34.応接室にて② ドラグマキナ徴用制度
「さて、話を戻そうか」
何事もなかったように、アシュレイは話の続きを促した。
あれだけの秘密を縁もゆかりもない相手に曝け出して、平然としていられる神経が理解できない。
――彼にとっては、取るに足らないことなのだろう。
「君たちもゼファレスを討とうとしている。違うか?」
「……ゼファレスのお兄様に正直に答えて良いものか迷いますわ」
「そう考えるのが普通だろう。こちらにも色々と事情があってね」
「それで? これ以上、無駄話に付き合う時間はありませんの」
アシュレイは小さく息を吸い込んだ。
「単刀直入に聞こう。復讐、つまり――アグレストの仇などと言うつもりではないだろうな」
その名を聞いた瞬間、胸の奥が水を打ったように冷えた。
言葉にすれば、この静寂も、そして私自身も崩れてしまいそうだった。
彼はアルトの死を知っている。
それでも、その傷に触れようとはしない。
無神経な男だ――そう断じるには、あまりにも淡々としていた。
アシュレイは私の沈黙など意に介さず、言葉を重ねる。
「聡明な君のことだ。それが無謀だと分かっているだろう」
声だけが、ひどく遠くで響いていた。
世界が壁一枚向こう側にあるようだった。
私はただ、呼吸を続ける。
アシュレイは短く息を整え、静かに言った。
「ゼファレスは間もなく王位を継ぐ。遠い未来の話ではない。明日、明後日の話だ」
琥珀色の瞳が、ためらいなくこちらを射抜いた。
彼は感情を挟まず、淡々と言葉を積み上げた。
「あいつが王座に座れば――ドラグマキナは王に徴用されるようになるだろう」
形式上は貴族の調度品、または決闘の道具に過ぎない。
その力は人間から見ればあまりにも強大だ。
一機あたりの戦力は人間を遥かに上回り、動員しようと思えば軍事利用も可能だった。
それでも、これまで実際に運用されてこなかった。
竜は貴族の証だ。家固有の資産であり、他家と共有できない――その一点が、抑止として機能してきたからだ。
ゆえに、貴族同士は決して手を組まない。
「私は、それを阻止しなければならないと思っている。この国を、王の私兵国家にしないためにもな」
その言葉は正しい形をしていた。
正しすぎて、誰かの口に乗せるために磨かれた刃に見えた。
王の私兵国家にしない。それは理解できる。しかしアシュレイの狙いが見えてこない。
「……アシュレイ様。ゼファレスは強大な軍事力を手に入れて――なにと戦おうとしておられるのでしょうか。少なくとも内側でそんなことを起こせば、ただでは済みませんわよね」
アシュレイは答えなかった。
視線だけが、静かに落ちた。
「それともこの世界に、オルドレアに敵対する国家が存在していると?」
私は微笑んだまま言った。
「そんなに人間が暮らせる土地が残っているのなら朗報ですわね」
アシュレイは片手で眉間の皺をほどくように俯いた。
「……君と言葉でやり合えば、こちらが先に血を流す。しょせん、貴族教育も受けていない私程度の人間がヴァレットの娘とやり合うのはフェアじゃない――本題に入ろうか」
一拍置いて顔を上げる。
「君の言う通りだ。外に敵なんていない」
「では、なぜ」
「――内側だ。あいつが戦う相手は、権力を持つ人間すべてだ」
空気が変わった。
飾りの整った正論が、形を失っていく。
「全ての中には、あなたも含まれているのでは?」
アシュレイの瞳が一瞬だけ細くなる。
「……当然だ」
私はそれ以上を言わず、続きを待った。
「王座に付けば真っ先に私を潰しにくる。……あいつは私の弱点がノエルだと知っている」
やがてその視線がほんの一瞬だけ、部屋の奥――さきほどの本棚の方へ逸れた。
その一瞬で、答えは十分だった。
「あなたの本心はそれですか。……見た目より、ずっと人間らしい。理解できる分だけ安心しましたわ」
私兵国家を止めたい――そんな磨かれた建前よりも、よほど手触りがあった。
アシュレイは一拍だけ沈黙し、言葉を選ぶように息を吐いた。
「もちろん、私に限った話ではない。あいつは権力を嫌っている。――正確には、権力を正しい顔で私物化する連中を、だ」
「ゼファレスからすれば、竜の名を飾りに権力を振りかざす貴族など――真っ先に潰したい対象ですわね」
竜継の儀のあの日――ゼファレスが吐き捨てた「貴族は嫌い」は、冗談ではなかった。
「あいつは――徴用制度で貴族の息の根を止めるつもりだ」
息の根、とはまた大きく出た。
しかし、この国の貴族を動かすのは簡単なことじゃない。
「では――どのように? 歴史の浅いヴォルシュタイン王家が、どうやって貴族に“差し出すのが当たり前”を飲ませるのです」
「貴族は簡単に滅びない。竜がいる限り、どれだけ腐っても家だけは残る。その終わりはゼファレスが生きているうちには訪れないだろうな」
「えぇ。竜は長寿です。――だから貴族は終わりを次代へ先送りできる」
だから、竜が生きている限り――家は死なない。
「ゼファレスが貴族たちに与えるのは、終わりに対する救済だ」
「……救済?」
「竜を失う前に席を用意する――そう言えば分かるか」
その言葉に息を呑む。
「ドラグマキナは、元々は王から貴族への証として賜われるものだ。……ルシア嬢、ここ数百年で新たに貴族になった者を見たことがあるか?」
「……いいえ」
「最後に竜が賜られたのは三百年前――アグレスト家にカグツチが下賜された時だ。それ以降、貴族は増えていない。母体が尽きた。だから、もう増えない」
母体が尽きた――それの意味するところまでは理解できない。
けれど、竜の増減が王の都合で語られる事実だけが、背筋を冷やした。
「……つまり、この先にあるのは緩やかな衰退。竜を失えば、家は実質的に終わる。例え爵位は残っても――ヴァレットほどの名がなければ、爵位などただの立て札に過ぎない」
アシュレイの言葉は挑発にも聞こえたが、彼の語調には感情がない。
ただ事実を並べているだけだった。
「ヴァレット家しかり、スコット家しかり――みな、終わりを迎える」
アシュレイは静かに言った。
「ゼファレスは、そこに解決策を示した。竜を奪うのではない。一時的に王に差し出す。その代わり、王都での地位を保証する」
誇りと共に与えられた力は、新しい王の手で回収され、別の形で使われる。
彼は、そういう秩序を描いている。
一度差し出すが当たり前になれば、もう誰も「返せ」と言えなくなる。
フェアだ、と。
たしかにそうだろう。竜は誇りであると同時に、維持費のかかる怪物でもある。
けれど――保証とは、誰が保証するのか。
今の話はあくまでも救済という蜘蛛の糸であり、未来は担保されていない。
「王都の席が、永久だと――本気で?」
「王都の席が永続しないと分かっていても、彼らは頷く。――普遍を買うんじゃない。今日を買うんだ。……保証は王の温情だ。善意は、王座より短命だよ」
アシュレイはわずかに目を伏せた。
「貴族たちは竜なしの家がどうなったかを見ている。誇りよりも、生存を選ばざるを得なくなる。――それが、彼が作ろうとしている制度だ」
竜の命は永遠ではない。
竜を失っても爵位は剥奪されない。
しかし竜を失えば家は死んだも同然――社交の場において竜なしの家は、剣を持たない罪で黙って刺される。
……なるほど。ヴォルシュタイン家は王族と言えど、歴史は現国王レヴォネス陛下から数えてたった二代。
竜を失った家の末路を見ていたのは、なにも貴族たちだけではないという話。
――竜を失う前に、竜なしの烙印を回避する制度。
それが、ゼファレスのドラグマキナ徴用制度だ。
「生き残ることが正義なら、現レヴォネス王よりも……ゼファレスの方が、よほど良い王なのでしょうね」
私は終わる家の娘として社交の場に立っていた。
どれだけ言葉の刃を向けられようと気持ちだけは折れなかった。
せめて最後まで、その誇りを穢さぬように――それだけを選んで。
でも今、私が立っているのは冷たい地獄への一本道。
着飾られた華やかな舞踏会はもう終わった。
その計画で、誰が延命され、誰が切り捨てられようと関係ない。
ゼファレスが描く未来など、彼にとって都合のいい国のかたちにすぎない。
破綻しようが、成功しようが――
この国の未来のことなど、私にはどうでもよかった。
「……だからこそ、端的に言おう」
琥珀色の瞳が、ためらいなくこちらを射抜いた。
「ルシア・ヴァレット。貴方に玉座について頂きたい」
言葉の意味は理解できた。
だが、それが現実として身体に落ちてくるまでには、わずかな間が必要だった。
——玉座。ずいぶんと、よく磨かれた檻を差し出すものだ。




