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造花の魔王〜復讐令嬢はやがて魔王に至る〜  作者: 黒しろんぬ
一章 氷の城 -悪役令嬢とお喋りな竜-
25/29

24.つがい

 焚き火が、静かに音を立てて崩れた。

 燃え落ちた枝が内側へと沈み、橙の光が一段、低くなる。


 その変化に合わせたように、カグツチがようやく顔を上げた。

 振り向きはしない。ただ、視線だけがわずかにこちらへ寄る。


「……話、終わった?」


 低い声だった。


「ええ。ひとまずは」


 センスが応じる。

 軽い口調のまま、だが視線は火から離さない。


「ご不快でしたら謝ります。少々、説明が過ぎましたね」


「いや」


 カグツチは短く言って、再び火へ目を戻した。

 その横顔は、いつもと変わらない。

 穏やかで、静かで、何かを抱え込んでいるようには見えない。


 ――それが、余計に胸に引っかかった。


 私は焚き火を挟んだまま、彼を見つめる。

 問いかけたい言葉は、山ほどあった。

 けれど、今この場においてどんな言葉が適切なのか、分からなかった。


 代わりに、センスの方が先に口を開いた。


「……だからこそ、僕は不思議に思っていたんです。そんな仕組みの中で、なぜ君はそんなにも怒りに近い振る舞いを見せるのか、と」


 穏やかな声だったが、その内には確かな探究心が滲んでいた。

 カグツチの耳がぴくりと動いた。


「怒りという欠落が僕たちを道具にしたのだとすれば……君は例外です。君には怒りに近い反応がある。――ただ、生来の怒りとは違う。向きが偏っている。後天性の怒りに見えますね」

 

 センスは小枝を手のひらで転がしながら、独白のように続けた。


「……竜種の行動としては、かなり極端です。通常の繁殖相手であれば、ここまでの敵意も、執着も示しません」


 静かに枝を回しながら、彼は続ける。私は小さく息を呑んだ。

 それを、センスは見ていないふりをして言葉を重ねる。


「守る、囲い込む、距離を詰める。――全てが過剰になる」


 センスの視線が、もう一度私に戻る。


「――だから、僕は(つがい)を疑いました」

 

 その言葉に、私は息を詰めた。

 言葉の意味が胸に落ちてこない。


「……ふふ、そういうことですのね」


 ノエルはくすりと笑い、どこか納得したように頷いた。


「前から思っていましたけれど……カグツチ、ルシアさんのことになると、距離感が完全におかしいんですもの」

 

 バケツに張った水で紙を湿らせながら、ノエルがじゃがいもを丁寧に包んでいく。


「きっと、カグツチにとってルシアさんがその(つがい)という存在だから――特別に見えてしまうんですわね。まるで仲睦まじく寄り添う鳥のように」


 火に視線を落としたまま、カグツチは何も言わない。

 

「惜しいですね、お嬢様。ほぼ不正解です。見た目は似ています。ですが、同じではありません」


「不正解なら惜しいって言わないでくださいましっ!」


 センスの穏やかな声が、焚き火越しに届く。

 

(つがい)とは、人間のような恋愛感情ではありません。竜種にとっては――構造上の欠落を補う、機能的な存在です」

 

 その言葉に、私は思わず眉をひそめた。

 

「……欠落?」

 

「ええ。先程も話した通り、竜種は生まれつき欠けている存在なんです。(つがい)を持つことで初めて、ひとつの存在として完成する」


「……まあ。味気ないことをおっしゃいますのね」

 

 ノエルは手を止め、首をかしげた。

 

「だって、見ていれば分かりますわ。カグツチがルシアさんを見る目は、とても構造だなんて呼べるようなものじゃない。優しさと愛しさと、尊敬すら滲んでいた気がしますけど?」


「それは、(つがい)だからです。欠けた構造を補おうとするのは、本能です」


 誰も、すぐには続く言葉を見つけられなかった。


 私は、無意識に手を握りしめていた。

 その言葉は、ひどく冷たく、正しくて――人間と竜種のあいだにある、決定的な壁を見せられた気がした。

 センスは、まるで空腹時に食事を求めるような、当たり前の事実としてそれを述べた。

 

「……欲しいものを手に入れようとする。それ以上の意味が、どこにあるというのでしょう?」

 

(つがい)だからあの態度に? 恋とか愛とかじゃなく?」

 

「恋愛という概念自体、竜種には……ないとは言いませんが、稀です。それは人間だけに備わった種の保存のための機能です」

 

 ふうん、とノエルがわずかに唇を尖らせる。

 

「なんだか……話が噛み合いませんわね」


 言い切ると、センスは小枝を止め、こちらをじっと見つめた。

 言葉ではなく、その瞳が、静かに問いかけてくる。

 

「――センス。それ以上は言わないでくれ」

 

 カグツチの声が、低く、静かに割り込んだ。

 その声音には、普段の陽気さとは異なる――どこか、切実なものが滲んでいた。

 

「人の言葉で伝えられるものだと思ってないから、これ以上はルシアに何も言わないで」

 

 焚き火の炎が揺れ、カグツチの横顔に赤い影を落とす。

 それは、どこか自嘲にも似た表情だった。

 しばらく、焔の音だけが響いていた。

 なにか言うべきか、少し悩んで――なんの言葉も持っていない自分自身に気付いた。

 それでもセンスは微笑みを崩さなかった。

 

「……なるほど。でも、僕には言わなければならない理由があるんです」

 

 その声は、優しく、けれどどこか他人事のような――どこまでも淡々とした響きを持っていた。

 

「竜種と人間の(つがい)なんて、神話の中の物語のはずでした。けれど……いま、それが目の前にある」

 

 センスは持っていた枝を焚べ、ふっと笑った。

 

「僕には、もう時間がありません。だから、見られるものは見ておきたいんです。知りたいことは、聞いておきたい」

 

 その声音には、年長の竜種としての穏やかな諦観と、死を前にした者ならではの、どこか飄々とした切実さがあった。


「教えてもらってもいいですか、カグツチ。(つがい)を見つけた時の感想を」


 センスのそれはただの好奇心だ。

 相手の懐に堂々と歩み寄り、狙ってもいないのに的確な部分を刺してくる。

 こんな相手、人間では見たことがない。

 カグツチは目を伏せ、口を開こうとしない。

 その姿を放っておくことは出来なかった。


「センス、その辺りになさいな。あなたの容赦ない好奇心にカグツチが嫌がっていますわ」


 私より先にノエルが飽きれたように言葉を挟む。

 その声に、焚き火の熱がわずかに揺らいだ。


 センスは困ったように笑ったが、その視線だけは、少しも引いていなかった。

 その好奇心を宿した金色の瞳をこちらへ向けた。


 それは標的が私に切り替わった合図のようだった。


「ではルシアさんにお聞きします。彼に違和感を持ったのはいつですか?」


 うまく整理がついていないところに飛んできた質問に、思考がうまく働かない。

 思い返せば――彼は、王都を離れてから、ずっと近すぎた。

 

 紙に包まれたじゃがいもが、火の中へと転がされる。

 くすぶる煙が立ち上り、焚き火の熱がじんわりと頬を撫でていった。

 カグツチは何も言わないまま、焚き火の中で跳ねる火の粉を眺めている。

 その沈黙が、答えなのか、逃げなのかは分からなかった。


「センス、おやめなさい。これ以上は本当に無礼ですわよ」


「お嬢様が僕を咎めるなんて、珍しいこともあるものですね」


「あなたがあんまりにもあんまりだからです」


 センスは目線を上げ、焚き火越しにこちらを見た。

 しかしそれ以上は何も言わず、口元に笑みを湛えたまま閉ざした。


 必要だから、求められる。

 

 ノエルの温度は救いの形をしていた。

 だから、明確に拒まなければと思えた。

 救われれば私は止まる。あの日の私を裏切る。だから優しさを受け取る自分を迷わず殺した。


 じゃあ、カグツチはどうなのか。

 彼に与えられた優しさは――共犯や救いではなく、構造。

 それが構造だと言われた瞬間、私は初めて、拒否する理由すら奪われた気がした。

 どこにも置けない感情だけが、沈殿していく。

 だから私は、答えを出さずに考え続けている。


 焚き火のはぜる音だけが、涼やかな昼の風に溶けていく。

 ガラス張りの天井から差し込む陽射しが金色に踊り、地面の影をじわじわと伸ばしていた。

 その中で、紙に包んだじゃがいもが香ばしい匂いを立てはじめる。

 

「……できましたね。よく火が通っています」

 

 その一言で、張り詰めていた空気が、ようやく緩んだ。


 センスが枝で芋をつつき、ノエルが手際よく皮をむきはじめる。

 薄く焦げた皮の中から、ほくほくと湯気を立てる中身が顔を覗かせた。

 

「塩、持ってきてますわよ。……はい、どうぞ、ルシアさん」

「……ありがとうございます」

 

 渡された芋に塩を振り、ひとくち齧る。

 甘みと塩気がじんわりと口の中に広がり、昼の光の温度すら優しく感じた。

 

「……美味しいです」

 

 ——なのに、胸の底だけが冷たいままだった。

 拒む理由すら奪われた、という言葉が、喉の奥に刺さったままだ。

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