表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
3/29

02.控室にて

 貴賓席の一角が動いた。

 拍手の波と逆に、黒い手袋が揃って立ち上がる。王族近衛――その配置だけで分かる。


 祝意じゃない。値踏みだ。勝利じゃなく価値を見る――価値あるものに、あの王家は当然の顔で手を伸ばす。


 ――王族近衛が来る前に、先に控え室へ。


 私は裾を掴み、控え室へ走った。

 アグレストの名を告げるより早く、衛兵は私の顔を見るなり扉を開けた。


 扉を閉め、内鍵を掛けた。外の衛兵へ命じる。――私の許可なく、この扉を開けるな。


 石造りの冷えた室内。

 木の椅子に腰を下ろしても、耳の奥で鐘の余韻が冷たく響いている。

 今夜の勝敗は終わった。けれど、評判はこれから始まる。


 机の上に置かれていた紙袋を開くと、中にはカグツチの大好物――マシュマロが入っている。

 封が、乱れていた。

 叱責の言葉が、舌の上で溶ける。

 ほんの少しだけ、毒気が抜けた。


 深呼吸をしても、胸のざわつきは収まらない。


 最初の言葉は叱責だ。

 そう決めていたのに、心は言葉よりも早く走っていく。


 ノックが二度。合図は、聞き慣れた声だった。私は鍵を外す。

 鉄製の扉が音を立てて開き、アルトが姿を見せた瞬間、まるで水を打たれたように私は何も言えなくなった。


 用意してきた言葉が、順番にほどけていく。

 アルトは扉を閉め、カグツチはその後ろで壁にもたれていた。


「ルシア、久しぶり――三ヶ月で、すこし大人びたね」


 扉の隙間から冷気が遅れて流れ込み、私は反射的に肩をすくめた。

 するとアルトは、言葉より先に自分の外套を外して私の肩へかけた。

 その重みが落ちた瞬間、叱るはずだった自分が、崩れる。

 

「今日はとくに冷えるなぁ……」


 まるでそうすることが当たり前のように。

 その手つきが、昔と同じだった。――呼吸が浅くなる。


 その落ち着いた声色が、不安の温度をやすやすと塗り替える。

 昔から、彼はこうして私の感情を追い越していった。


「髪も随分と伸びたね。……冬の星みたいな色だ」


 アルトはそう言いながら、私の向かいの椅子に腰を下ろした。

 優しい。

 腹立たしいほどに。


 こういう時、年上というのは卑怯だと思う。

 背伸びをしても埋まらない時間の差が、静かに胸を刺した。


 とはいえ、今日という今日は水に流すわけにはいかない。


「こほん――アルト。ご説明、願えますか」


 アルトがびくりと肩を揺らす。


「ごめん。銀貨を返したら、決闘になるなんて思わなくてさ」


 アルトの笑みは、口元にだけ浮かんだ。


「思わなかった、では困ります。私は参加させるために教えたのではありません」


 自分でも驚くほど声が硬い。アルトは姿勢を改めた。


「アグレストは、カグツチを戦わせないはずでしたよね」


 アルトは何も返さない。

 自然と、私の語気が尖った。


「それをあなたが破ってどうするのですか」


 自分でも厳しい言葉をぶつけている自覚はあった。

 それでも、いまここで言わなければならない。


「――竜種は翼を持ってる。いずれ飛ぶことを誰にも止められやしない。その日が今日だった、ってだけの話だよ」


 その笑みが出た瞬間、答えは遠のく。


「そうそう。たまに竜体に戻らないと、戻り方忘れちゃうし」


 カグツチが軽く言い、椅子を引いてアルトの隣に腰を下ろした。


「それにね、銀貨返したのオレだから。オレのせい」


 二人は、いつだってこうだ。

 息の合った庇い合い。


 カグツチは真剣なことを言っているのに、声の端にはどこかズレた軽さが残っている。

 叱られている空気を、うまく理解していない子どものようだった。


 その様子に、黙っていた理由が嫌でも見えてくる。

 自分を守るためではなく、竜を庇うため――いつもの彼だ。


「勝ったからいいじゃん。オレ、強かっただろ?」


 空気を変えようとしたのか、カグツチが無邪気に笑う。

 つられて、アルトも笑った。


 笑っている場合ではないことを、本人が一番理解しているはずなのに。

 それでも彼は、場を和ませるように笑う。


 その優しさが、いつか取り返しのつかないものを呼び寄せてしまいそうで、怖かった。


「――オレ、ちゃんとアルトに勝ちを届けられただろ?」


「あぁ。カグツチがあんなに強いなんて知らなかったよ。……でも、あれは本当に痛くなかったのか? あの白竜――人間なら即死の傷だったろう」


 アルトの声音が、わずかに揺れた。


「アルト。竜は痛みを感じません」


 その言葉にアルトは信じられないものを見る目で私を見た。

 

「生まれつき欠けた生き物だと、歴史書にも書いてあります」


「いや、ルシア。それはないよ」


 当然のはずだった。

 アルトの声だけが、そこから浮いている。


 けれど――

 カグツチが、首を傾げる。


「え? 感じるけど?」


 その言葉に、音が止まった。

 アルトの目が私を見た。

 

「………………え?」


「痛いの、ちゃんとあるよ。さっき相手の爪が掠った時、結構いたかったし」


 そう言って、カグツチは手の甲の擦り傷を見せた。


 思考が、一瞬止まる。

 足元から、世界の前提がわずかに揺れた。


 竜に痛覚があるなんて話は、本にはない。

 私の中にも、ない。


「ひと言、謝罪でも入れるべきか……ルシア。貴族のマナーとして、決闘後に謝罪するのは無礼にならないか?」


 その問いに、すぐ答えが出なかった。


「……竜とは、貴族の道具です。傷つけたことに謝罪など、相手を侮辱するに近しい行為です」


「……そうか。俺は社会のルールについて疎すぎるな。ルシアがいてくれてよかったよ」


 アルトがふっと笑い、カグツチの頭を撫でる。

 迷いのない手つきに、カグツチは子どものように目を細めた。

 それは、幼い頃から何度も見てきた光景だ。

 アルトは、状況が悪い時ほど穏やかだ。


 今回の勝利は、決して手放しでは喜べない。

 たった一夜で、明日の視線が変わる。そういう勝ち方だった。


「分かっていますか、アルト」


 アルトを見据えた。


「今夜から――好奇の目は、全部あなたの家に向きます」


「――うん、分かってるよ」


 アルトの表情は、風が薙いだように静かだった。


 どれだけ怒っても、

 どれだけ好奇の目に晒されても、

 「大丈夫だ」と本気で思っている顔だ。


 根拠はない。

 けれど無責任な楽観とも違う。

 何も言わないのに、どこか先回りしている目が、いつも私の胸の奥を冷やしていく。


 だからこそ――私が前に出るしかない。

 矛先がアルトに触れる前に、ヴァレットの名で立つ。

 そうしなければ、危うい方へ転びそうな気がした。


 ――次の瞬間、扉の向こうで革靴が止まった。


「王家がお呼びだ。開けろ」


 扉の外から声がした。

 アルトが息を止め、カグツチの笑みが消える。


「恐れながら――ヴァレット家令嬢、ルシア様の控室。ご許可なく開扉できませぬ」


 沈黙。声が一段、乾く。


「……ヴァレット、か。承知した」


 踵が鳴り、靴音が離れていく。

 外で、衛兵がようやく息を吐いた。――守り切った、という吐息だ。

 それでも私の視線は、鍵から目を逸らせなかった。


 重たい空気の中、アルトを見やる。彼は扉を見たまま、息をひとつだけ吸った。

 その仕草が、やけに慎重だった。アルトの喉が小さく鳴った。

 胸の奥に、ひやりとしたものが落ちる。


 けれど次の瞬間、口角がほんの少しだけ上がる。いつもの整った表情に戻し、彼は軽く肩をすくめた。


「大丈夫だよ、ルシア」


 言い切って、アルトは扉から視線を外した。

 カグツチの肩をぽん、と叩く。


「ほら、帰ろう。ここで顔に出すと、相手のごちそうになる」


 冗談めかした調子。けれど瞳の奥は揺るがない。

 私は喉の奥で息を噛み、頷くしかなかった。

 ――彼はこの状況を恐れていないのではない。恐れるものを、こちらに見せないだけだ。


 まるで、私とカグツチを置いて――一人だけ、先に消えてしまいそうで。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ