を見てから補足するように続ける。

 

命定改名(ミューテ・ノメン)……竜種の名を変え、その因果継承体――存在そのものを書き換える術だ。ゼファレスはそれを使い、竜の因果を結び直すことが出来る」

 

「……つまり、あの男は名前を与えるだけで竜を支配できるということですか?」

 

 背中に氷を差し込まれたような感覚を覚えた。

 

「……支配と言えるかどうかは分からない。名の通りの存在に変質させられる。理屈は分からないが、結果だけ見れば支配に近い」


 息を吸い込むと、喉がわずかに震えた。

 

「強力な名さえ結びつけられれば――いえ、そんな都合のいい話ではないのでしょうけれど……徴用制度の目的は、改名を繰り返すことで――偶然でも強い因果に繋がるのを狙っている。そういう意図ですか?」

 

「いいや」

 

 アシュレイは首を横に振る。

 

命定改名(ミューテ・ノメン)は、試せばいつか当たるような便利な術じゃない。ゼファレスの左腕の損傷――あれは、デッドアッシュの再接続で払った代償だ」


 竜継の儀の日――ゼファレスの白の正装、その左袖だけが揺れていた。


命定改名(ミューテ・ノメン)は、名で因果を結び直す。だが、こっちで意味が通る名が向こうで通る保証はない。ピポポポヨタス――こちらでは子どもでも知ってる甘い実の名でも、向こうでは『最強の剣』を指すのか、『ただのゴミ』を指すのか、あるいは『存在しない』のか……それは賭けだ。代償だけは確実に取られる。――アイツは、そんな真似を何度もやらない」

 

「……そんな力、貴族社会でも噂すら聞いたことがありません」

 

「ああ。これはヴォルシュタイン家だけ継承される血の技だ」


 それが――五千年続いた王家を、貴族ですらなかったヴォルシュタインがわずか数年で滅ぼした理由。

 納得せざるを得なかった。


「私が知る限り、これを使えたのは祖父のゼファリオン、そしてゼファレスのみ。奴は、それを完全に発現させている」


「アシュレイ様は使えないのですか?」


 言ってから、しまったと思った。

 アシュレイの表情が僅かに陰る。

 第一王子でありながら、なぜ彼ではなくゼファレスに冠が渡されるのか――少し考えれば分かることだ。


「父も私も発現しなかった。……父は預かりでしかない。ゼファレスが発現した時点で、二機は正式に引き継がれた」


「……失礼。口が滑りましたわ。あなたを測るつもりで言ったのではありません」


 私の言葉にアシュレイは顔を上げる。


「気にするな。発現しなくてよかった。あれは力じゃない。呪いだ」

  

 『呪いだ』という言葉が、私の中にも沈んだ。

 名は竜にとって因果そのものだ。結び替えられるなら、存在を掴まれるのと同じだ。

 

「――因果を書き換えられるというのなら、名前ひとつで別人にもなりうる、ということですか?」


「あぁ。隣の世界にその名が存在しない場合、接続は失敗する。死ぬわけではない――しかし記憶と力の喪失、人格の崩壊すら起こりうる。命定改名(ミューテ・ノメン)とは、そういう危うさを孕んだ力だ」


「……まるで、生きたまま殺すようなものですわね」


 アシュレイは、黙って頷いた。

 竜の名は母から渡される最初の因果の糸だとセンスは言っていた。

 命定改名(ミューテ・ノメン)は、その糸を引きちぎって繋ぎ直す行為――それは、竜にとって祝福ではなく、暴力だ。

 背筋に冷たいものが走るのも当然だった。

 

「ロボウノイシは、祖父ゼファリオンが改名したドラグマキナだ」

 

 そこでアシュレイは、短く息を吐く。

 

「……接続そのものは成立している。壊れたわけでもない。祖父は狙って結び直した。だが――引き当てた因果が弱かった。ロボウノイシは著しく弱体化し、貴族遊戯(ドラグデュエル)では――実績の殆ど無いドラグマキナにあっけなくふっ飛ばされ場外。結果は惨憺たるものだった……」


 意図した因果を引けなかった――それでも対価はきっちり支払うのなら、命定改名(ミューテ・ノメン)は万能な術ではない。

 それにしたって。

 

「……ヴォルシュタインは、竜をまるで道具のように扱うのですね」


 アシュレイは少し眉を上げて答える。

 

「貴族にとって竜は道具。君はそうは思わない、と?」


 貴族の娘から出る言葉ではない――そう言いたげな顔だった。

 隣のカグツチを見る。

 警戒を解かず、いつでも動けるよう気を張っている。

 

 ――少し前の私なら、竜を道具と呼ばれても疑問などなかった。

 だけど今は違う。

 センスの話を聞いた今なら、歴史書に竜の声が残らなかった理由が分かる。

 きっと、最初から書かれなかったのだ。


 だからこの竜――彼をそんなふうに扱うことは、もうできない。


「いまはもう、そうは思いませんわ」


 アシュレイは私の瞳を見据えたまま、口角を上げた。

 ――試していたのだ、と気づく。

 竜を道具としか見ない者に、命定改名の残酷さは理解できない。

 君なら竜を対等な存在として扱える、その確信を得た、と言わんばかりに。


「……ここまで渡すのは、こちらにも相応のリスクだ。だが、渡す価値はあった。私を信頼しなくていい。君は君のやり方で、ゼファレスの首を取りにいけ」

 

 静かな部屋に、暖炉の火がひときわ大きく弾ける音が響く。

 私はソファの背にもたれ、静かに呼吸を整えた。

 この男は、信用に足る人間ではない。

 だが今この場において――少なくとも「敵ではない」と判断する材料は、揃った。


「信頼などいたしませんわ。ただ、同じ敵に矢を向けている者として――最後に一つ、お聞きしてもよろしいでしょうか?」


 アシュレイは頷く。


「ゼファレスが、ノエルさんの安全と引き換えにあなたへ忠誠を求めたら……アシュレイ様は、どちらを選びますの?」


「ノエルだ」


 即答だった。

 この男は信頼できない。

 しかしノエルという一点のみにおいて、信用はできる。

 

 彼は、かすかに口元を緩めた。あれが誠実か虚飾か――判断する価値すらない。

 私が欲するものはひとつ。復讐の果ての終わりだけ。


 ――その時、部屋の扉を控えめにノックする音が響いた。

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