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26.尽くす生き物

 ぱち、ぱち、と。薪が弾ける音が、再び耳に届く。

 静寂が戻った。私はそっと口を開く。


「……カグツチ。どうして、(つがい)のこと……何も言わなかったのですか」


 (つがい)――その言葉を口にするだけで、胸の奥が痛い。


 焚き火の熱が、頬を撫でている。

 けれど、それ以上に熱かったのは、自分の内側だった。

 感情の波が押し寄せ、息が詰まりそうになる。

 カグツチは少し俯き、目を伏せたまま答えた。


「言っても……意味ないって、わかってたから」


 それは、自分にとって残酷で、けれどきっと、彼にとっても同じだった。

 私は息を吸い、喉の奥から掠れた言葉を押し出す。


 ――それでも、聞かずにはいられなかった。


「私は、カグツチにとって()()()ではないのですか……?」


 言ってから、怖くなった。

 もし頷かれたら、私はどうすれば良いのだろう。


「……だから言わなかった。怖がらせたくなかった」


 あまりにも真っ直ぐで、嘘のない声。

 私は目を伏せ、吐息を落とす。

 どれほど優しい言葉を並べられても、きっと私は、この関係に名前をつけられないまま、傷をつけてしまう。


「……私は、あなたをどう扱えばいいのか、わかりません」


 ようやく絞り出した一滴の言葉は、なんの解決にもならなかった。

 しかし彼は迷わずに言った。


「オレは、ルシアの剣だよ――そう扱ってくれればいい」


 一方的な奉仕。

 構造上、そうできてしまう生き物だとわかっていても――それはいやだった。


「それではまるで……あなたが私に一方的に尽くすだけで……」


 釣り合いの取れない関係。

 傾いたままの天秤。

 そこに乗せるものを私は知らない。


「うん。それでいいんだって」

 

 即答だった。

 私のためらいが、まるで不自然なことのようにさえ思えるほどに。


「……それは搾取です」


 そう口にして――私はこの雪の大地に足を踏み入れた時のことを思い返す。

 私の剣になると言ったカグツチのその言葉は、優しさでも共犯でもない。

 そのままの意味だったと知っていまさら怖くなる。

 私は自覚のないまま彼を道具として扱おうとしていたのだ。

 それを搾取と呼ばず、他になんと呼ぶのか。


 そして、その沈黙を破るように――まったく、予想もしなかった声が響いた。


「竜種のオスは尽くせば尽くすほど幸福になる生き物として進化しているので、そこは気にしなくて大丈夫ですよ」

 

 ……は?

 私は反射的に立ち上がりかける。

 焚き火の揺らぎの奥から現れたのは、笑顔を張り付けたセンスだった。

 

「センスゥゥゥゥ!!!!」


 絶叫はノエルのものだった。彼女は塩の小瓶と水の乗ったトレイをガチャガチャ揺らしながら、すぐさま焚き火を風で揺らしているセンスに詰め寄る。


「あなたって竜はあなたって竜はあなたって竜はぁぁぁぁぁ!!!!」


 ノエルの絶叫が温室に木霊した。

 カグツチが苦虫を噛み潰したような顔で呟き、私はようやく思考が戻って来る。

 センスはといえば、悪びれもせず、やれやれと肩を竦めていた。

 ……いま、どんな顔をすれば正解だったのだろう。


「なんせ、僕の名前はセンスですので。美的直感が優れていて申し訳ないです。きっと触れられぬ隣の世界では『空気読み』という意味でもあるんでしょうね」


「あなたは壊れた蛇口ですの!? 美的直感を語る前に、止水栓という概念を一度学んでからにしてくださいなッ!」


 思わず言葉を失う。空気が張り詰めていたあの数分が、たったひとことで崩れ落ちてしまった。


 なのに、彼の言葉の中にあった事実だけが、火傷のように私の胸に残っている。

 尽くして、それで満たされる。

 竜種という生き物の構造。

 彼らにとって、与えることは幸福なのだと、そういう話だった。


 ――幸福。 喉の奥が、ひやりと冷えた。


 センスが語るその「構造」が事実なら、私のこれまでの解釈はすべて、都合のいい幻想だったことになる。


 王都を出てからこの地に至るまで、カグツチが一度もアルトの名を口にしなかったこと。

  私はそれを、私への気遣いだと思い込もうとしていた。

  私を傷つけないために、彼はあえて悲しみを押し殺してくれているのだと――。


 だけど、もし「怒り」という機能そのものが最初から備わっていないのだとしたら。


 彼が私に向けていたあの献身も、穏やかな微笑みも。

  それは、亡き主を想う痛みすら持たぬまま、次の主として私を認識し、自動的に尽くしているだけの、無機質な「幸福」に過ぎなかったというのか。


 彼が私を運んだあの温もりも。

 私を気遣うように見えたあの沈黙も。

 全ては「尽くせば満たされる」という本能が、ただ効率的に処理されていた結果だったのか。


 ――あの日、一人きりで絶望の底にいたのは、私だけだったのだ。


 そう思い至った瞬間、焚き火の熱すら遠のくほどの、救いようのない孤独が私を刺した。

 私は、隣に座るカグツチの顔を見ることができなかった。


「……センス?」


 すぐ傍にいた竜へ、ノエルがそっと呼びかける。

 焚き火の火に照らされたその顔に、わずかな違和感があった。

 センスは表情を変えず、いつも通りに口元を緩めていたが――


「……調子がよろしくないのですね」

 

「気のせいかと」


「うそ。私の目をごまかせるとお思いで? もう三年もあなたのことを見ているのですよ」


 言葉は優雅だが、声音には微かな鋭さがある。

 ノエルは静かに立ち上がり、センスの腕に手を添える。

 何も言わずに立たせようとしたその仕草が、すべてを物語っていた。


「ごめんなさいね、お二人とも。少し、この愚竜を部屋へ運びますわ」


「お手伝いを」


「ご心配には及びません。日光の下に長くいたせいで、角の痛みが出たのでしょう。ね、センス?」


「オルドレアの気候は年中曇りですので、日光はあまり関係ないかと」


「全く……こんな時まで減らず口を」


 ノエルがセンスに手を差し出すが、センスは首を横に振る。


「ご心配には及びません。まだ、動けますので」


 センスは穏やかに答えるが、ノエルは構わず歩き出す。

 あくまで優雅に、ゆっくりと。


「知ってますわ。あなたは最後まで『動けてしまう』種族ですもの」


 その言葉には、明らかな皮肉も、優しさもない。

 今まで見てきた竜と貴族の並び。

 しかしそこに主従の二文字は見当たらない。

 センスは小さく笑い、立ち上がる。


「付き添っていただけるとは、光栄です」


「当然でしょう。貴族たる者、竜の終わりを目にして平然と背を向けるなどありえませんわ」


「……お嬢様らしいお言葉ですね」


「ふふ。では、失礼いたしますわね。ルシアさん、カグツチ」


 ノエルは軽く礼をして、ゆっくりとセンスと並んで歩き出す。

 彼女の手は、肩には添えられなかった。

 ただ、その背に寄り添うように。


 まるで――礼儀のための伴歩にすぎないように見せながら。

 軽く肩を貸しながら、ノエルは二人へちらりと視線を投げた。


「食後のひととき、ゆっくりお過ごしくださいませ」


 その目に含まれた微笑が――無意識か、それとも確信かはわからない。

 火のゆらめきの向こうにはたしかな余韻だけが残された。

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