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33.応接室にて① 隠し部屋で見たもの

 アシュレイの案内で通された応接室は、ローテーブルとソファが置いてあるだけの簡素な部屋だった。

 要塞のような城の作りに反して手入れが行き届き、隅の花瓶には生花が活けられている。


「どうぞ、座ってくれ」


 促され、私とカグツチはソファに腰を下ろした。

 テーブルの片隅には飲みかけのコーヒーが置かれている。

 中央には、皿の上に山盛りに整えられたふわふわの白い塊が置かれていた。

 嫌な予感がしたので、見なかったことにした。


「すまないな、使用人を帰らせてしまったため茶の用意などは出来ないが」


 そう言って、テーブルを挟んで向こう側のソファにアシュレイは腰を下ろした。


「いえ、お構いなく」


 カグツチが無言でそれを凝視している。


「ルシア、あれ……」


 竜種は好物を目の前にすると理性が飛ぶのだろうか。いや、竜種とひと括りにするのはよくない。きっとカグツチだけだ。

 アシュレイへの敵意は完全に取り払われ、一心に白いふわふわに羨望の眼差しを向けていた。

 本当に期待を裏切らない竜だった。

 

「マシュマロ……」


「……えぇ。そうですね、マシュマロです」

 

 カグツチのその一言に、アシュレイがかすかに目を細める。

 彼は頷きながら、柔らかく言った。

 

「あぁこれか。使用人が私にと置いていったものだが。もちろん食べてくれていい」

 

 使用人を帰らせた、と言ったわりに――ずいぶん都合よく残っている。

 その言葉に、カグツチは言葉に詰まった。

 視線は、もう一度マシュマロに戻っている。


「いまは結構ですわ」


「食っていい?」


 私が貼り付けたような笑顔でアシュレイに返すと、被せるようにカグツチが言った。

 

「カグツチ……」

 

「焼いたら美味いんだよあれ。焼いてあげよっか?」


 聞いてもいないマシュマロのアレンジ調理法に笑顔を貼り付ける以外にこの場に立っている術が思いつかなかった。

 緊張に張りつめていた空気が、一瞬にして抜ける。

 私は溜め息をつきながら、そっとカグツチの腕を引いた。


「……今はそんな場合ではありませんでしょう」


 呆れ混じりの声で返すと、アシュレイが口を挟んだ。


「ルシア嬢、竜種は燃費が悪い。甘味は手っ取り早い燃料補給だ――咎めるほどのことでもない」


 衝撃の事実だった。

 ただの趣向の問題ではなかった。竜種について、まだまだ知らないことの方が多かった。


「なるほど……理性じゃなく燃料でしたか」


 寒空の下、私を背に乗せてここまで飛んできたのだ。

 アシュレイも良いと言っている。


「では、お言葉に甘えましょうか」


「やった」


 カグツチの尻尾がソファに鞭を打つ。

 マシュマロを一個つまみ上げ、しばらく見つめてから口に放り込んだ。

 その様子を横目に、私はなんだか毒気を抜かれた気分でいた。

 

 もぐもぐ。ひとしきり咀嚼し、飲み込んだ後――満足げにぽつりと呟いた。


「うま。王族用はサイズがでかくて腹立つ……」


 いくら私たちが反逆者で、相手は敵である可能性はあるにしても、今は体裁的に王族を目の前にしているのである。

 それなのにカグツチは度重なる無礼に更に無礼を重ねようとしていて、私は目眩がしそうだった。

 いや、でもカグツチのことだ――分かっていてやっている可能性も否定できない。

 アシュレイは一瞬だけ沈黙したのち、肩を揺らして笑った。


「別に王族用というわけではないが……販売元の違いだろう」


 その苦笑がほんの少しだけ和らいだ顔になって見えた。

 皿の中のマシュマロがあっと言う間にカグツチの口の中へ消えていく。


 カグツチはひとしきりマシュマロを頬張ったあと、アシュレイを見据えた。その目には、はっきりとした敵意が宿っていた。

 

「ここへ赴いたということは、例の件は前向きに考えてくれたと言うことだろうか?」


 私は息を呑む。


「その前に確認です。この辺境の地にも手が回っているのでしょうか」


「いや。辺境の地は私に任せると言われたきり音沙汰がない。君たちを追い詰めるつもりは、今のところないらしい」


 その冷静すぎる語り口が、かえって現実の重みを際立たせていた。

 逃げ場など、もとより存在しない。

 そう言われた気がして、私は背筋を正す。


 アシュレイの弱点がノエルである以上、突くならノエルだ。

 しかし彼女を社交の道具にすることは嫌だった。


 ――その時だった。


「ところで、さっきから気になってたんだけどさ」


 唐突にカグツチが立ち上がった。その目は、部屋の隅をじっと見据えている。


「――その本棚、なんかおかしくない?」


「本棚?」


 私も視線を向ける。

 本棚の前だけ、雪解け水の筋みたいに床が黒く擦れている。


「これ、隠し扉でしょ。昔みた事がある」


 カグツチがそう言いながら、棚の縁に指をかける。

 まるで確信しているかのような動きだった。

 立ち上がる。足音が鳴らないよう息を潜め、カグツチの背へ半歩寄った。


 ご、と音を立てて、棚の一部が軋む。

 部屋の空気が、僅かに硬くなった。


「……それは」


「ふーん。開けちゃダメな理由でもあんの?」


 カグツチは返事を待たず、棚に手を掛け、ためらいなく引いた。

 重厚な木の壁がずれる。

 その瞬間、空気が変わった。

 

 露わになったのは、ひとつの狭い空間――。


 まず目に飛び込んできたのは、壁一面に貼り付いた記憶写真だった。

 視界の端から端まで、ノエル、ノエル、ノエル。

 笑う横顔、読書する姿、振り返った瞬間の光。

 無数の瞳がこちらを見返してくる。

 この間、氷の城で見せられた手帳に挟まっていたものとは別の写真だった。


 私は息を呑んだ。

 隣でカグツチも小さく声を漏らす。


「…………なにこれ……」


 カグツチの声が、ひどく小さかった。

 さっきまでマシュマロで浮ついていた指が、私の手首を掴む。引く力は弱いのに、離す気はない。

 視線だけが忙しなく、隠し部屋ではなく――出入口と窓を往復していた。


 ゆっくりと部屋へ足を踏み入れる。

 写真の下には、香水の瓶、アクセサリー、未開封の手紙。

 どれもノエルが使うような意匠なのに、どれひとつとして使用された形跡がなかった。


 棚の下段には包装紙のついたままの贈り物が積み上がっている。

 花柄の紙、金のリボン。

 一度も開かれたことのない贈り物が、無言のまま何十、何百と。


 静かだった。

 整っていた。

 異様だった。


 そして――その最たる異様はまるで、その部屋と同じ質量の静寂を纏っているアシュレイという存在だった。


 表情には一滴の動揺もない。

 見られたくなかったという反応すらない。

 隠したつもりがないというより、隠す必要すら感じていない者の顔だった。


「……ノエルさんに関連する物、でしょうか」


 私の問いかけに、アシュレイはただ静かに言った。


「それは彼女に渡せなかったプレゼントだ」


 再び隠し部屋を見やる。

 物がひしめき合っていた。


「……覚えていないだろう、彼女は」


 その声に、部屋の空気がわずかに震えた。


「だが、俺は救われた。何を渡せなくても……それだけで、十分だったんだ」


 静かで、美しく、それでいて底の見えない声。

 写真と香水と贈り物の山――そのどれよりも、彼の声の方が狂気じみていた。


「ノエルは――まるで斧のような女性だった」


「その形容、適切なのでしょうか……」


 唐突な言葉に、私は思わず振り返る。

 しかし、どこか納得もしていた。

 センスの言っていた鋼の戦斧は、本当に存在していたのだ。


 カグツチはひそひそ声で言う。


「え、どうしようなんか始まっちゃったよルシア……」


 なにか意図があるに違いない。

 ノエルを語るアシュレイの表情に背筋がぞく、と冷えた。

 アシュレイは語り続ける。


「幼い頃から、周囲の大人――主に下級貴族たちを、こちらが見ていて哀れになるほど言葉で真っ二つにしていて――」


 アシュレイのノエル史語りは止まらない。

 言葉は整っているのに、音だけが流れていく。

 カグツチが震え声で囁く。


「ねぇルシア……オレたちは何を聞かされてるの?」


「何か意味のある話です、たぶん」


 アシュレイは遠い日を見るように、ゆっくり隠し部屋へ歩く。

 その足取りが、記憶写真の並ぶ壁と同じほど整っていた。


「……ヴォルシュタインは上級貴族からしたら目の上のたんこぶ扱いだ。我々は身体能力に秀でていて……子供の頃から――」


 アシュレイの言葉の半分を聞き流しつつ、私はふとアシュレイの指に視線を落とす。きれいに手入れされた爪。

 その下にあるのは――人間離れした力だった。

 それは本人に情報として出す意図があったわけではないだろう。

 しかし――あの門を一人で押し開けたという事実だけで、ヴォルシュタイン家の秘密は自然と露呈していた。


「ある日、屋敷の庭でこう言われた。『力だけあっても、人の上に立つには歴史がなきゃね』と。何も言い返せなかった。――その時、横からひときわ高飛車な声が飛び込んできた」


「なに……怖い怖い、目が怖いよあれ……」


 数分か、数十分か。ノエルの名だけが増えていった。


 見たことのない種類の人類にカグツチは素で怯えていた。尻尾が私の腰に巻き付いている。

 アシュレイはこちらの会話が聞こえているのかいないのか、止まる気配を見せない。


「でも俺には女神に見えた――」


 理解してはいけないものと目があってしまった気分だ。耳が勝手に遠くなる。


 カグツチが小声で言う。


「ルシア、逃げよう。あんな怖い人間見たことのない」


 カグツチは片手で耳を塞ぎつつ、微かに陽光の差し込む窓に視線を送る。

 尻尾の力が、痛いほど強くなる。


「聞き流しましょう。もう少しの辛抱です」

 

 それからしばらくして、アシュレイは語りを結ぶ。


「――つまりノエルに幸せになってほしい。ただそれだけだ」


 淡々とした口調で垂れ流される狂気の音が止む頃、私とカグツチは疲弊していた。


「終わった? ……なんか、人間のオスって大変だね」


「……カグツチ、これを基準にしてはいけませんよ」


 私はそっと後ずさるように隠し部屋を出て、ソファへ戻った。

 カグツチもマシュマロをぽいと口に放りながら隣へ腰掛ける。

 マシュマロを頬張りながらも視線だけがさっきの本棚の方を見ていた。


 アシュレイは隠し扉を丁寧に閉め、何事もなかったように席に戻る。

 狂気だけを部屋のど真ん中に置き去りにして、礼儀の仮面をかぶり直す手つきだった。


 ぞっとするほどに。

 まるで、今見せたものが()()()だったかのように。

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